声優 福原香織 × 社長 田中邦裕 対談「やりたいこと、どうやってできるに変えてますか!?」

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≫ 「やりたいことをできるに変える」職場で働きませんか?

 

これまでに2回にわたって、ご自身の人生やキャリアについて語ってくださった福原香織さん。 今回は趣向を変えて、さくらインターネットの創業社長である、田中邦裕と対談していただくことになりました!

この日が初対面の2人。コミュニケーションを取るうえで大切にしていることや、今後実現したいことについて語っていただきました。

 

福原 香織さん(以下、福原):2週間前に、田中さんとお話をしてみたい! とリクエストしたのですが、まさかこんなにすぐお会いできるとは……お忙しいところありがとうございます!

田中 邦裕(以下、田中):普段はあまり緊張することはないのですが、今日は緊張しています(笑)。 もともとアニメは好きで、最近は『ソードアート・オンライン』を見ています。もちろん『らき☆すた』も見ていましたよ。

福原:ありがとうございます! 

ふたりを突き動かした”若気の至り“

ーー田中さんは18歳の時にさくらインターネットを創業し、福原さんは15歳で声優を目指し上京されました。お互い若い時に大きな決断をされていますが、その時の心境といま振り返ってみてその判断はどう思いますか?

田中:起業をした当初から一貫して、自分が好きなことをすることが重要だと考えています。そのため、さくらインターネットは「やりたいことをできるに変える」という社是を掲げています。

 

福原:昔から、その社是なんですか?

 

田中:実は3年前に明確化されました。僕自身の想いでもあるし、社員のみんなの意見でもあって、みんなで社是を創り上げました。もともと「やるべきことをやる」という前提があまり好きじゃなくて、「やりたいことができるのがいい」という話をずっとし続けていたという背景があります。

僕は15歳で高専に進学しました。高校に行く人が大半のなか、1%の人しか選ばない選択です。福原さんも15歳で上京されたんですよね?

 

福原:はい。声優になりたいという子どもの頃からの夢を叶えるために、上京を決意しました。田中さんと同じように、ごくわずかな人しか選択しない道に進むのは、とても勇気のいることでした。 後付けですけど、今こうしてお仕事ができているのは、すごくよかったなって実感しています。若気の至りというか……パッションだけで「声優になるぞ」って感じだったので(笑)

 

田中:若気の至りって重要ですよね。42歳の僕が今から声優になろうとチャレンジするのは、かなりのリスクがあります。でも15歳のときにチャレンジをしていたとしたら、もしダメだったとしてもなんとかなっていたんじゃないかな。

スポーツ選手や声優って、なろうと思ってもなれないことが多いけど、まずはなろうと思わないとなれないじゃないですか。だから後付けで「よかったな」と思うのは当然のことだと思います。

自分のできることが何か、試行錯誤の連続

田中:最近では社外の人のメンターをすることに熱量を持っています。

 

福原:メンターってなんですか?

 

田中:話し相手になって、その人自身が本当にやりたいことを見つけ出すお手伝いのことです。例えば起業家の人たちの悩みを聞いて、その中で自分の答えを見出していただきます。 最初は「最近どうですか?」とか、当たり障りのない話をするんです。話が深まっていくと具体的な悩みが出てきて、根本を突き詰めると実は大した悩みじゃなかったりすることもあります。単に話を聞いてほしいだけの人や悩みを解決してほしい人もいて、手法は様々ですが基本的には問いかけをするかたちが多いですね。福原さんはどうですか?

 

福原:大人になればなるほど、自分がやりたいことだけでなく、誰と何をやりたいかを考えるようになってきました。3年間のフリーランスを経て、最近また声優事務所に所属したんですけど、事務所の社長やスタッフさん達が「福原さんとこういう事が出来たらいいよね!」と、色々想いを伝えてくださり、それがとても嬉しかったですね。

私は今年デビュー15周年イヤーなので、そんなふうに仰ってくれる方たちと一緒に仕事が出来ることがありがたいですし、これからどうなっていくのかとても楽しみです。

いまは新たな環境で自分には何が出来るか、まわりの方たちにどんな貢献が出来るかと、試行錯誤することに熱量を注いで挑んでいます!

 

田中:周りの人たちと一緒にいて、どういうところが楽しいんですか?

 

福原:私はアニメデビューが18歳と早く、大ヒットしたアニメ『らき☆すた』の時はまだ20歳でした。一方、まわりのプロデューサーやスタッフの方たちは30代、40代の働き盛りのイケイケな方が多くて、本当の意味で関われていたかと考えると、やっぱり年齢やキャリアの差がどうしてもあって、コミュニケーションが難しい時もありました。

最近は自分も歳を重ねて、周りのスタッフさんに同年代も増えてきました。なかには「『らき☆すた』を見てアニメが好きになり、この業界に入りました!」なんて仰ってくれる方も。私がこの方の人生に関わっているのか…!と考えると、それってとてもすごい事ですよね。そんな時に仕事のやりがいや楽しみが深まったと感じたりします。

 

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察してほしいではなく、きちんと言葉で伝えること

ーー二人の話題は先日、田中がnoteに書いた『社会人の不幸の8割は合意のない期待から』という記事の内容に移った。

 

