東京都大田区にある社会福祉法人善光会では、日本最大級の福祉施設であるサンタフェガーデンヒルズをはじめ、都内に7箇所の施設を運営している。介護ロボットをはじめとする先進的なDX(デジタルトランスフォーメーション)に取り組み、介護施設のオペレーションの最先端を走っている。社会福祉法人では初めてとなるシンクタンク機能を有したサンタフェ総合研究所も設置し、人とロボットが連携した介護をおこなうスマート介護士の制度化もおこなった。最高執行責任者 兼 統括施設局長の宮本 隆史(みやもと たかし)さんに話を聞いた。
宮本 隆史(みやもと たかし)さん プロフィール
1985年生まれ。社会福祉法人善光会 理事、最高執行責任者 兼 統括施設局長。介護職に従事後、特別養護老人ホームの立ち上げに関わる。2009年より介護ロボット「HAL」の導入に携わる。2013年「介護ロボット研究室」、2017年に「サンタフェ総合研究所」を設立し、介護施設におけるDXの推進を主導する。2021年第5回日本医療研究開発大賞AMED理事長賞を受賞。
人口減少、高齢化社会の到来
日本の人口は毎年減少し、高齢化も進んでいる。2065年の総人口は9,000万人を割り込み、高齢化率(65歳以上人口割合)は38.4%になると推計されている。*1
介護業界は社会保障のインフラとしての側面がある。しかし、人口動態から人材不足が予想され、生産人口の減少により、社会保障の財源となる税収減も予想される。そんな状況下、介護業界はより効率的で、持続可能な運営が求められている。一方、「人が人を見る」ことを美徳とする意識が根強く、属人的で過酷な現場でもある。非効率でエモーショナルな現況が、人口減と高齢者増で、さらに状況が厳しくなりかねない。介護現場の生産性を図ることは、介護業界の克服しなくてはならない課題となっている。
善光会の理念とビジョン
社会福祉法人善光会の設立は、比較的新しい2005年。当初から「オペレーションの模範となる」「業界の行く末を担う先導者となる」を理念として運営されてきた。ビジョンとして「諦めない介護」「先端技術と科学的方法を用いたオペレーション」を掲げている。厳しくなる介護業界の将来を見据え、これからどのような施策が必要なのだろうか。
「業界全体として、生産性をあげていく方向性はあります。ただ、介護の現場が過酷であることは変わらない。イメージとして、そのレベルが将来10になるのを、5まで抑えられないだろうか。少しでも介護職が働きやすい環境を構築していきたい。職員が多忙になるほど、そのコストは利用者にも転嫁されます。サービス品質を下げずに、上げるように意識していきたい」宮本さんはそう話す。
サンタフェガーデンヒルズは、善光会のフラッグシップとなる複合福祉施設だ。設立当初より、障害者と高齢者がともに生活する共生型の施設になっている。米国のサンタフェ市は、多様な文化と歴史が融合した都市。サラダボウルと言われ、さまざまな人たちが住んでいる。善光会のこの施設が、「サンタフェ」と名付けられたのは、多様性に由来する。
サンタフェガーデンヒルズ内には、2017年に設置された「サンタフェ総合研究所」がある。ここでは介護施設における効率的なオペレーションや、介護ロボットの開発・臨床研究などがされている。取り組みの中で蓄積された知見は、介護業界向けの経営コンサルティングや、介護ロボットメーカーへの開発・販促支援に活用されている。福祉施設内にこういった研究所があることもきわめて先進的だ。
オペレーションの模範になる基本的考え方
宮本さんがオペレーションの効率化をデザインした時、着目した考え方がある。それは「トヨタ方式」だ。「人の介護はモノではない」と誤解されぬように説明が必要だが、あくまでそれは介護の現場から「ムリ・ムダ・ムラ」を減らすこと。本当に「人が人のためにすべきこと」を可視化し、そこに人的リソースを投入できるようにするためだ。
「介護の仕事は3つに分けられます。1.直接介護、2.間接業務、3.間接介助。つまり、人がやらなくてはならないこと、人と機械が融合してやったほうが良いこと、あとは機械がやった方がパフォーマンスが出るものに分解できます。人が人のためにやった方が良いことにどれだけ注力できるか。それがポイントです。
今は、機械がやったほうが優れていることにも人のリソースが割かれています。だから生産性が上がらない。そこを最適化して、少ない人数でもパフォーマンスが高いサービスを提供していくこと。そのためには標準化が必要です。業界全体の生産性をあげるためにも必要です。
介護職員は専門職です。施設の中で一番人数が多い。なんでもやるが、業務の中には専門性が高い領域と、そうでない領域もある。極めて労働集約的で、定量的に数字として評価が見えてこない。美徳感、すなわちエモーショナルな部分をテクノロジーを使って定量化し、可視化する施策が必要になっています」
介護ロボット「HAL」
