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副業書評家の葛藤。素直さとこだわりのバランス

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実生活で私のことをよく知る友人知人身内から、人生で常に言われてきた言葉がある。

「こんな頑固なやつ他に知らねえ」

……はい、この連載を読んでくださっている方々が私にどういう印象をお持ちか分からないのですが、頑固と言われ続けて早人生28年目。頑固と評され続ける人生を送っております。まあ、自分ではよくわからないけど、みんなが言うからそうなんだろう。いやこれでもものすごく協調性があるつもりなのだけど、ぶつぶつ。

とぼやきつつも私は学生時代に、世間一般からしたら自分はものすごく頑固なほうらしい、と理解した。

なのでとりあえず仕事においては、「他人の言うことを聞くこと」を信条としている。

まずは言うことを聞くし、従う。自我を出さない。なぜなら基本的に他人のいうことには納得ができないからである(というか私が納得できるときって、本一冊かけて説得されたときくらいなのである、だからこんなに本を信頼しているのだろう……)。

分からないことについて聞くとか、曖昧なところを残さないために質問はするとか、そういうことはするけれど。それにしたってとりあえず、人の言うことに従う。

ノーモア、自我。

それが私の仕事のルールその一、である。

どこで自我を出して、どこで自我を出さないか

で、話はここからだ。

「とりあえず人の言うことは聞く」、それをルールとして仕事はしているのだが。それにしたって出てくるのが自我ってもんである。

……結局出てくるんかい、とつっこみを入れる読者の顔が見える。そうなんですよ、出てくるんですよ。困ったなあ。

いや、会社の仕事はいいのだ。とりあえず人の言うとおりにする、それはすなわち会社や業務のルールを覚えることでもある。や、不満が溢れ出ることもあるけれど、まあそれでもとりあえず手を動かして、他人の言うことを聞いていればなんとかなる。だって組織のなかの仕事だから。

でも、問題は個人事業主の仕事である。

フリーランスというのは、「どこで自我を出して、どこで自我を出さないか」という匙(さじ)加減がものすごく重要であると思う。

とくに私は物を書く仕事をしており、正解の分かりづらいものを扱っている。ネット記事では炎上とPV数が紙一重だし、本ではみんなが読みたいテーマとありきたりなテーマも紙一重。自分の評判も仕事の成果も、なんとなくの肌感覚でしかつかめないことも多い。

なにより、自分の仕事がうまくいかなかったとき、いちばん困るのは自分の名前なのだ。自分の名前は、自分以外の誰も背負ってはくれない。

なので、「とりあえず人の言うことは聞く」を信条としてはいるのだが、それでも聞けないことは聞けないと言わなくてはいけないわけである。だが、こちとら他人の言うことにほぼ納得しない性格なのだ。うーん、匙加減が難しすぎる。

なかでも一番困るのが、文章の修正について、だ。

最善を尽くしたい。だからこそ難しい

赤字が入っている文章の画像

物書き仕事でもっとも「とりあえず人の言うことを聞く」か否かを考えなくてはならぬ状況。それは、文章の修正段階である。

依頼された原稿を出す。すると編集者から修正点が返ってくる。こちらは修正した文章を送る。そして校正がやってくる。校正からの指摘があれば、また修正して文章を送る。それでだいたい一原稿が完成する。

もちろん書き下ろしの書籍だと、修正を何度か繰り返したりするのだが。単発や連載の記事だと、だいたい編集者の指摘点を一度修正し、校正で一度修正し、完成であることが多い。

で、問題はこの「編集者からの指摘」を受けての修正だ。

とくに単発記事の場合、どんな指摘をくれるのかは、人によってものすごく異なる。

私の出会ってきた編集者さんは以下のパターンに分けられる。

  1. 誤字脱字や明らかに間違った言い回し(※以下誤字脱字等)以外、修正をほぼしない人
  2. 誤字脱字等+内容修正の指摘をくれる人
  3. 誤字脱字等+内容修正の指摘+その代替案をくれる人

誤字脱字や明らかに間違った点の修正は大体の編集者さんがおこなってくれる。やはり個性(というか社風なのか?)が出るのは、内容の修正をおこなう場合の指摘方法だ。「ここ直してほしいです」というにしても、原稿に代替案となる言いまわしごと書き込んでくださる方もいるし、直してほしい点をまとめてメール本文で送ってくださる方もいる。

で、②③の場合、出てくるのである。私の自我が。

何度も述べている通り、私は頑固である。基本的に人の言うことに納得したためしがない。だからこそ仕事では人の言うことに従うようにしている。なぜなら納得できるものだけ受け入れようとしたら、何も受け入れられないからだ。素直さゼロの人間になってしまう。それはさすがに人としてまずい。

でも、文章の場合は?

とりあえず編集者さんの言うことは受け入れる。なぜなら編集者さんのほうが往々にして私よりも文章に詳しいからだ。そしてなにより、私は編集者さんの依頼で文章を書いている身なのである。お金をもらっている側である限り、発注元の希望に沿うのが仕事というもんだろう。

しかし一方で、その文章が何かあったとき、責任を負うのは残念ながら自分である。その文章は、私の文章として読まれる。決して編集者の文章としては読まれない。

私は、文章のリズムや構成、内容について、私にとっての最善を尽くしたい。だって私の名前で出す仕事だ。

――だから難しいのだ。自我が出る。

どうすればいいんだ。

素直さとこだわりのバランス

ノートになにか書いている画像

残念ながら、答えは出ていない。編集者さんの出してきた代替案にすんなりと「ああ、こっちのほうがたしかに読みやすいな、勉強になるな」と思うことはたくさんある。その場合はとくに葛藤なく終わる。

難しいのは、代替案なく修正指摘をもらって、その内容に納得できないときだ。ああ、頑固癖が出ている……。と自分でげんなりする。けれど指摘された内容をもとに文章を直さなくてはいけない。頭を抱える瞬間である。

もちろん、勉強になる、と頭では分かっているのだ。編集者だって一読者なわけだし。従ったほうがいい。頭では分かっている。ほら早く修正案を考えよう! と自分を鼓舞する。なんせ私は、お金をもらっている身!(大声)

しかしそれでも、自我は暴れまわっている。

自我を使ってものを書いているけれど、自我を仕事で役立てるのは、すごく難しい、と私は思う。

もう少し年齢を重ねれば、経験を積めば、文章が上手くなれば、修正も葛藤せずにできるようになるのだろうか? 自我をうまく飼いならすことができるのだろうか?

私にはまだ分からない。素直さとこだわりのバランスは、まだまだ不安定なのである。

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執筆

三宅 香帆

書評家・文筆家。1994年生まれ。 『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』などの著作がある。

編集

武田 伸子

2014年に中途でさくらインターネットに入社。「さくらのユーザ通信」(メルマガ)やさくマガの編集を担当している。1児の母。おいしいごはんとお酒が好き。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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