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クリエイターが「活きていける」世界を実現する オシロ 杉山氏の歩んだ道

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「日本を芸術文化大国にする」

このような壮大なミッションを掲げるスタートアップがある。オシロ株式会社だ。同社が提供するのは、日本で初めてのクリエイターやアーティスト、企業・団体を含む表現者とファンをつなげるコミュニティプラットフォーム「OSIRO」だ。同社はどのような経緯から生まれ、「OSIRO」はどのような想いから生まれたのだろうか。同社代表取締役社長の杉山 博一さんに話を聞いた。

(以下、社名はオシロ、プロダクト名は OSIRO と表記)

杉山 博一(すぎやま ひろかず)さん プロフィール

1973年生まれ。元アーティスト&デザイナー、2006年に日本初の金融サービスを共同起業。2014年、シェアリングエコノミープラットフォームサービス「I HAV.」をリリース、外資系IT企業日本法人代表を経て、2015年にアーティスト支援のためのオウンドプラットフォームシステムを着想し開発、同年12月「OSIRO」β版リリース。2017年にオシロ株式会社を設立し、同年システム1.0をリリース。

世界を見た20代 画家をあきらめた30歳

「芸術は難しい」。その言葉には2つの目線があるのではないだろうか。1つは「鑑賞者」としての目線だ。芸術を理解することや鑑賞することの難しさ、日常生活での接点が少ないために芸術を敬遠する表現である。そしてもう1つはアーティスト、クリエイターという「制作者」からの目線。自身の作品を評価されることやファンを集めること、そしてなによりも「生業」として活動を続けていくことの難しさを表す。

オシロの代表取締役社長を務める杉山さんは、アーティストを志した1人だった。

「小学生のころから絵を描くのが好きで、美術大学に進学しました。しかし、入ったのはデザインを専攻する学部で、油絵などの技法は専門的に学んでいませんでした。当時は絵にもデザインにも興味があったので、アーティストではなくクリエイターの道に進むのも悪くないのでは? と、進路に悩んでいたんです」

自身でも「道を決めかねて日和っていた」と語る杉山さんだが、アーティストへの挑戦を後押しする出来事があった。

「大学に通っていたときに、映像プロダクションでアルバイトをしていました。坂本龍一さんのコンサート映像や NHK番組の CG制作、あとは PlayStationゲームの CGグラフィックなどを作っている会社で、募集もしていなかったのに『雇ってくれ』と強引にお願いして雇ってもらったんです(笑)。そこで CG のテクスチャを描く手伝いや、ゲームのデバッグなどの下働きをしていました。そんななか、あるときその会社のトップCGアーティストが独立することになったんです。そのアーティストについていくという選択肢もあったのですが、私には別の選択肢が思い浮かびました。

それは『本物の芸術を見に行く』ということでした。これまでモデリングの見習いとして、世界各国の遺産や芸術作品の CG制作のお手伝いをしてきましたが、それらは実物を見ずにつくっているものでした。そんな CG制作のあり方に違和感を持っていたとともに、私自身も海外にも行ったことがなければ、飛行機にも乗ったことすらない。実物を知らないままではダメだと思って、海外へ旅に出ることにしたんです」

当時24歳。特段計画は定めていなかったが、最初は中国に渡った。そうすると次々と行ってみたい場所が増えていき、結局世界一周の旅をすることになった。中国からロシアへ。シベリア鉄道に乗ってヨーロッパへ。そしてロンドンを経由してアメリカ大陸へと渡った。

「途中で日本に帰ってもよかったのですが、何回も往復するのは非効率だと思って、横に横にと進んでいきました。ヨーロッパでは古い建築や彫刻がいまだに街中に残っていて、建築家や彫刻家の偉業に感銘を受けました」

帰国時、杉山さんは自分自身に立ち帰り、なにをすべきかを考えたとき、その選択肢に就職の文字はなかった。杉山さんは画家を志し、絵を描くことにした。しかし、バブル経済が崩壊した当時の日本は、駆け出しのアーティストにとって苦しい環境だった。

「誰も絵を買ってくれないので、アーティストの仕事だけでは食べていけないんですよ。なので、20歳のときに買った Macintosh を使いながら、身近な知り合いからデザインの仕事をもらうことにしたんです。名刺や会社のロゴのデザインをしたり、『会社のホームページを作りたい』と言われればやったこともしないのに引き受けて(笑)。勉強をしながら見よう見まねで仕事をこなし、なんとか食い扶持を稼いでいました」

