我々は限界を越えていかなければならない。その先に今までの自分では知りえなかった新たなる世界が広がっているのだ。多くの文章は「。」で終わる。その「。」の先には何があるのだろう。それを我々は探していかなければならない。
私は数年前にフルマラソンを走った。部活というものが発生する中学生から私は帰宅部一筋だった。朝、学校に行くとグランドでは野球部が朝練をしていることもあったし、居残りで下校時間が遅くなり、下駄箱で靴を履き替え外に出ると、夕焼け空の下でサッカー部が走っていることもあった。
「元気だな」と私は思う。帰宅部は走る必要がないのだ。なぜ走るのだろう、とすら思った。マラソンなんて意味がわからない最たるものだ。約42キロ先に行くのに己の足を使う。電車に乗ればいいじゃないか、車に乗ればいいじゃないかと思う。人は走りたくないから、電車や車を作り出したのだ。つまり、マラソンは文明への冒涜だとすら思っていた。
よって、走るのは500メートルが限界と自分で決めていた。500メートルだってできれば避けたい。ただ冒頭の話に戻る。限界を越えていかなければならない。そう思い、私はフルマラソンを走ったのだ。5時間半というなんとも平凡なタイムだったけれど、限界の先に行くとどうなるのかを知れた気がした。
人生とは挑戦! タイで超える限界
海外に行った際にも、ある程度の限界を超えたいという気持ちがある。安全第一で旅をするけれど、ちょっとした限界は超えたい。それが旅の醍醐味でもある。ガイドブックに載っている場所だけではなく、自分で開拓するイメージだ。ガイドブックの限界をも超えるのだ。
そこで私はガイドブックにない場所で食事をした。ほぼほぼガイドブックにない場所でいつも食事をしている。そっちの方が安いからというのもあるし、限界を超えたいという思いからだ。基本的には何を食べても美味しい。
海外での食事は注意すべきことが多い。まず衛生的に日本とは違う。それは良い悪いではなく、日本とは違うという点が大きい。次に香辛料。これも日本とは違うので、合わない人はすぐにお腹を壊す。生野菜も気をつけた方がいい。水が違うから。アイスコーヒーを頼んだ時は、氷が溶ける前に飲み干すほうがいいだろう。
そのようなことは百も承知なのだけれど、油断というか、限界を超えたいということで、だんだんといろいろな食事に挑戦してしまう。せっかく海外に来たのに、現地の人が食べているものを食べないというのはもったいない、という気持ちで限界を超えるのだ。
限界を超えた。見事に超えた。自分の限界を超えた結果、上記の写真のようになったのだ。限界を超えた先が必ずしもハッピーとは限らない。ただ知らない世界はあった。これが初めての海外での病気だった。今まで知らなかった海外の病院という世界。
まず食事をしたのが昼頃だった。その1時間後から体がどうもおかしいと感じ始める。歩けないわけではないし、話せないわけでもない。たぶん周りから見ると少し口数は少ないが普通と思うだろう。ただ自分では違う。赤い実はじけた、と言えばいいのか、恋かな? みたいな感じだ。
その症状はやがて強くなり、動けなくなってきて、立っていられなくなる。恋じゃないな、と確信した。現地で恋に落ちるのはロマンチックでありだと思ったけれど、恋に落ちる対象はいないし、今の状況から察するに病気だとわかった。やがて下痢と嘔吐を5分おきに繰り返し、ベッドの段差すら無理になる。
脱水症状なのは自分でもわかるので、スポーツドリンク的なものを飲むのだけれど、全部吐いてしまう。限界なのだ。体の限界を超えている。ここで登場するのが保険だ。私は海外に行く時に保険に入る。それが発揮されるわけだ。
保険なしで海外で病院に行くとすごい金額を請求されることになる。ただ私は保険に入っているから大丈夫。保険会社に電話をすると近くの病院を予約してくれて、その病院に行くタクシー代もあとで保険会社に請求できる。
病院代も多くの場合は払う必要がない。病院から直接保険会社に請求が行くのだ。お財布の限界は超えたくないので嬉しい。そんなにお金を持っていないのだ。
私が訪れたタイの病院はとても立派だった。日本語を話せる通訳さんがいて、私が問診を受ける時もたえず隣にいてくれる。なんなら先生より先に食あたりですね、と言っていた気がする。私のような患者を見慣れているのだ。
限界を超えた先が必ず幸せとは限らない。冒頭で限界を超えなければという話を書いたけれど、限界の先がなんなのかは誰もわからない。こういう場合もあるのだ。限界を超えた結果がこれなのだ。
もちろん限界の先に幸せがある場合がある。さくらの専用サーバがそれだ。レンタルサーバなどで自分のやりたいことの限界にたどり着いた場合は、「さくらの専用サーバ」を使えばいいのだ。サーバを1台占有でき自由にカスタマイズできる。新しい世界が広がるのだ。
限界はまだある
限界の先は病院のベッドだった。ただ保険のおかげでどうにか生き延びることができた。点滴を打って、なんやかんやで5キロ痩せたし、完調に戻るのに2週間かかったけれど、助かった。限界を超えるのには保険が大切だ。
タイで病院に行った数年後、今度はメキシコで病院に行った。ここでもあっさり限界のその先を知った。今度は寄生虫だ。ある意味、食あたりで限界を感じたらダメなのだ。私はまだいける。その結果が寄生虫だった。死ぬと思ったけどね。
この時も保険のおかげでどうにか命をつなぐことができた。食あたりで限界を感じていたけど、寄生虫も行けちゃうのだ。食あたりの先にあるのが寄生虫。その証拠に完調に戻るのに1カ月かかったし、体重も8キロ減った。でも、生きている。そういうことなのだ。
つまりこの記事で言いたいのは、限界を越えようと思った時は保険があったほうがいいし、なんなら限界を超えないほうがいいということだ。最初と言っていることが180度変わってしまった。
限界なんて超えなくていい。下手すると死ぬから。おとなしくしているのがいいのだ。マラソンの時もそうだった。キツくて死ぬかと思ったもん。限界を超えるのではなく、限界のちょい手前まで頑張るという方針をお勧めしたい。限界を超えるといつもベッドの上なのだ。