臨床医療や医療教育のためのバーチャルリアリティソフトウェアを提供する、Holoeyes(ホロアイズ)株式会社。共同創業者で、代表取締役兼CEO兼CMO(最高医療責任者)を務めるのが杉本真樹さんです。杉本さんは医師・医学博士として働きながらHoloeyesを起業。そのほか、TEDx(テデックス)※のco-organizer(共催者)としても活動中です。
※TEDの「よいアイデアを広めよう(Ideas Worth Spreading)」の精神に基づき、TEDからライセンスを受け、世界各地で発足しているコミュニティー。
今回は杉本さんに起業したきっかけや、さくらインターネットとの関係について聞きました。
外科医に憧れを抱く
――杉本さんが医師を目指したきっかけについて教えてください。
僕の家族や親戚に医師はまったくいません。小中高一貫の進学校に通っていたのですが、そこは家族に医師のいる同級生が多い環境でした。大学受験を意識しはじめたころに、同級生たちが医学部に行くと言いだしたんです。「家族が医師だから」と、当たり前のように医師を目指していました。
小学生のころからバカみたいに一緒に遊んでいた友達が、みんな医師になると言っているわけです(笑)。それがきっかけで、医師についていろいろ調べてみたら、とても素晴らしい職業だなと思いました。
医師は人がいる限り、医師でいられます。仮に、自分以外に人がいなくなったとしても、知識は自分に対して使えますよね。僕は医師のなかでも外科医に魅力を感じました。全身を管理したり、時間軸で長く患者を診られるのは外科医です。手塚治虫の「ブラックジャック」も読んでいて、憧れもありました。
もちろん、憧れだけではできない仕事です。自分の命を削りながら人々に与えているから、外科医は寿命が短いという話もあります。でも、その考え方も素晴らしいなと思ったのです。外科医の仕事は、悪いものを手術で取ること。非常にシンプルでわかりやすく、崇高な行為です。それで、医師というよりも外科医になりたくて医学部に入りました。
20年外科医をしてきて感じたこと
――外科医をしながらIT企業の経営者としても活躍されています。ITに興味を持ったきっかけは何でしょうか?
20年ぐらい外科医をしていると、医療は非効率なことがかなり多いと感じました。国内に限らず世界的に見ても、さらに効率化するべきなのに古いものを変えられません。なぜかというと、医療には命がかかっていて、安全性・正確性を担保しなければならないからです。そのための規制も厳しく、新しいものを取り入れるのが難しい環境です。
医師は仕事に忙殺されていて、非効率なことをやらざるを得ない。効率化しようという意識が、そもそも働いていません。医療機器は承認されたものしか使えないし、試しに使ってみるのも大変です。そういった状況なので、医療はどうしても保守的になってしまいます。
大学病院から千葉の病院に出向して、地域医療・在宅診療などに関わったとき「この非効率を何とかしないと、医師が疲弊して医療が成り立たなくなる」と実感しました。そう考えていた2003年ごろに、CTやMRIの画像を三次元化するIT技術「OsiriX(オザイリクス)」に出会いました。それがVRを現実的に考えた最初の出来事です。
この技術を取り入れたところ、業務が効率化されるだけではなく、自分自身のモチベーションにも繋がったのです。
まわりの医師にも「それどうやってるの?」「やってみたらすごくうまくいったよ」と言ってもらえましたし、職場の雰囲気が前向きになったのです。患者さんとのコミュニケーションもスムーズになりました。
オープンソースの衝撃
――OsiriXのすごさはどのようなところにあったのでしょうか?