善光会では、2009年に日本で初めて介護ロボット「HAL」を導入した。利用者が「HAL」を使ったら歩けるようになるのではないか。当時、革新的取り組みを進めており、宮本さんも面白そうだと思った。
しかし、まだまだ技術先行で利用者のUX (User Experience) も低かった。そのため、ロボット開発メーカーのCYBERDYNE株式会社と一緒に検証と実証、改良を続けてきた。この取り組みは2013年の「介護ロボット研究室」の設置につながる。ここでは150以上のさまざまなロボットを試行錯誤して検証してきた。宮本さんが感動したエピソードがある。
「HALを使うことで、今まで動かなかった脚を動かせるようになった利用者がいました。それがきっかけとなり、その利用者のモチベーションがあがったのです。HALをつけていない時でも『自分で脚をあげたりさげたりしてみよう、立ち上がってみよう』と前向きな気持ちになったのです。
利用者のモチベーションが上がり機能回復につながったのは、この機械が持っているパフォーマンスの1つだと思いました。ロボットを使うことで、利用者が頑張ろうとか、諦めずに生きてみようという気持ちにつながるのは、非常に大きなことだと思いました」
クラウド型介護ロボット連携プラットフォーム「SCOP」
同じ内容を繰り返すことはムダな作業だ。介護職員は現場を動き回りながら、何十人もの利用者の記録をメモしていた。事務所に戻った後、再び同じ内容をPCに転記していた。善光会ではこの「繰り返しのムダ」を削減するため、クラウド型の介護ロボット連携プラットフォーム「Smart Care Operating Platform (SCOP)」を開発した。これにより巡回、見守り、記録、申し送りなどの業務を大幅に効率化できた。
SCOPの1つの機能を紹介する。タブレットを記録紙のように見立てて、利用者の状況を介護システムに直接入力できる。しかも1回の入力ですむので、今までのように紙からPCに転記する必要はない。入力も視覚的に見やすいアイコンやタブを選択することで、UI (User Interface) を高めている。
これにより、介護現場での記録業務は76%の時間が削減できたという。入力のミスも減った。
「記録などの間接業務は最大限短くしたい。介護職員は忙しく働いています。限られた人数でパフォーマンスを出し続けなくてはなりません。今のオペレーションで、間接業務や直接介護していない時間、利用者と直接関わっていない時間をどれだけ短縮できるか。逆にいうと直接利用者に関わる時間をどれだけ増やせるかということです。そのためのツールとしてSCOPがあります」宮本さんはそう話す。
SCOPは内閣官房主催の「第5回日本医療研究開発大賞AMED理事長賞」を受賞した。
善光会の介護施設では、センサー機器による利用者の状況把握をおこなっている。利用者のベット下には「眠りSCAN」のセンサーシートが敷かれ、呼吸・心拍・睡眠のデータを常時把握している。居室の天井には、転倒リスクに備え、利用者の行動を把握するセンサー「HitomeQ(ひとめく)ケアサポート」も設置している。これらのセンサー機器を複合的に運用することで介護職員の巡回、見守り業務の負荷を軽減した。
一方、現場の介護職員にとってさまざまなツールは便利な反面、ハードウエアやインターフェースがバラバラだと、それぞれのアプリや操作方法を覚えなくてはならない。UI/UXのハードルが高くなってしまう。
そこで、善光会では統合型のツールのインターフェースを作った。1つのアプリケーションの画面上で、複数メーカーの機能や情報を見られるようにAPIを作った。情報のシームレス化を通じて、業界全体への貢献を考えている。
未来へ向けて「やりたいこと」
宮本さんに、今後進めていきたいことを聞いた。
「SCOPは善光会だけの仕組みだけでなく、他の施設にも利用いただいています。そうして広く得られたデータは、個人情報は除いてビッグデータ化していく。データ優位の仕組みを作り、標準化していかないと何が良いサービスなのか、良い方法なのか検証が難しい。
まずはビッグデータ化していくこと。介護保険の事業者、利用者、地方自治体を横串でつないでいくこと。現在の介護業界は縦割りです。ビッグデータ化し、得られた知見は日本の将来の政策提言につなげられます。そうすることで、介護サービスや介護保険も大きく変わっていく可能性があります。
データを使っていくこと、データを取得し、統合し、分析していくことです。それらを通じてこれからの介護サービスの案を出すことにも注力しています。どんなサービスが利用者にとっていいのかを方向付けていくこと。さまざまな介護の関わり方があると思いますが、今はまだ千差万別です。今後は標準化し評価してエビデンスを作り、サービスも作るという循環の流れを作っていかなくてはならないと考えています。その仕組みを社会実装していく。その必要があります」
宮本さんが主導しているDXは、善光会の生産性向上だけではない。将来の介護業界全体の向上を見据えたスキーム作りだ。