デジタルトランスフォーメーション、略してDX。
初めてこの言葉に遭遇した時、字面から、“DELUXE(デラックス)”を連想し、それ以来“DX”という文字を見かけようものなら“DELUXE”が脳内に二重写しになる。そんなおめでたい人間は筆者だけでしょうか。
でも、コトはそれほど悠長ではありません。
「Digital or Die!(デジタルか、さもなくば死か)」
デジタル化の推進は、国の存亡に関わるとさえいわれているのです。そのため、日本ばかりでなく、世界中の政府がDXを進めています。
そんな中、2020年7月に発表された世界電子政府ランキング。日本が順位を落す中、前回の2018年・16位から3位へと大躍進した国があります。
人口わずか130万人、北欧の国・エストニアです。そのエストニアが世界に先駆けて導入したのが「デジタルノマドビザ」。
今日は、新しい働き方「デジタルノマド」のお手本に思い浮かんだのは、250年も前に活躍した天才作曲家・モーツァルトというお話です。
デジタルノマドという働き方~エストニアの「デジタルノマドビザ」~
まず、国連が2020年7月に発表した「世界電子政府ランキング2020」をみてみましょう(図1)。
図中のオレンジの折れ線が日本です。日本は2014年・6位、2016年・11位、2018年・10位、そして2020年は14位と順位を落としています。一方、エストニアは濃いブルーの折れ線で、前回の2018年・16位から今回の3位へと大躍進しました。
エストニアは旧ソ連からの独立を機にデジタル化で行政サービスの効率化を図り、現在では教育・医療・警察・選挙まで、ほとんどの行政サービスをインターネット上で完結できるまでになっています。
豊富なIT人材を武器にIT立国を目指すエストニアは、ノマドリモートワーカーを対象とした「デジタルノマドビザ」を世界に先駆けて導入し、外国からの人材確保にも力を入れています。
デジタルノマドとは
この「デジタルノマド」とは、働く場所を自由に選んで移動しながら、インターネットを利用して業務を遂行する新しい働き方です。
ノマド(nomad)とは、英語で「遊牧民」という意味です。それに「デジタル」がついた「デジタルノマド」は、自分で好きな場所を選んで旅行しながら、インターネットを使って仕事をすること・人です。
仕事をする場所は、インターネット環境さえあればどこでもよく、働く時間の制約も受けない。自由で新しい働き方です。
ただ、そういう働き方ができる業種はある程度、限られています。例えば、IT関係のプログラマーやシステムエンジニア(SE)、デザイナー、ライターや編集者などでしょうか。
また、そうした働き方をしながらも常にオファーを受け続けられるということは、高い専門性や人脈をもつワーカーでなければ難しいでしょう。
では、読者がデジタルノマドだったら、仕事場所にどんなところを選ぶでしょうか。
リゾート地?
名所旧跡?
アウトドアスポーツができるところ?
物価が安い国?
それとも大都会?
そう、ノマドは遊牧民なのですから、なにも一か所を選ぶ必要はありませんね。
その時々で、好きなところに移動すればいいのです。
モーツァルトはノマドだった!
さて、ここからモーツァルト(1756-1791)の話です。何を唐突なと思われるかもしれません。「デジタルノマド」と聞いてモーツァルトが思い浮かんだとき、実は筆者自身が少し戸惑ったほどです。
現代の新しい働き方と、日本でいえば江戸時代に活躍したモーツァルトが一体どこでつながっているのか……?
