2021年2月12日、株式会社ミライロは第三者割当増資による資金調達を発表しました。引受先には、さくらインターネットも含まれています。
さくらインターネット代表の田中邦裕は、高専在学中に起業。ミライロの垣内俊哉氏も、大学在学中に起業しています。「学生起業」という共通点を持つ、ふたりの対談をお届けします。
ふたりの出会いについて
垣内 俊哉(かきうち としや)さん
1989年生まれ。2010年、立命館大学経営学部在学中に株式会社ミライロを設立。障害を価値に変える「バリアバリュー」を企業理念とし、デジタル障害者手帳「ミライロID」の開発や、ユニバーサルデザインのコンサル事業を展開。一般社団法人日本ユニバーサルマナー協会 代表理事や、日本財団パラリンピックサポートセンター アドバイザーも務める。
垣内俊哉氏(以下、垣内):以前に取材いただいたさくマガの記事にもある通り、さくらインターネットさんのことは、中学2年生のときから存じ上げておりました。
ミライロ 垣内社長に聞く、障害を価値に変える「バリアバリュー」に込められた想い
当時、スニーカーとピアスのオンラインショップを運営していました。そのときにさくらインターネットさんのサーバーをお借りしていたので、田中さんにはじめてお会いした際「ああ、この方が社長さんか」と感動しました。
そこから経営に関するご指導もいただいていました。
田中 邦裕(たなか くにひろ)
さくらインターネット創業社長 1978年大阪府生まれ。96年、舞鶴工業高等専門学校在学中に18歳でさくらインターネットを起業。
田中邦裕(以下、田中):そうでしたね。関西経済同友会に参加している大企業と、これから伸びるスタートアップ企業を繋ぐ「関西ブリッジフォーラム」というコミュニティがあります。
そこで垣内さんとはじめてお会いしたんですよね。お仕事のご相談をいただいている内に、ミライロさんの支援についてのお話をいただきました。出資者を集めているというので、資本参加させていただきました。もう3年くらいの付き合いですよね。
垣内:そうですね。
田中:この3年、すごく変化が激しかったですよね。急速に社会が変わったタイミングでした。ミライロさんのビジネスが社会に求められて、合致した時期だったんじゃないですか。
垣内:とくに、ミライロIDにおいてはそうですね。セキュリティ面やデータ管理について、私たちは造詣が深くなかったので、さくらインターネットさんのお力をいただきました。まだ3年ですか。もっと長いお付き合いに感じるくらい、濃い時間を過ごさせてもらっています。
田中:本当、そうですね。
垣内:田中さんにいろいろとご指導いただいて、IDaaS(Identity as a Service)のサービスに舵を切りました。
田中:この間、すごく感動したできごとがありました。沖縄の離島にダイビングしに行ったんですけど、そこの小さな船の券売所でミライロIDのシールが貼ってあったんですよ! ここまで来たかと思いましたね。
垣内:おおー! それはうれしいですね。いま、国内で延べ2,750の事業者(2021年7月末時点)でミライロIDが使えます。地方の企業さんでも、障害者の対応をできるだけスムーズにしていく流れが広がってきましたね。
どのようなキーワードを意識してビジネスを進めているか
垣内:創業から今日まで「バリアバリュー」という言葉を掲げて、事業を進めています。バリアバリューとは「障害を価値に変えていく」ことです。
たとえば、私自身に照らし合わせれば、車椅子ユーザーだからこそできることを追求しています。
田中:車椅子の方が社会へ働きかけることによって、エレベーターの設置が進みます。そうすると、高齢者の方や怪我をした方など、たくさんの方が暮らしやすくなりますよね。これがバリアバリューの本質ではないでしょうか。
垣内:まさにそうです。バリアフリーやユニバーサルデザインを障害のある方々の視点を活かしながら進めていくことが、ミライロにとっての社会的使命だと考えています。
田中:私は最近、重要なキーワードとしてESG※を意識しています。
※ESGとは、環境(Environment)社会(Social)ガバナンス(Governance)の頭文字からきた言葉
企業はマイノリティに対する配慮とか、新しいサステナビリティに対する取り組みを「コスト」と捉えがちです。でも25年経営をしてきて感じますが、これらが「コスト」から「価値」になる転換点があったと思うんです。