田中が書いた内容とは 

・勝手に期待をして、裏切られたと思う。この気持ちが自分の中のフラストレーションを生む。

・重要なのは、良いこと、悪いこと、やってほしいこと、やって欲しくないことなどの期待を事前に合意しておくこと。

note.com

 

田中:合意のない期待をしたらダメだよという内容を書いたら、すごくバズりました。相手に自分の気持ちを察して欲しい人って結構いるんですけど、エスパーかよって(笑)。

メンタリングをしている時もこういった相談に出くわしますが、エスパーになるか、それともちゃんと話す人になるかどっちを選ぶかと問いかけると、みなさん後者を選びます。

 

福原:そうですね。その二択だったら、きちんと話す方を選びますね。私も合意のない期待で失敗してしまうこともあります。例えばですけど、新人の頃の私は、相手に自分の言葉で想いを伝えるという事がとても苦手だったんですよね。

自分の語彙力のなさや、人間力がまだまだ未熟だったのもあって、まわりに察してほしいって思うこともあって。逆にマネージャーさんやスタッフさん達は私に対してこうしてほしい!という期待があって。合意のないままお互いの期待が膨れ上がってしまうことがありました(笑)。

 

田中:ちなみにその時はどうやって乗り越えたんですか。

 

福原:日々、自分の行動に気づき続けることですかね。例えば今日失敗しちゃったなっていう時に、なぜそうなってしまったのかを振り返る。成功した時も同じです。とにかく気づき続けるように意識しています。

最近は、自分勝手な押し付けや、この人はこういう人だろう!という決めつけたりする思考をやめたんですよね。ここ数年、自分の意識改革を行動に移してかなり実践しているのですが、いい結果に繋がる事が増えた気がします。

 

田中:あるべきよりも、ありたい姿の方がいいってよく言いますよね。特に人間関係が悪いという話になると人間が悪いように思いがちですが、関係が悪いだけであって人間自身は悪くない。

さくらインターネットのバリュー(※企業としての価値)で「肯定ファースト」というものがあります。まずは相手を肯定しましょうという意味です。嫌いな人は嫌いなところしか見えないし、好きな人は好きなところしか見えない。

でもどんな人であっても、いいところを見て、まず肯定的に受け入れるということをすれば大抵は喧嘩にはならない。新人時代にマネージャーさんとうまくいけた秘訣はあるんですか?

 

福原:感謝の気持ちを持つ事でしょうか。上京したての養成所時代、1年くらい全く結果が出なくて、 オーディションも落ちてばかり…。

そんな時に私を見つけて声をかけてくださったのが当時のマネージャーさんでした。「なんとか福原をデビューさせよう!」というマネージャーさんの想いに私自身とても感謝していましたし、信頼していました。 なので私も「なんとかデビューするぞ!」と必死についていきました。大変な事も色々あったけど、変わらずずっと持ち続けていたのは、そんなマネージャーさんへの感謝の気持ちですね。

 

田中:感謝の気持ちって大切ですよね。僕は学生さんのメンターをすることもあるんですが、年の差が倍くらいありますよ。下手したら子供のような年齢ですよね(笑)。でも、年の差があっても謙虚に話を聞くようにしています。

 

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デビュー15周年を迎える福原さんが実現したいこと

福原:自分の想いを周りの人たちに伝えて、自分自身も成長し続けて、やりたいことを実現していきたいです。 過去にやり残してしまったことも出来る限り回収したいです。

デビュー15周年を迎えるにあたって、今まで支えてくださったファンの方やスタッフさん達などに 恩返しができる1年にしたいと思っています。そこで、新たに所属した事務所では、今までの私だったら遠慮して言えなかったことも、相手の立場も尊重しつつ、自分の意見をきちんと言うようにしています。

社長やマネージャーさんに、私はこういうことをやりたいので力を貸してもらえないでしょうか? と素直に伝えるよう心がけています。受け入れられなかったらどうしようという怖さはもちろんありますが、 ストレートに言葉にすると思いのほか伝わるんですよね。

ファンのみなさんに対しても同じです。変にかっこつけずに、今の私の状況であったり、今の私にはこういう力が足りないけど頑張りたいから、みんなに力を貸してほしい…!と正直に伝えます。結果、以前よりも私とファンの方との絆も一層深まって来ているように思います。

 

田中:今の話を聞いていて思ったのが「私」という主語を明確にして話すことって重要ですよね。こういうイベントの方がいいと思います。というより、私がこういうイベントにしたいと言ったほうが、同じことを言っていても、ニュアンスが違いますよね。

福原さんが話されたように、協力してほしい・助けてほしいと発信し、フォロワーをつかむ力っていうのはすごく重要だと思っています。自分をさらけ出すと弱みを見せるようで怖いっていう人が多いんですけど、案外相手からは本音が聞けてよかったという意見をいただけたり。やっぱり何がしたいかをきちんと伝えることが大事なんだろうなと思いますね。

 

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田中が挑む「楽しく働ける環境」作り

田中:僕はせっかく同じ会社にみんな集まったんだったら、楽しく働きたいなと思っているんです。なので僕自身はみんなが楽しく働ける環境を作りたいです。

仕事っていうと嫌なものってイメージありますよね。連休の最終日にTwitterのトレンドで仕事に対するネガティブなワードが上がってきたり。

 

福原:そういえば今朝のTwitterトレンドも満員電車でした(笑)。

 