デザインの仕事で生活費を稼ぎ、本業である絵を描き続けた。しかし、時の経過は杉山さんに限界を感じさせた。

「30歳まで、絵を描き続けたんですよ。でも箸にも棒にも引っかからず……。別の道に進むことを決心しました」

デザイナーとしての開花 起業への挑戦

30歳で芸術家としての夢に区切りをつけた杉山さんだが、デザイナーとしての杉山さんの才能は、そのときすでに開花していた。

「生活費程度の収入はありましたが、最初は自分の身近な人の役に立ちたいと思って始めたものだったので、お金のためと思ってやっていなかったんです。ただ、私はとても『偏愛気質』で、やるからには突き詰めたくなってしまうタイプ。書店に行ってデザインの書籍棚を隅から隅までチェックし、国内外の優れたデザインをインプットしていました。

仕事でも偏愛性を発揮し、採算度外視で凝ったデザインを没頭して作っていました。当時のお客さまはそこまでのクオリティは求めていなかったと思いますが(笑)。そうすると、少しずつ『このデザインを作ったのは誰だ』と反響をいただき、紹介で仕事をもらえるようになったんです」

転機となったのは28歳のとき。クリエイティブ賞への選出が躍進のきっかけになった。

「日本を代表するクリエイティブディレクターの杉山恒太郎さんが審査員を務める国際的なクリエイティブ賞で、授賞式のためにドイツまで行きました。そこからデザイナーとしての依頼がたくさん舞い込んできて、生活に困らなくなったんです」

偏愛と没頭。飽くなき探究心が人々を魅了し、杉山さんに新たな出会いをもたらした。

しかし、杉山さんは32歳のとき、突如として自身のフィールドをビジネスへとシフトした。デザイナーとして順風満帆であり、年齢的にもクリエイティビティに油が乗り始める時期だ。このような方針転換にはどのような動機があったのか。

「賞を獲ってから4年ほど経って感じたのは、クリエイティブが持つ一過性への虚しさでした。とくにグラフィックデザインや Webデザインはその時々でしか使われず、残るものがありません。

そんなときに読んだのが『ビジョナリー・カンパニー』(ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス共著)です。この本のなかに『時を告げるのではなく、時計を作る』という表現があります。すぐれたアイデアやビジョン(太陽や星を見て、正確な日時を言う)を周囲に示すだけではなく、それをだれもが使えるもの(時計)として後世に残すという意味です。この本を読んで、自分が生きた足跡を残すために、これからは『時計を作る』ような仕事をしたいと思ったんです。

同時に、世界一周で見た彫刻や建造物がなぜいまだに印象に残っているのかの合点がいきました。後世に伝わる優れたアートは、独自の着眼点や画期的なアイデアが使われており、観るものに学びをもたらします。私もそういう仕事がしたいと思っていたからです」

具体的なアイデアはなかった。しかし、巡り合わせのように機会がやってきた。

「このころ、ある人物との運命的な出会いがあったんです。彼は外資系金融機関のトップセールスで、アメリカの大学で MBA を取得して当地の金融サービスを熟知していました。当時日本にはなかった IFA(※)のサービスを立ち上げたいという相談をされて、それなら一緒にやろうと共同創業者になることにしたんです」

初めての起業が、これまでとまったく畑違いの金融サービス事業。不安はなかったのだろうか。

「なによりも、『顧客の資産を第一に考えて、中立的な立場から金融アドバイスをおこなう』という、サービスのあり方そのものに共感しました。金融商品や資産運用を自分でおこなうとすれば膨大な知識と勉強が必要になります。それをプロに任せられれば楽だし安心です。また、経済的に豊かになれば、芸術に触れる人も増えるはず。間接的ではありますが、人々の芸術への接点を増やしたいという想いもありました」

杉山さんは軌道に乗るまでの5年間をサービスの成長にコミットすることに専念した。現在、同社は IFA の国内最大手の一社となっている。

※IFA(Independent Financial Advisor)…既存の金融機関からは独立した事業体系、経営方針を持ち、中立的な立場から顧客に金融のアドバイスをおこなう職種・業態のこと

オシロ創業前夜に受けた「天命」

そこからの杉山さんは、シェアリングエコノミーや外資系企業の日本法人の立ち上げなどに携わりつつ、幅広い企業からの困りごとの相談に乗っていた。

「いまでは『デザイン経営』という言葉も普及していますが、当時も経営課題やサービス成長などとクリエイティブの両面からコンサルティングをすることが多く、私は『デザインコンサル』と呼んでいましたね」