社会が良くなっていくことで儲けられます。コストだと思わずに、それをいかにビジネスにしていくか。実際、そういう会社のほうが、成長性が高いです。
ビジネスにしないとサステナブルではありません。会社も儲かって存続することが大事です。
SDGsとDX
垣内:最近、「SDGs※」という言葉をよく聞きますが、誰ひとり取り残さないことと掛け合わせて「DX(デジタルトランスフォーメーション)」が重要だと思うんですね。
※Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)
DXを進めていく中で、どうしても抜け漏れが起きていたのが、障害者への対応でした。障害がある人の中には、パソコンやスマホを使うことが難しい人もいます。その理由は「アクセシビリティ」です。視覚障害者や聴覚障害者を取り残さないためにも、アクセシビリティをもっと考えていく必要があると思います。
田中:ミライロIDは、まさに障害者手帳をDX化したものですね。障害者割引ってオンラインで予約しても、結局障害者手帳を窓口に見せに行かないといけないんですよね。それをミライロIDによってオンラインで完結できれば、劇的な変化になります。
以前にミライロIDについて「こういうのがあったらいいんじゃないか」と話をしていましたけど、本当にこれが実現するとは思いませんでした。
というのも、民間企業が公的な証明書を出すことが本当にできるんだろうか? と思っていたんです。ハードルがたくさんあったと思うんですけど、それを乗り越えたのは、ほんまにすごいですよ。
垣内:偶然が重なった部分もあります。政府がDXの推進をはじめたのに加えて、社会の流れとしてSDGsの推進もありました。
さらに、新型コロナの影響でソーシャルディスタンスを保たなければならなくなりました。密を避けるためにも、障害者手帳を確認する時間を減らしていこうと変わっていったんです。265種類もある障害者手帳を、ミライロIDだけで確認できるのは、企業さんにもメリットとして訴求しやすかったです。
2019年7月のスタート時点での導入企業は、たったの6社でした。
それが、この2年の間で450倍超えの2750事業者まで増えたのは、かなり進歩したと手応えを感じています。
田中:離島のフェリー乗り場でも使えるくらいですから、かなり浸透していますよね。最初のきっかけがないと浸透しませんが、その最初の流れを起こしたのは、どういうきっかけだったんですか。
ミライロIDが広まったきっかけ
垣内:導入してくれた最初の6社のうちの1社が、パンダで有名な和歌山の動物園「アドベンチャーワールド」さんでした。
そこで導入されたことが、テレビと新聞で報道されたんです。結果、「これをもっと広げたい」「もっと使える場所を増やしてほしい」と、障害のある当事者の方々からの声が、ミライロIDの事務局や自治体、企業へと寄せられました。
このように、社会全体のムーブメントにできたことが大きかったのかなと思いますね。
田中:なるほど。ミライロさんの事業は、障害者手帳のDX化で社会性がある観点で語られがちなんだけど、いまのロジックってビジネスとして非常によくできた話だと思うんですよ。
便利だから、ユーザーが「ここでも提供できるようにしてくれ」と企業に伝えるわけですよね。
それってみんながやろうとしていることだけど、あまりうまくいかないんです。
垣内:ありがとうございます。いま振り返ってみて、ミライロIDがここまで一気に普及したもうひとつの要因は「完全なるスモールスタートであった」ことだと思います。
やりたいことはたくさんあったのですが、まずは障害者手帳をスマホで管理できるようにするだけの機能にとどめました。
その機能だけに特化したので、みなさんからも認知してもらいやすかったです。そこから、いまはクーポンやチケット、行政手続などに発展しています。
田中:「開発にそんなお金をかけられない」という話をされていたのを覚えています。大きなビジョンはあるけれど、リーンスタートアップでしたよね。本当にすごいことです。
垣内:ありがとうございます。お金がなかっただけなんですけど、逆にそれが成功した理由かもしれないですね。
田中:スモールスタート、リーンスタートアップは大事だと思います。あと、カスタマーサクセスですよね。それが普及することで、お客さまがすごく楽になること。そうするとネットワークの外部性で、みんなに啓蒙したり、広げていってくれるので、雪崩を打つようにバーっと広がります。
