「外回り中に災害に巻き込まれたら」という不安が営業チームを変えた。

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「外回り営業中に巻き込まれたら見つからないな」と3.11で思った。

2024年1月1日元旦。能登半島地震が発生し、大きな被害が出ている。デジカメやスマートフォンの普及で、多くの現地映像を見られるようになった。一般市民目線の生々しい映像を見て東日本大震災(3.11)を思い出した。3.11が起こったのは金曜日の午後だ。僕は営業部の課長として働いていて、ちょうど1人で外回り営業中。車が遊園地のアトラクションのように激しく揺れたのをよく覚えている。

余震が続くなか車で会社へ帰る途中、会社が僕の正確な居場所を知らないことに気づいた。当時の営業部門は、日、週、月ごとの目標数値達成という条件をみたしていれば、行動は個々の自由裁量に任されていた(サボっていては達成できない数値ではあるが)。古い体質の会社の営業部門なんて似たり寄ったりだろう。

そのため、営業マンがいまどこで何をしているか、営業部長(管理職)は正確に把握していなかった。営業には自由が許されていて、その自由から生まれるものがあるという先輩の教えもあった。僕も先輩からそういう教えを受けてきた。一方で、その程度の自由から生まれるものなどたかが知れていることもわかっていた。

神奈川県内の自動車道を走行しているとき、アスファルトの道がぐらぐら揺れていた。路肩の山や建築物が崩れてくる光景を想像した。「外回り営業中に災害に巻き込まれたら見つからないかもしれない」と思った。交通網が遮断されたら戻れなくなる可能性もあった。幸いノーダメージで会社に戻れたけれども、たとえば被害の大きかった地域に出張して営業活動をしていたら、生き埋めになって行方不明になる事態だって十分にありえた。営業は自由であることと引き換えに安全面で大きなリスクを背負っていることに気づかされた。

 

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一時的に行方不明になる同僚

余震が続くなか会社に戻ると、同じように外回りに出ていた営業マンと連絡が取れなくなっていた。部長は各営業マンがどのエリアで営業活動をしているか把握していなかった。部長は「本物の営業なら死なねえ……」と謎の余裕を見せつけていた。営業マン所在不明は、「自由な営業」の弊害である。幸い、夜までに全員の無事が確認できたが、不幸中の幸いというべきだろう。

部長は「俺は自宅で待機している……」といって全営業部員が帰還する前に帰宅していた。「俺たち(の命)なんてどうでもいいのかな」と愚痴る同僚もいれば「部長がいてもいなくても変わらない」と達観するベテランもいた。

3.11のあと、外回り営業に出ている社員の行動と居場所を把握できていなかったのにもかかわらず、このような災害はレアケースとして処理した管理職に対する不信感を募らせた社員があらわれた。「安心して働けない」という声が若手中心からあがった。もっともである。会社の命令で外回り営業をしているのだから。会社は営業マンの安全を確保するよう努力してほしいという若手の要望は、真っ当である。一方でそれは行動管理を厳しくすることでもあった。営業マンの行動の自由を制限することでもあった。

管理されたくないという営業マンの本音

外回り営業中の安全確保/災害対策は職場環境の向上の一環だ。営業部門で大方は賛成だった。問題は、営業の自由を享受してきた一部ベテラン営業マンだった。彼らは「管理されたくない」と抵抗した。「管理を強くしてこれまでと同様の成果が出なくなったら誰が責任を取るのだ」と。責任を取らなければならない立場にある当の部長は「営業は孤独よ……。てめえのケツはてめえでふけ……」と精神論をぶちあげるポンコツで、責任を取る覚悟は1ミリもなさそうであった。

ベテランたちは「営業という仕事はある程度の自由が必要だ」と主張して、行動の自由で成約した過去の案件を列挙した。「エース級の営業に自由を与えたから成約することができた。会社に縛られて型どおりにやっていたら成約できなかった」とベテランたちは「自由の大切さ」を強調した。「自由を獲得するまでにどれだけの先輩が汗と涙を流してきたのかわかっているのか」と労働者の闘争の歴史を語る人もいた。その人は酒の席で「バブルのころは寝ていても仕事が取れた」と説教していたので説得力に欠けていた。

