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野人 岡野雅行がガイナーレ鳥取で学んだ「営業の極意」

野人 岡野雅行

日本が初めてワールドカップ出場を決めたとき、ゴールを奪ったのは岡野雅行だった。高校では自分でサッカー部を作り、無名選手から一転浦和に入団し、自分で出したスルーパスに足の速さを生かして自分で追いつくなど、異色な経歴やプレーぶりを見せていた。

そんな岡野は現役を終えた後も独特な道を歩んでいる。ガイナーレ鳥取の代表取締役GMとして、クラブの財政基盤を支えるために走り回っているのだ。肩書きこそGMだが、話を聞くと第一線の営業として東奔西走する日々が続いている。どんな日常を送っているのか、そして今の夢を聞いた。

岡野雅行「野人プロジェクト」を継続

僕はガイナーレ鳥取で「野人プロジェクト」という企画を2014年からずっと続けてます。これはガイナーレを経由して鳥取の名産品を買ってもらうことで、クラブの強化費を作ろうという取り組みです。

鳥取には美味しいものがたくさんあるんですよ。有名な境港の魚ももちろん美味しいんですけど、それだけじゃなくて、豚肉とかジビエやスイーツ、ブドウなんかまで本当に美味しいものの種類も多い。

経営的にも地元のいいものを使って何か出来ないかと調べているときに気付いたんです。境港に行ったら「支援は出来ないけど魚はあるよ」って言われて、じゃあそれを知ってもらえればいいんじゃないかって。

いいものはあるんだけど、みんなうまく宣伝できていない。だったらその宣伝をガイナーレがやろうって。それで僕が漁師さんの格好をしたら「野人が漁師になった」って全国版に取り上げてもらえたんですよ。

それで「うちもやりたい」と声をあげてくれるところが出てきたんです。全国に宣伝できたので大きな反響があったみたいで、境港の方が「他県から『ガイナーレのプロモーションを見て来ました』と言う人が増えた」とおっしゃってました。

現在扱っている商品は、お正月だとおせちもありますから、10種類ぐらいあるんじゃないかと思いますね。もうちょっと増えたかな。そういう食べ物を1万円前後で買ってもらって、そこで集まった資金で選手を連れてくるんです。だからプロモーションを行うのは海外から選手を獲得できる「移籍ウインドウが開いた」期間ですね。

初めてのときは4000口程度応募してもらいました。それでフェルナンジーニョを連れてこられたんです。しかもそのフェルナンジーニョが大暴れしたんで、商品を提供した人も、買って支えてくれた人も、クラブも選手も、みんながウィンウィンという企画になったんですよ。

美味しいものが届く、それで僕がフェルナンジーニョを獲る、フェルナンジーニョが活躍する、それで自分が寄付したから彼が来たんだよと喜んでもらえる。そういういいプロジェクトになったんです。

今も浦和レッズのサポーターの方がたくさんこのプロジェクトから購入してくれてて、それで2018年の企画の際に僕がブラジルに2泊4日で行って、連れてきたのがレオナルドなんです。現地で生で見て「コイツ、すごいな」って思ったんですよ。「これは何かやるだろう」って。

それで2年契約したんですけど、1年経ったところでアルビレックス新潟が移籍金を満額払って獲得して、J2リーグの得点王になったんです。すると今年、浦和レッズに移籍して、今季初戦のルヴァンカップ仙台戦でさっそく2ゴール挙げました。

まさかJ1まで行くなんて最初は思ってなかったんですけどね。浦和のサポーターが鳥取からたくさん買ってくれて、その資金で僕が選手を取ってきて、その選手が浦和に行ったということで、結果恩返ししていることになりました。偶然ですけど、おもしろいなぁって。

野人プロジェクト

岡野雅行がクラウドファンディング

そして今やろうとしているのは「芝生」ですね。「しばふる」という芝生生産プロジェクトです。鳥取は芝生が育ちやすい土地なんです。

砂地で、水位が高いのでいい芝生になるんです。新国立競技場も鳥取の芝なんですよ。ガイナーレのホームスタジアム「チュウブYAJINスタジアム」の「チュウブ」は芝生の会社で、そこが国立とか味の素スタジアムなんかに鳥取の芝生を納めてるんです。

「しばふる」で扱っている芝生はその中でもちょっと違ってます。すごいクラブスタッフがいて、「チュウブYAJINスタジアム」の芝生を無農薬で育てちゃったんです。チュウブさんがスタジアムの芝をチェックしに来たとき、「こんなのあり得ない」って。