そのような連想が生じたのはなぜかと考えると、答はスルリと出てきました。「彼ほど多くの土地を旅しながら、演奏にしろ作曲にしろ優れた仕事をした人も珍しいから」。
でも、よく考えてみると、それだけではない。その奥には意外と深い事情がある。
それは、実はクリエイティブな仕事とは何かというところに繋がってる……。そんなことにまで気づいてしまったのです。順を追ってお話ししていきましょう。
天才中の天才
「ねえ、モーツァルトの作品の中で、何が一番好き?」
無類の音楽好きだった弟に、きいたことがありました。
「そういう質問、簡単にしないでよ。モーツァルトがどんだけの曲書いたか、知ってるの?」
たったそれだけ言うと、弟はクラリネットを取り上げ、当時練習中だったモーツァルトのクラリネット五重奏曲(イ長調K.581)に戻っていってしまいました。そのメロディーは今でも時折、筆者の頭の中でふいに鳴り出します。
う~ん、名曲です。モーツァルトは天才中の天才。
5歳にして作曲を始めたモーツァルトが35歳でこの世を去るまでの間に、一体何曲作曲したのか。それは現在、正確にはわかっていません。
試しに、ウィキペディアで「モーツァルトの楽曲一覧」をご覧になってみてください。
一体、いつまでスクロールすればいいのか、と思わされるほど膨大な曲、曲、曲……。
モーツァルトの神童ぶりを表すエピソードは数多くあります。
3歳で和音を探り出し、その美しさに恍惚とする。
5歳になると、布で覆った鍵盤で、当時の難曲をいとも簡単に弾いてみせる。
6歳では、誰も教えた覚えのないバイオリンを手に、大人たちの合奏に飛び入りして弾きこなす。
自身も音楽家だった父親の英才教育を受け始めたのが4歳のとき。その2年後の1762年には、もう演奏旅行が始まっています。
移動する天才
6歳の年、1762年から1772年にかけて、彼はさまざまな都市で演奏しました。
生まれ故郷のオーストリア・ザルツブルグから、ウィーン、パリ、ロンドン、ブリュッセル、ミラノ、ローマ、ボローニャ、ナポリ、ミュンヘン・・・・・・。
同じヨーロッパとはいえ、長い長い距離を、舗装もされていな道に馬車を走らせて移動したのです。モーツァルトは生涯にわたって、ヨーロッパのさまざまな都市を訪れ、そこに滞在して演奏・作曲をおこない、時には住んでもいます。
ヨーロッパ地図でモーツァルトが滞在した、あるいは住んだ都市をマークしてみましょう(図2)。
上にマークしたのは、主要都市であって、マークした都市と都市の間の、例えばボローニャ、マンハイムなどの都市にも滞在しています。また、多くの都市には、何回も出向いています。
どうでしょうか。彼は立派なノマドではないでしょうか。
デジタルノマドのお手本にモーツァルトを推す理由~模倣は独創の母である~
彼は訪れた都市で、驚くべき技巧で演奏して喝采を浴び、夥しい数の作曲をし、その土地土地で高名な音楽家たちと知り合い、彼らの曲に触れて、それらの作品と技法を徹底的に学びました。それは、大変重要な意味をもちます。なぜなら、次の問いに直結するからです。
天才モーツァルトをモーツァルトたらしめているものは何か。
小林秀雄が書いた『モオツァルト・無常という事』という名著があります。少し長くなりますが、その一節を抜き出してみましょう。
モオツァルトは、 歩き方の達人であった。 現代の芸術家には、殆ど信じられない位の達人 であった。これは、彼の天賦と結んだ深刻な音楽的教養の賜物だったのであるが、彼の教養とは、又、現代人には甚だ理解し難い意味を持っていた。
(中略)
或る他人の音楽の手法を理解するとは、その手法を、実際の制作の上で模倣してみるという一行為を意味し た。彼は、当代のあらゆる音楽的手法を知り尽した、とは言わぬ。手紙の中で言っている様に、今はもうどんな音楽でも真似出来る、と豪語する。
(中略)
独創家たらんとする空虚で陥穽に充ちた企図などに、彼は悩まされた事はなかった。模倣は独創の母である。誰一人のほんとうの母である。
(中略)
模倣してみないで、どうして模倣できぬものに出会えようか。
(中略)
モオツァルトは、目的など定めない。歩き方が目的地を作り出した。
(引用:小林秀雄 著,1961年『モオツァルト・無常という事』新潮文庫)
モーツァルトは、旅し滞在した都市で出会った作品を、徹底的に模倣し、同化しました。触れるもの触れるものを悉く模倣し尽くし、摂取し尽くし、それによって独創性を産み出しました。
そうやって、彼は、当時ちょうど完成しようとしていた諸ジャンル―セレナードやソナタ、シンフォニー、ミサ、アリア、オペラに新たな可能性と充足をもたらしたのです。勘のいい読者なら、筆者がお伝えしたいことをもう既にキャッチされていることでしょう。
デジタルノマドにクリエイティブな仕事ができるとしたら、それはなぜか。
それは、自由に働けるからではありません。行く先々で、様々な刺激を受け、それを自分の内部に取り込んで、仕事にフィードバックしていく。そんな働き方ができるからです。
デジタルノマドのお手本にはモーツァルト! ふいに浮かんだ連想の裏には、そんな事情があったのです。
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(参考)
経済産業省 DX-#1 経産省の新たな挑戦 経産省のデジタル・フォーメーション
経産省 DX-#3 世界で進む行政のデジタル・フォーメーション。今、日本がなすべきこととは?
JETRO 新たな競争優位を確立する原動力となるか 進展するデジタル化、潮流をつかむ(日本)(2)
吉田秀和 著,1975年『吉田秀和全集1』白水社
小林秀雄 著,1961年『モオツァルト・無常という事』新潮文庫