みなさんこんにちは! はじめまして! 声優の福原香織です。
この度、「さくマガ」で連載をスタートすることになりました。芸能の仕事を16年やってきた中でいろいろな仕事を経験しましたが、連載って実は初めてなんです。さくマガのインタビュー取材を受けた際に、担当さんから「連載もやってみませんか?」とお声がけいただいたのですが、連載規模の長文なんて、小学生時代に書いた読書感想文以来なんじゃないでしょうか。
その読書感想文の原稿用紙3枚ですら、まともにまとめられず苦労した記憶があります。オファーを受ける前に、そんな不安を担当さんにぶつけてみたのですが、「大丈夫です!」と即答だったので、何が大丈夫なんだろう?と思いつつも(笑)せっかくいただいた機会なので、チャレンジしてみることにしました。
「働き方」に焦点をあてて、自分の経験を踏まえつつ、みなさんに少しでも楽しい連載をお届けできるよう頑張りますので、しばらくの間お付き合いいただけたらうれしいです。
今回は初回ですので、私がなぜ声優になりたいと思ったのか、そして、声優という仕事に就くまでにどういう行動をしていたのかをお話しいたします。次回以降、デビューしてからのお話しをしていけたらと思います。
いつ、将来やりたいことを決めたか
あらためまして、福原 香織(ふくはら かおり)です。1986年8月11日生まれの33歳。AB型。千葉県出身。趣味は水族館めぐり、麻雀、整理整頓。特技はヒップホップダンス、辛いものを食べること。職業は、声優という声のお仕事をしています。
13年間avex(エイベックス)に所属し、その後3年間フリーランスとなり、今月からブライトイデアという声優事務所に所属して活動しています。担当さんから、さくらインターネットにお勤めの方やさくマガをご覧になる層の方は、アニメや声優が好きな方もわりといらっしゃると聞いていますが、なじみのない方のために説明をすると、声優の主な仕事には、アニメやゲームに声を入れたり、テレビ番組やCMのナレーション、海外の映画やドラマの吹き替えなどがあります。
近年、声優の仕事は多様化しているので、それに加えてキャラクターソング(アニメのキャラクターとして歌う)のCDリリース、個人名義での歌手活動、雑誌グラビア、ラジオ、イベントやライブ出演など、声優という肩書の中で本当にいろいろな仕事があります。
みなさんはいつ、将来やりたいことを決めましたか?どういうきっかけで今の仕事に就きましたか?
私はというと、漠然と“役者”に興味を抱いたのは小学校3~4年生くらいの時です。理由は2つあって、1つは、同じクラスに子役タレントがいたこと。その子の出演しているミュージカルを見に行ったり稽古の裏話を聞いたりしているうちに、演じるってなんだか楽しそうだなと思いました。
美少女戦士セーラームーンがきっかけ
もう1つは、子供の頃から大好きだった「美少女戦士セーラームーン」のエンディングテロップで“声の出演”と書いてあるのに気づいてしまったこと。「えぇ!セーラームーンいないの?!声の出演ってなに?!」とショックを受けましたが、ほどなくして、たくさんの夢を与えてくれた声優ってもしやとてもすごい仕事なんじゃ……?と思うようになりました。
そこで、新聞の広告欄にある“劇団○○子役タレント募集!”と書いたページを親に見せ、劇団のレッスンに通いたい!とプレゼンしましたが、「そんなの無理に決まってるでしょ!」と即却下。福原家は身近に芸能人なんて1人もいない普通の家庭だったので、親がすぐに納得するはずもなく、子供ながらに夢破れ、それから将来の夢は空気を読んで“看護師”と答えるようになりました(笑)。(声優になれなかったら看護師になろうと思っていたのは本当ですが、そのあたりは長くなるので割愛します!)
中学生になると、だんだん声優への夢が膨らみ始めました。父のパソコンをこっそり借りて声優について調べたり、声優が載っている雑誌を買ったり、夜な夜な声優のラジオを聴いたり、アニメが好きな部活の仲間と声優について語り合ったり。中学3年生の頃にはお小遣いを貯めて、地元の千葉からひとりで東京まで声優養成所の体験レッスンやワークショップにも行くようになりました。
声優の夢に賭けた
そして、いよいよ進路を決めなければならない中3の夏。どうしても声優の夢に賭けてみたくて、平日は東京の芸能系の高校に行きながら、週末は声優養成所でレッスンを受けたい! と、再度親にプレゼンしました。すると、なんということでしょう!
