
前編に続き、メディアアーティストの落合陽一さんと、さくらインターネット代表の田中による対談をお届けします。
後編のテーマは、AI for Science(AIを用いて科学研究を加速・高度化するアプローチ)から始まり、生成AIによる表現の変化、計算資源とインフラ、産学連携、そして30年後の未来まで。AI時代に人間が担う役割について、2人が語り合いました。
>>前編はこちら「AI時代、日本企業にチャンスはあるのか。落合陽一さんと田中邦裕が語る、インフラと計算機自然の未来」
※本記事は、さくらインターネットのYouTubeチャンネル「さくらのデジタルインフラ学校」で2026年6月30日に公開した動画をもとに執筆しています。

落合 陽一(おちあい よういち)さん プロフィール
2015年 東京大学大学院 学際情報学府にて博士取得後、2015年より筑波大学にて助教、准教授を経て現職。
メディアアーティスト・起業家であり、筑波大学教授・デジタルネイチャー開発研究センター長、東京大学大学院 新領域創成科学研究科准教授を兼任。
計算機と自然の融合を目指すデジタルネイチャー(計算機自然)を提唱し、2020年より大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーを務めた。

田中 邦裕(たなか くにひろ) プロフィール
さくらインターネット 代表取締役社長
大阪府出身、沖縄在住。舞鶴高専在学中の18歳の時にさくらインターネットを起業。自らの起業経験やエンジニアというバックグラウンドを活かし、若手起業家やITエンジニアの育成に取り組んでおり、現在は、複数の企業の社外取締役やIPA未踏PMも務める。さらに、業界発展のため、SAJ会長・IT連会長・JAIPA副会長・JDCC理事長・BCCC副代表理事など多数参画。最近は、多拠点生活を実践するなど、自ら積極的に新しい働き方を模索している。
AI for Scienceで社会はどう変わる?
AI for Scienceや自動研究が注目を集めるなか、研究の現場はすでに大きく変わり始めています。
自動研究は「ゼミを持っている感覚」

最近注目されているAI for Scienceについて、どんなことをやられているんですか。

自動研究は楽しいですよ。うちでもローカルでかなりやっています。感覚としてはゼミを持っているような気分ですね。
最近よくやっているのは人工生命(生命の進化や行動をコンピューター上で再現・探究する研究分野)とかシェーダー(CGの色や質感、光の当たり方などを計算するプログラム)とかです。ビジュアル表現を作ることも、自動研究のひとつだと思っています。
コンピューターグラフィックス研究って、不思議な数式を扱ってみたら意外と気持ちいい表現ができた、みたいなところがあるんですよ。
そこで人間が何をしているかというと、「気持ちよさ」を発見する評価機なんです。「昨日は何個作ったんだい」と見て、「これとこれは見たことない感じでいいね」と評価する。そうすると、僕がいいと言ったものが次の日にはさらに増えているんですよ。

それ自体が学習データになるわけですね。

そうなんです。だから自分は評価機としてどこを担うか、という話になってくる。
自分で良し悪しがわかる領域なら、自動研究はかなりうまくいくと思いますね。
研究者に残るのは「おもしろさ」を決めること
AIが研究を進められるようになったとき、人間の研究者は何を担うのでしょうか。

そうなると、研究者がやらなきゃいけないことって何なんでしょうね。

研究者として良し悪しを見極めることや、「自分が好きだから探究する」という興味の矛先を探ることだと思います。
僕はそれを「レコード針のような人生」って呼んでいるんです。レコード針みたいに世界をなぞりながら、「どこかにいい音が鳴っている場所はないかな」と探していく。
おもしろいことの検証はAIでできます。でも、「これおもしろいよね」とインプットするのは、やっぱり人間の仕事なんじゃないですかね。
評価指標が分かっているサイエンスはAIに任せればいい。一方で、「何をおもしろいと思うか」という部分は、人間の研究者がやるべきことだと思います。
生成AIは表現をどう変えたのか
研究の話から、話題は芸術と表現へ移ります。
カメラも生成AIも「ガチャ」に近い

道具の進化と芸術って、ずっと一緒に発展してきたように感じます。
カメラが出てきたころ、画家から見たらフォトグラファーなんて芸術家じゃないと思われていたかもしれない。でも、結果としてその道具から新しい芸術家が生まれた。

そうですね。メディアアートも同じです。映像装置やコンピューターができたからこそ生まれた芸術ですから。
僕、写真を撮っていると「ガチャだな」って思うことがあるんですよ。構図を決めて撮ることもありますけど、光の当たり方とか偶然の要素も大きい。それって生成AIでプロンプトを入れて結果を引いている感覚とかなり近いんです。

たしかにガチャですね。
生成AIはリトライできますけど、カメラはその一瞬ですからね。
「ピクセルは事実」という時代の終わり

この前オードリー・タン1と話していて、最終的に「写真を発明したのがよくなかったね」という話になったんですよ。

それはおもしろいですね。

写真が発明されたことで、人類はピクセルの情報を事実だと思うようになった。
写真が発明される前は、全部誰かが描いた絵画だったのに、写真が出てきてからは「ピクセルの向こう側に真実があるかもしれない」と思うようになったんですよね。
でもいまは生成AIによってその感覚が崩れつつあって、結局ピクセルは情報でしかないよね、と思うようになってきている。
AIが描いたものかもしれないし、人間が作ったものかもしれない。
そう考えると、中世の絵画を見ているときの気持ちと近くなるという。

最近SNSを見ていても、「本物じゃないかもしれない」と思うと急におもしろくなくなることがありますね。それって中世の人たちが絵を見ていた感覚に近いのかもしれないですね。

