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豆腐店のDX 生産量が3割減っても利益は確保。薄利多売のスパイラルから脱出した両国屋豆腐店 

壁に大量に貼り付けられた注文メモをみながら、ノートに「正」の字を書いて数を数える。木綿豆腐何丁、油あげ何枚…数字を集計し、夜遅くまで手作業で生産計画を立てる。結婚して子どもができたが家族と過ごす時間はなかった。「一生こうしていくしかないのか…」未来が見えず、ひとり布団の中で泣いた。そんな中、疑心暗鬼で始めたDX(デジタルトランスフォーメーション)が功を奏し、固定観念を壊してくれた。付加価値の高い販売にシフトし、利益も確保。家族と過ごす時間も増えた。両国屋豆腐店の石垣さんに話を聞いた。

 

石垣 貴裕(いしがき たかひろ)さん

石垣 貴裕(いしがき たかひろ)さん プロフィール

1976年長野県に生まれる。大学卒業後、静岡県の水産食品の商社に就職。営業職をへて退職。

長野県富士見町にある家業の両国屋豆腐店を継ぐ。DXを導入し経営の効率化を進め、薄利多売から高付加価値商品の販売にシフトし利益も確保している。小学校での豆腐作りにも参画。

「生まれ育ったところをなくしてはいけない」創業70年の豆腐屋を継いだ

八ヶ岳を望む長野県富士見町に、両国屋豆腐店はある。祖父の代から70年続く町の豆腐屋だ。石垣さんは毎日豆腐作りをみながら育った。大学卒業後、静岡県の水産商社に就職する。

営業職は肌にあっていた。大阪に転勤し活躍していた時、家業を継いでいた兄が急病で亡くなった。しかし両親から「店を継いでくれ」と言われたことはなかった。「両国屋はなくなるんだな…」。自分を育ててくれた豆腐屋がなくなることがどうしても納得できず、会社を辞めて富士見町に戻った。突然戻ってきた石垣さんに両親は驚いた。石垣さんは豆腐屋になった。

昔、豆腐屋の朝は早かった。朝3時には起床して、一晩水に浸して柔らかくした大豆を挽く。挽いたものを煮たあと、絞って豆乳とおからに分ける。豆乳にニガリを入れて固める。冷やして切り分ける。石垣さんの祖父の時代は薪を使った火で、挽いた大豆を煮ていた。当日作った豆腐は当日中に売り切る必要があった。

今ではスイッチのボタンを押せば作業ができる。冷却装置の能力もアップし、短時間で冷却できる。工場が動き出すのは朝の6時だ。

 

両国屋豆腐店の外観

提供:両国屋豆腐店

 

両国屋豆腐店では30品目ほどの商品を売っている。木綿豆腐、絹豆腐、油あげに厚揚げ。こんにゃくも自家製造している。加工やサイズの違いで品目数は増える。ユニークなのは豆腐の燻製だ。注力しているのは学校や高齢者介護施設、病院の給食向け。油あげの需要の8割はお味噌汁用だ。今では取引先の要望で、細かく刻んだ業務用の大袋の受注が多い。調理場での工程を減らし人件費を抑えるため、少しでも手間が少ない食材が求められている。

 

両国屋豆腐店で扱う商品

両国屋豆腐店

「豆腐屋に未来はない、僕たちは生きていけない」1人で泣いた夜

豆腐は単価が安い。とにかく数を売らないと商売が成り立たない。地元のスーパーや量販店に安価で卸し、大量に販売する。

 

「そうするしかないと思っていました。薄利多売に追いかけられて、毎日それをくり返して。お客さまは安い豆腐のほうがいい。単価が安いから数を売らないと僕たちは生きていけない。競合も多く、卸価格はどんどん下がっていきました。一方、原料の価格は上がって利益が薄くなっていった。今日明日で困ることはないけれど未来が見えない。これからどうやって利益を得れば良いのだろうと」

 

