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「オレは常にポジティブ」川又堅碁がステイホーム期間中に見せた新たな才能

2017年12月、川又堅碁は2年ぶりの日本代表に張り切っていた。得点こそ挙げられなかったものの、アグレッシブなプレーでチームを活性化させたと言えるだろう。だが2年後の2019年12月、川又は満足にプレーできず、チームは降格し、契約も終了した。しかも次のチームが決まらない。

2020年1月、川又は入団テストを受けていた。傍から見れば短期間での大きな変化は苦しかったのではないかと見えたが、本人はそれよりも辛かったことがあるという。陽気でギラギラしたストライカーが明かす苦悩と、中断期間中に見せた別の才能のことについて聞いた。

川又堅碁選手にインタビュー

サッカー人生でしんどかった時期

サッカー人生でしんどかったのは、そうですね……結構あるけど、プロサッカー選手になってからのことで言うと、大変だったと思うのは20歳の時に半年間、ブラジルに行ったときのことなんですよ。

オレ、もともと「キャプテン翼」に憧れてて、正直、サッカーを始めたのは「キャプテン翼」の影響だったんで、翼くんがブラジルに行くっていう話があって、高校生でアルビレックス新潟と契約するときに、条項の中に「ブラジルにチャレンジする」という条件を入れてもらってたんです。

それで2年間新潟でプレーして、20歳のときにブラジルに行ったんですよ。ところが現地に着いてみると、思っていたのとは全然違ってて。ブラジルって上から下までたくさんリーグがあるじゃないですか。自分が行ったところのチームは全国リーグじゃなくて、州リーグの2部だったんです。

正直、そこは本当にいろいろな面で大変だったと思いますね。まず、どこに行くのにも満足な交通手段がなくて。水はスタジアムの脇に付いている水道で飲むんですよ。現地の人からは、「すごくおいしい水」って言われてるんですけど、それが汚れてるから怖くてオレは飲めなかったんです。

スタジアムといっても日本で想像するちゃんとした場所とは違って、壊れかけのボロいやつで、メシはスタジアムで出るんですけど、卵とか「これ、冷蔵してくれてんのか?」という感じのわけなんです。

朝はフランスパンみたいなやつとココアみたいな甘い飲み物だけだったり、何を飲んでいるか自分でもわからない感じだったし。周りの選手には元ブラジル代表だったり、結構すごいプレーヤーがいて、そういう人たちにはクラブがまあまあいい家を貸してくれるんですよ。でもオレみたいな感じでチームに入っていくと、すごいところに入れられて。

洗濯機もなかったんですよ。ベッドはシーツを剥いだらカビだらけだったし、トイレは洋式なんですけど、便座がないんです。シャワーも結構の頻度で土が混じって茶色だったりとか、それぐらい設備が整ってなくて。ほんと、大変やったですね。

そこでいろんな経験ができて精神的には強くなったのかな。ハングリー精神だったり身につけられたし、日本に帰ったときに活躍できるための準備だと思って前向きに捉えてたんで大丈夫だったけど、正直、普通に考えたらめちゃくちゃタフな感じの環境でしたね。

でも苦労とは思ってなかったんですけどね。オレはそういうのも楽しかったんですよ。客観的にオレが置かれた状況を見たら大変だったと思うけど、オレには楽しかった思い出かな。

川又堅碁「2019年の脱臼が苦しかった」

ブラジル行ったのは客観的に見たら大変だったって話で、主観的な話で言ったら、やっぱり去年の脱臼かな。正直、いろんな意味で自分の中でも本気で苦しかったですね。 4月28日の第9節北海道コンサドーレ札幌戦で、コーナーキックから流れてきたボールに突っ込んだとき、顔を上げた瞬間に目の前にゴールポストがあって、ぶつかって肩に全体重が乗っちゃって。

【負傷シーンですので閲覧注意】

2019年はプロになって初めて開幕戦でゴール取ってたんで、「これは今年、ズドンと行くな」というノリだったんですけど、そこでケガして。最初は右肩の脱臼という診断だったんです。全治6週間で、1カ月半から2カ月で復帰に向けて準備始められるという流れだったんですよ。

