柿谷曜一朗(セレッソ大阪)「ミスは誰にでもあるしミスをしてはいけない人はいない」

ミスは誰にでもあるしミスをしてはいけない人はいない

日本代表で初出場した選手がミスをして失点した。ハーフタイムにベンチから飛び出した柿谷曜一朗は一目散にその選手に駆け寄り声をかけた。

 

日本代表で初出場した別の選手がパスをミスした。味方はその後10分以上パスを回さない。すると途中出場した柿谷は無理矢理その選手のサイドにボールを動かしパスを出した。

ヤンチャな面が目立つ柿谷だが、その実、人の心を繊細に読む。そんな「さくら」色のチームのエースに、過去の自分を振り返り、現在の夢を語ってもらった。

柿谷曜一朗が語る代表戦

慰めに行ったとか、パスを出したとか、ちゃんとは覚えてないですけどね(笑)。でも今でもそういうシーンがあれば、そういうことやりたい気持ちがありますね。いつも「もし自分自身が反対の立場ならば」という気持ちはあるんで。

もちろん、そういう落ち込んでいる人を蹴落としてでも残っていかなければいけないのが代表チームやから、いろいろ意見があると思うんですよ。「いや、そんなヤツは放っておけ」と言う人もおるやろうし。別に自分が優しいからとか、そういう気持ちは全然なくて。自分も、代表とかじゃなくても、セレッソ大阪に入ってから、ミスしたあと誰にも声かけられなくて辛かったとか、やっぱりあるし。

 

ま、代表チームのチームメイトですから、他に何も考えずにやったと思いますけど。もし逆の立場、もし自分がそうやったら誰かに声かけてもらいたいなぁっていうのがあるから。誰しもそうじゃないかもしれないですけど。あのときは、見るからにアイツのミスで、っていうのがあったから。特に代表でね、初めて出て、みんな見てるところで。

しかも失点になったときの選手って、急に代表に入ったじゃないですか。みんなが「どういうもんやねん」っていうのもあるし、アイツの中でも「オレは代表で出来るのかな」っていろいろあったと思うし。

 

でも、そんなん関係ないしね。別にミスろうが、あそこで吉田麻也がミスるのと何が違うのかって。ミスは誰にでもあるし、ミスしてはいけない人間というのはいないと思うから。それはセレッソ大阪でも一緒ですけどね。

才能があるからこそ失敗できないプレッシャー

僕は「天才キャラ」みたいに言われることもありますけど、逆に、だからこそ「失敗できない」っていうプレッシャーも自分の中であったり。うまくいってないときに、自分でこう……立ち直れない部分というのがあるんですね。

そういうときに人の力であったり、仲間の声であったり、信頼できる人のアドバイスだったりというのが、やっぱりすごく大事で。サッカーって個人スポーツじゃないし。別に自分がいつも声かけるよ、っていうわけじゃなくて、チームの中でそういうことを気にかける選手が1人いてもいいかなと思うし。

 

もちろん人に言う前に自分がやらないといけないけど、そんな漫画みたいな話ってなかなか難しいので。やっぱり自分も助けてもらわなあかんから、味方にも優しくしたいし。もちろん、ただ優しくするだけじゃないけど。

 

16歳でセレッソ大阪とプロ契約

16歳でセレッソ大阪とプロ契約

16歳でセレッソ大阪とプロ契約して、今やったら若い子らがたくさん出てきてるからあんまり騒がれないかもしれないけど、あの当時は森本貴幸さんがいたけど、クラブでは僕ぐらいしかいなくて。もちろん注目はありましたけど、注目されるためにサッカーやってる部分もあったし。ただそれが僕の場合は、その……簡単に言えば調子に乗ってたというか。それまで失敗というのがなかったから。

 

それがプロに入って、自分1人の力でチームを勝たすというのは、正直、ほぼほぼ無理で。リオネル・メッシもルイス・スアレスがおるからあれだけ輝けるし、パスを出す選手がおるから輝けるし。

やっぱり1人だけじゃどうしてもサッカーできないんやけど、そういうことがまったくわからずにプロになったんで。当時はホンマに、自分さえボールを握っていればいいやろっていうプレーヤーで。それに尽きますね。

 

