銀座の賑わいの目と鼻の先の、異国情緒溢れる寺院が築地本願寺である。古代インド様式の寺院内には象、獅子、馬などの動物の彫刻が配される。境内の洗練されたカフェでは、多くの女性が抹茶やスイーツを楽しむ。本堂ではハラミちゃんがパイプオルガンで、X JAPANの「Forever love」を奏で、その様子をYouTubeで配信する。そのような型破りな築地本願寺にとってのDX(デジタルトランスフォーメーション)とは、変化する社会で変わらぬ仏教の教えを「伝わる」ようにするための原点回帰だ。かつて参拝客も減少し、経営難にも瀕していた築地本願寺は、DXでどのように変わったのか? 責任役員で副宗務長の東森 尚人さんに話を聞いた。
東森 尚人(ひがしもり しょうにん)さん プロフィール
1969年生まれ。奈良県宇陀市出身。龍谷大学大学院文学研究科修士課程国史学専攻修了。京都西本願寺の浄土真宗本願寺派宗務所入所。国際部、総局公室などを経て所務部長を歴任。また、全日本仏教会関西支局長、同 総務財政審議会委員なども歴任した。
2018年の7月より築地本願寺責任役員、副宗務長。公益財団法人全日本仏教会総務財政委員(現職)。
築地本願寺にとって変わらないもの
先進的な取り組みを進めている築地本願寺にとって変わらないものは一体なんだろうか。東森さんが教えてくれた。
「それは仏教、浄土真宗のお教えをお伝えしていくことです」
本願寺の名前は根本の願い、すなわち「本願」に由来する。ご本尊の阿弥陀如来という仏様の願いは、ひとしく命あるもの、生きとし生けるものを分け隔てなく救うことだ。築地の名前は「築かれた土地」に由来する。
江戸時代、明暦の大火で浅草から、現在の土地に移ってきた。当時、佃島の門徒たちがこの地で本願寺を建立するため、江戸の海を埋め立て、土地を築いた。現在の特徴的な本堂は、1923年の関東大震災で焼失したあとに1934年に再建。築地本願寺には復興した人々の思いが込められている。
「『世の中が平穏で安らかで、平和になってほしい』そうした思いで苦悩する人々へ寄り添うこと。仏教の教えを伝わるようにしていくこと。仏教の教え、浄土真宗の教えを知っていただき、豊かな人生を歩んでいける。そういったことを提供する姿勢は、環境が変化しようとも、いつの時代も変わりません」
社会の変化に対応し、アップデートしていく
一方で変わらなくてはならないものもある。
「環境の変化に対応していく必要があります。歴史ある寺院とはいえ、伝統にあぐらをかいていたら持続可能ではありません。運営のあり方、仏教をお伝えする手段をアップデートしていく。社会のニーズに応え、社会的役割を果たしていくために、変化していくことです。仏教では、顧客に当たる言葉を『受け手』といっていますが、『受け手』のニーズに応えていくこと。これが『変化していくこと』の意味です」
現代の受け手のニーズに合わせて、TwitterやInstagramといったSNSもはじめた。
京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派は全国に約1万300、海外にも約200拠点ある一大宗派のグループだ。築地本願寺は関東の中心寺院であり400年の歴史を誇る。しかし現在、寺離れが進み、地元の人たちとの関係も疎遠になっていた。生き残るためには、変化しなくてはならなかった。
毎年おこなっている市場環境調査では「築地本願寺の認知度は高いが、親しみ度は低い」そのような結果が出ていた。地元の人たちと、築地本願寺から30kmも離れた場所に住んでいる人たちの好意度が大きく変わらない。地元である築地の人たちに愛されていないことが大きな課題との結果だった。
参拝客も減り続け、経営状況も芳しくなかった。まずは地元の人たちから愛されなければならない。危機的な状況のなか、対策を講じる必要があった。
2015年、築地本願寺のトップとして、外部から安永雄玄さんが宗務長に就任し、イノベーションが始まる。銀行勤務を経て、コンサルティング会社を経営していた安永さんは、経営の大改革をおこなった。
当時、築地本願寺の境内は、樹木が生い茂り外から見えず入りにくい、いわば「閉じたお寺」だった。「誰もが気軽に立ち寄れる場所」にするための「入口」を新たに増やし、築地本願寺との「接点」を作る必要があった。そこで、樹木を伐採し、明るく開放的になった境内に、カフェ「Tsumugi」が作られる。
Tsumugiの18品の朝ごはんがインスタ映えでバズり、多くの人たちが訪れ始めた。まずはカフェに行くということが目的であっても、地元の人も遠くの人も、築地本願寺と「ご縁」ができる。カフェがひとつの入口となり結果的に本堂への参拝者が急増した。
内に向けてのDX
寺院内部のDX化も進む。2019年7月からノートパソコン、スマホが職員全員に支給され、オフィスもフリーアドレス化された。2020年4月からは、テレワークが可能に。現在、寺院内の会議のほとんどがオンラインで実施されている。
稟議書類もハンコから電子決裁に変更され、スマホでも決裁ができるようになった。築地本願寺には5か所の分院がある。DX化されて、分院とのコミュニケーションや移動の時間、経費面も効率化された。「また、もとに戻りますか? と聞かれても、もう以前のやり方には戻らないですね」東森さんは笑いながら話した。
内部をDX化する際、気をつけたことがある。それは、エンドユーザーにハレーション(強い要因が混ざり込むことで全体に影響を及ぼすこと)を起こさないように、システム導入のハードルを低くしたことだ。ITのリテラシー教育をおこない、マニュアル用の動画も作った。日頃の困りごとは担当者がエンドユーザーに懇切丁寧に説明するように心がけた。