父から出た言葉は「わかった。それだけやりたいならやりなさい。でも、芸能の世界は甘い世界じゃないから、やるなら家を出てとことんやりなさい。」でした。
えぇー! やっていいのー?! しかも私、家、出るのー?! と驚きました。かわいい子には旅をさせよ、なんて言葉がありますが、まさかこんな形になるとは……!(笑)。
最初のプレゼンからかれこれ約6年。親からしたら、看護師になりたいと言いつつも本当は声優になりたかった娘の気持ちなんてお見通しだろうし、ここでNOといっても諦めないであろう私の性格も知っているだろうし、きっと父は勇気を出して決断してくれたのだと思います。
後付けにはなってしまいますが、この時の父の決断がなかったら今の私はいなかったと思うので、両親にはとても感謝しています。
声優になるために上京してから
さて、ここからはいよいよ上京物語です。千葉の田舎娘な15歳が1人でいきなり東京暮らし。東京の高校に通って、週末は声優養成所に通う。親からは最低限の生活費のみもらっていたので、自由に使えるお金も欲しくてマクドナルドでアルバイトも始めました。
高校生活の3年間が33年の人生の中で一番ぎゅっとしていました。環境が激変し、この3年間でめちゃめちゃ東京の荒波にもまれました。芸能系の高校だったので同級生は既にあか抜けていてメイクもばっちり! 自分の芋臭さとの差にカルチャーショックでしたが、すぐにコスメや服を買いに行き、少しでもかわいくなるための研究を始めました。そして、養成所で同じクラスの人たちは全員年上。
発声も芝居も下手っぴな私は飲み込みが早い人たちに遅れを取り始めたので、とにかく経験を積もうと自分で情報を探してあれこれオーディションを受けるようになりました。バイト先でもスタッフは全員年上。失敗ばかりでお客様にもご迷惑をお掛けしてしまう自分が悔しくて、先輩にお願いして、たくさんトレーニングをしてもらいました。
私には持って生まれた天性の才能のようなものはありません。顔がかわいいわけでもなく、スタイルがいいわけでもないし、芝居も歌も飲み込みが早いわけでもない。性格も誤解されやすい不器用なタイプ。東京に来て、才能ある人たちを見ては自分との差にいちいち凹んでいた私が、なぜデビューすることができたのか。
いま振り返ると私の過去には一貫して、自分を振り返って【考える】こと、自ら【行動】を起こすこと、そして失敗をバネに粘り強く【努力】し続けること。この3つがあったように思います。
そして、この3つを実行し続けた時に高校、養成所、バイト先で何が起きたかというと、まず、初めてオーディションに受かりました! 声優雑誌の「ボイスニュータイプ」が企画していた「声優オーディションツアー」という1泊2日の泊まりがけでオーディションを勝ち抜いていくもので(人気声優の「釘宮理恵」さんや「杉田智和」さん、「浅野真澄」さんらもこのオーディション出身)ボイスニュータイプ&avex mode賞をいただき、avexの養成所に授業料免除の特待生で入所できることになりました。
そこで、いろいろな下積みの仕事(アーティストのプロモーションビデオのエキストラ、ラジオCMのナレーション、小劇場での舞台など)をやらせていただきました。劣等生だった私がようやくここでデビューに近づくための1歩を踏み出せたのです。
声優デビューをつかみ取るまで
しかし、何か大きなことをしようとすると、当然良いことばかりではありません。高校では芸能系の学校だったため、芋臭かった私が芸能の仕事を少しずつ始め、授業を休みがちになったことで、クラスメイトの一部から嫉妬されてしまい、文化祭のダンスレパートリーのメンバーから外されたり、一定期間無視をされたこともありました。そんな中でもずっと私と仲良しでいてくれたSちゃんとは今でも親友です。一生の友と出会えました。
バイト先の店舗では高校生でのSTAR(マクドナルド独自の役職で、いわゆるお客様係)はいなかったのですが、頑張りが認められ、店舗初の高校生STARとして他のクルーとは違う特別なユニフォームを着て、店内イベントの企画運営や新人育成などに関わらせてもらうようになりました。