OsiriXは、Macを使ってレントゲンの2D画像を3次元にできるものでした。当時、そのようなソフトは、売っていたとしても何千万円もするし、個人ではとても買えないようなものでした。なのに、同じような機能がオープンソースで配布されている。衝撃でしたね。機能もすごいけれど、これをやっている人たちがすごいと思いました。
OsiriXは、若い医師とエンジニア2人が、オープンソースのライブラリを組み上げて作ったものです。僕が素晴らしいと思ったのは、「元ネタがオープンソースだから、自分たちが作ったものもオープンソースにするべき」という理念です。
医師が自身の業務効率のために作ったものですから、お金を儲ける必要がありませんでした。同じことを企業がやっていたら、そうはならなかったと思います。オープンソースという仕組みや理念にとても共感して「いつか自分もそういうことをやりたい」と考えました。
外から医療を見ることで見えてくるものがある
――外科医としてIT技術を活用するだけではなく、起業しようと思ったきっかけについて教えてください。
大手企業との共同研究で医療機器の開発をしていたこともあるのですが、共同研究の縛りの中でスケールする事業はできません。それで、自分で舵をとって責任をとるスタイルを考え、起業にたどり着きました。
さきほど「医療は保守的にならざるを得ない」と言いましたが、そういった現状は当事者たちにとっては仕方のないことだと思います。彼らもわざとそうしているわけではありませんし、そうせざるを得ない状況は理解できます。
それを前提として受け入れて、それでもデジタル化などで先に進む方法を模索したいです。医師たちの難しい環境の中でも「ここまでできますよ」という落としどころを見つけたいと思っています。
そのためには、私が臨床にどっぷり浸かっていると外が見えなくなってしまいます。一度、臨床の世界から自分の身体を出して、外から医療を見ることで、見えてくるものがあるかもしれません。
――医療機器は高価なイメージがありますが、杉本さんは誰でも安く使えるようにしたいという想いがあるそうですね。
医療機器がなぜ高いか。それは数の少なさや、承認を得たり安全性を保持するためのコストがかかるからです。ただ、サブスクリプションやソフトウェアサービスとして提供するなら、モノとして存在する必要はありません。
とくに、これからを担う若い医師たちに活用してほしいと思っています。20年〜30年後に中堅として活躍するような方々に、若いうちから体験してもらったり、自分たちで考えたりする機会を作りたいです。
若い人たちには、高額な医療機器を買う機会もなかなかありません。自分たちが普段から使っているスマホでまず体験してもらう。自分たちが、自分たちの手で技術を作り上げる環境を整備したいと思っています。
なので、われわれの会社はハードを提供していません。提供するソフトウェアが、一般に出回っているすべてのゴーグルやデバイスに対応させることに力を入れています。
「熱意」だけでは足りない。「熱狂」までいかないと
――以前、杉本さんが「『熱意』だけでは足りない。『熱狂』までいかないと起業はうまくいかない」とお話しされていたのが印象的でした。
「熱意」は内に秘めるほうが美徳とされる傾向がありますが、「熱狂」はまわりの評価を気にしないものです。でも、正しいことを正しくやらなければならない。悪いこと、世の中にとってマイナスなことに熱狂している人もいますが、より良い方向に熱狂するのは良いことだと思います。
シンプルに言うと、内向きか外向きか。自分のために良いかどうかを考えている人は、世の中のためかは考えていません。そういった内向きの「熱狂」は良くないですね。僕は、絶えず外向きに「熱狂」していきたいと思っています。
まわりに人がいないとそれを見失ってしまいます。人とのコミュニケーションの中に、絶えず自分の身を置くことが大事です。僕は、自分の所属するコミュニティを7つぐらい持つといいと思っています。
僕も、7つぐらいのコミュニティに関わっていますね。非常におもしろい融合が起きて、まったく違う領域にも関われるようになります。共通する友人が増えてくると、新しいシナジーは生まれません。属性を変えるのは、コミュニケーションを磨いていくうえでは重要です。
さくらインターネットとの関わり
――そういったコミュニティの中で弊社代表の田中とも出会われたと思いますが、どのような出会いだったのでしょうか。
田中さんとはTEDxSapporoのコミュニティで出会いました。私の登壇した2012年開催のTEDxSapporoSalonでご紹介いただいたと思います。
僕がTEDxを知ったのは、知り合いの内科医が声をかけてくれたことがきっかけです。第2回TEDxTokyo開催時に「TEDxっていうのがあるけど、来る?」と誘われて、何の団体かよくわからない状態のまま行きました(笑)。
行ってみたら、各界の著名人や、すごい人がたくさんいて「こんな世界があるんだ」と非常に驚きました。その場にいた人たちに共通していたのは「世界をより良くしたい」という想いです。そういったアイディアを求めているし、自分のアイディアを発信して世の中に還元したいと考えている人たちの集まりでした。これは素晴らしいなと思いました。
その後、TEDxOsakaをおこなっている知り合いとの関わりから、TEDxOsakaやTEDxSapporoで登壇する機会をいただいたり、運営に携わったりしました。いまは、TEDxの共催者側として活動しています。さくらインターネットには、日本各地のTEDxのWebページ運営などサポートしていただき、大変お世話になっています。
医療のDX化を進めるために
――医療のDX化を進めるためにはどのような課題がありますか?