田中:満員電車ってよくないですよね! 会社に行くまでに疲れるし、具合が悪くなる人もいるし、悪循環です。IT化がこれだけ進んだのに、なぜ東京で働かなくてはならないんだろうと思います。

さくらインターネットには「さぶりこ」という働き方の制度があり、始業する時間を朝7時から12時まで自由に変更できます。更に30分早帰り制度というのがあるので、7時に始業した人は15時半には帰れるんです。 帰社後は子どもを迎えに行ったり、外部の勉強会に行ったり、副業も可能です。 そうやって多様性を認めつつ、勤務地が東京じゃなくてもいいようにする。その2つの両輪を回していけばもっと幸せになれると思っています。 僕は良い会社を作るということを成し遂げたい。更にその行動を通じて社会そのものが変わればいいな。

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若くして大きな決断をした2人。「他者」と関わる中で自分の想いを伝え、相手ときちんと対話をすることで、着実に「やりたいことをできるに変える」ことを実現されているのだと感じました。 新しいことに取り組むことはとても勇気がいることですが、まずは「私はこうしたい!」と言葉にしてみることから始めてみてはいかがでしょうか? きっと「やりたいことをできるに変える」第一歩になるはずです。

 

≫ あなたの「やりたいこと」をさくらインターネットで一緒に実現してみませんか?

 

 

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声優デビュー14周年!福原香織が「仕事が上手くいくコツ」をお伝えします。

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みなさんこんにちは。声優の福原香織です。

2回目の連載です。前回の記事は読んでいただけましたでしょうか?長年のファンの方からも「かおりんの長文新鮮!」とか「初めて知る事が書いてあった!」なんて言っていただけて、連載のお仕事は初めてでしたが、書いてみて良かったなぁと思いました。

 

な~んて、少しの間余韻にひたっていたらもう次の原稿の締め切りが迫っていてびっくり(笑)。漫画や文章を連載するお仕事をされている方は、ずっとこの繰り返しなんですよね。尊敬します……。

 

私は声優という声の仕事をしておりまして、先月11月21日に無事デビュー14周年を迎え、ついに15周年イヤーに突入しました! どうして声優になりたいと思ったか、デビューまでのお話は前回の連載をぜひ読んでくださいね。

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今回も「働き方」に焦点を当てて記事を書いていきますので、まだまだ慣れない執筆業ですが、お付き合いいただけたら嬉しいです!

私は声優になるために15歳で単身上京、18歳で声優デビューの切符を掴みました。デビューしてから本当にたくさんのことにチャレンジして、失敗したり成功したりを繰り返しながらなんとかここまでやってこられましたが、今回は仕事をする上で私なりにつかんだ「上手くいくコツ」をお伝えします。

 

ポイントは、「自分がやりたいこと」「自分に似合うこと」「自分がやれること」

 

ちなみに、デビュー当時の私はこの3つが全く整理出来ていませんでした。そんな私の過去の経験を踏まえながらお話しします。

 

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自分がやりたいこと

まず「自分がやりたいこと」について。

私は昔からマイペースに我が道を行くタイプで、なおかつ感受性は豊かなほうだったので、わりとどんな時も「自分がやりたいこと」を持てている状態ではありました。

早くに自分の将来の夢を見つけられたこともそうですし、「自分がやりたいこと」にはまっしぐらでした。でも、私は本当に感性と勘で生きている人間なので(笑)。詰めが甘いというか、分析力がないというか、どうしてそれをやりたいのか説明しなさいと言われると、自分がやりたいことのはずなのに人の心を動かせるほどのプレゼンができなくて、よくマネージャーに「……それで?」「……で、なにが言いたいの?」と言われていました(笑)。

 

それからは、自分の中でやりたいことを明確にイメージした後は、言葉で人に伝えられるようアウトプットしていくことも大切なんだと学びました。そのアウトプットが上手くいくと、自分と相手との間に“共感”がうまれて、協力者が増えていくことが多いです。なので、最近は「私なんかがこんな提案をしてもきっと無理だろうなぁ……」と遠慮することなく、事務所の社長にも、マネージャーにも、他社のスタッフさんにも、ファンの方に対しても、正直にやりたいことを言葉でアウトプットするようにしています。

 

それを繰り返していくと、自分のやりたいことの整理ができて、常に目標を持てている状態になるし、企画やプレゼン力もついてくる。言葉にすると不思議なもので、いつか「やりたい」というふわっとした夢物語から、「やりたいこと」がもうちょっと自分と近くなるというか、今日のTO DOリストに加わるような、そんな感覚があります。

自分に似合うこと

次に「自分に似合うこと」について。

デビューしたての18歳の頃の私はちょっと背伸びしたいお年頃で、モノトーン系の服を着ることが多かったです。ヴィヴィアン・ウエストウッドのネックレスをつけたりなんかもして、わりとシック?な感じにまとめていました。

そんな私を見たマネージャーから「もっと若者らしく色のついた服を着るように。」「オーディションや仕事の時は黒い服はだめ。」と注意されてしまい、「なんでなんで?!私はこれが最高に可愛いと思って着てるのにー!!」と納得が行きませんでした。

 

「声優 福原香織」という商品を、会社やマネージャーがどういうパッケージで売り出したいか、という戦略的な部分なので、マネージャーから注意されることもあるのは当たり前です。確かに当時の私は色の付いた可愛い洋服のほうが客観的に見ても似合っていたと思います。