管理監督されるのは誰だって嫌だ。だが安全に働ける環境を目指すのとは別問題である。また、中堅や若手のあいだでは、日中、どこで何をしているのかわからない一匹狼的なベテラン営業マンたちに対する不満が蓄積していた。ひとりではどうにもならないような大型案件に協力を求めても「いまは追っかけている案件があるから手伝えない」と却下されることは日常茶飯事だった。

当時の営業部門は若手から30代の僕のような中堅までが多く、会社を変えていこうという気概にあふれていた。ベテランが列挙した取引先を精査することになった。自由が成約に直結したのかどうかと活動報告や資料等で検証した。結果は、自由が成約の主要因になったとは言いきれなかった。自由な営業活動が成約につながったとされていた案件でも、決定打になったのは提案の質や競争力のある価格設定だった。その流れで行動管理をしっかりやっていく方向性になっていった。

安全な外回り営業は難しい

恥ずかしい話だが、当時の会社ではまともに行動管理がなされていなかった。そこで全社的に労務管理と安全管理をシステム化するようになった(営業部門には営業支援ソフトを導入した)。当初は難色を示した部長も、自身が管理の対象から外れることで納得して「ビシビシ監督してやる……」と気合が入っていた様子だ。

外回りに出ている営業マンがどこでなにをしているのか、本部で把握できる体制になった。これで外回り中、緊急時に営業マンがどこで何をしているのかわからないという最悪な事態はなくなった。3.11のとき頭をよぎった「外回り営業中に災害に巻き込まれたらどうしよう」という不安は薄くなった。

管理が厳しくなることに反対して辞める営業マンもいた。ベテランだ。また退職までいかなくても、「管理されることで営業活動に支障がでるのは間違いない」と様子見を決め込んだベテランもいた。そういった僕よりも上の世代の人たちは、これまでの仕事のやり方を全否定されたように感じたのだろう。

昔ながらの営業マンの仕事のやり方はブラックボックスだ。外からは何をしているのかわからないが結果は出す。そういう感じ。決まって外部からの干渉を嫌っていた。「結果を出しているのだから問題ないだろう。干渉される必要性を感じない」と。

行動管理の徹底で、一部ベテランたちの行動が明らかになった。驚きだった。ほぼ何もしていないのだ。見込み客を回るわけでもなく、同じエリアに滞在して一日を終えていた。さらに驚きだったのは、彼らが何もしていないことを隠そうとしなかったことだ。自信なのか奢りなのかよくわからない。流石にこれは酷いという声があがり、一部ベテランへの監督が強化された。僕からみれば彼らには営業のスキルと経験があった。真面目にやれば間違いなくよい成果が出せると思った。

予想どおり、いや、予想以上だった。個々の営業マンの行動管理を見直した結果、営業部門の成績は爆上がりしたのだ。中堅や若手に加えて、自由を主張していたベテランの成績も上がった。行動の管理監督をおこない、目標を達成できているかどうか都度チェックをしながら、戦略・作戦を修正して実行する。これを繰り返したところ、これまでの自由で、勘に任せた営業よりも結果が出たのだ。しかも災害時の危険リスクを下げて。部長は営業支援ツールの意義や使い方を理解していなかったが、成績向上の結果だけは理解したようで「俺がフンドシをしめたらこの結果よ……」とご満悦のようであった。

まとめ

これは外回り営業の被災リスクから行動管理の徹底がはかられた事例だ。個々の営業マンが何をしているのかを管理監督するだけで効果が出るのはわかりきっていた。安全のための行動管理が業績につながるのなら一石二鳥だ。3.11から12年経った。当時の部長も「こんど会うときは客だ……」という捨て台詞をのこして退職し、すでに故人だ。地震だけでなく火山噴火、台風、大雨、土砂崩れなどの災害は毎年のように起こっている。

なかには外回り営業や出張中に被害にあった営業マンもいただろう。営業は孤独な仕事である。せめて被災したときにどこにいるのかくらいは把握されている孤独であってほしい。ただ、がんじがらめに画一的に管理監督するとストレスを感じてしまうので、AI技術を応用するなど(たとえば個々の事情に配慮して行動管理と指示をするとか)して、うまく営業マンを管理するシステムができればいいなと思っている。

 

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