いつだったか、冬の寒い時期に東北に撮影に行ったことがあった。空は黒に近い灰色で、今にも雨や雪が降りそうな雰囲気。冷たい風は私の耳を奪う勢いで吹いていた。車を走らせ、目的の場所に着くと私は驚愕することになる。白波が立つ日本海が見える場所だったと記憶している。そこで私は驚愕したのだ。
撮影しようと思っていた場所が封鎖されていたのだ。「冬季通行止」と看板が掲げられている。現地に行って初めて知ったのだ、冬は通れないと。煩わしいほど鳴っていた冷たい風の音が消えた。私は言葉を失ったし、風も音をなくした。もちろん風が止まったわけではなく、通行止という文字に私の全機能が止まったのだ。
このお話の教訓は「聞けばいいのに」ということだ。事前に一言、その街の役場に電話をして、「冬季通行止みたいなことないですか?」と聞けばいいのだ。でも、当たり前のように行けばあると思っていたので、聞くことはなかった。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言うけれど、まさにそれ。一言聞けばよかった。
ニホンオオカミの話
今回はイギリスに行った話なのだけれど、まずはニホンオオカミの話から始まる。
かつて日本にはニホンオオカミが棲んでいた。本州、四国、九州、全てにニホンオオカミはいた。北海道にはニホンオオカミはいなかったけれど、エゾオオカミがいた。ニホンオオカミは約10万年前に朝鮮半島から日本にやってきて、エゾオオカミは比べるともっと近い時代にサハリン経由で北海道にやってきた。
本州には「ニホンジカ」が、北海道には「エゾシカ」が生息している。これはニホンオオカミとエゾオオカミの関係性とは異なる。エゾシカはニホンジカの亜種である。一方で、ニホンオオカミとエゾオオカミは別亜種となる。
日本にやってきた経路が異なることからもわかるように、別のものなのだ。もっともエゾシカやエゾオオカミは、本州に棲む「ニホンジカ」や「ニホンオオカミ」より大きい。これは寒い地域ほど体が大きくなるからだ。
ニホンオオカミもエゾオオカミも共に絶滅している。ニホンオオカミの最後の捕獲は1905年、エゾオオカミは1896年に北海道・函館の毛皮商がオオカミの毛皮を輸出したという記録を最後に途絶えている。この記事では基本的にニホンオオカミについて記述する。
1905年を最後にニホンオオカミの捕獲記録は途絶えるのだけれど、その後もいくつかの情報は流れる。その1つが、1907年末から1908年正月に大台ヶ原で捕獲されたというものだ。ただこれはその後、このニュースを伝える雑誌に掲載された写真がロシア産のオオカミだったらしく、否定されている。
1911年には福井城址内でオオカミが射殺されている。これもニホンオオカミではと思われたが、巡回動物園から逃げ出したチョウセンオオカミということになった。その後も、いろいろなところでニホンオオカミは目撃される。2000年には九州でのニホンオオカミの目撃情報が新聞に取り上げられ話題になった。一頭のニホンオオカミと思われる写真が掲載されたのだ。
この目撃情報にはいろいろな意見があり、もちろんニホンオオカミだという話もあった。一方で、オオカミの生態として、群れで行動する動物なのに一頭だけで行動していたことや、鹿が増えている現状を考えるともし今も生存するなら、もっといなければおかしいことなどの意見があり、私はむしろそっちに納得した。ニホンオオカミは大好きだけれど、ぜひ生で見たいけれど、たぶんニホンオオカミではないという意見に納得したのだ。
結論として、ニホンオオカミは絶滅したということになる。では、なぜ絶滅したのだろうか。いろいろな理由からだとは思う。江戸時代には南部藩がオオカミの被害が続いたことで賞金をつけた。明治時代になり一般にも狩猟が解禁されると産業が乏しい農村ではいろいろな動物が狩られた。オオカミには賞金がついていた。乱獲があっただろうと想像する。
またジステンバーという感染症も流行った。海外から狩猟に使う犬(ポインター)などが輸入され、その猟犬がジステンバーを持っていたと思われる。その影響で1897年頃から三重県や奈良県のニホンオオカミの間で伝染病が蔓延したことが語り継がれているそうだ。いろんな理由が重なり、絶滅したのだ。
では、絶滅したニホンオオカミを、今を生きる我々は見ることができないのか、と言われると形を変えて見ることができる。先ほどから、オオカミの狛犬の写真があったと思う。狛犬は、普通はオオカミではないのだけれど、オオカミの狛犬というものが存在するのだ。
狼信仰である。オオカミは神様でもあるのだ。日本書紀(720年)によれば、秦一族は稲荷信仰と同じように狼信仰をしていたとある。狼信仰は山岳信仰の一つ。山岳信仰とは簡単に言えば、山を神とするもの。山は天を支えるものという考えや、川の始まりが山なので日本の農業文化を支えることなどが、山岳信仰の始まりだろう。
