「書評家」ってわかります? 個人事業主の肩書き問題

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肩書き問題。といってぴんと来るあなたはきっとお友達。

 

と、言いたくなるくらい、個人事業主にとって「肩書き」というのは頭を悩ませるポイントではなかろうか。少なくとも私にとっては、いまだに定期的に考える議題である。

 

2022年初夏現在、私は「書評家」と基本的に名乗っている。

 

これはどこから来た肩書きかといえば、なにを隠そう、一冊目の本が「書評の本」と呼ばれたからだ。以前もこの連載で書いたのだが、私はかなり運よくなりゆきで本を出すことになって物書きデビューを果たした。そのため「書評家になろう!」と決心したこともなく、「ひとまず書評の本を出したからには書評家だろう自分」というテンションで名乗り始めたのである。

 

しかし軽い気持ちで名乗り始めた「書評家」、けっこう悩ましい肩書きなのだった。

「書評家」の知名度

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まず第一に、分かりづらい(らしい)。
私自身は昔から斎藤美奈子さんや豊崎由美さんの本を読んできたため、「書評」というジャンルは身近なものだった。なので彼女たちのような仕事をする人を書評家と呼ぶのだろうと思っていた。

 

が、世間においては「しょひょうか」と言われて即座に「書評家」と変換できる人のほうが少ないのである。

 

あとから思い返せば斎藤さんは基本的に「文芸評論家」と名乗っているし、豊崎さんのWikipediaには「書評家」の前に「フリーライター」と記載されているあたり、「職業:書評家」という肩書きの知名度の低さを表しているのかもしれない。いや、関係ないかもしれませんが。ちなみに有名な書評家さんはおふたり以外にもたくさんいらっしゃいます。

 

「書評家」という肩書きの分かりづらさ、というか知名度の低さを思い知るのは、私が二冊目を出したときだった。二冊目の本は、さまざまな名文から文章の書き方を学ぶという内容で、書評の本というわけではなかった。

 

その本を出版するとき、編集者の方から「書評家という肩書きは少し堅苦しいので、書評ライターという肩書きを使わせていただいてもよろしいでしょうか?」と(実際はもう少し丁寧な言葉で)言われたのである。

 

私は言われるがままに頷いたのだが、これがたぶん小説家だったら小説ライターにしようとは言われないよな……書評家って肩書き、マジ知名度がない、というか分かりづらいんだろうな……とつくづく思ったのである。
もちろんこれは編集者さんの見立てが正しい。私の二冊目の本は文芸作品をあまり読んでいない人にも届けたい本だったし、書評というジャンルに普段触れていない人も実際に読者に多かったからだ。

 

ちなみに二冊目を出す時期と同じくらいで私は会社に入社したのだが、「本書いてるの? どんな本?」と聞かれるたびに、「ええと、世の中には書評というジャンルがありまして……」という説明から始めていた。さらにラジオに出る機会もありがたいことに増えたのだが、十代のラジオパーソナリティの方から「書評家? って職業があるんですか? 日本に何人くらいいるんですか?」と目をぱちくりされることもあった。書評家、分かりづらい問題勃発だ。

 

そんなわけで二冊目を出したあたりから、私は「書評家、文筆家」と名乗るようになった。まあ刊行する本が純粋な「書評本」だけじゃなくなったから、という理由もあるけれど、一番は書評家という肩書きの知名度の低さ、もとい分かりづらさをしばしば感じたからだ。「いや『文筆家』も『書評家』に負けず劣らず分かりづらくないか!?」というツッコミも聞こえてきそうだが、とりあえず硬派なものを書いてます感みたいなものは出せるかな……と安易に考えたのである。

 

しかし「書評家、文筆家」と名乗ると、しばしば「書評家、ライター」「書評家、ブロガー」と直される。ううむ、文筆家もやっぱり分かりづらいのだろうか。それならいっそ「作家」はどうだと最近「書評家、作家」と名乗るようになった。

 