そういうの捨てないとチームとして1年間戦えないというのがあったんですよ。そうじゃないとチームで助け合うことは出来ないし。2009年に徳島へ期限付き移籍で行ったときもそういうのがわかって。もちろん、その中で自分が輝きたいというのは捨てないですけど。

柿谷曜一朗を救った人物

だから1回セレッソ大阪でプロになって徳島に行くまでの4年間にすごいこう……ただ自分が悪いんですけど、そういう人間に……なんと言うんやろ……人間に対する言葉のかけ方って……僕がこう声をかけてほしかったという気持ちってあるじゃないですか。

そんときの気持ちがあるから、たぶん今の若い選手にもそうやし、人に対して「こう思ってるん違うかな」って思って言葉をかけたいというか。もちろんそれが全然違うこともあると思いますけど。

 

サッカー選手って、やっぱり気にするんですよ。1個のミスとかでハマったりするじゃないですか。で、僕も無茶苦茶そのタイプで。それを救ってくれてたのが、今、J2の鹿児島にいる酒本憲幸選手。

 

セレッソって大阪のチームなんで、人のミスをマジに捉えないというか、全部それで笑かしに来るというか。それがすごい、僕、楽で。自分としては「やばい、これは絶望的なミスや」って思ってるとこを、うーん、例えるの難しいですけど……冗談みたいな感じで「お前みたいなうまいヤツでもミスすんねんな、おい」とか。

 

セレッソ大阪の話をしてくれる柿谷選手

 

それがマジな感じじゃなくて。「それやったらオレのほうがあそこでボールもらうの、うまいわ」とかっていう。真剣な口調じゃなくて。で、そういうのが僕にはすごい効いて。でもそれは嫌みじゃなくて、「お前、期待してるから」というか、そういう気持ちで言われてて。「別にミスったって誰もお前を責めへんから、そのかわり次はミスらんようにやれ」っていう、リラックスしてやればできるんやからっていう意味もあったと思うんですよ。

 

僕も今、いつもそういうつもりで周りに言ってて。うーん、そういうところは、このチームで、というか、サケさん(酒本選手)にはホンマに教えられたとこで。そういう人間性の人に出会って「あ、失敗してもいいんや」っていう。とりあえず気にしすぎでしたね。周りからの見られ方というか。自分がその……「アイツはすごい」って、別にプロで何もしてないのに、16歳でプロになったからすごいっていう自分の思い込みと周りの期待に、まったく合ってなくて。

 

まぁチヤホヤというか、そういう状態のまま「周りのこととかチームのこととか、人のことを何も考えず」という感じやったから。もうそれはそれでいいと思うんですけど、何というか、ちょっと厳しいことを言われたらすぐ逃げたり。「なんでわかってくれへんねん」という。それで逃げる。それに対して自分の意見をもう1回言って、相手の意見を飲み込んでから自分の意見を言ってれば、もうちょっと変わったんじゃないかなって思うんですよ。

僕にとっては助かる言葉だった

その当時は遅刻とか結構してたんです。遅刻癖というか。それは社会人としてはありえないじゃないですか、普通で考えたら。でも、それを、それこそサケさんとかは、「お前、気ぃ失ってたんちゃうか? そら間に合わんやろ。そら無理やわ。監督に言ってこい」って。「目覚まし鳴ったけど気付かんかった」ってよう言うじゃないですか。

でも「気付かんかったんじゃなくて、お前は気を失ってるから練習に間に合わん。だから契約書に書いてこい。10回まではセーフって」とかいう感じで言ってくれてて。

 

「遅刻してもうたから周りにどう思われてるやろ」みたいなのがすごく軽くなったんですよ。遅刻ってホンマはよくないというか、あり得ないじゃないですか。でもオレ、そういうの効いて。「やばい、遅刻してもうた」って思ってて、そこで直さなあかんのですよ。もちろん重く思わないといけないし、サケさんが言ってることは絶対正解じゃないと思うんですけど、僕にとってはすごい助かって。

 

でもサケさんも「遅刻していいよ」って言ってるわけじゃなくて、そのときにいつも「次やったらもう知らんで」って、ちゃんと厳しい感じもあるし。そのバランスというのはサケさんだけじゃなくて、そのときに一緒にいた先輩っていうのは見てくれてたから。

 