一方で、ライフスタイルにも変化があった。ニュージーランドとの二拠点生活だ。そこにもやはり、杉山さんを熱中させる出会いがあった。

「オシロの共同創業者である、四角 大輔との出会いです。そのときちょうど四角がニュージーランドの永住権を取得し、音楽プロデューサーを引退したころでした。当時の私と四角はクリエイティブパートナーという関係で、仕事をしながらニュージランドの話をたくさん聞いていました。四角はニュージランド偏愛代表のような人物。話を聞いていたら、誰でもニュージーランドを好きになってしまいます(笑)。日本とニュージーランドを往復する生活が始まりました」

実際、ニュージーランドの生活はすばらしかった。二拠点生活は4年ほど続き、杉山さんも移住することさえ考えていた。しかし、移住を視野に入れ始めたころ、なにか後ろ髪を引かれるのを感じた。

「ニュージーランドを訪れる度、少しずつ日本の未来が心配に思えてきたんです。日本は依然として経済大国ですが、低迷していることは否めません。今後は経済だけではなく、ヨーロッパのように芸術文化にも力を入れていく必要があると感じました。

また、自分が画家を志したときのことも思い出していました。アーティストやクリエイターが夢をあきらめてしまうのは、金銭的な都合もありますが、それよりも支えてくれる人、『応援団』がいないこともあります。ただ作品を見て『いいね』というだけではなくて、作品に込めた想いや作風の変遷などといった作者の意図や背景を理解したうえで送られるエールが必要なんです」

アーティストやクリエイターが「生きる」のではなく「活きる」社会。社会から必要とされ、それぞれの技術を活かしていけるようにしたい。そんな思いが徐々に強くなっていくなか、杉山さんはある決心をした

「『日本を芸術文化大国にする』。これが私の天命だと思い、アーティストやクリエイターのための新しいサービスをつくろうと考えました。これがのちの『OSIRO』です」

現在にも通底する杉山さんの構想は、お金とエールの両面からアーティストとクリエイターを応援できる、継続的なコミュニティの形成だった。

「当時、国内外をリサーチしたところ、投げ銭のようにお金で支援できるサービスや応援できるサービスはありました。しかし、いずれも一過性のもので、継続的にコミュニティを形成できるような機能はありませんでした。一方で、私が志向するのはパトロンのように特定の人が援助をするものではなく、コミュニティに参加するユーザー同士も仲がよく、お互いに助け合いながら活動ができる『応援団』なのです。そういったコミュニティが生まれる場をつくりたいと考えました」

そうして2015年3月、開発がスタートした。杉山さんの自宅マンションの一室をオフィスとし、開発メンバーは杉山さんを含めて3名。コミュニティプラットフォームを一から構築する道のりは、険しかった。

「なにか1つの機能をつくるとなれば、メンバー3人で喧々諤々と話し合う。だけど、夜はちゃんとしこりが残らないように飲みに行って、ちゃんとその日のうちに仲良くなって帰る。そんな繰り返しでほぼ休みなく開発をしていました」

トライアンドエラーを繰り返しながらも、同年12月に「OSIRO」β版のリリースにこぎつけた。β版のサービスを最初に提供したのは、四角さんだった。そのコミュニティを見た杉山さんの友人たちが、次々と「自身もOSIROを使ってみたい」と連絡してきてくれた。結局杉山さんの友人3名にコミュニティを運営してもらい、並行して製品版の開発を進めていた。そんな折、地下鉄で偶然会ったのが、株式会社コルクの代表取締役であり、現在オシロの非常勤取締役を務める佐渡島 庸平さんだった。

「佐渡島さんとは以前から交流があって、現状を伝えたところ、改めてサービスについて説明する機会をいただくことになりました。そこでプロダクトやそこに込めた想いを話したところ、『そんなに熱い想いでやっているなら、一緒にやろう』と言ってくれたんです」

コルクとの共創関係が生まれ、オフィスは自宅マンションの一室から、コルクのオフィス内に間借りする形で移転した。その翌年、杉山さんはオシロを設立、法人格として正式にコルクと資本業務提携を交わした。同年、OSIRO も製品版であるシステム2.0をリリース。企業としても、サービスとしても夜明けを迎えた。