それでずっとリハビリしてたんですけど、2カ月経っても腕が全く動かなくて。そこからしばらく経って「これは本当に動かなくなってる」って焦りだして、そのあと神経が麻痺してるって分かって。

リアルにもう脇から腕が離れないんです。それがずっと続いて、「本当に元に戻るのか?」ってときが1番メンタル的に、ホントにきつかったですね。チームもずっと悪かったんで、責任もすごく感じて。

それで、いろんな人に治療してもらったり助けてもらったりしてました。何回、磐田の練習場がある浜松まで来てもらったかわからないくらい助けてもらってたんですよ。大阪体育大学でも、1、2週間だったと思うんですけど、朝から晩まで、しかも夜8時とか9時ぐらいまでずっとリハビリさせてもらったりしてましたし。

でもリハビリどんだけやっても、動かなかったんですよ。サッカーできないし、チームに何の役にも立ってないし、力になれないし。ケガしたのは肩だから足は動くのに、といういろんな気持ちがありました。

ただ肩ってすごく大事で、バランスがすごく取れなくなっちゃうんですよ。「オレはホンマにまたサッカーできるんやろうか?」と思っちゃうぐらい動かなかったので、しんどかったですね。

それでもう無理矢理、第26節9月14日の川崎フロンターレ戦で試合に出たんですよ。腕はまだ全く動いてなかったんですけど、オレが出てマークの選手が付いてくれて、周りが生きればいいと思ったんで。

絶対残留させたいと思ったんで無理に出たんですけど、そしたらまた他のところを傷めちゃって。腕を動かせないっていうバランスもまだ全然整ってない時に出ちゃったもんでね。体の別のところに負担がかかっちゃって。なかなかいいパフォーマンスが出せなかったし、ホントすごいきつかったですね。

川又堅碁が語る日本代表

川又堅碁が語る日本代表

現役になって12年経って、まだまだ進化できるという思いで今もやってます。若いときは自分の自信というか、勢いという言葉が正しいのかな、それでやってたけど。いろいろチームを変わって、それぞれのところで考えてプレーするようになった……かな? どうかな? 何が変わりましたかね?

日本代表でいうと、2015年東アジアカップ(現・E-1選手権)のときって何もできなかったというイメージがあったけど、2017年E-1選手権の時は、チームの流れを変えたというのを自分でも実感できて。ただ、得点ほしかったんですけどね。

惜しい場面も結構あったんで、ああいう場面で決められたらよかったんですけど。だからもう1回、日本代表に入っていきたいという気持ちも湧いたけど、ロシアワールドカップには選ばれなかったし。

ロシアワールドカップのメンバーが決まった時って、正直ワンチャンあるかと思ったけど、それよりパワー系の選手連れてってほしいと思いましたけどね。あのころ調子がよかった都倉賢でもいいからって。

川又堅碁が語る過去の移籍

クラブで言えば、18歳で新潟に入って20歳でブラジルに行って、戻ってきて2年新潟でプレーして、さぁこれから、と思ったときにファジアーノ岡山行きの話が出たんです。新潟でも前の年、23試合に出てたんで「今年は点取りまくってやるぞ」と思ってたんですけど、チームの陣容を考えたら出番がなさそうで。それでも練習とかで力を見せつけたらきっと出番が来るやろうと燃えてたときに、岡山のオファーが来て。

自分としては新潟が当時J1、岡山はJ2ということでかなり悩んだんですよ。J1で結果を残してやると張り切ってたから。でもそのとき代理人に「お前、ゴール前にボールがこぼれてきたとき、迷ったりするFWがおるか?」みたいなことを言われて、自分でも「いやいや、そこは突っ込むやろう」って。それで期限付移籍で岡山に行くことにしたんです。岡山では38試合に出て18点取りましたし、そこは自信になりましたね。

