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心の「本音」に耳を傾けよう。適応障害になり、僕は大好きだった仕事を辞めた。

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適応障害という病気を知っていますか?

うつ病と違い、日本ではまだまだ認知度の低い適応障害。この名前を聞いただけでは、どんな病気か想像することは難しいかもしれません。

かく言う僕自身、自分が適応障害になって初めてこの病気の存在を知りました。

 

SNSやブログで適応障害の経験談を発信していると、「病院で診断されたわけではないけど、私にも思い当たることがある」というコメントを貰うことがあります。

適応障害は、放置しておくとうつ病にも発展しかねない病気です。決して「甘え」や「なまけ」ではありません。

 

仕事に向かう足取りが重い。不眠症気味だ。苦手な上司の顔を見ると胸が苦しくなる…。それらはもしかしたら、適応障害の兆候かもしれません。僕の経験談をシェアします。

起業、大学卒業、そして適応障害に

厚生労働省のホームページ「みんなのメンタルヘルス」によると、適応障害とはある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れる心の病気を指します。

僕は大学を卒業して2ヶ月が経った頃、今から約1年7ヶ月前に適応障害を発症しました。当時は在学中に起業したNPOで代表を務めていたのですが、自分の立場から生じる精神的プレッシャーや毎日のハードワークに耐えることができず、ある日の会議中にパニック症状を発症。

 

いい年をした24歳の大人が、泣き喚き、叫び声を挙げ、過呼吸になり、地面に突っ伏しました。

症状が落ち着いた後、友人に支えられながら何とか自宅まで帰ったものの、時間が経つにつれて今度はとてつもない抑うつ症状が襲ってきます。まるで生きる気力を失ったかのように玄関に座り込み、そのまま動けなくなってしまいました。

呆然と床を見つめながら、一人涙を流していました。

一ヶ月前から兆候が出ていたのに

人間の体は素直にできています。いくら心で自分を奮い立たせたとしても、強いストレスがずっと続けば、何かしら体の症状として現れます。

振り返ってみると、適応障害を発症する一ヶ月くらい前からでしょうか、僕の体にも確実に「兆候」が出ていました。朝起きると体が鉛のように重い。苦手な人の顔を見ると胸が苦しくなる。会議に向かう足取りが重い…。

 

「まぁ、疲れているだけだろう。」当時の僕はそう自分に言い聞かせ、大して深くは考えていませんでした。

ただ、日に日にその「兆候」は重くなっていきました。パニック症状になる数日前には、朝ごはんが全く喉を通らなくなったり、理由もなく気分がずっと塞がっていたり…。

そんな状態だったにもかかわらず無理して仕事を続けた結果、ある日限界を超えてしまったのです。

仕事から離れ、休養することに

後日、僕は心療内科に足を運び、正式に「適応障害」と診断されました。

適応障害になると、心理面や行動面に何らかの症状が現れます。僕の場合、それが強い抑うつ症状でした。

 

病院で話を聞いたところ、専門医でも適応障害とうつ病を区別するのは難しいようです。「来るのがあと数ヶ月遅かったら、うつ病になっていたかもしれません。」人生で初めてお世話になった心療内科で、医者からそんな言葉をかけられました。

適応障害の原因を一言でいえば、強すぎるストレスです。そして多くの場合、そのストレスは自分のいる環境によってもたらされます。

 

逆に言うと、適応障害は原因がはっきりしているからこそ、その原因から離れれば症状は改善される病気です。人や状況にもよりますが、概ね3ヶ月から6ヶ月で快復すると言われています。

僕が適応障害になった原因は、大好きだったはずの仕事でした。大学4年生で起業し、毎日馬車馬のように働き、「自分はこの仕事に一生をかける」そうとすら考えていた仕事から、僕は離れることになったのです。

症状は良くなった。でも、もう仕事には戻れない

休養生活を開始してから3ヶ月が経ち、日常生活は問題なく送れるようになりました。当時の僕は起業したNPOの本業以外にも、個人でブログ運営などの副業をやっていたので、まずは一人で完結できる、そして体に負荷の少ない仕事から始めるようにしました。

 

うつ病や適応障害のような病気には、波があります。「今日は調子がいいな。カフェでブログでも書こう」と気分がいい日もあれば、「何だか朝からずっと気が重い。今日は一日部屋に引きこもろう」と、鬱々としていた日もありました。

そんな浮き沈みを繰り返しながらも、抑うつや気持ち悪さといった症状は日に日に薄れていきました。

 

ただ、どこかのタイミングで休職したNPOの仕事をどうするか、これからの進路をどうするか、考えなくてはなりません。

もちろん復職する選択もありました。ただ、5ヶ月間も仕事を離れていたからか、その時点ではまた同じ職場に戻り、以前と同じように働いている自分を想像することは難しくなっていたのです。

そして、「あそこに戻る」という進路を考えると、いまだに胸の奥が苦しくなるのを感じていました。

 

結果的に、僕は一緒に働いていた友人らからは引き止められはしたものの、最終的には自分で起業したNPOを自分の決断で辞めることにしたのです。

あれだけ大好きだったはずの仕事を辞めるのには、大きなエネルギーを必要としました。何かを始めるよりも、何かを辞める時の方が大きな力が必要だと学びました。

適応障害の経験談を発信していく

ここで終わってしまうと、ただの暗いストーリーになってしまうかもしれませんが(笑)、現在の僕は起業したNPOを辞めたことは後悔していません。

2019年から僕は、フリーランスに転向して仕事を再開しました。現在は日本とアフリカを往復しながら、国際協力をテーマに様々な仕事に携わっています。その様子は、これまでのコラムでも書いてきました。

そして、今では適応障害の経験談を発信することができています。

 

ただ、今こうして落ち着いて当時のことを振り返ってみると、自分の体や心の「本音」に耳を傾けることの大切さを痛烈に感じます。

適応障害を発症する前、僕の体には間違いなく兆候が出ていました。きっと、体も心も「少し休みたい」と本音を漏らしていたのだと思います。

でも、僕は自分自身に「こんなことで休んでなんかいられない」「ただ疲れているだけだろう」と、「嘘」を付きながら無理して仕事をしていました。

この記事を読んでいるあなたは、自分の体に、心に「嘘」を付いてはいませんか?

 

日本では毎年のように、多くの方が自ら命を絶っています。とても悲しいことです。僕もあと数ヶ月無理をして働いていたら、本当にどうなっていたかわかりません。

体の内側から「休みたい」と本音が聞こえたら、休む勇気を持ちましょう。人生100年時代ともいわれる今、長く、そして健康的に仕事を続けるためには、休むべき時に休む勇気を持つことが大切です。

 

こちらの記事『適応障害になり学んだ8つのこと 実体験に基づきシェアします』もあわせてご覧ください。

 

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執筆

原貫太

1994年生まれ。フリーランス国際協力師。早稲田大学卒。 フィリピンで物乞いをする少女と出会ったことをきっかけに、学生時代から国際協力活動をはじめる。これまでにウガンダの元子ども兵や南スーダンの難民を支援。出版や講演、ブログを通じた啓発活動にも取り組み、2018年3月小野梓記念賞を受賞。

編集

川崎 博則

1986年生まれ。2019年4月に中途でさくらインターネット株式会社に入社。さくマガ立ち上げメンバー。さくマガ編集長を務める。WEBマーケティングの仕事に10年以上たずさわっている。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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