学生起業をしたふたり。起業して良かったこと
垣内:高校生時代、歩けない障害があることを苦にして、自ら命を絶とうとしたくらい追い込まれていました。そうした日々を経て、大学生のときに起業して、いまに至ります。起業してから、自身の障害に対する受け止め方も変わりました。
まさに、バリアバリューと掲げているように、歩けないことをマイナスとして捉えず、価値として捉えることが、少しずつ自身の中で実践できています。
この障害は遺伝性のものなので、父親も弟も同じ障害があります。遡れば先祖代々受け継がれてきたものなんですが、私の先祖は外へ出ることも、働くことも叶いませんでした。
そう考えると、私は学べていて、働けていて、かつ自身の障害を活かして、少しでも社会に貢献できていることを考えると、きっと先祖も誇らしく思ってくれていると思うんです。起業して12年経ちましたが、やっぱり起業してよかったなとあらためて思いますね。
田中:私が起業して良かったと思うのは、お会いした方が昔からさくらインターネットのサービスを使っていたんですって言ってくださること。垣内さんも、まさにそうですよね。「『やりたいこと』を『できる』に変える」という社是にしたのは、5年前ですけど、その前から社会に必要とされる企業を目指していました。
自分たちのビジネスを通じて、いろんな人たちが「やりたいこと」を叶えてきたことは、すごく誇らしいことだと思っています。
垣内:僕の場合、車椅子ユーザーなので、アルバイトもできませんでした。さくらインターネットさんのサーバーをお借りしてオンライン販売をしたことで、自身でも稼ぐことができるんだ、社会と関わることができるんだ、とあのとき実感できたんです。だからこそ、もう一歩踏み出そうと思い、起業してビジネスができています。
そういった意味では、ひとつ「できる」を作ってもらえたのは、さくらインターネットさんのおかげだなと思います。
田中:ありがとうございます。
起業してから苦労したこと
垣内:死のうと思い悩むまで追い込まれた時期がしんどすぎたので、起業してからの苦労が、あのときと比べるとそこまで苦労に感じていません。
強いて言えば、起業直後に融資を受けられなかったことですかね。大学生で、障害者ということで信用してもらえず、融資が受けられませんでした。
田中:融資してもらえなかった状況で、どのように乗り越えたんですか?
垣内:副代表の民野がコンビニでアルバイトをして、それでなんとか社員の給料を払っていましたね。民野とは、創業から4-5年くらい一緒に住み、寝食を共にした仲です。民野はたくさん苦労したと思います。
田中:私が苦労したのも、お金です。会社って波がありますよね。ネットバブルがはじけた2000年、2001年くらいは、本当にどうしようかなと思いました。
キャッシングして社員に給料を払うこともありました。上場したあとも、一度債務超過になって、必死でお金を借りて回ったことがあったんです。
結局、そのあと自分の株を一部売って返済したんですが、借金返済のために株を売ってなくなっちゃうのは、すごく忸怩たる思いでした。
垣内:田中さんの話を聞いて、僕はまだ苦労と言えるほどの苦労をしていないだけなんだろうなとあらためて感じました。12年ぽっちの経営者ということで、まだまだ修行が足りないなと。
田中:苦労はしないに越したことはないですよ。成功は真似できないですけど、失敗は再現性があります。失敗しないようにするのは重要です。
これから一緒に「やりたいこと」
垣内:DXが進んできていて、2021年9月には「デジタル社会形成基本法」が施行され、デジタル庁が発足します。デジタル庁が定めている指針の中でも、アクセシビリティというのは、1丁目1番地に置かれている状況です。
ウェブ上のバリアフリーに関しては、日本はかなり遅れている状況ですが、一気に形勢逆転できるタイミングだと思います。
ミライロIDによって、マイノリティである障害者の身分証を電子化したことは、世界にも誇れる事例です。これをもってして、「日本ここにあり」というものを、今後示していきたいです。
そのためにも、さくらインターネットさんのお力をお借りできたらなと思っています。
田中:ありがとうございます。IDというのは、極めて重要なアイデンティティになってくると思うんですね。
われわれはクラウドインフラの会社ですから、認証のインフラを広げていきたいと思っているわけです。まさしくその部分をミライロさんと一緒にやりたいと思っています。