「サボりマネジメント」の時代がやってきた。仕事を続けるためのサボり

「サボりマネジメント」の時代がやってきた。仕事を続けるためのサボり

 

夏の終わりから、なんとなく感じていた疲労感が秋になってからヤバい。肉体的なものではなく精神的なものだ。「どよよ~ん」とした重い疲れがずっと残っていて気が晴れないのだ。猛烈に疲れている。映画を観て泣くことは一切ないが『鬼滅の刃』を観て号泣してしまった。それくらい精神が壊れかけのレディオ状態なのだ。

 

僕だけかと思いきや、年下の同僚たちも「最近疲れるわ~」とちらほら言っている。年初からの新型コロナ(COVID-19)の感染拡大状況が、僕らの心と精神を疲れさせているのだろう。蝕んでいる。

グループ全体で精神的な疲れを感じていては、業績にかかわってくるので、労務管理マネジメントを修正しなければならないと最近考えている。目標達成もさることながら、心の疲れを軽減するマネジメントが求められているのだ。

 

新型コロナ以降、実のところ、労務管理は容易になった。以前から進めていた営業管理システムがいくつかの修正と実践を経て軌道に乗ってきたことに加えて、営業という仕事において大きなウエイトを占めていた面談の機会が激減してしまったからだ。

面談の機会の減少は営業にとって死活問題だ。そんな事情で仕事に対する危機感が増したために、営業部内には真剣に仕事へ向き合う意識が高まっているため、労務管理が楽になっている。

仕事におけるマネジメント

仕事におけるマネジメントは、決められた時間と労力をどれだけ仕事へ向けさせるか、に尽きる。営業には限らない。どんな職種であれ、チームで目標を設定して動いているなかで、ひとりひとりが時間をどれだけムダにしないか、ムダにさせないかが大事なのだ。

その点でいえば、新型コロナによって業績も下降して、面談機会が激減してしまったことで、危機感が高まったのはモチベーション上では間違いなくプラスだった。

 

ソーシャルディスタンスという新しい概念が浸透して、直接顧客と会う機会は減り、電話とオンラインでのアプローチが増えた。個人的にも、チャンスを無駄にしまいと事前準備は念入りにおこなうようになった。

チャンスは少なくなっても、なんとかしたい、ものにしたい、という意識は強くなる一方であった。結果として面談のクオリティは向上している。

 

ウチの営業部全体でみても、直接面談であれ、オンラインであれ、面談のクオリティは上がっている。おそらく世間一般的にも、顧客との面談は内容のあるものになっている傾向にあるのではないだろうか。なぜならムダが削ぎ落とされているからだ。

ムダな面談はなくなり、「1分1秒の話もムダにできない」という気合がみなぎり、打合せの中身も仕事と目的に直結したムダのないものになっている。サボるための喫茶店休憩は絶滅。雑談も激減。本来やるべき仕事と向き合うようになっている。

ムダが削ぎ落されてきた

ムダが削ぎ落とされてきた

このような流れが浸透することは、基本的には良いことだ。ムダな仕事がなくなって、より短い時間で以前と同じ結果が出せるのなら、それに越したことはない。これからは、絶対にしくじってはいけないクライアントとのゴルフ接待や重役のご機嫌とりに終始する社内接待飲み会をやらないで済むのだと想像するだけで、働くことが楽しくなる。

そういう旧態依然とした仕事のやり方に抵抗を感じる若い世代にとっては万歳三唱大歓迎の流れだろう。検証はこれからになるけれども、生産性もあがるのではないかな。

 

対外的なムダもさることながら、社内的なムダも削ぎ落とされている。多くの会社で打ち合わせは最小限になっている。たとえば全体ミーティングや全体会議といった全体という名称のついた打合せやミーティングは、ろくでもないものがほとんどだ。全員に共通する議題があればいいが、なければただの報告会か上層部の権威のためにおこなわれているだけにすぎず、前々から無意味だと思っていたので、減少傾向にあることは喜ばしい。

外食チェーンなどで全国の店長を一カ所に集めてトップから訓示をたれるのも、実に精神主義的で、意味がないように見える。新型コロナをきっかけに「やることに意味がある」という謎の意味合いをもつ会議的なものはこれを機に滅ぼしてしまおうではないか。

 

そういえば「全体会議だ! 全体集会だ! 社長もご出席だ!」と全体という名のつく会合のたびに大騒ぎしていた我が社の上層部の人もウソのように全体会議消滅を受け入れている。

表情も穏やかになったので、実は彼が、いちばん今の状況を喜んでいるのだと踏んでいる。プレッシャーだったのだろう。あるいは生き甲斐を失って呆けているだけかもしれないが。

