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出世すれば「自分の仕事ができる」は幻想である

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「出世」で名声は得られない。

今回のテーマは始まりの季節である4月にふさわしい「出世」である。「出世」について書こうと決めたとき、「出世」って言葉を以前と比べるとあまり聞かなくなったような気がする。そもそも出世って何だろうか。AIチャットに訊ねてみたら、会社/職業人生における出世とは「仕事や社会で成功し、昇進して名声を得ること」らしい。出世という言葉を以前ほど耳にしなくなったのは、昇進が必ずしも名声に直結しなくなったからかもしれない。

 

約30年弱の会社員生活で、僕自身、何回か昇進した。だが、名声を得た感覚はない。周囲の昇進も見てきた。名声を得たような気分になっているアホは何人かいた。「昇進すると名声を得られる」は誤解である。GAFAレベルの管理職なら名声はついてくるかもしれない。だが、日本の企業のほとんどを占めている中小企業の管理職に名声などあるはずがないではないか。そういう観点から、出世、昇進によって得られるものについて、僕の経験から学んだことを語ってみよう。

昇進はポジティブなものである。

昇進には、一般的にポジティブなイメージがある。まず、懲戒処分で降格はあっても、昇進はない。それに、待遇が良くなる。そのうえ、業務における裁量が大きくなり、できる仕事の範囲が広くなる。与えられる予算も大きくなる。部下という存在ができる。ポケモンのようにかわいい部下もいれば、そうでない部下も……と書くとハラスメントになるので、いろいろなタイプの部下を持つことができるとしておこう。楽できることもあれば、苦労することもある。それらにともなって責任は大きくなる。重圧は確実に増える。だが、マイナスの要因を差し引いても、全体的に見れば昇進というイベントはポジティブなものだといえるのではないだろうか。

なので、昇進を打診されて固辞する人は超レアである。僕の周辺では数例しかない。もっとも身近なサンプルはウチの奥様だ。彼女は以前の職場でリーダー的な役職(主任か係長だったと記憶している)を打診されたときに「会議や打ち合わせに参加したくない」という理由で固辞した。そのうえ現場から本部への異動を断った。生物として強すぎると言わざるを得ない。最終的に自分のやりたい仕事はやりたくないという理屈でいまの職場へ転職した。仕事猛者である。僕にはとてもそんなことはできない。

「昇進すれば自分の仕事ができるようになる」とかつての上司たちは言っていた。

新卒で働き始めたとき、僕はいまと変わらず営業職だった。平成一桁台の時代だ。当時の営業職の働き方は、筆舌に尽くしがたいものであった(と言いつつ「筆舌に尽くしがたいもの」を書こうとしている)。昭和の働き方が色濃く残っていたのだ。ハラスメントという言葉がなく、あるいはハラスメントという言葉は普及していなかった、そんな時代。当時の働き方、上司の言動、会社の方針をいまの時代の基準にあてはめたら、7割くらいは何らかのハラスメントに該当するだろう。

僕自身、上司や先輩から理不尽な仕事をさせられるのは日常茶飯事だった。筆舌に尽くしがたいものがあった。関東ローム層のように積もり積もった怨恨を、かつての上司たちに晴らしたい。だが、30年近くの時間が流れたいま、彼らの多くとは音信不通であり、連絡を取ろうと思えば取れるけれどもこちらからは連絡をする気ゼロな人たちも、自己破産して妻子に逃げられ落ちぶれた生活をしていたり、認知症をわずらって老人ホームに入居していたり、はたまた故人であったりして、晴らすに晴らせなくなっている。

復讐のために老人ホームまで赴いたら「こんな弱っているおじいちゃんにひどいことをするサイコパス!」と通報されるだけだろう。やったもの勝ちである。奴らが元気なうちに報復をしておくべきであったと毎晩枕を濡らしている。

 

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なぜ昇進してからアホになるのか。

筆舌に尽くしがたい行為をする上司や先輩に対して「なぜ、こんな(アホな)ことをするのですか?」と質問すると「若いころ、先輩にやられたから」という理不尽な答えが返ってきた。Aからされた行為の復讐をBにしている。論理が破綻している。馬鹿なのだろう。実にはた迷惑だ。おそらく、先輩から受けたものは、良いものも悪いものも後輩に返していくという昭和の慣習が沁みついていたのだろう。

告白しよう。聖人ではない僕は、「こんな負の連鎖を断ち切らなければならない」と義憤にかられるようなことはなかった。積極的に「筆舌に尽くしがたい行為」をするつもりはなかったが、「チャンスがあったら、俺も」くらいには考えていた。

だが、西暦2000年ごろ、「失われた30年」のど真ん中に入ったあたりから、会社の業績が停滞し始めると、部下や後輩に理不尽な行為をしていた上司や先輩は、その地位や役職に求められる能力がなかったと判断され、リストラ・左遷などで失脚していった。彼らは彼らよりも若く有能で仕事のできる人間によって排除されていった。その様子を見て、僕の中にあった的外れな復讐心は消滅したのである。

それでもゴキブリのように生き残るしぶとい昭和的な存在はいた。僕の周りでは「ブチョーはシャチョーより偉い」と豪語して部長原理主義を唱えるトンデモ上司がそれに当たる。彼の部長原理主義が復讐の連鎖を生まなかったのは、世の中が良くなっていたからだろう。

「出世しないと自分の好きなように仕事はできない」は本当か?