虫は飛んでるんですけど芝生はちゃんと育っていて、専門家が「なんでこんな状態で維持できるんだ?」って驚いてたんです。それで「これはすごいぞ。ガイナーレも芝生を作ったほうがいいんじゃないか?」ってことになったんです。

それで鳥取を見ると、手入れができてない土地、高齢化なんかが進んで遊休資産になっている場所が結構あるんですよ。そういうところをガイナーレが借りて芝生を植えてます。

見た目もきれいになるし、子供たちも安心して遊べるし、それで芝がしっかり育ったらほしいところに持って行けばいいし。これも地域社会の一員として役に立つんじゃないかって。

それから芝生って何にコストがかかるかって、やっぱり人件費なんですね。毎日刈らなければいけないから。伸びちゃうと根をしっかり張ることができなくて、ダメになっちゃうんですよ。毎日ちゃんと刈り取ることができれば芝生の密度も上がってきて、しっかりとしていきます。

夏場なんか毎日刈るのって本当に大変ですからね。でも、その大変な芝刈りをやってくれるロボットも今あるんです。ロボット掃除機みたいな機械で、自分でドックに戻ってきて充電しながら芝刈りするんですけど、電動なので音はうるさくないので深夜でも作業できます。そうすると人件費の問題も解決できます。

この芝生のプロジェクトは昨年クラウドファンディングを行ったんですけど目標額がすぐに集まって、みなさんが興味持ってくださっているのがわかりましたね。

ガイナーレって、母体がないから大きくお金を出してくれるところがないんです。それは大変なことで、ガイナーレはサッカークラブだけど、地域ビジネスをやっていかないと今の時代大変なんです。

大学時代に多くの人と出会う

大学時代に多くの人と出会う

僕はビジネスの勉強とかそういうの、大学時代にやってなかったですね。それより麻布十番のバー「プレゴ」というところで働いていました。サッカーじゃ絶対生きていけないと思ってて、バーテンダーになろうとしてたんですよ。

カクテルを作ってるのがかっこよくて、グラスをたくさん並べてシェイカーをシャカシャカやってる姿にめっちゃ憧れて。これはバーテンダーにならなければ、と思ってたんです。

そのバーで働いていたころにJリーグが開幕して、ゾノ(前園真聖)とかラモス(瑠偉)さんとか来てました。まさか次の年、自分が戦うとは思ってなかったですね。それから清原和博さんがいらしてて、僕は清原さん担当だったんです。

清原さんからは「タバコを買ってきてくれ」と頼まれることがあって、僕は走って自販機まで行ってたんです。戻ってきたら清原さんから「お前、マジで今行ってきたのか?」って驚かれたことがあります。清原さんは自販機の場所を知ってて、ちょっと距離があるのわかってましたから。それで「お前、早すぎねぇか?」って。

清原さんはそのあとも僕のことを覚えてくれていたんですよ。Jリーガーになった後、偶然お会いする機会があったんで、僕は「初めまして」って挨拶したんです。そうしたら清原さんが「お前、初めましてじゃなくて、バーに勤めてたときに会ってただろう? 今はプロになって『野人』って呼ばれてるよな?」って。

「はい!」と言ったら、「よかった。他の選手に『野人』は昔飲みに行っていたバーでアルバイトしてたヤツだって言っても誰も信じてくれないんだよ。やっぱり本当だった」って。僕も覚えてもらっててうれしかったですね。

それでJリーグできたぐらいのときに僕は初めて大学選抜に入って、「あの速いやつは誰だ?」みたいな感じになって、そこからプロへの道が開けたんですよ。めっちゃ無名でしたからね。

大学時代

岡野雅行「GMはできないと思った」

そんな大学時代だったんで、まさか自分がゼネラル・マネジャー(GM)やるなんて思ってませんでした。だから最初、塚野真樹社長に「GMやらないか?」って誘われたとき、言いましたもん。「どうしてオレがやれると思うんですか? パソコンも開けないのに」って。慣れないと言うか、できないっていう話ですよ。

現役終わるころって僕は東京に戻ってタレントさんと組んで番組を始めるという話もあったんです。報酬もすごくもよかったし、もう勝負のプレッシャーも嫌だったし。その時に社長が来てうまく口説かれたっている感じです。