ここ200年くらい続いていた「ピクセルの向こう側に真実がある」という感覚は、あと20年もしたらなくなるんじゃないかと思います。
AI時代に残る研究の価値
AIが論文を書き、研究を進めるようになったとき、研究そのものの価値も変わっていきます。
論文が無限に書ける時代

落合さんは芸術と研究の両方をやっていますが、その領域はむしろ重要になっていくんでしょうか。

研究の味わいって何なんだろう、という話なんですよね。
いまは生成AIを使えば間違いのない論文は無限に書ける。でも最終的に残るのは味わいのある論文なんじゃないですかね。

味わいの裏には何があるんでしょうか。

人類の興味に対する普遍性だと思います。
100年後に読んでもおもしろいかどうかみたいなことが大事なんじゃないでしょうか。
人間は人間が興味を持っている領域の近傍ばかりを探索していますが、AIはその外側を探索できる。

まったく関係ない研究同士を結び付けて、人間が思い付かないような発見をする可能性もありますよね。
そうなると研究のやり方そのものが変わっていくのかもしれないですね。
コンピューターサイエンスとITインフラの未来
話題は、研究と生成AIを支える計算機資源へと移ります。
計算資源は使われてこそ価値になる

僕はリソースがあったら、あるだけ全部使いたいんですよ。
この前ライブをやったとき、VJ(映像を使ったライブ演出)を全部LLMに作らせたら、1時間のライブで1TBになりました。

圧縮が効かないんですね。

そうです。フレーム同士に一貫性がないから、現実世界には存在しないような重いデータができる。

でも、そういう使われ方をしてくれないと僕らみたいなインフラ会社は成長できないんですよ。
静止画で済むところを動画にしたい。ディープラーニングで済むところを生成AIにしたい。そうなるとコンピューターの三要素であるストレージもプロセッシングもネットワークも全部使います。

「null²する音楽会2」もそんな感じでしたね。
GPUを燃やす勢いで計算していました(笑)。

余談ですけど、GPUって本当に燃えるんですよ。当社もGPUを扱い始めたころはかなり苦労しました。最近のGPUはほぼ100%で動き続けますからね。
国内でも、そこまで高負荷で運用している事業者は多くないと思います。
これからの産学連携の在り方
2人は研究とビジネスの接点についても語りました。
研究がそのままプロダクトになるおもしろさ

産学連携を意識したのはいつごろだったんですか。

博士課程のころですね。
マイクロソフトリサーチで働いていたとき、友人が研究していたものがプロダクトになって出てきたんです。
ただ論文を書いただけなのにちゃんとプロダクトになっていたことに感動して、「これが本来あるべき姿だよな」と思いました。
大学のなかだけで研究をしていると、お金を稼いで大学に戻す循環があまりないんですよね。
一方で、産学連携では「〇〇先生のお墨付きがあります」とか、「〇〇という権威のある人と一緒にやったから価値があります」という話になりやすい側面もあります。
でも、単純におもしろいものを作れたかどうかという世界では、そういうことは起こりにくい。プロダクトが良くなければ、結局は良くないと分かってしまいますから。
だから僕は、権威を借りるための産学連携ではなくて、みんなでもっとおもしろいプロダクトを作るための産学連携がいいと思っているんです。

実データを取ることは大切ですよね。ネット系は実際のトラフィックを扱っている現場じゃないと研究できないようになってきています。
インフラならクラウドのスケーリングやCDN、それからサイバーセキュリティーもそうです。ローカル環境でサイバーセキュリティーを研究していても、現実のような攻撃はなかなか来ませんから。
現場で起きていることを研究テーマとして扱える環境が重要なんですよね。
そういう意味でも、研究の質を上げるためには、民間企業と研究者が一緒にやっていくことが重要だと思います。
30年後、人間はどう生きるのか
対談の最後は、さくらインターネット創業30周年の話題から、これから先の30年へと話が広がりました。
1996年に創業したさくらインターネットは、インターネットの発展とともに歩んできました。一方、落合さん自身も約30年前にコンピューターに触れ始めたといいます。
30年前にインターネットが社会を大きく変えたように、これからの30年はAIが当たり前の存在になるはず。そんな前提のもと、未来の人間の暮らしや働き方について語り合いました。
人間に残るものは何か

30年前に起業するならインターネットを使うのが当たり前でした。いま起業するならAIを使うのが当たり前ですよね。30年後に振り返れば、それも当然の話だったと言われる気がします。

AIを使うけれどAIだけでは作れないものにルートがあるといい、ということですよね。
ソフトウェアの価値って結構早く劣化していくので。人間とか物理法則とか、簡単には変わらないものを理解することが大切なんじゃないですかね。

30年後、人間は何をしていると思いますか。

AIによって個別に投薬や創薬ができるようになっていって、自分専属の研究者をみんなが持っているような時代になるかもしれません。
人間自体はかなり若返るんじゃないかなと思っています。

ホワイトカラーの仕事をAIが担うようになったら、人間には何が残るんでしょうね。

憩う、楽しむ、食う、寝る、遊ぶ。
あとは体を動かすことでしょうか。

健康のために働く時代になるのかもしれませんね。
AIが研究を進め、創作をおこない、多くの仕事を支える未来。そのなかで人間の役割はいまとは大きく変わっていくのかもしれません。
一方で、今回の対談をとおして繰り返し語られたのは「何をおもしろいと思うか」を決めることや、変化しない人間そのものや物理法則に向き合うことの重要性でした。
AIが当たり前の存在になった未来で、人間は何を作り、何を楽しみ、何を価値あるものだと判断するのか。2人が描いた30年後の世界に、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。
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