ただね、当時は正直全然気にしなかったし。やっぱりプレーのところ、つながるって言いがちじゃないですか。「遅刻してるからプレーが良くない」とか「だらけてるからプレーが良くない」とか「気持ちが入ってない」とか。

 

そういうのって関係あると思いがちですけど、自分の中では全然なくて。試合の3時間前から準備して試合に出るのと、10分前まで寝てて試合に出るのと、やっぱり聞こえは「3時間前から準備したからこういうプレーが出来るよね」ってあると思うんですけど、自分の中じゃ全然関係ないんですよ。

柿谷曜一朗「今はお手本にならんといかん」

別にギリギリまで寝てようが、きっちりやればその前のことなんて関係ない。試合でやったことのほうが美談になるんやから。っていう考えなんですよ。でも、今はお手本にならんといかんから、やっぱり10分前まで寝てたとは言われへんし、昔はそういう選手がいたといいますもんね。ブラジル人なんてそんな感じの選手いましたから。

 

苦しかったときの話

柿谷曜一朗「ここ2,3年は苦しかった」 

自分にとって苦しかった頃って……今苦しいですけどね。ここ2年、3年はちょっと。移籍の話とか監督との話とか出たけど、自分は何でセレッソ大阪でサッカーやってるんやろって考えたり、そんなん考えたことなかったのに。ただ好きやからここで優勝したいとか、純粋にその気持ちだけやったのが、やっぱりいろいろ自分でも欲があって。

 

「このチームをまとめ上げたい」だったり「もっといいチームにしたい」とか「もっとこうしたい」と思うけど、思うだけやっぱり選手の間って実行はできへんし。それがプレーで結果を出してるから言えるのかっていうとそれも違うと思うし。

チームメイトの移籍

そういうのがある中で、去年、(山口)蛍とか(杉本)健勇がいなくなって、自分が信用してた仲間が、次のステップ、違うクラブに挑戦しに行って、なんかこう寂しさじゃないけど。

セレッソ大阪としては若い時というか20代前半で抱いてた夢というのが遠のいてるんじゃないかなというのがあって。そういうところの自分への葛藤というのがすごいある中で、もうホンマに苦しい時期はあったんです。

西澤明訓さんに助けられた

けど、それこそサケさんとか、アキ(西澤明訓)さんには本当に助けられてて。アキさんって、あの人だけが僕を甘やかさないんですよ。僕、甘やかしてくれる人が好きなんで、珍しいというか。

 

でもアキさんの言うことだけ、「刺さる」と言ったらちょっと違うけど、なんやろ、たぶん、宗教みたいなところがあるんですよ。自分にとっての人生というか。この人が言ってることは間違いないなって思えるというか。逆らわれへんというか。

もちろんプレーに関することを褒めてはくれますけど、厳しいこと言われることが多いし。

 

人のことを怖いって思わない


僕って基本的に人のことを怖いって思わないんですよ。年上の人であろうが。「この人にこういうこと言ったら気を遣うかな」ってあるじゃないですか。もちろんあるんですけど、あんまりそういうことは思わないんですよ。

誰にでもフラットに懐に入り込みたいんで。それがときには失礼に当たることも多々あったんです。それでもやっぱり自分はそういうタイプというか。年齢に関係なく冗談を言い合えるっていう関係になりたいと思ってるんです。でもアキさんにはいっつも一線を引いてるというか。

 

「お前のプレーに関しては正直何も言うことがない。でもお前、男としての部分、生き方とかそれでいいんか?」って。「ダサいことはするな」っていう、そういう感じで言われたんが今まで無かったし。

アキさんに言われて「確かにオレが今言ってることはダサかった」って思うことってメッチャあって。だから「あ、そうですよね」ってなることがよくあるんですよね。

困ったときに頼る人

なんかホンマに最後困ったときにはいつもアキさんに頼ってるんで。最初らへんでちょっと困ってるときはサケさんに電話して、ふざけて返されてちょっと気が楽になって、1回頑張って。でも、それでも無理なときはアキさんに、っていうのはありますね。

僕、ハマ(濱田武)ちゃんとかもそうですけど、そういう先輩がおらんかったら絶対サッカーやってないし。ホンマに、絶対やってないと思います。

 

徳島ヴォルティスのときも倉貫(一毅)さんとか三木(隆司)さんとか羽地(登志晃)さんとか、僕が20歳ぐらいで30歳ぐらいかな、あの人たちがいなかったらどうなってたやろうって思いますね。