それでよく考えると、高校のときは交渉ごとってやってて、そこでセンスを身につけたかもしれないですね。高校のサッカー部は僕が作って、監督がいなかったから、僕が全部やらなきゃいけないじゃないですか。

だから営業じゃないですけど、対戦を希望する相手の高校に電話して話をするのは僕だったし、グラウンドを使わせてくださいとかそういうお願いにも行きましたし。

そのときは必死だったんで、どれくらい大変だったかあんまり覚えてないんですけどね。僕の再現ドラマをテレビで見て、そういえばああいうこともあった、オレってすごいなって。

岡野雅行「最初は地獄のような日々」

でも本格的に営業のセンスを磨いたのはこの仕事になってからですかね。初めは社長にくっついて行ってました。最初は地獄のような日々ですよ。社長がバンバン営業に行くんです。広島行って姫路に行って鳥取に戻って、もう1回広島に行ってそこから大阪、そして岡山。

もう今自分がどこにいるかわかんないぐらいで。毎日車での移動が4時間、5時間当たり前。大変だったけど、そのときにこういう感じで話せばいいんだと学んだんですよ。

その後、1人で企業さんを訪問するようになって。最初に1人で営業に行った時って、相手は初めて会う人だし「大丈夫かな?」と心配してたんですけど、電車の中で目の前を見たら、スーツを着た人が同じように不安そうな顔をして資料を見てて。

「今日は何を話せばいいのかって考えてんだろうな。一緒だな」と思って、降りる時に「今日、頑張りましょうね」って声かけて。そのとき1発目に入ったところと契約できました。

とにかく僕はサッカーと一緒で向かっていくので。自分で行って話をするんです。資料は持って行かないんですよ。相手がこちらに興味がないのに資料を持って行っても仕方ないから。

それで会長さんとか社長さんと話をしてて、「わかった。何をやればいいんだ」って言ってもらったら、「もう1回来ます」と言って次に営業を連れて行って、そこで資料を説明するんです。

営業方法を学ぶ

岡野雅行「飛び込み営業もやる」

営業に行く時って、通りにあった企業さんをしらみつぶしに歩いたりしてるんです。飛び込み営業ですね。ピンポーンって鳴らして「ガイナーレの岡野です。ちょっと挨拶に来たのでいいですか?」と言って入らせてもらって。

もちろんトップの方がいないと話は決まらないんですけど、「社長がいなくてもご挨拶だけさせてください。みなさん今年もガイナーレ頑張るのでお願いします。見に来てください」って頭を下げて。喜んでもらっていると思います。

現役を引退した選手で、その後にテレビに出られる人って少ないじゃないですか。それでどこかの企業に入って最初は挨拶の仕方から勉強しなきゃいけない。でも、頭を下げることってなかなか難しいと思うんです。

だってみんなずっとエリートだったから。僕は高校にサッカー部もなかったりヤンキー高校だったり、そういうのがあったから頭を下げるのなんて当たり前だと思ってて、僕はずっとこれが普通だと思ってやってきました。

やっぱり目の前で話すというのは大事なんです。特にトップと。みんなが怖いって言って近づけないような人がいるじゃないですか。でも僕は関係ないから、どんどん行っちゃう。

嫌われてもいいから、やっぱり出て行かなきゃダメなんだと思いますよ。自分の口で喋って。ホームページも作ってはいるんですけど、ホームページって興味がある人は調べて見てくれても、興味がない人は見ないから。

昔はまず「Jリーグとはどういうものか」というところから説明しなきゃいけなかったですね。次にJリーグは知っててもJ3というのはどういうのかわかってなかったりとか。

「ガイナーレってJリーグとは関係ないんでしょ?」って言われたりもしましたし。今はだいぶ浸透してきたと思います。

野人というあだ名

岡野雅行「野人というあだ名が良かった」

自分の「野人・岡野」というイメージも逆の意味で良かったと思います。みんな「長髪でどうせチャラチャラしてんだろう?」みたいに思ってるんですよ。

それで僕が挨拶に行って、「今日はお時間を作っていただいてありがとうございます」と言っただけで驚かれて。「挨拶ちゃんとできるんですね」って、それだけで契約してもらえるみたいなのもありました。

