新型コロナの影響で仕事が無くなり、家賃が払えず東京を離れたけど、ワクワクもしている

こんにちは、アンドロイドのお姉さんです。

緊急事態宣言の解除を受けても相変わらず家にいる毎日を過ごしています。そんな日々の中で大きな変化と言えば引っ越しをしました。

東京で一人暮らしをしていましたが、少し前から実家の大阪に戻ってきています。

感染拡大を防ぐべく、各自治体が県間移動の自粛を呼びかけている中、引っ越しをした私の行動は非常識だと思われるかもしれませんが、やむを得ない事情があります。

 

一カ月先の家賃が払えなくなりました。

 

私が住んでいた世田谷区三軒茶屋のマンションの家賃は毎月ちゃんと働かないと払えない金額で、3月の初旬から仕事のスケジュールが真っ白になった私にとって、生活の一番の負担になっていました。

それに加えて、すべてがリモートワークに切り替わり、私の仕事は思ったよりも人と会わなくても成り立つものが多かったのだという気付きもありました。(打ち合わせはビデオ通話で行っていますし、撮影衣装のフィッティングなども自宅に郵送してもらい着用動画をシェアして感想を言いあったり、この前はオンラインオーディションにも参加しました。)

いつ頃収束するかわからないコロナウイルス、収束したとしても今までのような働き方から変化せざるを得ない社会のなかで、不安と負担を抱えながら東京にいることの意味はもうないのかなと思っての決断でした。

東京

東京の思い出


東京を離れる決心をしてから東京での思い出を書き記したくなりました。4年間住んだ東京という街。たった4年じゃ到底わかり得なかった東京。

 

「大阪の人は東京が嫌い」

 

という偏見があるかもしれませんが、少なくとも私にとっては大好きな街でした。

モデルという仕事に憧れて、東京という街に憧れて上京しました。

私の地元大阪も都会なので、今は東京にしかないものなんてないと思えますが、当時は行けば世界が変わるとさえ思っていました。夢を純粋に追いかけられたのは、あのころの若さゆえだと思います。

大阪から上京したての春、新居に選んだのは「府中」でした。

府中コンプレックス

府中コンプレックス


京王線の府中駅は訪れるたびに再開発の工事が進んでいて、降り立つと思ったより都会な印象を受けるかもしれませんが、当時私が住んでいたのは府中駅の2つ手前、最寄りの駅の前にブルーベリー園があって、大きな霊園が近くにあるような所でした。

新宿まで特急で25分で行けると説明され「まぁいいか」と契約したけれど最寄り駅には各停しか止まらず、乗り換えを含め40分くらいかかるという詐欺のような手口にまんまとのせられて決めた物件で、「夢見た東京生活とは違うじゃないか」という気持ちを抱えてスタートした東京での生活でした。

事務所に行ったり、オーディションに行ったり、バイトだったりで基本的に都心で活動していた私にとって通勤の40分は長く、23区外は東京じゃないように思えて府中に住んでいることがコンプレックスになり、一度しか会わないだろうという人には

 

「世田谷区の千歳烏山あたりに住んでます」

 

と京王線23区内の地名をだして微妙すぎる見栄を張って住居詐称をしたこともありました。

当時、芸能界で日の目を浴びたいと思いながらも何もなかった私ががむしゃらに頑張れていたのは「仕事がうまくいって、まとまったお金が入ったら都内に引っ越そう」という野心をもっていたからです。

そんなこんなで府中に住んで2年がたち、思いがけなく舞い込んだチャンスのおかげで名指しで仕事を頂けるくらいの何者かになれた頃、契約更新の時期が来ました。

「次は念願の都心に住むぞ」と物件探しをすると東京都心の家賃の高さを目の当たりにして狼狽しました。そんなに23区内の壁は厚かったのかと、コンプレックスに思っていた府中暮らしもお金に困らず豊かに暮らせたという長所があったのかとここで大いに反省することになりました。

 

最寄り駅の前のブルーベリー園

(最寄り駅の前のブルーベリー園)

極狭ワンルームの三軒茶屋

憧れの都内


次に住もうと決めた物件は憧れの都内、しかも高級住宅街のイメージが強い世田谷。渋谷まで電車で2駅とアクセスがよく、業界人が多く住んでいる三軒茶屋でした。

モデルは恵比寿や中目黒のおしゃれなマンションに住んでいるという勝手な偏見があって、例に漏れず私も検討したのですがやはり金銭的に厳しくて、「ここならなんとか住めるな」という家賃のラインとモデルをやっているというプライドの間で一致したのが三軒茶屋。

都会並みに買い物や食事は充実しているのに、下町の雰囲気も持ち合わせているところも決め手でした。

駅近の新築物件だったと言えば聞こえは良いですが私が住んでいたのはワンルーム5,5畳の狭小物件。

もともとそんなに物に執着がなく、引っ越しを機にごっそり処分したので部屋に物が溢れることはなかったですが、絶対に物を増やせないから必然的にミニマリストな思考になりました。

新しい物を購入するには何かを捨てなければならない、一見すると無駄を省く効率的な方法に感じますが、仕事で使う衣装などが幅を利かすクローゼットの端に追いやられシワになった私服を見るたびにため息がでました。

モデルとしてのプライドで選んだ部屋でモデルの象徴ともいえる服が全然収納できないのは悲痛でした。

三軒茶屋には飲み屋がたくさんあって飲んべぇから羨ましがられる街でしたが、私の性格上、駅を降りたら速足ですぐに帰りたくなってしまうので、2年住んでいて三軒茶屋で飲んだのは数えるほどでした。帰路の途中で酔いつぶれ吐瀉物にまみれ介抱されている人を見たことは数えきれないくらいあって、そのたびにここは三軒茶屋だったと思い出すレベル。

部屋に満足はしていなかったけれど街は好きで、この街にいるのが自分にとって自然なことだったので、いつでも行こうと思えば行けると思って街に繰り出さなかった事が今になればもったいなかったように思います。

住んでいた極狭ワンルーム

(住んでいた極狭ワンルーム)

悔しい気持ち

府中に住んでいた時も三軒茶屋に住んでいた時も、布団の天日干しもできないような低層階に住んで日の目を見ない生活でした。上京してから4年がたっていい大人になった今でさえ家賃が払えなくなったと恥ずかしくなる告白をしてしまうくらいです。

いつか住んでみたいと思っていたペット可の代官山の高層マンションを下から眺めるだけで20代半ばになってしまいました。

でもこの思いがあるからこそ、いまだに東京に憧れていて恋焦がれてしまうのです。がむしゃらに頑張れていたのは、きっと東京という街が憧れと夢を見つづけさせてくれたからです。

これから

「東京から離れる時は夢破れた時だ、戻ることがあれば地元で就職する」

と親に誓った約束を思い出さないように、荷作りをしてそっと東京を離れました。

東京から離れるのが逃げだと思っていた頃もありましたが、時代も変わるし自分自身の価値観も変わっていきます。東京じゃなくてもどこにいても求められているうちは頑張っていきたいと思っています。

しばらく大阪と東京を行ったり来たりの生活をしますが、次東京に行く時にはどんな気持ちでスーツケースを転がしながら行くのか、東京はどんな表情を見せてくれるのか少しワクワクしている自分がいます。

 

 

sakumaga.sakura.ad.jp

sakumaga.sakura.ad.jp