期限付移籍から新潟に復帰して、その2013年は23点取ったんですよ。でもその次の2014年、出場機会が減っていたんで、シーズン途中にいろんなチームから声かけてもらって、その中で名古屋グランパスを選んだんです。名古屋にもいい経験をさせてもらいましたね。2014年から2016年までの2年半の契約だったんですけどね。

その名古屋との契約の最後の年に、ジュビロ磐田の監督だった名波浩さんが直々に挨拶に来てくれたんです。名波さんが「一緒にやってほしい」って、あんなすごい人にそんなこと、熱く言われたら、それは「磐田で名波さんのためにプレーする」っていう気持ちになりますよね。

ジュビロ岩田時代の川又堅碁選手
(撮影:hiroyuki sato)

それで磐田に行ったら、FWに外国籍選手を取らないで、自分を使うというのをハッキリ打ち出してくれたんですよ。しかもどうして外国籍選手を取らないのかっていうことを名波さんがメディアに説明して、自分への信頼を語ってくれたりするんです。そういうのって名波さんっぽくて本当にかっこよくて。

磐田に移籍した2017年、2018年はリーグ戦で14点、11点って、最低ラインの2桁得点は挙げてたんですけど、3年目は肩を脱臼したせいで8試合にしか出られなくて。もし僕が点を取っていれば名波さんはまだ続投している可能性もあったので、そういう意味でいろんな思いを感じながらリハビリしてました。

川又堅碁「オレは常にポジティブだから大丈夫なんです」

それで今年、ジェフユナイテッド市原・千葉のテストを受けることにもなったんです。2018年まで日本代表だった選手がテストを受けてるから精神的に厳しいんじゃないかって心配する人もいたけど、オレは常にポジティブだから大丈夫なんです。

チームが決まらなかった間も、実はそんなに焦ってなかったんですよ。実際、2019年は肩のケガでプレーできてなかったんで、みんなまだ無理だと見てるんやろうなと思ってたし。それにどこのチームに行っても、またサッカーで成り上がればいいと思ってるし、やっとスタート切れるくらいの体が戻ってきたんで。

2019年12月はまだ右肩が自由に動かなかったりしてたんだけど、今は右手も上がるようになったし。そこから筋トレもできるようになって、だいぶよくなって、今は自然にサッカーできるようになってきて。この新型コロナウイルスの影響でリーグが延期されてる間に肩のトレーニングもだいぶできたんで。

ジェフに所属した川又堅碁選手
(撮影:松岡健三郎)

今はね、正直、尹晶煥監督に感謝ですよ。だってオレがテストを受けた時って、どのポジションの選手もみんな決まってて、編成なんか終わってたのに、尹晶煥監督といろいろ話をして、それでチームに入れてくれたんですから、それは大きいですよ。ありがたいです。

目標はまずジェフをJ1に上げること。それに自分の結果が付いてくればいいし。J1に上げるためにチームに何かをやって、それは得点であったりアシストだったり、守備でもあったり、何でもいいんですけど、チームのためにやって、それに結果が付いてきて、それから自分の結果もついてきて、チームとともに自分も上がっていければいいと思うし。

それからね、またJ2から日本代表とかに入るような選手が現れても面白いし、メディアも絶対盛り上がると思うんで。2018年にも森保一監督から1回招集されてるんだし。その意識を持っていろんなトレーニングをやっているし、ケガしたあとは、これまで以上にしんどい時でももう一つ頑張れるようにもなったし。なんで今年楽しみです。

それにここ最近は昔に比べるとボールのもらい方とかタイミングが変わったかもしれないですね。昔はパスをもらって強引に振り向いてシュートしたりしてたけど、今は強引に振り向かなくてもいいところでもらえるようになったし、DFの間で受けるというのはできるようになったかもしれないですね。まだまだ足りないですけどね。それ、ちゃんとできたら次の代表いけるかもしれないですよね。

ここからまた一花咲かせないとね。去年苦しかったぶん、これからのサッカー人生で楽しくいきたいですね。結果として出したいね。老け込む歳じゃないし、まだまだやりますよ。がんばりますよ。今年はバッコーンと行きますよ!!

