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自分は人生の主人公。話が通じない職場の同僚はドラクエの村民だと思え

自分は人生の主人公。話が通じない職場の同僚はドラクエの村民だと思え

職場でのコミュニケーションが激ムズなワケ

職場におけるコミュニケーションほど難しいものはない。新卒で働きはじめたとき以上に、中間管理職になって、上下に話す対象のいる今のほうがその思いは強い。学生時代ならば、日常的に会話をするのはほぼ同世代の人間であるうえ、そのなかから同じ趣味をもつ人や、性格があう人間をセレクトして付き合えば良い。もし合わなかったら距離を置けばすんでしまう。

仕事となるとそうカンタンにはいかない。付き合いたくない人間と付き合うときもあるし、新卒の若者から引退間近のベテランまで、通ってきた時代も文化も違う人たちを同時に相手にするので、言葉が通じないときがある。

最近、ショックだったのは、僕自身は若者寄りでいたのに、知らないうちにベテラン側に移籍していることに気が付いたことだ。ワンフレーズでいってしまうと、若手が僕の言葉をわかってくれなくなっていたのだ。

在宅勤務しているスタッフへの気づかいのはずが…。

新型コロナ感染拡大でいつもとは違う夏、在宅勤務をしているスタッフを孤独にしないために、僕は預かっている営業部全員に対して「どんな些細なことでもいい、何でも気楽に、相談してほしい」というメッセージを送った。

同僚たちは、年代も性格も思考のパターンもまったく違う、よくいえば多様性のある、悪くいえば統制のとれない人たちである。

特定の誰かを対象にするような文言を入れることはえこひいきと言われる危険性があるため、余計な言葉を入れず、誤解されないような簡潔なメッセージにするよう気を付けた。

もちろん「何でも気楽に相談してほしい」という言葉のウラには、「相手(僕のこと)へのリスペクトと配慮を忘れないようにね!」という隠しメッセージがあるのは言うまでもない。親しき仲にも礼儀あり、職場の仲にも礼儀あり。

自由とは規律のある自由であり、ロックフェスなどでおかしくなった人がしでかしてしまうフリーダムとは違うのだ。社会人なら誰でもそれくらいは分かっているはず。だが、それが僕の驕りであった。

最高レベルの集中力を必要とされるときに

最高レベルの集中力を必要とされるときに

会社勤めであれ、フリーランスであれ、絶対にしくじってはいけない案件というものがある。メインの仕事であったり、ステップアップにつながるものであったり、それから単純に報酬がいいもの等だ。

しくじってはいけない案件をすすめていくプロセスのなかには、かならず、慎重に慎重を重ねて進めていかなければならない局面がある。求められるのはミスを排除するために必要な最高レベルの注意力、集中する時間。

先日、僕はしくじってはいけない案件の最終局面、会社上層部への決裁をもらうための資料作成にとりかかっていた。自分の考えた企画をプラン通りにすすめれば勝利はおのずと転がってくる段階。あとは上層部の決裁をもらって、予算をゲットすればいい。

加齢によって落ちてきている注意力を、濃い目にいれたコーヒーで高めた集中力をもって補填し、事業計画の数字にミスがないのか最終チェックをしているときだ。「声をかけるな」という雰囲気を突き破って若手社員から声をかけられた。

「部長、よろしいでしょうか」

いいわけがない。この殺気を帯びるほど集中した僕の姿がわからないのだろうか。きっと、不注意で声をかけてきたにちがいない。僕は無視した。僕の鬼気迫る姿に気づいた若手社員は、「あ、ヤバいときに声をかけてしまった、ここはひとまず退散しよう、さいわい鬼のように集中しているから聞こえていないようだ」と思って退散するのが常。

僕は数字との格闘に意識を再集中した。僕の未来予想図は裏切られた。ふたたび若手社員の声が僕を襲ったのだ。「あの~部長よろしいでしょうか」

過去の言動が仇となり命とりになるのが会社という残酷組織

何でも、気軽に、相談してくれ、と言ったのは僕である。仕方ない。過去の自分の甘さを憎みつつ、僕は対応した。リスペクトと配慮を期待した僕が間違っていたのだ。反省。若手社員氏のような若者に対しては、行間を読んでくれ、ではなく、明確に相手の事情を配慮して、つまりティーピーオーを考えて相談しようね! と言うべきであった。つまり、言葉足らずであった。

若手社員の相談事は、こういってはなんだが、どうでもいい、つまらない、些細も些細であった。仕事上の機密があるので、オブラートに包ませていただくが、「企画書の表紙に記載する年表記は2020年がいいか令和2年がいいか、意見を聞かせてほしい」というものであった。

どちらでもいい。つか原則西暦で記載する方針だと以前決めてあるはず。「その件については解決済みだよね」と嫌味を言ったら「一応確認しておきたくて」などという。僕は辞書ではない。問題解決。