でも当時の私には「自己プロデュース力」がほぼ皆無だったので、マネージャーの意図もあまり理解出来ず、とりあえず、といった感じで表に出る時は色の付いた服を着るようにしました(笑)。

 

あと、よく覚えているのはオーディションの歌唱審査で歌う曲のチョイス。私は明るい曲と暗い曲でいったら暗い曲、可愛い曲とかっこいい曲でいったらかっこいい曲が好きなタイプなので、オーディションではALI PROJECTさんの「コッペリアの柩」や、島谷ひとみさんの「市場に行こう」なんかをよく歌っていました。(知らない方はぜひ聞いてみてください。どちらも世界観が独特で素敵な曲です)

 

これもマネージャーに怒られましたね。「なんで勝手に暗い曲歌うの!!」って。しまいには、マネージャーからJUDY AND MARYさんの「Over Drive」以外歌っちゃだめ指令が出ました(笑)。

 

確かに服も曲も、マネージャーのアドバイス後のほうが、まわりからの評判もよかったです。こんなやりとりを繰り返していくうちに、少しずつ「自分に似合うこと」って必ずしも自分が好きなものと一致するわけじゃないんだと学びました。

 

それから自分を客観的に見るようになり、例えば、服やメイクなんかも「好き」と「似合う」のバランスを取るようにしたら格段に写真うつりがよくなり、雑誌のグラビアやCDのジャケットのクオリティが上がっていきました。

自分がやれること

最後に「自分がやれること」について。

私は歌ったり踊ったりすることが好きだったし、これからの声優はライブの仕事が増えていくと予想していたので、養成所時代からボイトレやダンスレッスンは結構真面目に通っていました。

ライブでの理想は島谷ひとみさんのように、世界観のあるかっこいい曲を歌いながら踊る綺麗でかっこいい歌い手!!……えぇっと、当の私はというと、割と声は細く、身長151cm、童顔で子ども体型。気分は島谷ひとみさんのように歌って踊るんですが、その自分の姿をビデオに撮って見ると笑っちゃうくらい理想とかけ離れてるんです。しかもクオリティも微妙っていう(笑)。

 

それこそさっき書いたJUDY AND MARYさんの「Over Drive」を歌っている時の私のほうがまだマシ。私の理想のレベルが10だとしたら、その時の私の現実レベルは1。

10になるためには、まずはレベル2にステップアップしなければならないのに、自分の実力を把握出来てない私は10しか見えてなくて、いざやろうとすると実力がともなわずちぐはぐになってしまう。まだまだ外の世界を知らなさ過ぎて、傲慢だったのだと思います。

 

理想と現実にきちんと目を向けて自分の下手くそさを自覚し、目の前の課題を地道に1つずつクリアして自分自身のレベル上げをしていくようになると、当然「自分がやれること」も増えてきます。忍耐です。修行です。

結果、最初はレベル1だった私でも、日本武道館や代々木第一体育館でライブをさせていただくことができましたし、昔では考えられなかった「かっこいい曲」もユニットのソロ曲で任せてもらえるようになりました。今の「自分がやれること」を把握できていると結構強くなれます。

 

そんな中で、ちょっと大変だったのが、まわりの目や、まわりの意見。マネージャーが言ってくれるような意味のあるフィードバックではなく、いわゆるネットの書き込み。有名な作品に出演するにつれて、自分の誹謗中傷がネットにたくさん書き込まれるようになりました。見なきゃいいでしょ!って言われてしまいそうですが(笑)。

 

自分のブログのコメント欄に書き込まれたり、ネットで調べものをしている時に思いがけず出てきたり、意図せず悪口が目に入ってしまうこともあって。今だったらそこまで気にならないようなことも、当時はめちゃめちゃ気になってしまいました。あれ?私ってこう思われてるの?私ってこんなにダメな人間なんだ……。って。

 

100人中1人の書き込みが、私には1000人に悪口言われてるように見えてしまって……。そんな時にネガティブな発言をしてしまったりして、更に悪口を書かれる、という悪循環だったこともありました。

そうなると、整理できていたはずの自分のビジョンや考えが、まわりの目を気にしてブレそうになってしまうんですよね。その辺はまだまだ私自身も未熟でした。

中川翔子さんからの言葉

以前、タレントの中川翔子ちゃんとご飯に行く機会があり、翔子ちゃんが「100人中1人が悪口言ってても気にしない。99人の応援してくれてる人のために頑張りたい!」ってキラキラな瞳で言ってて、なんて強い人なんだろう……! 素敵だな、すごいなって、心から思ったんです。

私も応援してくれているファンのみなさんのために頑張ろうって本気で思いました。自分にとって、意味のなさそうな意見に振り回されるのではなく、サポートしてくれているマネージャーやスタッフさんは私に何を求めてくれているのか、ファンのみなさんはどんなことをしたら喜んでくれるのかを考えよう!と気持ちを切り替えることができました。

 

少し話は反れましたが、 声優の仕事に限らず、「自分がやりたいこと」「自分に似合うこと」「自分がやれること」この3つを整理・把握できていると、自分で自分の説明書を持ち歩いているようなものなので、とても便利です。よかったらぜひ。

 