ステイホーム期間中に川又堅碁がしたこと

新型コロナウイルスの影響で全体練習が休みのとき、絵を書いたりしてました。自粛期間だからできたということもあるんですよ。継続的に絵を描きたいけど、まぁまぁ時間がかかるんです。でも、うまいんです。うまいんですよ、これが(笑)。

このヒマワリ、正直4時間半とか余裕でかかるんです。オレ、水彩画とかは全然だめなんですよ。塗り直しができないんで。油絵だったから、絵の具を描いてるやつの上に置くことができるんです。うまい人やったら1回描いたら終わるんでしょうけど、オレは下手やから何回も何回もやって、綿棒でのばしたりとかいろんな作業をしてできてて。

油絵は全く興味なかったんですけど、何かぱっとやりたくなったんですよ。レインボーのひまわりとか書いたらみんな元気になるんじゃないかなと思って。みんなが元気になるようにって描いたんですけど、自己満足みたいな感じになってんですけどね(笑)。その後もサッカーボールをレインボーの基調にして、オレたちこれから先もまだまだ明るいよって感じで描いたんですよ。

ヒマワリのモチーフは元があるんですけどね。携帯でヒマワリの写真撮ってインターネットに出してたんです。それをちょっと写して変えて。写すのも難しいんですけどね。本当はひまわりって周り黄色じゃないですか。でも俺の想像で、色を混ぜてレインボーにしたらもっとみんな明るくなるんじゃないかなって、ちょっとそこらへんも工夫したりとか。 完成したのはTwitterに載せてた2枚と、あとはInstagramにアップした字が2枚あって。

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1枚はファンの方へのプレゼント用に描いて、もう1枚は僕の、サッカーとは関係ない親友が会社やってて、その会社に飾りたいって言うんで描いて。

絵を描こうと思ったのは、オレたちっていつもサポーターの人たちがスタジアムに見に来てくれてパワーをもらってるじゃないですか。でも、その逆をね、このコロナの時期にいろいろ考えて発信したらいいんじゃないかなって。

インスタライブでみんな自分たちの話を発信したりとか、いろんなことをやってたんですよ。その中でオレも何ができるかなって考えて、画とか、料理してみて。ちょっと笑いが入るようにわざとオーバーリアクションな感じでやったりとか、それでみんな楽しんでくれたらいいなと思いながらやってたんで。いろんな選手が今まで応援してくれていた人に対して、何か還元しようという気持ちがすごく多くなった気がして、それはよかったですね。

ただ絵ってめっちゃくちゃ集中力いるんですよ。相当時間かかりますもん。やったらかっこよくやりたいから、よくなるまでずっとやっちゃうし。あれ、いきなりやり始めようかと思ったのが夜の10時ぐらいやったんですよ。それで気付いたら2時半とかやったんで。絵の具は何かひらめいてて先に買ってたんですけど。

だから絵を描くってシーズン中はなかなか出来ないけど、休みの日があって誰かリクエストとかくれたりしたら、字を書いてデザインチックな、人が見て勇気や元気が出るものを書けたらいいなと思いますけど。試合に勝って、ケガなく元気に休みが迎えられればできます。

料理もInstagramで公開してるんですけど、全然やったことなかったです。だって今までずっと外食でしたもん。家で自分が作ることなくて。1つだけ言えるのは、鶏ガラスープを使えば何でもうまくなる。うん。これ、何でもいけるんですよ。オレの味噌汁とか、料亭並みの味噌汁じゃないかと思うくらいうまくなってるし。やりだしたらとことんというタイプなので。

川又堅碁の”やりたいこと”

個展でもやりたいと思いますね。そのためには、まずチームの結果をそれにイコールにしたいですね。絵のほうが優先じゃないから。昇格記念パーティーの時に個展をやるのがいいじゃないですか。そうなれるんだったら、寝ないで3日ぐらい描きますよ。

こういう絵とか料理とかで楽しんでもらうのも悪くはないけど、でも早く普通にサッカーがある日常に戻ってほしいですね。戻るころちょうど、オレの調子は100パーセントぐらいになってますよ。

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執筆

森雅史

多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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