「いきなりハードを導入しても、活用されなくては意味がありません。『右向け右』ではうまくいきません」
システム構築はクラウド化して、アジャイル方式でおこなった。大手ベンダーを退職したシニアのSEたちの知見を活用し、IT担当のお坊さんが一緒になって進めている。コストダウンして賢く作っていく必要がある。とりあえずやってみようと試行錯誤しながら進めている。
地方の寺院は住職と檀家の関係が近い。普段のおつきあいの中で顧客管理がされているが、築地本願寺は大規模寺院のため、参拝される人がわからない。
そこでセールスフォースを導入してCRM(Customer Relation Management)の仕組みも構築。コンタクトセンター、コールセンターのハード・ソフトも整えた。メールマガジンを配信して、履歴をとり、受け手をセグメントに分けた。セグメント毎にどんな反応があるか、次はどんなアクションをとるか、そういったことも試行錯誤している。
外へ向けてのDX
コロナ禍になり、リアルにお参りしていた人がお参りできなくなった。それでニコニコ動画やYouTubeに詳しいお坊さんを中心に、動画配信に取り組んだ。大切な法要のライブ配信を、常時おこなうようにした。月1回の英語の法話も、動画配信をしたら海外の視聴者も参加できるようになった。
大きな気づきもあった。「伝わる」ようにするにはどうしたら良いのか。一方的に流せば良いものでもをない。受け手を意識して視認性を高め、構成を組んだり、わかりやすくテロップを入れる必要があった。単なる「伝える」から「伝わる」へ。動画配信にはそういった配慮が必要だとわかった。
「YouTubeのコンテンツでも面白くないと見ませんよね。視聴者に腹落ちするように、コンテンツの最適化が必要です。興味を持って長く見てほしい。仏教には難しい専門用語があります。昔からの熱心な信者さんは理解できるかもしれませんが、動画は誰にでもわかるように、ハードルを低くする必要がありました。
そもそも、視聴者のみなさんは、法要などで『あれ? お坊さんはいま何をしているのだろう?』とか『お経は何を意味しているのだろう?』と素朴に思うわけです。そのため、動画の中にテロップを流すようにしました」
コロナ禍で不安を覚える人々が増えてきた。不安に寄り添うにはどうしたらよいのか。築地本願寺では、ソフト面についてもさまざまな施策を打ち出している。
「築地本願寺倶楽部」という会員制度を作り、会員になると終活相談をできるようにした。本堂の中には常にお坊さんが座っていて、いつでも相談ができる。「僧侶相談」だ。築地本願寺倶楽部の会員数は年々増加し、「築地の寺婚」ではなんと、婚活サポートをし、結婚式もできる。
変革で組織の風通しがよくなった
僧侶は年長者を敬うことから、年功序列の意識が強い組織だ。そのような組織風土では、上に対してモノ申すということはなかなかできなかった。しかし、DXの導入によって変化した。
今では、スタッフ、職員がさまざまなアイデアを出し合い、前向きに実行するようになっている。風通しがよくなり、SNSの開設やハラミちゃんのパイプオルガン演奏など、以前では考えられなかったボトムアップの取り組みもなされている。
ダイバーシティも進んでいる。約150人の職員のうち、約100人が僧侶であるが約50人は僧籍を持たない職員だ。外部からも人材を登用。出向者も含め、元銀行員、航空会社、商社出身の職員もいる。中には築地本願寺に勤めたことを縁に僧侶になった人もいる。こういった人たちの知見をえて、視野を広くし、相互にスキルアップをしている。
「内部にいた人も、外部から来た人もお互いに価値観を認めて、それを掛け合わせて新たな価値創造をしていく。徐々に組織風土も代わり、職場も明るくなりました」
DXとはリアルがあってこその原点回帰
DXの前提はリアルを充実させること。僧侶などスタッフが自己研鑽を重ねることはもちろんのこと、実際に築地本願寺にお越しいただき、実際に宗教的空間に身をおくことで、心の安らぎをおぼえる人たちは多い。その『場』にいることで、五感で雰囲気を感じられる。
オンライン化は必要だ。一方、高齢者の中にはデジタルへのアクセスが困難な人たちもいる。そういった人たちにも対応できるよう、選択肢を増やすことで、お一人おひとりのニーズに応え、寄り添うことが必要だと考えている。
「大切なことは仏教や浄土真宗の教えを『伝わる』ようにしていく姿勢ですね。現代版にバージョンアップした原点回帰です。DXをツールとして、組織が変革し、風土が変わり、本来お寺がすべき仏教の教えが外に向かって『伝わる』ようにしていくことだと思います」お寺もプロダクトアウトから、マーケットインへマインドチェンジが必要だ。
これからからの未来 応用展開と有効活用
「われわれに課せられたミッションは、築地本願寺がおこなっていることをさらに進めるとともに、宗派グループ全体にフィードバックすること。応用展開、有効活用です。DX、IT化、ライブ配信もそうです。さらに言えば仏教界全体にも良い影響を与えればと思います」
イノベーションによって、築地本願寺は、お寺のDXの先端を走っている。
「『水を飲む時は、井戸を掘った人のことを思いなさい』と言われるように先人の思いを忘れてはならないと思います。さらに、奢ることなく、常に謙虚に、努力精進を重ねるという、仏教の教えもあります。これらを忘れることなく、変わらぬ教えを現代にいかにアップデートしていくのか、努力し、チャレンジしていきたいと思います」東森さんは明るく朗らかに話してくれた。