そこに狼信仰も含まれる。山の環境を整えるもの(益獣)であり、神の使いがオオカミだった。ミサキ信仰というものがあり、神様が現れる先触として動物が現れる。また神様は帰ってしまうが、現れた動物を祀ることで、ずっと神様を近くに置いておける。これがミサキ信仰で狼信仰もそういうものだったのではないかと思う。稲荷神社のキツネもそういうことだ。
つまりオオカミは祀られており、数は普通の狛犬に比べれば少ないけれど、先の写真のように狛犬になっており、我々は現代でもオオカミを見ることができるわけだ。その多くは腹の部分がボンレスハムのようになっており、私はそこが好きだ。
関東で狼信仰が有名なのは埼玉の三峯神社や、東京の武蔵御嶽神社。江戸時代には多くの講が組織された。火防や盗賊除けのご利益があると考えられた。他にも病魔を除け、健康・長寿の神であり、旅行の安全の神にもなっている。いろんなご利益があるのがオオカミなのだ。大きな神と書いて「大神(オオカミ)」。彼の器は大きいのだ。
オオカミが祀られた神社の護符はカッコいい。東京の古い家に行くと大昔の護符がまだ貼られていたり、資料館のような場所に展示されていたりする。昔から、間違いなく狼信仰があったことを裏付けている。疑う必要もないけどね。
ニホンオオカミの剥製
ニホンオオカミを見る方法は狛犬だけではない。わずかだけれど、剥製があるのだ。世界の5つ。そのうちの3つがジャパンにある。和歌山県立自然博物館にある奈良で捕獲されたもの、東京大学にある岩手県で捕獲されたもの、そして、国立科学博物館にある福島で捕獲されたものだ。
常設展示されているのは、国立科学博物館にある福島で捕獲されたものだけだ。明治の始め頃に捕獲されたメスで、大きさは中型犬ほど。私は専門家ではないが、剥製の出来としてはあまりよくないと思っている。
当時の技術的なこともあるだろうが、あんまりだな、という感想を持つ。ただ常設展示なのは嬉しい。もう我々が見ることのできない、ニホンオオカミを見ることができるのだから。
現存する剥製の数はいろいろな数え方があるようだ。4つと書いているサイトもあれば、6体と書いているところもある。本剥製と仮剥製があって、本剥製は世界で4つということになると思う。私は5つと数えているが、そこは好みでいいと思う。
本剥製の4つは日本の3つ、そしてもう1つがオランダのライデン国立民族学博物館にあるものだ。これはシーボルトがオランダに運んだもの。生後5カ月ほどのメスで、おそらく大阪で買ったものだと思われる。
シーボルトはすごい。彼は1823年に来日して、今ではなかなか見ることのできないニホンザリガニもライデン国立民族学博物館に送っているし、絶滅しているニホンカワウソについても記述している。
当時の人々には普通のことだけれど、今思えば珍しいものたちを見ているわけだ。羨ましいなと思う。私はニホンザリガニやニホンカワウソも好きなのだ。その好きの中にニホンオオカミもあるということ。だから、こんなに長々と書いている。そして、まだ続くのだ。
そして、最後の1体がイギリスのロンドン自然史博物館にある。これは結果から言えば仮剥製なので、4つと数える人はこれを入れていないのだと思う。ただこのロンドン自然史博物館にあるニホンオオカミこそが最後のニホンオオカミなのだ。
先に最後の捕獲が1905年と書いたけれど、まさにそれである。1905年1月23日に奈良県の小川村(現在は東吉野村)鷲家口で、ロンドン動物学会から日本に派遣された鳥獣標本採集家「マルコム・アンダーソン」が買ったものだ。
猟師がこのオオカミを持って来て、いろいろなやりとりがあった末にアンダーソンは購入した。オスのまだ成熟していない個体のものだ。ということは、オオカミは群れで行動するので、捕獲の情報は1905年が最後だけれど、その後もしばらくはニホンオオカミは生きていたと考えられる。
ただこの頃ですでにニホンオオカミは大変珍しくなっていた。しかし、これが最後のニホンオオカミとなるとは、その時は誰も考えなかっただろう。
さて、私はこのニホンオオカミを見たいと、ロンドンに行った。国立科学博物館でニホンオオカミの剥製は見ていたけれど、最後のと言われるとより見たくなる。オンラインショップで何かを購入する時も「残り1点です」と書かれていると、買うか否かの熟考がなく、「買う」となる。それと一緒で、最後のニホンオオカミはぜひ見たいと思い、ロンドンまで行ったわけだ。
ロンドン自然史博物館は広かった。私がこのようなものが好きだからというのもあるが、ずっと見ていられる。日本では見ることが難しい動物の剥製もある。カモノハシは私がいつか見たい動物の1つなのだけれど、当たり前のように剥製として展示してあった。