余談ですが、連載と一緒にアップされている写真は全て初出しのプライベート写真です。前回は実家の愛犬と撮った写真や、夏にひまわり畑に行った時の写真をアップしました。

今回は、最近プライベートで和歌山旅行に行った時の写真です。なぜ和歌山なのかというと、私は水族館が大好きでして、最近はペンギンの中で最も体が大きい皇帝ペンギンが特に好きです。

和歌山のアドベンチャーワールドは日本に数カ所しかない皇帝ペンギンが見られる貴重な場なのですが、なんと!最近その皇帝ペンギンに赤ちゃんが産まれたそうで、こんなレアなチャンスを逃すわけにはいかない!と、飛行機ではるばる和歌山に行きました。

 

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アドベンチャーワールドで動物を見たり、白良浜という砂浜で海に夕日が落ちるのをぼーっと眺めたり、海鮮丼を食べたり。和歌山には初めて行きましたが、時間の流れがゆっくりでとても素敵な所でした。また行きたいです。

 

次回からは私が気になる方と対談をしていきたいと思います!!

それではまた次回お会いしましょう!

 

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2019年11月のまとめ記事 さくマガ

さくマガ 11月の記事まとめ

 

11月にオープンしたさくマガですが、おかげさまでオープンから1カ月が経とうとしています。多くの方に読んでいただけた10記事を日付順にピックアップしました! 編集秘話と合わせてご覧ください。

1.高速SAのラーメンはなぜ美味いのか、鹿児島から青森まで全てのSAでラーメンを食べてきた。① 著者:pato(11月1日公開)

patoさんによるオープン初日に公開された記事。 「やりたいこと」を「できる」に変えるという、さくマガのコンセプトがありますが、patoさんにとっての「やりたいこと」は高速SAのラーメンを食べまくるというものでした......。初日に公開したこの記事のインパクトが強すぎて、さくマガ=グルメサイトと勘違いされることも。

編集秘話

実はpatoさんからは既に全話納品済みです。さくマガ編集部の都合で分割掲載となっています。月初に1話ずつ更新して、3月に連載終了となります。patoさんの長文を期待している方には申し訳有りませんが、3月までお付き合いください。

 

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2.アンドロイドのお姉さんとは!? SAORIさんと働き方を考える (11月1日公開)

アンドロイドのお姉さん SAORIさんへのインタビュー記事。 SNSを上手に活用されていて、よくバズっています。最初は80人程度しかフォロワーがいなかったそうですが、アンドロイドのパフォーマンスをしたところ、2万人までフォロワーが増えたとのこと。さくマガもフォロワーを増やしたいと思っているので、勉強させていただきます。

編集秘話

記事の中でアンドロイドのお姉さん SAORIさんがTwitterから仕事を獲得していると言っていますが、この取材も編集長がTwitterでDMを送って実現しました。何ごともチャレンジしてみるということが大事ですね。

 

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3.バーチャル高級寿司マシーンを作って、パック寿司を名店の味へ  著者:藤原麻里菜(11月5日公開)

無駄づくりクリエイター 藤原麻里菜さんによる記事。原稿が送られてきた際、独特の発想に編集長も「この発想は無かった」とつぶやきました。GIF動画を使った面白い表現に編集部も笑いに包まれました。藤原さんにも連載をお願いしているので、毎月更新となります。来月はどんな無駄づくり作品が生まれるのかお楽しみに!

編集秘話

さくマガはさくらインターネットのオウンドメディアなので、編集部内では「自社サービスを記事の中に入れたいよね。」と話していました。現在、販売を一時停止している当社IoTプラットフォーム「sakura.io」が2020年初頭に販売再開となるので、ぜひとも藤原さんにsakura.ioを使った無駄づくり作品をお願いしたいと思っています。

 

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4.声優 福原香織さん「とにかく負けず嫌いだった」デビュー当時と現在の自分(11月6日公開)

声優 福原香織さんのインタビュー記事。現在は事務所に所属されていますが、インタビュー当時はフリーランスとして活動されていました。声優の方からお仕事の話が語られる機会はあまり無いので貴重な記事になっています。福原さんがこの記事について投稿してくれたところ、160リツイートもされました。

編集秘話

文字起こしのためにICレコーダーに録音をさせてもらいました。音源を聞いてみると、滑舌がはっきりしていて声がとても聞きやすく、文字起こしがスムーズにできてありがたかったです。声優さんって凄いなと思いました。

 

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5.元サッカー日本代表、水沼貴史さん「監督という職業は覚悟が必要」 著者:森雅史(11月11日公開)

森雅史さんによる水沼貴史さんへのインタビュー記事。現在、絶好調の横浜F・マリノスで監督をつとめた時のお話や、バルセロナでの研修の話がサッカーファンにはたまらない記事となっています。マネジメント方法など、ビジネスでも役に立つ話を聞くことができました。

編集秘話

森雅史さんはインタビュー中、資料などを一切見ずに話をしていたのですが、細かい数字まで完璧に覚えていて準備をしっかりされている印象を受けました。カメラマンの浦さんもまさにプロ! というテクニックで水沼さんの魅力を引き出してくれました。

 

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6.オマーンに「オマーン国際空港」はない! そして海外旅行に言葉の壁もない! 著者:地主恵亮(11月12日公開)

地主恵亮さんによる海外旅行記事。途中、さくらインターネットのサービス広告が突然あらわれます。宣伝が唐突すぎて効果ないだろうと思いきや、この記事経由でコンバージョンが発生して編集部は喜びました。

編集秘話

地主さんと事前打ち合わせをした際に、著書とタオルと海外のお菓子をいただきました。海外のお菓子はチョコレートバーでしたが、溶けていたので「あれ? これ食べても大丈夫なやつ?」と思いましたが、美味しかったです。

 

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7.パラレルワーカー最強  著者:岩崎う大(11月14日公開)

かもめんたる 岩崎う大さんによる記事。パラレルワーカーとして働く岩崎さんのコラムとなっています。自作のイラストがとてもいい味を出していて、カンニング竹山さんもイラストで登場! 