……いなかったら何してたやろ。感謝するところとか尊敬するところは1人ずつ違いますけど、でも1人ひとりすごい勉強になる人が多かったから。スタッフもそうですし。そういった人たちがいなかったら、自分は今サッカーやってなかったやろうなぁって思いますね。

 

やってたとしても、もっと別のカテゴリーやったかもしれないし。いつも思いますね。 あのころは自分1人で生きていけると思ってたから。やっぱり絶対無理やし、人に助けてもらわないと生きていけないというか、それをめちゃくちゃ感じてるんで。

 

チャンピオンズリーグに出るべきや

柿谷曜一朗が語る海外への移籍

2013年の東アジア選手権(現・E-1選手権)で活躍して、2014年ブラジルワールドカップに行って。あそこは苦しかったというか、2014年にセレッソ大阪がJ2に落ちたじゃないですか。

あのときって、2014年にディエゴ・フォルランが来て、異常やったんですよ、フォルランの人気というか。何も変わってないつもりやったんですけど、やっぱり監督も代わったし。

 

僕の正直な意見やけど、フォルランが悪いとかクラブが悪いじゃなくて、フォルランが来たらもう絶対フォルランは試合に出るじゃないですか。セレッソ大阪ってそういうチームじゃないと思ってたんです。

キヨ(清武弘嗣)、香川(真司)、乾(貴士)がおるから、そこらが中心で、そこにもう1人外国籍選手がいてっていうイメージやったんですよ。

 

でもフォルランがいて、もう確立されてる選手で、それに誰がどう合わせるかっていうチームになったんです。そこにはすごい違和感があって。当時のランコ・ポポビッチ監督もすごい頭が痛かったと思うんです。

チャンピオンズリーグに出れるクラブを選んだ

で、そういうのとワールドカップが重なって、海外でやってみたいというのがあって。それに自分が思ってるセレッソ大阪の歩み方というか、見てきたセレッソ大阪じゃないなと思って。で、チャンピオンズリーグに出たいって。それもアキさんが言ってくれて。「やっぱりチャンピオンズリーグに出るべきや」って。

 

話は移籍したバーゼル以外にもう2チームぐらいあったんですけど、そっちはチャンピオンズリーグに出てなかったんで。金額的にもそっちのほうがよかったんですけど、バーゼルにして。

でもどうしても日本のモヤモヤを持ったままバーゼルに行ってたんですよ。すっきりして行ってないんです。言い訳ですけどね。実際うまくいかなかったし。でも向こうの環境に馴染めてきたころにケガもして。

柿谷曜一朗がセレッソ大阪に戻った理由

それでいろいろあったんですけど、J2から上がれないセレッソ大阪を見て、まだこのモヤモヤがあるなら、その気持ちがあるうちに戻ろう、やっぱり自分は帰ろうって。

セレッソ大阪ってこういうクラブやで、っていう先頭に立とうって。 そう思って帰ってきたんですけど、3カ月でまたケガして。しかも初めて手術するような大きなケガして。すごい苦しかったんです。

 

そうした後の、2017年にJ1に上がってからの2年間ですかね、いろいろあった中で、試合にコンスタントに出続けられない状態がずっと続いているから。それが今一番苦しいところです。

 

途中交代されて満足する選手はおらんと思うし、嘘でもいいから監督と握手してニコニコして、とかみんな言うけど、オレはそういうのがめちゃくちゃ嫌いで。「だって嘘やん!」ってなるし、「誰を気にしてプレーしてんの?」って。 自分がいいプレーしてると思ってるのに交代させられて、「なんで『ありがとう』って言わなあかんの?」っていう気持ちがもちろんあるんですよ。

 

これって普通に考えたら、「サブで準備してくれてる選手もおるし、監督が決めることやのに、独りよがりの自分のワガママじゃないの?」って言われることですよね。

だったら交代させられないように結果を出すしかないなって思ってたんです。で、結果を出すことだけ考えてやってたら、それでも交代させられて辛いと。求められてるところがそこじゃなかったのかなってのがあったし、いろいろ難しい部分が正直あったんですけど……。