まだ若かったから、というのは当然あると思いますし、大人になった今、当時と全く同じことをやれと言われても難しいですが、なにがなんでも【声優になる!】という確固たるビジョンが若いうちからあったことはとても幸せでした。すべてにおいて強みになりましたし、それは今でも効果を発揮しています。
とにかくビジョンを持つこと
私自身まだまだ未熟ですので偉そうにみなさんにアドバイスできる立場ではないのですが、avexにいた頃、私の尊敬する先輩に「とにかく必ずビジョンを持つこと!」と言われ、どんな時でも必ずビジョンは持つように心掛けて生きてきました。
ビジョンというと敷居が高そうに聞こえますが、本当になんでもいいんです。あるのとないのとでは大きく違ってきます。「ちやほやされたい!!」「お金持ちになりたい!!」とかでも大丈夫。これも立派なビジョンです。
先ほどの【考える】こと、【行動する】こと、【努力する】こと(3つ並べると暑苦しいですね!笑)、この3つでいうところの【考える】ことの部分です。
次の【行動する】こと、これもなかなか勇気がいります。でも、行動しないと驚くほど何も始まらないんですよね。お金持ちになりたい! と思っても、勝手にお金が降ってくるわけがないです。しかし、いざ行動しよう! となった時に陥りがちなのが「いまは時間がないから」。私もよく陥ります。時間がない病。あー忙しい忙しい! ってやたらなるやつ。あれ、なんなんでしょうね? あと、明日からやろう病っていうのもあります。明日やろうはバカヤロウです(笑)。
無意識だと人間は楽なほうへ行きがちなので、きっと、行動しなくて済む言い訳を無意識に探してしまうのでしょうね。時間はないのではなく作るものだと、毎日自分に言い聞かせています。
私は養成所で特待生になった後もとにかく行動し続けました。芝居も歌も上手な訳ではないので、他の人と同じことをしていたら特待生だろうが何だろうがこのまま終わってしまうと自覚していたからです。
行動していたことの1つを挙げると、頼まれてもいないのに自分で勝手にセリフや歌を録音して、当時のマネージャーに無理やりアポを取り、聞いてもらってアドバイスをもらう。これを繰り返しました。これをやることで芝居の練習時間も必然的に増えるし、その分上達もする、なにより忙しいマネージャーとの貴重なコミュニケーションの時間を作ることができる。
そこで今の悩みを聞いてもらったり、頑張ってますアピールをしたり(笑)、自分を売り込む時間にしました。この辺りは先ほどの3つでいう【行動】プラス【努力】の部分でもあります。すると、いつの間にか養成所のスタッフ間で「福原頑張ってるらしいね!」となり、それが本社スタッフにも伝わり、養成所の卒業オーディションでの芝居や歌の審査結果との相乗効果もあってか、「少年サンデー」で連載していた「うえきの法則」のテレビアニメのプティング役でようやく声優デビューをつかみ取ることができました!
たまたま同時期に受けさせてもらった別のオーディションでは、「アニマル横町」の、くーちゃん役も決まりました。こちらは集英社「りぼん」で連載されている子供向け漫画のテレビアニメ。1年間のレギュラーです。これが18歳の時です。 上京して3年。順調のように見えるかもしれませんが、私の人生の中ではある意味一番しんどかった3年間ですし、本当にがむしゃらで、夢いっぱいできらきらな時期でもありました。
最後に
ざっくりまとめてしまいましたが、もちろんここには書ききれないような失敗や、無茶をしたこともたくさんあります。力技も多かったので、若かったからこそできたこともたくさんあります。友達と遊んだり、学校行事に参加する時間も犠牲にしました。でも、この3年間があって本当に良かったと今でも心から思っています。
次回はデビューしてからのことを書こうと思っています。読んでくださってありがとうございました。また次回お会いしましょう!