編集秘話

岩崎さんと事前打ち合わせをした際に、新宿の弊社オフィスまで自転車で来たとおっしゃっていました。自転車がお好きとは聞いていましたが、すごい体力だなと驚きました。文章もイラストも書けるってライターとしてもすごい武器を持っている方です。

 

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8.ITエンジニア兼マンガ家の「ちょまどさん」がさくらインターネットとの思い出を語る!(11月20日公開)

ITエンジニア兼マンガ家のちょまどさんへのインタビュー記事。マイクロソフトの社員ということで、競合会社の方が記事に出てくれるというチャレンジングな企画。ちょまどさんも快諾してくれてありがたかったです。

編集秘話

マイクロソフトで浸透している「グロース・マインドセット」をちょまどさんも実践していて、常に笑顔でポジティブでした。お聞きしたSNS運用のコツをさくマガアカウントでも実践しています!

 

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9.しゃかりき 光ママがさくらインターネットの面接に乱入!?ヒロちゃん激怒!(11月21日公開)

吉本興業のお笑い芸人「しゃかりき」のおふたりにさくらインターネットの採用面接を受けてもらうという記事。ふざけすぎて大丈夫かなと思いましたが、社長もリツイートしてくれたので大丈夫そうです。

編集秘話

記事の中にある質疑応答の内容はしゃかりきのアドリブでお願いしていました。さすがはお笑い芸人さん! 内容はもちろん、動きもダイナミックで面白かったです。さくらインターネットの働き方制度についても解説しているので、就職活動でさくらインターネットを受けようと思っている方に見てほしい記事です。

 

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10.「本業、自分」 超ポジティブな0円Jリーガー 安彦考真さんにインタビュー(11月25日公開)

クラウドファンディングを利用して40歳の時にJリーガーとなった安彦さんのインタビュー記事。名言連発の安彦さん。本業、自分という言葉が素晴らしく、タイトルにも採用させてもらいました。

編集秘話

この取材の少し前に安彦さんはヒザを怪我していて、落ち込んでいるかと思いきや明るくポジティブ。サッカー好きのインタビュアーと盛りあがってたくさんお話をしていただき、楽しい取材となりました。

 

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以上、11月のまとめでした。

毎月、まとめ記事を作成しますので今後ともよろしくお願いいたします!

 

 

声優の仕事とは? 声優デビューまでにおこなったこと

実家の愛犬と

 

みなさんこんにちは! はじめまして! 声優の福原香織です。

この度、「さくマガ」で連載をスタートすることになりました。芸能の仕事を16年やってきた中でいろいろな仕事を経験しましたが、連載って実は初めてなんです。さくマガのインタビュー取材を受けた際に、担当さんから「連載もやってみませんか?」とお声がけいただいたのですが、連載規模の長文なんて、小学生時代に書いた読書感想文以来なんじゃないでしょうか。

 

その読書感想文の原稿用紙3枚ですら、まともにまとめられず苦労した記憶があります。オファーを受ける前に、そんな不安を担当さんにぶつけてみたのですが、「大丈夫です!」と即答だったので、何が大丈夫なんだろう?と思いつつも(笑)せっかくいただいた機会なので、チャレンジしてみることにしました。

 

「働き方」に焦点をあてて、自分の経験を踏まえつつ、みなさんに少しでも楽しい連載をお届けできるよう頑張りますので、しばらくの間お付き合いいただけたらうれしいです。

今回は初回ですので、私がなぜ声優になりたいと思ったのか、そして、声優という仕事に就くまでにどういう行動をしていたのかをお話しいたします。次回以降、デビューしてからのお話しをしていけたらと思います。

 

仲良しの声優、加藤英美里ちゃんと今年の夏に プライべートでひまわり畑に行って 撮ってもらった写真

いつ、将来やりたいことを決めたか 

あらためまして、福原 香織(ふくはら かおり)です。1986年8月11日生まれの33歳。AB型。千葉県出身。趣味は水族館めぐり、麻雀、整理整頓。特技はヒップホップダンス、辛いものを食べること。職業は、声優という声のお仕事をしています。

 

13年間avex(エイベックス)に所属し、その後3年間フリーランスとなり、今月からブライトイデアという声優事務所に所属して活動しています。担当さんから、さくらインターネットにお勤めの方やさくマガをご覧になる層の方は、アニメや声優が好きな方もわりといらっしゃると聞いていますが、なじみのない方のために説明をすると、声優の主な仕事には、アニメやゲームに声を入れたり、テレビ番組やCMのナレーション、海外の映画やドラマの吹き替えなどがあります。

 

近年、声優の仕事は多様化しているので、それに加えてキャラクターソング(アニメのキャラクターとして歌う)のCDリリース、個人名義での歌手活動、雑誌グラビア、ラジオ、イベントやライブ出演など、声優という肩書の中で本当にいろいろな仕事があります。

みなさんはいつ、将来やりたいことを決めましたか?どういうきっかけで今の仕事に就きましたか?