ドードーもいた。もっともこれは復元されたものだ。ドードーはすでに絶滅しており、唯一の剥製も1775年に焼却処分されている。復元とはいえ、見ることができるのは嬉しい。愛らしい姿ではないか。
ニホンオオカミと同じように、最後の1匹が捕獲され剥製になり、それが最後の個体となったオオウミガラスも展示してあった。これが最後の個体かどうかは知らないけれど、今では見ることができない動物だ。
もともとはオオウミガラスがペンギンと呼ばれていた。やがて絶滅したので、今のペンギンが単にペンギンと呼ばれるようになる。彼らの絶滅は乱獲が原因だろう。今のペンギンと同じように空を飛ぶことはできなかった。
これはニホンオオカミではない。エチオピアオオカミで、和名は「アビシニアジャッカル」だそうだ。彼らもまた、狂犬病・ジステンパーで数を減らしている。ニホンオオカミと同じだ。まだ書いていなかったけれど、ニホンオオカミも狂犬病と関係がある。
日本に狂犬病が入ってきたのは1732年のことで、その後、伝染病にかかったニホンオオカミが人を襲い、狂犬病を発病して噛まれた人々は死んでいった。病い狼と呼んだそうだ。
さて、ここから冒頭の話に戻る。
ロンドン自然史博物館に興奮して100枚以上の写真を撮ったけれど、その写真を全てここに載せても、永遠にニホンオオカミの剥製は出てこない。厳密には仮剥製だけれど。
今更の説明だけれど、義眼を入れたりして、先の写真のように展示されているものを「本剥製」と言い、必要最低限の損充材を詰めたりして、長四角形に形を整えたものを「仮標本」という。研究所や博物館などの標本のほとんどが実は仮剥製。製作時間も本剥製と比べると短時間で済むし、標本としては、仮剥製で十分だからだ。
本剥製にしろ、仮剥製にしろ、ロンドン自然史博物館のニホンオオカミの剥製は、この記事には出てこない。
それはなぜか?
そうです、一般展示されていないからです。展示されていないのだ。ロンドン自然史博物館は7000万点以上もの収蔵品があるそうだ。全部を展示することは無理。つまり、ニホンオオカミはあるけれど、展示はされていないのだ。
イギリスまで行ったけれど、見られないのだ。だって展示されていないから。学術的な理由があって、取材を申し込めば見ることはできるだろう。というか、できるのだ。そういう本を後になって読んだから。でも、私の場合は趣味なので、申し込んだところで無理だろう。つまりロンドン自然史博物館に行っても無駄なのだ。
方法はあった。聞けばよかったのだ。「ニホンオオカミって見ることできますか?」って。英語なので電話は無理にしても、メールを打てば「見ることはできません」的な答えをもらえたかもしれない。ロンドンまで行って、現地に行って、「見ることができない」とわかる驚愕。膝から崩れ落ちた。事前に聞けば、それは回避できた。
詳しい人に聞く手もあった。私は東京農業大学で非常勤講師をさせてもらっている。詳しい人はいくらでもいたはずだ。一言、「ロンドン自然史博物館でニホンオオカミって見ることができるんですよね?」と聞けば、「一般公開はされていないよ」と教えてくれる先生は、今思えばいくらでもいた。
でも、彼は、私だけど聞かなかったの。行けば見ることができると思い込んでいたのだ。思い込みは怖い。一言、誰かに聞けばいいのに。つまり、今回の記事で言いたいのは、一言聞くことは大切ということだ。この記事に学びがあるとすれば、ニホンオオカミについてではない。それは「一言聞く大切さ」なのだ。 ロンドン自然史博物館は楽しかったけれど、ニホンオオカミが見られなくて、血の気が引いたのを覚えている。
さくらインターネットでは、「まりながサポートします!」と言ってくれている。ここで気になることを、一言聞けば、サーバのことなどが、全てわかる。なんて便利なのだろう。聞けるのだ。教えてくれるのだ。これで驚愕しなくて済む。ロンドンでの体験があるので、私は本当に素晴らしいサービスだと思う。まりなではなく、まりな様と呼びたい。
(※現在まりなのチャットサポートは終了しております。各種お問い合わせ方法につきましては、こちらのページをご確認ください。)
参考文献
- 「絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学」ブレット・ウォーカー 北海道大学出版会 2009
- 「ニホンオオカミの最後 狼酒・狼狩り・狼祭りの発見」遠藤公男 山と溪谷社 2018
- 「日本野生動物記」小原秀雄 中央公論新社 1972
- 「オオカミは大神 狼像をめぐる旅」青柳健二 天夢人 2019