目の前に大きな葛籠(つづら)と小さな葛籠があったとする。この葛籠の持ち主はどちらかを自分にくれると言っている。すごい笑顔で「どちらかひとつどうぞ」と言っている。大人だから、「いやいや、いただけません」と返すけれど、向こうも「ぜひぜひ、どちらかひとつどうぞ」と譲らない。
「本当にそんなつもりじゃないので」などというやりとりを3回くらいした後に、結局もらうことになって、小さい葛籠か大きい葛籠を選ぶことになる。皆さんならどちらを選ぶだろうか。私は迷わずに「大きな葛籠」を選ぶ。
大きなものに惹かれますよね
昔話を読んでいると、正解は小さな葛籠で、大きい葛籠を選んでよかった試しがない。厄災的なものが大きな葛籠には入っている。しかし、抗うことのできない欲望により「大きな葛籠」を選んでしまう。
自分に正直になろうではないか、小さいか大きいかなら、大きい方がいいに決まっているではないか。昔話の正直じいさん達は酔っ払っていて、大きいと小さいがよくわからず、小さい方をただ偶然選んでいただけな気がしてくる。
だって人は心のどこかで必ず大きいを求めているのだ。スカイツリーが634mではなく、634mmだったらどうだろう。話題になることはなかっただろう。それはもうお土産のサイズだ。大きい背中はわざわざ言うけれど、小さい背中は言わない。大きいことを求めているのだ。
料理でも一緒!
それは料理も一緒ではないだろうか。小さい魚と大きい魚ならば大きい魚がいい。釣りで考えるとよりわかりやすく、小さい魚よりも大きい魚を釣った時の方が自慢したい。肉もそうで、小さい肉より、大きい肉を食べた時の方が自慢したい。
季節になると大きなカボチャの写真がSNSを賑やかし、おばけカボチャの大会まで開かれる。正直になろうではないか、人は大きいを求めているのだ。ぜひ今後は誰もが大きな葛籠を選べる社会になることを願う。
海外に行くと日本では見ないような大きな野菜に出会うことがある。大きいを求める我々にとっては、とても喜ばしいことだ。だって大きいのだ。小さいではなく、大きいのだ。心が躍る。
海外を訪れると市場に行くことを必ずスケジュールに入れている。日本では珍しい食材が並んでいたり、なにより活気があったりで面白いのだ。市場の種類にもよるけれど、野菜、肉、魚、日用品、工芸品などなんでも並んでいることが多い。見ていて楽しいのだ。
別に市場でなくてもスーパーなどでもいい。やはり日本とは並んでいるものが異なるから。今回行ったルーマニアは、野菜がとにかく大きかった。パプリカ、大きい。ナス、デカい。トマト、ビックサイズなど。
大きくても値段が安いのが最高
言葉がわからなくても買える。スマホを電卓の画面にして、見せると値段を教えてくれる。その前に欲しいものを指差していることがポイントだけど。大きいけれど、値段は安いので最高ではないか。
さくらインターネットでは、日本最大規模の大容量・高速通信回線を確保している。大容量、つまり大きいのだ。データセンターも大きく、利用者用のハウジングスペースを確保し、ネットワーク機器、サーバなどの機材を自由に設置することができる。大きいことは素晴らしいのだ。
ナスなんて私の顔より大きい。さくらインターネットのデータセンターと同じなのだ。大きいとなんかいいのだ。さくらインターネットの場合は大きいことにいろいろなメリットがあるけれど、ナスの場合はなんかいい。驚きの後に笑顔になる。
パプリカ、マッシュルーム、パン、トマト、ナス。全部大きい。日本のスーパーでは見ないものたちだ。ルーマニアは基本的に市場にもスーパーにもこれらが並んでいたので、ルーマニアは大きな国なのだと思う。日本と比べるとその大きさがよくわかる。
子供と大人のシャイアー、ポニーと大人のシャイアー、ゴルフボールと大人のシャイアーくらいの差がある。大人のシャイアーが想像できない場合は大人のペルシュロンを想像してもらってもいい。大きさの違いがより鮮明にわかるのではないだろうか。シャイアーもペルシュロンも大きいから。
料理を作る
ルーマニアはホテルもあるのだけれど、安く泊まろうと思うと、アパートタイプのものが多かった。1泊3,000円くらいなので手頃だ。アパートなので、キッチンもあるし、部屋もいくつもあるし、これがホテルだとめちゃくちゃ高いだろうと思う。
アパート全体が宿泊施設というわけではなく、普通に人が住んでいる。その部屋のオーナーが個人的に貸しているだけ。オーナーは別のところに住んでいるので、何日の何時頃に行くので鍵を持ってきて、とお願いする必要があるのが、面倒なところだろうか。ルーマニアではこのスタイルが普通のようで、エクスペディアとか、ブッキングドットコムとかで調べると、めちゃくちゃたくさん出てくる。
野菜も安くて1個数十円とか。季節にもよるだろうけれど安かった。そもそも物価が日本と比べると安い国というのもあるだろう。問題は味だけれど、それは私の腕次第なので頑張る。私の料理は食べ物というより、それを超えた何か、なのだ。芸術寄りだと思って欲しい。二科展とかに出したい。料理系のコンクールには出さない。芸術寄りだから。
食事にはビールも必要だろうとスーパーで「ツボルグ」を買った。デンマークのビールなのだけれど、その安さに驚いた。500ml缶12本で850円。お手本のような二度見をしてしまった。安すぎる。しかも、リュックサックまで付いてくるのだ。
市場の写真で私が背負っているリュックがこのリュックだ。しかもこの「ツボルグ」は、魯山人が「デンマークのビール」というエッセイで絶賛している。魯山人はこのビールをニューヨークのロシア料理店で飲んだらしい。情報量が多い。アメリカのニューヨークでロシア料理を食べてデンマークのビールであるツボルグを飲んだ、ということ。いろいろな国が出てくる。
魯山人は「ツボルグはコクがあり、日本のどのビールよりも美味しいのはもちろん、アメリカやイギリス、デンマークやドイツのビールより美味しい」と言っている。確かに美味しかった。何を飲んでも美味しいと思う私だけれど、魯山人が言っているなら間違いない。
味の方は
そんな話をしている間に料理が完成した。パプリカの肉詰め、ナスとマッシュルームのステーキ(トマトソース)、トマトのサラダ、そしてパンだ。全てが大きいのでサイズ感がわかりにくいと思い、日本に戻り、日本のスーパーで買った食材で同じ料理を作った。
同じお皿を使っているので、大きさがよくわかると思う。まさに柴犬と大人のクライズデール、スマホと大人のクライズデール。大人のクライズデールでは大きさが想像できない場合は、大人のベルジャンで考えても、その大きさの違いがわかると思う。
日本ではあまりこのサイズ感の料理はできない。海外に行ったときこそ味わえるサイズ感だ。味は別に日本と変わらないので、大きさだけの問題だ。でも、安心して欲しい。日本には、ジャパンには、ジャポンには、ストロングゼロがあるから。
ストロングゼロを飲むと、不思議なことに日本の料理も大きく見えてくる。大きく見えるというか、大きさとかどうでもいいじゃん、という風になる。
そうか、昔話の正直じいさん達が小さな葛籠を選んだのは、ストロングゼロを飲んでいたからだ。酔っていて大きさとかどうでもよくなっていたのだ。新たなる発見だった。ストロングゼロは全てを超越するのだ。あるいはあやふやにするのだ。