作家というと基本的には小説家を想起するかもしれないけれど、私にとっては、エッセイストとして有名な人々が皆「作家」と名乗っているイメージだったのである。自分もエッセイの本を出すし、別に間違いではなかろうと思って「書評家、作家」を名乗りだすと、まったく直されない。みんな作家のままで通してくれる。「作家」の知名度すごーい……と慄く日々である(昔、ある有名な作家さんが「ライター」と肩書きを直されることに苦言を呈していたことがあり、それ以来そこは直されない不文律が出版業界にできているのかもしれない)。

第二の問題

じゃあもう肩書き問題解決じゃないか! と言われそうだけど、ここで第二の問題が勃発してくる。

 

書評家肩書き、第二の問題は「書評以外の仕事が来にくくなる」こと。

 

……当たり前やろ! と頭をはたかれそうな問題ではある。はい。当たり前です。でもね、難しいところなんですよ!

 

たとえば文芸誌をぺらぺら捲ってみると、「書評」と「批評」のページは異なる。「書評」というと、新刊紹介のための1ページのことを指す。「批評」というと、小説などと同じようにある一定ページ分量を与えられ、ひとつのテーマについて連載や単発掲載というかたちで載っている。書評と批評では書き手は同じでも、ページ数や扱う作品は異なってくる。

 

あるいは、書評というとやはり本の批評・解説・紹介に限られるので、いくら自分が小説と漫画を「本」というくくりで同じものとして見なそうと、やはり小説に関する仕事が多い。

 

私は批評を読むのがそもそも好きなので、批評に関することなら全般的にやりたい、という希望がある。小説がいちばん自分の詳しいジャンルではあると思っているのだが、漫画やドラマや舞台に関する仕事もしたい。書評と批評は、私にとってはほぼ同じものだと思っているので、テーマに沿って複数作品を批評していく仕事もしたい。

のだが、書評家と名乗っていると、わりと書評一本型とみなされやすいのかな、という難しさをここ一年くらいで感じるようになった。

 

だとすれば、「うーむ、もう批評家と名乗ろうか」と思うこともあるのだが、批評家という肩書きは書評家にも増して分かりづらい。批評家というと、世の中においては作品の価値づけを担う仕事というイメージが強く、それももちろん間違いではないのだが、もう少し「解釈を伝える仕事」というニュアンスが強い方が私としては嬉しいのである。

 

さてはて、どうするべきか。肩書き、名乗ったもの勝ちではあるのだが、悩ましいことこのうえない。

世間からどう見られたいか

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もういっそのこと自分としては、「(対象はなんであれ)読む人です!」くらい名乗りたい。しかし肩書きとはそういうことではない。

 

世間からどう見られたいか、だ。自分がどうありたいか、ではないのだ。

 

肩書きなんて大した問題ではない、自分の名前を売ることが大切だ、という考え方もある。自分の発信によって仕事をもらうことが私は多い。結局は「批評書けます」「本以外のテーマもいけます」アピールが足りないだけであって、相手は肩書きが書評家だから本の書評仕事を頼んでいるわけではない、のかもしれない。だとすれば肩書きはそのままに、自分の発信の方向性を考えるだけでよい。

 

そう考えた時、以下二つのルートが見える。

  1. このまま書評家と名乗りつつ、自分の名前と発信をアピールすることで書評以外の仕事ももらう
  2. 肩書きを他のものにして、(以下同文)

うーむ。とはいえこれまで名乗って来た「書評家」肩書きに愛着もあるんだよな。なんかこう、私にとっては堅苦しさと偉そう感のバランスがちょうどいい、みたいな。あとシンプルに今もらっている仕事でいちばん多いのが書評っていうのもあるし。でも今後の仕事を拡げたい欲を考えると、普通にここらで肩書き変換しといたほうが。
とまあ、今現在①か②か、どちらを選ぶかは悩み中である。

 

ここまで読んでくださった皆様、私のプロフィールがひっそりと肩書き変更されていたら、こいつ②を選んだなと思ってやってください。変わらなければ①なんだなと思っていただけますと幸いです。意外と個人事業主にとって大きい肩書き問題、絶対みんな悩んでいるはずだと思う!

 

■三宅さんの前回の記事はこちら

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