セレッソ大阪で優勝したい

やっぱりセレッソ大阪というか、チームメイト、仲間と今まで信頼してきたやつらとリーグで絶対優勝したいから、その思いだけでやってきたんです。

クラブがあっての選手で、別にオレたちが口出すところじゃないのがいろいろあると思うけど、やっぱり違和感があったところに、関係ないところに気持ちを持っていってた部分があって、すごい苦しくて。誰にも言われへんし、言っても伝わらへんし。

 

だから…………すごい……この何年ですかね。今、乗り越えようとしている途中なんで。

 

輝いている姿を娘に見せたい

柿谷曜一朗「輝いている姿を娘に見せたい」

そうしたら、これからもう1回苦しいのを乗り越えようというこのタイミングで、娘がもうだいぶ大きくなってきて1歳になって。ラグビー見てても「パパ」って言うんですよ。緑のピッチが出てきたら全部「パパ」って言って、めっちゃかわいくて。これもうヤバいじゃないですか、サッカーやってるのすぐわかるようになる。

 

そうなったらね、これはオレの勝手ですけど、途中から出てきてるとか途中で交代するとか、そんな姿じゃなくてピッチで90分間輝いてる姿を見せたいから。これから時間はないなって、自分の中でプレッシャーをかけて。

 

まぁ日本代表のことは一旦横に置いて、チームで、チームでというか、まずもう1回自分という存在を、もちろん娘だけじゃなくて、今の若い子らも含め、サッカーを楽しそうにやってる姿を見せたいという気持ちがずっとあって。

一生懸命やってる姿とか走ってる姿とかは当たり前でしょ。でもそれだけじゃオレじゃないから。

話題になるようなプレーが理想

この前サッカースクールに行ったときに子どもたちに質問されたんですよ。「どういうプレーが好きですか?」って。で、言ったのが「別にプレーというよりは、試合が終わって、見に来てくれた人たちが帰り道で1個でも『柿谷のあのプレーってなんやったんや?!』って、僕の名前を話題にしてくれたらいい。話題になるようなプレーがしたい。それが自分の理想やな」って。

 

そういうプレーが1つでも2つでもあれば僕は幸せや、っていう話をしたんですよ。子供たちにどう伝わったかわからんけど、僕って子供のころからそうなんですよ。「すげぇ!」って言われたい。

現実的にそういうプレーを披露するには、そういうプレーだけやっててもダメじゃないですか。それをわかってるんですけど、どうしてもそっちに、自分の自信と可能性に頼りがち。

 

でも、もう僕はそういうサッカー人生を歩んできたから、別に誰かに否定されても変わることなく、まっすぐ進むだけかなと思うんで。まぁオレのことはめっちゃ好きか、メッチャ嫌いかじゃないですか(笑)。そういう人生やと思います。

 

柿谷曜一朗の「やりたいこと」

 

柿谷曜一朗の「やりたいこと」

今やりたいことですか……うーん……何でもいいんですか? やりたいこと……なんやろ……うーん……サッカーはもうやってるし、やりたいというか……もちろんリーグでは優勝したいですけど……どうしよう? やりたいこと……。家買いたいですね。

 

マイホームを建てたい。そう思って今、お金を貯めてます(大笑い)。相場がわからないんですけど、大阪ってホンマに土地ないんですよ。自分が引退して何するってしたときに、引退をまず考えてないからあれですけど、欲しいのはでっかい一戸建てっすね。屋上にフットサルコートがあって、みたいな。だから稼がんといかんですよね。全然足りないですよね。

 

もっと頑張らんと。1点につきいくらかもらえるようにしてもらって、3年ぐらい20点ずつ取れば、1点10万円やとしても、600万円か……全然足りへんやん。なら1点100万円の契約にしたら……もうシュートしか打たないですよ(笑)。

 

柿谷曜一朗選手

(撮影:齊藤友也)

柿谷曜一朗(かきたに よういちろう)
1990年1月3日大阪府生まれ。C大阪(セレッソ大阪)下部組織出身のフォワード。高校2年生、16歳でプロ契約を結ぶ。2009年に徳島ヴォルティスに期限付き移籍。2012年にC大阪へ復帰し、その年にJリーグ優秀選手賞を受賞。2014年にスイス1部リーグのバーゼルへ移籍。2016年に古巣のC大阪へ復帰した。日本代表では国際Aマッチに18試合出場し、5得点をあげている。

 

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