僕はコーヒーを飲んで再度、集中力を最強レベルまで引き上げて、数字との格闘に戻った。上層部との打ち合わせが迫っていた。邪魔が入ったが間に合いそうであった。さいわい、最高レベルの集中力で作成した資料なのでミスは見つからない。イケる。誰も邪魔しなければ! と乗ってきたタイミングでさきほどの若手社員の声。

「あの~よろしいでしょうか」

第二第三の使徒襲来で仕事がすすまない

第二第三の使徒襲来で仕事がすすまない

何でも、気軽に、相談して、といったことがカルマ(業)になっていた。このカルマを乗り越えることで人間としてひとつ上のステージに上がれる。そう自分に言い聞かせて対応した。若手社員の相談は実にくだらないことであった。

「フォントをどうしたらいいか」「文字サイズはどれがベターか」「小見出しはこれでいいでしょうか。意見をください」上司なので意見は言わせていただいた。意見を求めている立場で「え? 自分はそうは思いませんが」といってくる若手社員の精神構造は理解しがたいが、いちいちムカついていたら、集中力がキレてしまいそうだったので、スルーした。

相談をもちかけてくる際に、「わからなかったらいいですけど」などと挑戦的かつ厭世的(えんせいてき)な前置きをされても、「自分と同じ考えですね。もう少し違う視点からの意見が欲しかったのですが」などと捨て台詞を残されても、しくじってはいけない数字チェックの集中力維持に悪い影響がでないように、目をとじて、「人は皆、大河の一滴なのだ」という五木寛之先生の言葉を思い浮かべて心が乱れるのをセーブした。

結局、上層部との打ち合わせにはギリギリ間に合った。もし、資料に間違いがあったら間に合わなかっただろう。

言葉は都合よく受信されるものである

なぜ、若手社員はどうでもいいことを質問してきたり、自分の頭で考えることなく意見を求めてきたりするのだろうか。何でも、気軽に、相談して、という言葉の前提としてあるものと信じていた「相談する際の配慮」を彼も持っているものだと思い込んでいた僕の失策である。

言葉を受け取る側は都合よく受信する。会社員生活で何回も思い知らされてきたことだ。それが新型コロナで在宅勤務になり、メールという一方的で不完全な情報伝達方法を使ってしまったことで、何でも、気軽に、という断面だけを切り取られて都合よく解釈されてしまったのだと今は理解している。これからはもう少しうまくやろう。

同じことを繰り返す人はドラクエの村民だと思ってやりすごそう

気になることがあった。若手社員からの今やらなくてもいい質問に対応したあとに、僕は「これ今やる必要ある?」「明日でも良くないか」と言ったが、彼は決まって「部長がいつでも何でも自由に、と言ってくれたから相談しているのです」と答えた。

いつでもは言っていないが彼の中ではそのように変化しているのだから、後の祭り。「部長がいつでも何でも自由に」「部長がいつでも何でも自由に」「部長がいつでも何でも自由に」彼は繰り返した。自信をもって繰り返されると、きっつ…もういい…勘弁して…となってしまう。

当該若手社員の言動に、僕はロールプレイングゲームに出てくる名もなき村民を重ねていた。町の入口に立って「ここはホニャララの村だよ」というアイツ。一度話をきけばいいだけの存在。だがその存在感のなさゆえ、忘れてしまい、モンスターと戦って命からがら逃げてきたときに、ふと、「こいつ何てしゃべったっけ?」と気になって前に立ち話かけてしまう。

すると「ここはホニャララの村だよ」という極めて薄い情報提供をしてくれる。若手社員は、否、人は誰でも、ときどき頭を使わずに、ぼーっ! としていると、この村民になってしまう。相手の話を聞くのではなく、自分の話をしたい、自分の言いたいことを言いたいだけになっている。

勇者は村民を相手にするか?

僕らは自分の人生においては主人公であり、勇者なのだ。勇者が間違って話かけてしまった村民に「ここはホニャララの村だよ」と何千何万回言われてもキレたりするだろうか。キレない。「オッケー、何回も話かけてしまった俺がまちがっていたよ」とメッセージを飛ばすボタンを押して軽くスルーするのが世界を救う勇者である。

僕らも仕事上のコミュニケーションにおいて、相手がティーピーオーをわきまえない、あるいは、自分の言いたいことを言いたいだけであっても、人生というロールプレイングの主人公になりきり、「自分にはもっと大きな目的がありますから」と余裕をもってスルーしてやりすごそう。

もっとも現実は、ゲームのようにメッセージを飛ばすボタンがないので、それなりの忍耐力が求められる。その忍耐を楽しめるようになれれば、僕らはホンモノの勇者になって、大きなことを成し遂げられるような気がするのだ。

執筆

フミコ・フミオ

大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。 食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。 現在は、はてなブログEverything you’ve ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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