もしこれがちゃんとしている人間としてイメージを持たれているような、たとえば川口能活だったらきちんと挨拶して当たり前と思われちゃうんでしょうね。

僕に「野人」というあだ名を付けてくれた、今は浦和でスポーツ・ダイレクターになった土田尚史さんに感謝です。本当によかったというか、今の仕事になってとても生きてます。

接待の席にも行きますね。今は「接待」ってだけで嫌いな人多いじゃないですか。お酒が入ったら文句を言われたりもするから。でも僕は昔から飲むのが好きだったんで、いろんな所に顔を出してたんですよ。だから接待は全然平気なんです。

ただ、みなさんのイメージに、「現役の時は飲んで暴れてたんだろう?」というのもあるんですよ。だから宴会の席でみなさんにお酒をついで回っている姿を見てもらっただけで、ある会長さんが「日本代表なのに正座して酒をついでる。気に入った」と支援を決めてくださったこともあります。

地道にガイナーレファンを増やす

昔、ガイナーレを嫌いな人ってやっぱりいらしたんですよ。実はその「気に入った」と言ってくださった会長さんだったんですけど、その会長さんが他の社長さんたちに向かって「おまえたち、どうしてガイナーレを応援しないんだ」って会合で言ってくださって。

みんなから「会長が嫌いだって言ってたじゃないですか」って突っ込まれてましたけどね(笑)。

それに僕は接待で負ける気がしてなくて。チュウブの会長さんはすごくお酒が好きで、あるとき、一升瓶を目の前にドーンと置かれて「これを飲んだらまた次の支援するから」と言われ、2人でずっと飲んでました。

おちょこが小さかったので途中から大きいのにしてガバガバ飲んで、とうとう一升瓶を空けたんですけど、そうしたら会長さんがベロベロになっちゃって、「何でお前は平気なんだ」って。

こっちは緊張して気が張ってるから酔わないんです。そんな状態なのに「もう一軒行くぞ」って言われて、次はウイスキーをドンと目の前に置かれて。

とうとう「お前、強いな」って会長さんが帰ることになって、僕はタクシーが見えなくなるまで頭を下げて、そこからホテルに帰ってぶっ倒れました。その次の日のお昼過ぎに電話したら、「わかった。次も絶対やるから」って。

僕はゴルフのコンペも顔を出しますね。コンペのときって僕はガイナーレに興味を持ってない人と組ませてもらってるんです。ハーフが終わってちょっと話をして、次第にサッカーのことなんか聞いてもらえるようになって。

それで夜の懇親会で「支援するよ」って言ってもらったこともあります。

そういうのをずっとやってきて、もう僕は知らない社長さんがいないです。会う人がみんなすごい社長さんとか会長さんばっかりで、その人たちからいろいろ教えてもらうんです。「こういう感じでやればいいんだよ」とか飲みながらヒントをもらったりとか。そういうので自分を磨いていったという感じですね。

今はこの仕事をやって本当によかったと思ってます。こういうことをやらないとお会いできない人たちと知り合いになれましたから。いろんな社長さんの苦労話なんかを直接聞けるというのだけでもすごいですし。

何百億円の借金があったけど、頑張って今は何千億円の売上にしたとか。そうすると余計に相手を尊敬の目で見ることができるようになりますね。

最近うれしかったのは、東京でご飯食べてたとき「もうガイナーレ辞めたんですか?」って聞かれたり、電車の中で「ガイナーレ頑張ってください」って言われたりしたことですね。僕がガイナーレで働いているというのが浸透したということですからね。鳥取じゃなくて他の地方で言われたというのが、よけいにうれしく思えましたよ。

岡野雅行のうれしかったこと

岡野雅行のやりたいこと

僕がやってみたいことは……夢は昔から居酒屋をやることなんです。下北沢とか三軒茶屋あたりに店を出したいと思ってて。そしたら今まで知り合った社長さんは全員来てくれるんじゃないかなって(笑)。

そこに来てくれるような人たちって、信じられないようなお金持ちの人たちだから、店を広くして値段を高くしたいんですけど、あまり無理しちゃダメなんです。20人か30人ぐらいが入れるところですね。でも高いボトルは置いておく、みたいな。

そこにやってきた社長さんに「社長、ドンペリありますよ」って営業して。そういうのをやって儲けたいです。今みたいな大変なプレッシャーがある中で稼ぐんじゃなくて、もうちょっとノンビリ出来ないかなって(笑)。

岡野雅行のやりたいこと

(撮影:神山陽平/Backdrop)

執筆

森雅史

多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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