「役職や肩書きを持たないと、自分の仕事はできない」と言われてきた。僕は営業職で競争原理の中で生きてきたので、言われる頻度がほかの職種よりも言われる頻度が高かったかと想像する。

自分の仕事とは、自分の考えたとおり、または自分のやりたい方法で仕事をするということだ。あるいはいまよりも楽をする。つまり労力を軽減して働くということも含まれる。かつての上司たちは「自分のやりたい仕事」が決定的に欠落していた。だから、地位を得たときにやりたいことに向き合えず、名声や権力を背景に部下たちを苦しめたのである。自分たちが上の立場にいることを知らしめて部下を動かすことが仕事と勘違いしていたのだ。

自分のやりたい仕事とは何か。たとえば、営業職なら「クライアントに対して、自分の思い通りに企画提案をして契約を取ること。できたら労力をかけずに効率的に」だろう。想像でしかないけれども、ものづくりをする開発者なら、「子どものころにつくりたかったものを自分の設計で作る」だろうか。

出世=昇進すること、つまり、役職や肩書きを得ることによって、自分のやりたい仕事をする際に振りかかってくる障害を取り除くことが容易になる。障害とは予算的なもの、組織的なもの、アクシデントなどさまざまだ。たとえば予算ならば新人が立てたプロジェクトよりも部長のほうが予算を引っ張りやすいだろう。組織的にも課長や部長という肩書きがあったほうが、他部署の協力を得やすい。

昇進はうまい話ばかりではない。

つまり、昇進とは、純粋に仕事に向かえる環境を整えられるチャンスが得られるということになる。ただし、「自動的に」ではない。「昇進すれば自分の思い描いたような仕事が快適にできるようになる」わけではない。ただ昇進するだけでは得られないのだ。役職や肩書きを得ることは手段にすぎない。そのことを誤解している人間はすごく多い。

みなさんの周りにもいないだろうか。出世や役職や肩書きに、やたらこだわる人。同僚の出世に対して非常に嫉妬する人。SNSでも「起業しました。年商何億円です」とアピールする人はいくらでもいる。しかし、仕事の内容がわからなかったりする。じつに不思議だ。何がしたいのか全然わからないのだ。大金を稼ぎたいと夢を語るけれども、大金で何をするのか考えていない。

僕は部門の長になってから10年位になる。その間、転職をしたけれども、現在も営業部門の長を任されている。

ある程度の地位につけば、自分のやりたいように、ある程度自由に仕事ができる。ただ、受け身では絶対にそんな環境は得られない。もしかすると、新人のときよりも困難に見舞われることも多い。なぜなら、昇進することで、責任や義務も相応に増大するからだ。給与が増えるのはその代償である。「給料を多く払うのだから苦労しろ」と会社から告げられているのである。

大相撲力士が十両から幕内に昇進するようなもの。

一言で言ってしまえば、昇進によって仕事の難易度は上がるのだ。昇進は登っていくイメージがあるが逆だ。山を登れば気圧は薄くなるが、役職が上がれば圧力は強まる。新卒の頃は上司から「仕事をちゃんとやれ」という圧力と、せいぜい客からの圧力くらいしかない。新人なので手加減されて弱まっている圧だ。

昇進すると、圧力は強くなる。あらゆる方向からかかるようになる。会社上層部からの「これくらいは当然にクリアしてくれよ」という圧力。部下からの「これをやってください/上を説得して予算を通してください」という圧力。顧客からの「肩書きがある人なのだから、これぐらいの仕事には応じてよ」という圧力。同期や同僚からのお手並み拝見的な圧力や露骨な嫉妬妨害。とくに若くして昇進すると、ベテランからの嫉妬はひどい。つまり昇進することで、自然と自分のやりたいような仕事ができるようになるわけではないのだ。

肩書きのないときと比べて、有力な人とバトルできるリングに立つことができる権利を得るだけである。力士が、十両から幕内に上がって喜んでいたら、横綱のような鬼のような強い奴と戦わされてボロ負けするようなものである。よく考えてほしい。新卒で入ったばかりの人間が、会社のトップとまた会えるだろうか。「私は新人の声も聞きます」と薄気味悪いアピールをする某一流企業のトップのように、ポーズとしてはあるかもしれない。普通に考えればそんなことはない。だが、昇進することによって、高い役職にある人間と渡り合えるチャンスはできる。そのとき、自分の仕事というものを持っているかどうかが問われる。さもなければ、僕のかつての上司たちのように「ただ楽をする」「己のしょぼい権力を誇示する」という、つまらない行動で終わってしまうだろう。負けてしまうのだ。

では、負けないためにはどうすればいいか。昇進や出世を目標とするのはおおいに結構だが、自分が何をしたいのか、やりたいこと、叶えたいことをいまから明確にしておくことのほうがずっと大事だ。それが軸になる。軸さえしっかりしていれば、昇進したときに、自分のやりたいことを思ったようにできる可能性は高いといえる。昇進を良いものにするのも悪いものにするのもあなた次第ということになる。

 

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執筆

フミコ・フミオ

大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。 食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。 現在は、はてなブログEverything you’ve ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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