結婚して子どもができていた。将来のことを考えると苦しくなった。

生産管理はアナログの手作業だった。壁一面に貼られた30枚もの発注書を見ながら、毎朝メモを片手に、商品の必要数を数えていく。「何をいくつ作るのか」と「正」の字を書きながら、仕込み数量と生産量を決めていた。毎日アナログ作業のくり返し。

前職の水産品の商社では、全国の在庫と加工数を把握できるオンラインシステムがあった。仕組みがあるのは知っていた。しかし「何千万円もかけて作るシステムなど、とてもじゃないがうちなんかでできる訳がない」別世界のことだと思っていた。

お店の経理は高齢の母が一手に引き受けていた。毎日、1枚、1枚レシートを打ち込む作業。そろそろ引退させてあげたい。でも、自分にはできない。会計の知識も能力もない。会計事務所に依頼すればお金もかかる。

生産管理と経理の業務を一緒にやることはできなかった。石垣さんは頭を抱えたが、解決策を見つけられなかった。

「そっちじゃない!こっちです!まずやるのは」DXコンサルタントとの出会い

そんな時、地元でクラウドの会計システムの「freee」のセミナーがあると耳にした。ちょっと試しに聞いてみよう。石垣さんは出かけた。そこでITコンサルタントの担当者との出会いが転機になった。

 

「当時、私はまだガラケーだったんですよ。話を聞いても、クラウド? 横文字ばかりでワケわかんないって。そういうことにすごく疎かった。すぐに導入しようとは思いませんでした」

 

それから半年、相変わらず「正」の字を数えながら、豆腐を作る日々をくり返していたが、いよいよ切羽詰まってきて、担当者に連絡をとった。「会計業務をなんとかしたいのです」お店にきてくれた担当者に相談した。業務の流れをヒアリングして、現場を確認した担当者ははっきり言った。

「『freee』を導入して会計どうこうより、生産管理を直さないことには、石垣さんの時間のなさはどうにもなりません」

 

「私は会計のことばかり考えていたんです。でも最初に解決すべき問題はそこではなかった。それで、もう飛び込むしかないと思ったんです」そうして生産管理システムに「kintone」(キントーン)を導入した。でも疑心暗鬼だった。

そもそもITのことはちんぷんかんぷんだった。「投資はしたけれど、本当に効果が出るのだろうか。手遅れになる前にやめたほうがいいのではないか」と何か月もモヤモヤしながらコンサルを受けていた。

「イケる!」考える時間ができた。安いだけじゃない。価値を高めれば豆腐も売れる!

「これはすごい!もっと早くやるべきだった」

そう思ったのは導入から半年後だった。

 

「各々のお客さまからの注文を入力すると一発で商品ごとの生産量や、翌日に向けた仕込みの必要量が出てくる。うわっ! これは使える! 初めてそこで気がつきました。こういうことだったのかと」

 

生産計画の時間を大幅に短縮でき、考える時間ができた。全体を俯瞰できるようになり、お客さまとコミュニケーションできる時間も増えた。

 

「単に安いものを求めているお客さまだけでないことに気づきました。原料や加工の仕方を工夫して提供すると『それであれば高くてもかまわない』というニーズがあったのです。これがわかったことは大きかったですね。

客単価も上がり、価値が高いものを売れるという別の世界に進めました。量販店に追われていた時と比べて、1日の生産量は3割以上減っています。でも、売上は落ちていません。付加価値やサービスをプラスすることで1つひとつの単価は上がっています。きちんと粗利が確保できる商売になり、良い循環になっています」

 

細かいニーズを汲み取り、カスタマイズして販売できるようになった。

 

「給食のきつねうどんに使う油あげを100枚だけ、三角に切ってほしい」調理の現場は人手が少ない。1枚ずつ袋を破り、斜めに切るだけでも手間がかかる。ゴミも大量に出る。現場の人件費と比べたら、多少の加工費のアップは受けてもらえる。ニッチで気づかなかった市場があった。大量生産のメーカーでは対応が難しいが、両国屋では小回りがきく。