「医師の裁量」という言葉があるとおり、医療においては医師が裁量権を持っています。ただし「医療機器」でないものは使ってはいけない、保険適用の医療行為以外はしてはいけない、と考えている人もいます。
保険適用の医療行為かどうかは、それが良いか悪いかではありません。国が優先順位をつけているだけです。国が主導で取り組むのではなく、現場の医師が必要と判断したら、自分の裁量権で責任を持って治療をする。これが本来の姿だと思います。
医師には責任がともなうし、患者も同意をすれば、患者にも責任を持ってもらうことも必要です。実際には「先生におまかせします」という患者も多いですが、患者自身も納得できるように説明を受けて、一緒に治療を進めたいと僕は思いますね。
DXが進んで医療情報を共有できるようになるとしたら、医師が自分で責任を持ち、患者も自分で責任を持てるようになってほしいです。そのためには「正常」とは何か、「病気」とは何か、そして自分がどういった状態かを知るべきです。
医療を理解しているわれわれ医師こそ、病気にならないためにはどうしたらいいか、病気になる可能性がある行為はやめましょうと啓蒙していく。それで、健康な人たちが自分自身で責任を持てるようになればいいと思っています。
自分で自分の健康に責任を持つきっかけを作るには、危機感を持たなければいけません。たとえば、ガンで亡くなった人のデータを共有する。ガンになった人は、意外と自分の経験をみんなの役に立ててほしいと考えていて、情報を開示してもいいという方が多いのです。でも、発信する機会がなかなかありません。
自分から発信できる、少なくとも橋渡しができるプラットフォームは、これから作っていきたいですね。
杉本真樹さんの「やりたいこと」
――さくマガのコンセプトは「やりたいことをできるに変える」です。杉本さんが今後やりたいことについて教えてください。
Holoeyesのサービスは、かなり価格を抑えていますし、安いデバイスでも使えるものにしています。医療機器、とくにプログラム医療機器といわれるもの、あとはオンラインで使うものに対して、医療従事者が感じているハードルを下げたいですね。そして、実際に使ってもらった人からのフィードバックを集めたいです。
現実に取り組んでいる話だと、医師が患者のデータを三次元にして、それを見ながらVRで手術の様子を記録しています。ボイスレコーディングと合わせて、手術をする手の動き、手術中に書いたメモを、三次元の座標として記録するというものです。
同じゴーグルをかぶって、録画したデータを見ると、VR空間で手術の動きと音声・メモが時系列で再生されます。普通のビデオ撮影の場合、フレームが決まっているので、同じ方向からしか見られませんよね。それに対して、座標で記録する方法だと、あとから視点を自由に変えて見られます。
ということは、手術をした医師の手の動きに、自分の手の動きを合わせてシャドウイングするとか、手術の動きを追体験できます。
――医師の手術テクニックって暗黙知だと思いますが、それが形式化されて若い医師も勉強できるわけですね。
そうです。音声解説やコメントも入れられますから、抽象的なことも動きと言葉で記録できます。さらに、追体験した人がコメントを入れれば、付加価値ができます。これは時間と空間の制限を超えていますよね。
これだけでも十分価値が高いので、何らかの形で医療従事者たちに提供して、流通させたいです。ECサイトで本を買うと「次はこの本がおすすめです」とリコメンドが出ますよね。それの医療情報版をやりたいと思っています。
たとえば、難しい手術が必要な患者がいるとします。その患者に対して医師がどうしたらいいか迷ったときに「こういう風に手術をしたらどうですか」とリコメンドがくる、といったものです。
さらに「この方法で30%のドクターが失敗、70%のドクターが違う方法でうまくいった」といった情報が蓄積されていけば、選択肢のひとつとして考えられます。こういった集合知を作っていきたいですね。
医療は暗黙知がとても多い領域です。暗黙知だという認識もないかもしれませんし、背中を見て育つと思っている方もいるかもしれませんが、そんなわけはないですよ。背中には何も書いていませんから(笑)。それを知らしめる意味でも、僕たちの活動は意味があると思います。
COVID-19の影響で、医療現場もリモートや仮想空間が当たり前になりつつあります。この現実空間を超越した新たなデジタル空間世界はメタバースと呼ばれ、画像診断から治療支援まであらゆる医療情報が共有されていきます。 暗黙知を集合知に変える可能性があるこの医療メタバースを、新しい時代のコミュニケーションとして広めていきたいですね。