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「日本を芸術文化大国にする」の実現に向けて

OSIRO のシステムの提供開始から6年が経ち、ユーザーの増加とともにさまざまな機能が追加された。現在ではチャットやイベント開催支援、決済機能のほか、2023年には NFT との連携も可能に。1つのコミュニティ内で多彩な機能が使用可能であり、コミュニティ運営に必要なもの、より便利になるものが日々開発、実装されている。

一方でコミュニティ形成といえば、現在は SNS やチャットツールでおこなわれるのが主流だ。ファン以外にもリーチでき、認知向上のために実際に利用している人も多い。そんななか、アーティストやクリエイターが OSIRO を使うメリットとはなんだろうか。

「一般的に、SNS はオープンな場でのコミュニケーションです。拡散性がある一方で、心ない人から攻撃されることもあります。アーティストやクリエイターは繊細な方が多い。収入も不安定ななかで他者からの心ない言葉は避けたほうがいいんです。

SNS のようなオープンな交流の場を持つ一方で、審査を経てお金を支払った人だけが通行証を持てるような場を持てれば、安心して自身の価値観や想いを発信することができます。そういった点は、OSIRO を使う大きなメリットだと考えています」

オシロ(OSIRO)という名前は、ロゴが表すように「お城」が由来となっている。城壁に守られたコミュニティにメンバーが集い、また無料や有料などの階層分けもできるため、楽しみ方、関わり方も自由に選択できる。運営するアーティストやクリエイターはオウンドコミュニティという「一国一城」の主となり、メンバーとともによりよいコミュニティをつくっていく。サービス名には、この2つの意味が含まれているのだ。

しかし、一国一城の主としてコミュニティを運営するのは、非常に手間がかかる。人数が拡大するにつれて、運営者の負担も増えていくのだ。コミュニティが不健全な状態が続けば、今後の存続にも影響する。

「実際、コミュニティを盛り上げることも難しいのですが、本当に難しいのは盛り上げたあとです。コミュニティの活発さの維持、ユーザー同士の関係構築は、人が増えるほど難易度が上がっていきます。そこで私たちが『コミュニティプロデューサー』として、円滑な運営やコミュニティの活発化を伴走支援する役割を担っています」

そんななかで、オシロは2023年2月に5.15億円を資金調達した。調達の目的は「コミュニティマネージャーAI化」。その背景と意図にはどのようなものがあるのだろうか。

「運営者であるアーティストやクリエイターのコミュニティマネジメントの手間を減らして、なるべく創作活動に専念できるようにしたい。そんな想いで構想したのが、コミュニティマネージャーAI化です。これは、コミュニティの盛り上がりやユーザーの状況などのデータを AI が分析し、サービス上でコミュニティを活発化させるためのサジェストなどのアシスタント機能を実装するものです。この機能が進化すれば、やがてコミュニティを手間なく永続的に盛り上げていけるようになる。そうすればアーティストやクリエイターは、自身の創作活動に注力できるでしょう。

また、コミュニティの悩みを解決するとともに、コミュニティの活性化による孤独の解消や価値共創など、さらなる一歩へ進んでいただけるような機能の実装を考えています」

OSIRO はサービスの成長とともに利便性の拡大に注力してきた。根底にあるのはアーティストやクリエイターにとってよりよいコミュニティが生まれることにある。そしてその先にあるのが、オシロが掲げるミッション「日本を芸術文化大国にする」の実現だ。

最後にオシロの今後の展望について、杉山さんに聞いた。

「まず、コミュニティの力をもって、クリエイティブ産業に従事する方々に必要なパワーを提供したいと考えています。コミュニティは大きな力を持っています。1人でも多くのアーティストやクリエイターに使っていただきたいし、クリエイティブ産業をもっと盛り上げたいのです。そのためにも目下ではコミュニティマネージャーAI化に注力していきます。

また、現在私たちは日本人だけでなく、海外の方々にも応援団になってもらう構想を持っています。メインのコミュニティとして OSIRO があり、その外に城下町があって海外の人とも交流できる、「お城と城下町」のようなイメージです。

これからもそんなふうにサービスを進化させ、アーティストやクリエイターのみなさんに新しい世界の扉を開いてもらえる場をつくりたいですね」

OSIRO

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(撮影:ナカムラヨシノーブ)

執筆

川島 大雅

編集者・ライター。ビジネス系のコンテンツ制作をメインに行っています。大学では美術史専攻。一時ワイン屋に就職してたくらいにはワイン好き(詳しくはない)。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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