 

私はというと、漠然と“役者”に興味を抱いたのは小学校3~4年生くらいの時です。理由は2つあって、1つは、同じクラスに子役タレントがいたこと。その子の出演しているミュージカルを見に行ったり稽古の裏話を聞いたりしているうちに、演じるってなんだか楽しそうだなと思いました。

美少女戦士セーラームーンがきっかけ

もう1つは、子供の頃から大好きだった「美少女戦士セーラームーン」のエンディングテロップで“声の出演”と書いてあるのに気づいてしまったこと。「えぇ!セーラームーンいないの?!声の出演ってなに?!」とショックを受けましたが、ほどなくして、たくさんの夢を与えてくれた声優ってもしやとてもすごい仕事なんじゃ......?と思うようになりました。

そこで、新聞の広告欄にある“劇団○○子役タレント募集!”と書いたページを親に見せ、劇団のレッスンに通いたい!とプレゼンしましたが、「そんなの無理に決まってるでしょ!」と即却下。福原家は身近に芸能人なんて1人もいない普通の家庭だったので、親がすぐに納得するはずもなく、子供ながらに夢破れ、それから将来の夢は空気を読んで“看護師”と答えるようになりました(笑)。(声優になれなかったら看護師になろうと思っていたのは本当ですが、そのあたりは長くなるので割愛します!)

 

中学生になると、だんだん声優への夢が膨らみ始めました。父のパソコンをこっそり借りて声優について調べたり、声優が載っている雑誌を買ったり、夜な夜な声優のラジオを聴いたり、アニメが好きな部活の仲間と声優について語り合ったり。中学3年生の頃にはお小遣いを貯めて、地元の千葉からひとりで東京まで声優養成所の体験レッスンやワークショップにも行くようになりました。

声優の夢に賭けた

そして、いよいよ進路を決めなければならない中3の夏。どうしても声優の夢に賭けてみたくて、平日は東京の芸能系の高校に行きながら、週末は声優養成所でレッスンを受けたい! と、再度親にプレゼンしました。すると、なんということでしょう!

父から出た言葉は「わかった。それだけやりたいならやりなさい。でも、芸能の世界は甘い世界じゃないから、やるなら家を出てとことんやりなさい。」でした。

 

えぇー! やっていいのー?! しかも私、家、出るのー?! と驚きました。かわいい子には旅をさせよ、なんて言葉がありますが、まさかこんな形になるとは......!(笑)。

最初のプレゼンからかれこれ約6年。親からしたら、看護師になりたいと言いつつも本当は声優になりたかった娘の気持ちなんてお見通しだろうし、ここでNOといっても諦めないであろう私の性格も知っているだろうし、きっと父は勇気を出して決断してくれたのだと思います。

 

後付けにはなってしまいますが、この時の父の決断がなかったら今の私はいなかったと思うので、両親にはとても感謝しています。

 

仲良しの声優、加藤英美里ちゃんと今年の夏に プライべートでひまわり畑に行って 撮ってもらった写真

声優になるために上京してから

さて、ここからはいよいよ上京物語です。千葉の田舎娘な15歳が1人でいきなり東京暮らし。東京の高校に通って、週末は声優養成所に通う。親からは最低限の生活費のみもらっていたので、自由に使えるお金も欲しくてマクドナルドでアルバイトも始めました。

高校生活の3年間が33年の人生の中で一番ぎゅっとしていました。環境が激変し、この3年間でめちゃめちゃ東京の荒波にもまれました。芸能系の高校だったので同級生は既にあか抜けていてメイクもばっちり! 自分の芋臭さとの差にカルチャーショックでしたが、すぐにコスメや服を買いに行き、少しでもかわいくなるための研究を始めました。そして、養成所で同じクラスの人たちは全員年上。

 

発声も芝居も下手っぴな私は飲み込みが早い人たちに遅れを取り始めたので、とにかく経験を積もうと自分で情報を探してあれこれオーディションを受けるようになりました。バイト先でもスタッフは全員年上。失敗ばかりでお客様にもご迷惑をお掛けしてしまう自分が悔しくて、先輩にお願いして、たくさんトレーニングをしてもらいました。

 

私には持って生まれた天性の才能のようなものはありません。顔がかわいいわけでもなく、スタイルがいいわけでもないし、芝居も歌も飲み込みが早いわけでもない。性格も誤解されやすい不器用なタイプ。東京に来て、才能ある人たちを見ては自分との差にいちいち凹んでいた私が、なぜデビューすることができたのか。

 

いま振り返ると私の過去には一貫して、自分を振り返って【考える】こと、自ら【行動】を起こすこと、そして失敗をバネに粘り強く【努力】し続けること。この3つがあったように思います。

 