 

原料も地元の長野県産大豆が使えるようになった。安い豆腐を作っていたときは、カナダ産やアメリカ産など、とにかく低価格が優先の大豆を使っていた。でも地元の長野産の大豆を使ってみたい。

信州の味噌は需要があるので、品質の良い大豆を作っている農家がある。値段もそこそこ高い。当初、小さな豆腐屋にはハードルが高かった。最初は少しずつ、今では年間を通して安定的に大豆問屋が仕入れてくれるようになった。

 

新しい商売の仕組みも初めて知る。

「豆腐を燻製にするとおいしいよ」隣町の加工会社が燻製にしてくれた。

「豆腐の燻製なんて…」と思っていたが、これがイケる! そこで燻製用に木綿豆腐を加工会社に販売した。できた燻製を購入し、付加価値をつけて両国屋の店頭で売る。委託加工取引だ。「豆腐の燻製っておもしろいですね」そういって買ってくれる人がたくさんできた。今では、両国屋の看板商品だ。

商圏も広がった。以前は地元の富士見町のお客さまだけだった。今では近隣の甲府市や岡谷市、諏訪市などからも、両国屋の豆腐を求めにきてくれる。毎週、クルマで1時間かけてわざわざ買いにきてくれるお客さまもいる。「だっておいしいんだもの」そのお客さまは言ってくれた。

電子商取引のECにもトライした。まだ小規模だが、イメージをつかむため実験的におこなっている。こうしたスキームを作れたおかげでコロナ禍も乗り越えられた。

 

「田舎は都会の人たちがきてくれないと大きな影響を受けます。壊滅的なダメージを受けた飲食店もあります。以前のように薄利多売をしているだけでは、うちも乗り越えられなかったでしょうね」

 

豆腐のくんせい

提供:両国屋豆腐店

 

DXを導入して一番うれしかったことを聞いてみた。

 

「家族と過ごす時間が確実に増えたことです。中学生になった息子のスポーツの応援にも行ってあげられるようになりました。妻にはよく言われるんです。『私は乳飲み児抱えて1人で走りまわっていたのよ』って」

 

落ち着いて考えられる時間ができて、お客さまと向き合えた。それは原点回帰ではなかろうか。祖父が始めた時はそうだったのかもしれない。しかし、薄利多売で数をこなすことで精一杯だった。

商品にきちんと手をかければお客さまに喜んでもらえる。遠くからも買いにきてくれる。商売として成り立つのだ。まだまだ豆腐屋はやって行けるのかもしれない。石垣さんはしんみりと話してくれた。

これからやりたいこと「子どもたちに豆腐を知ってもらいたい」

石垣さんは「両国屋が作っているお豆腐は、量産品とは違うね」そんな商品を作っていきたいと思っている。自分がそう思うだけでなく、お客さまに食べてもらった時、心の奥から気づいてもらえるような豆腐だ。

とろとろの濃い豆乳をプリンのように固めた評判の豆腐がある。おじいちゃん、おばあちゃんが買っていく。「似たものはあるけれど、両国屋のものじゃないと孫は食べないのよ」そう言ってくれることがとてもうれしい。

 

両国屋豆腐店の豆腐

提供:両国屋豆腐店

コロナで一時中断しているが、学校の実習室で豆腐作りをしたこともある。両国屋の豆腐は給食で使われているが、自分たちでもミキサーや鍋を使って作れると知ってほしかった。

 

「子どもたちにとっては、スーパーでパックに入って売っているのが豆腐かもしれません。でも、街には手作業で作っている人たちがいることを、伝えていきたい。子どもたちに豆腐のことを知ってもらわないと未来につながっていきません」石垣さんはそう話してくれた。

 

両国屋豆腐店

 

 

執筆・編集

さくマガ編集部

さくらインターネット株式会社が運営するオウンドメディア「さくマガ」の編集部。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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