 

仕事の話に戻すと、ムダを削ぎ落とされ、目的に向かって一直線の効率化された仕事をしている状態が続いている。遊びやゆとりはない。商談などは、最短ルートで話をもっていく流れが主流になりつつある。これまで培われてきた営業のやり方の多くは時代遅れになってしまった。

だが絶望することはない。相手との強い関係を築き、それをベースに商談をすすめる古からの方法はいまだに有効で、むしろ新型コロナ感染拡大以前に培われていた関係をもって仕事は動いている。完全な新規顧客を見つけて強い関係を構築するよりも、そちらのほうがはるかにイージーだ。 

効率的な仕事は僕らが待ち望んでいたものだが……

遊びやゆとりのない、働く場所や時間に縛られない効率的な仕事。意味のない雑談や接待のないビジネス。それらは僕らが待ち望んでいた仕事のやりかたである。実際、商談や打合せも結果へのアプローチという点からみればクオリティは上がっているように見える。僕らの新しい働き方がようやく出来るようになった。さらば老人ども!

 

と歓迎すべき展開になっているはずだが、冒頭でお話したとおり、精神的な疲れを感じている。ムダを削ぎ落として効率的でありすぎたのだ。つまりずっと張りつめた状態で仕事をしている状態。出社しても在宅勤務でも今その瞬間、何の仕事をしているのか監視されている。

気分転換に同僚にムダ話をしようにも「密です」「ソーシャルディスタンス!」「飛沫とばさないでー!」「雑談とかムダなので」と拒絶される。酒を飲みに行ってもひとり静かに一人酒。スポーツジムはなんとなく行かなくなってしまった。家庭内でも会話は最低限。孤独だ。張りつめた状態で働いて、その張りつめた状態を緩められない。ストレスで破裂しそうだ。

仕事を続けるためのサボり

仕事を続けるためのサボり

効率的になりすぎて、圧迫と疲れを感じている。このままでは壊れてしまう。生命のピンチ。僕は、営業部長という管理職にある関係上、公にはできないが、張りつめた仕事から逃げるために意図的にサボるようにしている。

 

仕事から逃げるためのサボりではなく、仕事を続けるためのサボりなので、サボりではないと言い聞かせているが、もともとの生真面目な性格のおかげで罪の意識は消えない。

それはそうだ。意図的にサボる一方で、同僚や部下に対しては部長の仮面をかぶって、「この困難な時代を生き残るためには今やるしかない。効率的に、うまく!」と叱咤激励している。心で泣きながら鬼になっている。つらすぎる。

 

そんなふうに言いながら、「僕に見つからないように、影でうまくサボっていて欲しい」と立場上言えないが願っている。サボりを積極的に見つけるつもりは毛頭ないが、見つけてしまったら立場上、詰めなければならない。だからうまくサボってほしい。命を守る行動をとってもらいたい。

 

と思っていたのだが…。つい先日、部下氏(若手)から「疲労感を覚えるので少しサボっていいですか?」と相談された。

「ああ、積極的にサボりなさい」と言えるわけない。立場的に。「うまくやってくれよ」といって言葉を濁すしかなかった。若い人たちは僕の想像を超えてくるから困る。サボりとは上司の目を盗み誤魔化してやることのはずだが、真正面から「サボっていいですか」とは。これが新しい働き方なのかと愕然とした。

 

僕の考え方が古いのだ。時代に合わせて、こういった古い考え方を捨てるしかない。そう思い直してマネジメントを見直すことにした。ひとことでいえば「サボりマネジメント」だ。

仕事のマネジメントは仕事に当たる時間を最大化して目的を達成することである。それをふまえたうえで、就業時間内にあえてサボらせる労務管理が必要なのだろう。サボることによって、休日や休憩時間では得られない、なんともいえない開放感、上司の目をかいくぐっているという満足感、それらをゲットできるようになる。心が軽くなる。

 

そういえば僕も駆け出しの営業マンだった頃、ノルマを達成してしまったあとは会社にバレないようにあらゆる手をつかってサボっていた。逆にいえば自分の時間をつくるために仕事をうまくやるように工夫をしていた。あの頃の上司も、今の僕のような気持ちでうまくサボってくれと思っていたのかもしれない…。

 

とりあえず、目標を達成している部下に対しては、少し緩めに管理してみることからはじめてみよう。「サボっていいぞ」くらいは言ってもいいかもしれない。いろいろおかしくなっている世の中だから、上にいる人間が部下のサボりをマネジメントしても、何もおかしくないのだ。