そして、この3つを実行し続けた時に高校、養成所、バイト先で何が起きたかというと、まず、初めてオーディションに受かりました! 声優雑誌の「ボイスニュータイプ」が企画していた「声優オーディションツアー」という1泊2日の泊まりがけでオーディションを勝ち抜いていくもので(人気声優の「釘宮理恵」さんや「杉田智和」さん、「浅野真澄」さんらもこのオーディション出身)ボイスニュータイプ&avex mode賞をいただき、avexの養成所に授業料免除の特待生で入所できることになりました。

 

そこで、いろいろな下積みの仕事(アーティストのプロモーションビデオのエキストラ、ラジオCMのナレーション、小劇場での舞台など)をやらせていただきました。劣等生だった私がようやくここでデビューに近づくための1歩を踏み出せたのです。

声優デビューをつかみ取るまで

しかし、何か大きなことをしようとすると、当然良いことばかりではありません。高校では芸能系の学校だったため、芋臭かった私が芸能の仕事を少しずつ始め、授業を休みがちになったことで、クラスメイトの一部から嫉妬されてしまい、文化祭のダンスレパートリーのメンバーから外されたり、一定期間無視をされたこともありました。そんな中でもずっと私と仲良しでいてくれたSちゃんとは今でも親友です。一生の友と出会えました。

 

バイト先の店舗では高校生でのSTAR(マクドナルド独自の役職で、いわゆるお客様係)はいなかったのですが、頑張りが認められ、店舗初の高校生STARとして他のクルーとは違う特別なユニフォームを着て、店内イベントの企画運営や新人育成などに関わらせてもらうようになりました。

まだ若かったから、というのは当然あると思いますし、大人になった今、当時と全く同じことをやれと言われても難しいですが、なにがなんでも【声優になる!】という確固たるビジョンが若いうちからあったことはとても幸せでした。すべてにおいて強みになりましたし、それは今でも効果を発揮しています。

とにかくビジョンを持つこと

私自身まだまだ未熟ですので偉そうにみなさんにアドバイスできる立場ではないのですが、avexにいた頃、私の尊敬する先輩に「とにかく必ずビジョンを持つこと!」と言われ、どんな時でも必ずビジョンは持つように心掛けて生きてきました。

ビジョンというと敷居が高そうに聞こえますが、本当になんでもいいんです。あるのとないのとでは大きく違ってきます。「ちやほやされたい!!」「お金持ちになりたい!!」とかでも大丈夫。これも立派なビジョンです。

 

先ほどの【考える】こと、【行動する】こと、【努力する】こと(3つ並べると暑苦しいですね!笑)、この3つでいうところの【考える】ことの部分です。

次の【行動する】こと、これもなかなか勇気がいります。でも、行動しないと驚くほど何も始まらないんですよね。お金持ちになりたい! と思っても、勝手にお金が降ってくるわけがないです。しかし、いざ行動しよう! となった時に陥りがちなのが「いまは時間がないから」。私もよく陥ります。時間がない病。あー忙しい忙しい! ってやたらなるやつ。あれ、なんなんでしょうね? あと、明日からやろう病っていうのもあります。明日やろうはバカヤロウです(笑)。

 

無意識だと人間は楽なほうへ行きがちなので、きっと、行動しなくて済む言い訳を無意識に探してしまうのでしょうね。時間はないのではなく作るものだと、毎日自分に言い聞かせています。

私は養成所で特待生になった後もとにかく行動し続けました。芝居も歌も上手な訳ではないので、他の人と同じことをしていたら特待生だろうが何だろうがこのまま終わってしまうと自覚していたからです。

行動していたことの1つを挙げると、頼まれてもいないのに自分で勝手にセリフや歌を録音して、当時のマネージャーに無理やりアポを取り、聞いてもらってアドバイスをもらう。これを繰り返しました。これをやることで芝居の練習時間も必然的に増えるし、その分上達もする、なにより忙しいマネージャーとの貴重なコミュニケーションの時間を作ることができる。

 

そこで今の悩みを聞いてもらったり、頑張ってますアピールをしたり(笑)、自分を売り込む時間にしました。この辺りは先ほどの3つでいう【行動】プラス【努力】の部分でもあります。すると、いつの間にか養成所のスタッフ間で「福原頑張ってるらしいね!」となり、それが本社スタッフにも伝わり、養成所の卒業オーディションでの芝居や歌の審査結果との相乗効果もあってか、「少年サンデー」で連載していた「うえきの法則」のテレビアニメのプティング役でようやく声優デビューをつかみ取ることができました!

 

たまたま同時期に受けさせてもらった別のオーディションでは、「アニマル横町」の、くーちゃん役も決まりました。こちらは集英社「りぼん」で連載されている子供向け漫画のテレビアニメ。1年間のレギュラーです。これが18歳の時です。 上京して3年。順調のように見えるかもしれませんが、私の人生の中ではある意味一番しんどかった3年間ですし、本当にがむしゃらで、夢いっぱいできらきらな時期でもありました。

 

最後に

ざっくりまとめてしまいましたが、もちろんここには書ききれないような失敗や、無茶をしたこともたくさんあります。力技も多かったので、若かったからこそできたこともたくさんあります。友達と遊んだり、学校行事に参加する時間も犠牲にしました。でも、この3年間があって本当に良かったと今でも心から思っています。

次回はデビューしてからのことを書こうと思っています。読んでくださってありがとうございました。また次回お会いしましょう!

 

 

sakumaga.sakura.ad.jp

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