こんにちは、いつもコラムを読んでいただきありがとうございます。かもめんたるの岩崎う大です。
私は、お笑い芸人であり、役者で、脚本家で、演出家、漫画家であるということからこちらでパラレルワーカーとしてコラムを書かせていただいております。
早いものでこちらのコラムも5回目を迎えました。毎度、様々な職業の方に興味深く読んでいただけるものを書けたらいいなあと文章をしたためているわけですが、毎回何を書こうかと悩みます。正直なことを申しますが、毎度書き始めるまで腰が重いです。
重い腰をどう動かすか
今日は、まずは、この重い腰をどうやって動かし仕事を始めていくかをテーマに考えていきたいと思います。私は劇団活動をしているのですが、毎回私が脚本を書きます。この脚本を書くという作業は本当に本当に面倒です。
ゼロの状態から100分のお話しを登場人物10人ぐらい出して完成させるのって相当面倒くさいんですよね。
まず、なんとなくの話のテーマを決めたら登場人物の名前を考えていきます。名前一つにも頭を捻ります。この段階で一旦冷静になると、「名前だけでこんな時間掛かって一体この先どうなるんだよ?」と、本当に白目を剥いて卒倒しそうになります。この瞬間に腰がぐぐっと重くなります。
重い腰を軽くする考え方
では、どうやってこの時に腰を軽くするかというと、「考え方」なんです。この時私が思うようにしているのは、「この名前の決定権を握れてるってすごくない?」という考え方です。
「世界でこの物語の登場人物の名前の決定権を持ってるのって、俺だけじゃん!トランプ大統領にも決められないからね!」と思うんです。そうすると、この登場人物の名前付けにもすごくやりがいが出てきます。
すごくピンポイントな例を出しましたが、劇団の公演全体に対しても考え方一つなんです。悪いほうに考えると、「全部自分で考えてお話しを作るって、、、つらすぎるよ!」と投げ出したくなります。
でも、良いほうに考えると「こんな風に色んな人が関わる話を自分が一から作っていいんだ? マジで? いいの? 俺が書いちゃって? やったー! ラッキー!」って思えるんです。
これは何も創作活動の世界だけの話ではないと思います。例えばイベントでお弁当を発注する役割だった場合、悪いほうに考えると「ちょっと待ってよ、人の好みなんてそれぞれなのに、俺の裁量でどのお弁当にするか判断するなんて、荷が重すぎるよ!」となってしまったら、それはそれはつらい作業だと思います。
でも、そこで「このイベントのお弁当俺が決めちゃっていいんだ? 俺が決めたものをみんなが食べるわけ? よっしゃ! ここは俺のセンスでみんなをひれ伏させちゃいましょ! この予算で最大の満足度…ちくわの天ぷら入ってるやつしかないっしょ!」ってなるわけです。
他の人がやっていないことをやる
私が、創作の際に特にエネルギーが停滞してる時、例えば脚本で「物語が行き詰まり始めてるな」と思ったときは「せっかく俺がやってるんだから! 何か他の人がやってないことを!」という気持ちでやるようにします。すると、大抵何かワクワクするようなアイデアが浮かんできます。
具体例を出しますと、私が出した「マイデリケートゾーン」という漫画の執筆中の話なのですが、ある時ストーリー展開に追われ、肝心なギャグの部分があまり入れられなくなったことがありました。気持ちは停滞していました。
「せっかくの自分の漫画なのに…なんだか不自由だ」と思った私は、登場人物の一人に、ある粗暴なキャラクターに対し「こういうヤツは調子に乗らせると凍らせた一本グソをしゃぶらせてくるぞ」と言わせるシーンを作りました。
物語上はなくても成立するシーンです。そのシーンではその粗暴なキャラクターが「凍らせた一本グソってなんですか?」と正論を返して終わるんですが、未だかつてギャグ漫画の中に「凍らせた一本グソ」という言葉を出した人間などいないだろうと大変な満足感を得ました。
その瞬間はもはや仕事であって仕事ではありませんでした。漫画界に自分の旗を立てたような満足感にうちひしがれました。
そしてその満足感はそのまま自分の背中を押すエネルギーとなって、後半その粗暴なキャラクターが「さっきはしらばっくれたけど、俺実は凍らせた一本グソ持ってんだよね」と言って、キンキンに凍らせた一本グソを凶器のように掲げるというシーンができあがりました。
キンキンに凍らせた一本グソを下書きして清書してるとき、私は心の中で「世界は俺のものだ!」っと叫んでおりました。描き始めるまで重かった腰に羽が生えて飛んでいってしまいそうでした。
NHKラジオ番組のコント台本の話
ふと、今一本の締め切りの近い仕事を思い出しました。締め切りの近い仕事を思い出して気持ちが沈まない人はいないと思います。詳しく話しましょう。その仕事はNHKラジオでやっている「東京03の好きにさせるかっ!」というラジオ番組のコントの台本書きです。
この番組では東京03のお三方がゲストの俳優さんや、声優さんや、芸人さんと約10分のコントを繰り広げます。東京03さんは、私の芸人としての大先輩でコントのスペシャリスト、さらにゲストは毎回著名な方ばかり、そこへのコントの台本提供、とてもプレッシャーの大きい仕事です。プレッシャーは腰を重くさせます。
というか、プレッシャーは思考を停止させてきます。何をやっても無駄なんじゃないか…下手するとそういう考えに流されて前に進めません。
私は、この仕事に関しては自分の腰を軽くする方法を完全にマスターしております。簡単です。「大好きな東京03さんに自分が書いたコントやってもらえるの? ラッキー! あの3人を自由に使っていいんだ!! こんな権利プライスレスじゃん!!」とウハウハの腰軽(こしがる*造語)状態まで自分を鼓舞してから台本を書き始めます。
もちろん、最近は慣れてきたのでいちいちそこまでしていませんが、今書いていても実際テンション上がってきたので効能に間違いはありません。
実は、このコラムを書いている際も一旦、気持ちが落ちかけました。そこでせっかく自分が書いてるコラムなんだから自由に書こうと思って「凍らせた一本グソ」のエピソードを盛り込みました。
自由の翼を広げよう
今回のコラムの書き始めは、もうちょっと文化人ぽい上品なコラムを…と思っていましたが、どうも気持ちが停滞し、このままじゃ上辺だけのコラムになってしまう、そう思って、「凍らせた一本グソ」の話を書いたところ、また気持ちが盛り上がってきました。
私は何も万人に「排泄物の状態を表現して自分のモチベーションを上げろ!」と言いたいわけではありません。
結局のところ、人間が自分のモチベーションが上がるのって、制限の中に自由を見つけたときなのではないかなと思います。制限の中で囚われて、気持ちが落ちそうになったとき自由の翼をひとたび広げれば、我々は飛ぶことができるのです。
まとめ
そしてこれはやる気だけの話ではありません、作業中気分が落ちてるときはこれはやっている仕事からの危険信号なのです。そのまま進めたら失敗、もしくは及第点ギリギリの仕事しかできないのです。
経験上、自分の気持ちが盛り上がらないまま作ったものが傑作になったことはありません。自分の気持ちが盛り上がってても大失敗することはありますが、気持ちが盛り上がってないのに傑作が生まれることは皆無です。
自分の気持ちを盛り上げながら仕事をするのは、重い腰を軽くするためにもクオリティーのためにも大事なことだと思います。