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世界は「アーカイブ好き」と「アーカイブ嫌い」に分かれている。

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突然だが、人間には2種類いる。

アーカイブが好きな人間と、嫌いな人間である。

 

……というと「いやいや自分はアーカイブが好きでも嫌いでもないよ!ていうかどっちでもいいよ!」と猛反発を受けるかもしれない。そういう方はもう少し話を聞いてほしい。アーカイブは好きな人と嫌いな人に必ず分かれる、それは信じる神の違いであり、その溝が埋まることはない、というのが私の持論だからである。

世界は、アーカイブ好き派と、アーカイブ嫌い派に、二分される。

あなたはどちらに共感するだろうか?

たとえばあなたが会社にいるとしよう。

なにかプロジェクトをやり遂げる。数人で協力したプロジェクトだ。そのためのメモや仮説や資料が手元に残っている。そのとき、

Aさんは「このプロジェクトの記録をあとから見返せるように、仮説や結果や資料をまとめよう!」という。

Bさんは「えっ、うーんそれはやったほうがいいと思うけど、業務時間にやるのはもったいなくない……?」という。

ふたりは固まる。「「えっ??」」

さあ、あなたはどちらに共感するだろうか!!!

 

というわけでAさんはアーカイブ好き派、Bさんはアーカイブ嫌い派である。

いや、Bさんだってたぶん魔法の杖でアーカイブが生まれるなら残しといたほうがいい派なのだ。でもそんなことに時間をかけるくらいなら、ほかの仕事をやっちゃいたい。でもAさんはほかの仕事をやる前に、アーカイブにしとけよとつっこむ。

アーカイブをめぐる戦いは終わらない。これは人間がどちらの宗派であるかによって異なるからである。わかりあうことはできないのだ。

 

と、いうのが私の持論である。

ノートをきれいに取らない男子は、ノートをきれいに取る女子をなぜかバカにしがちな気がするが、これもまた宗派の問題である。日記を続けている人間は日記を続けない人間に「書けない日があってもいいんだよお〜」と声をかけて「そういう問題じゃないんよ」と苦笑いされるが、それもまた宗派の問題である。

なので、アーカイブ好き派か嫌い派か、世の中はぱっくり二分される。と私は思っている。

アーカイブ大好き派の「スケジュール管理」と「タスク管理」

滔々とどうでもいい話をしたが、私はこれまでの人生、アーカイブ大好き派最極右人間として生きてきた。ノートはきれいに取るわ、日記も続けているわ(これについては以前この連載で書いたことがある)手帳もタスク管理も、毎年なんやかんや楽しく続けている。まあ、こういう職業をしている人はなんやかんや書いて何かを残すのが好き、という人が多い気がするけれど、ど、どうなんだろう。

 

そんな私は、いまだに年末が近くなると、「来年の手帳どうしよっかな〜」と悩ましい気分になってくる。毎年同じ手帳を使い続けている人もいるだろうけれど、私は毎年タスク管理の方法を見直したいため、手帳も毎年律儀に検討しているのだ(悩ましいといってもこの手のことについて悩むのが楽しいだけなので、本気で困っているわけではない……)。

 

ちなみにスケジュール管理に関しては、もうスマートフォンで管理するのがいちばんよい、という結論に至った。 なぜなら紙の手帳でスケジュールを管理する場合、手帳を持っていないタイミングでスケジュールが決まったときなどに、手帳に書き忘れるなどのミスが絶対に起こるからだ。スマートフォンならいつでも手に届くところにあるので、記録忘れが存在しない。

 

だが、タスク管理となれば話は別だ。昔はタスク管理もデジタルでやっていたのだが、なんとなく紙でTODOリストをつくったほうが私の場合は「今日中にこれをやらねば」という気が湧くらしい。紙のほうが、やったことが溜まっていく感覚もあるような……。というわけで今日やることなどのTODOリストは、紙の手帳に書くようにしている。

 

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未来の人のために、記録を残す

加えて、最近は「もっと自分のメモをがんがん残していかないとなあ」という気分も高まっている。というのも、国立民族学博物館の初代館長を務めた民族学者・文化人類学者、 梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』という本で、こんな記述を読んだからだ。

 

 日本人には、自分のしとげた仕事の記録をのこすという習慣が、あまり身についていないようである。どんな仕事でも、日本人のやったことを、すこししらべてみるとわかるが、たいてい、まことに貧弱な記録しかないものである。
世界には、いろいろな文化があって、なかにはほとんど実質的な仕事もしていないくせに、報告書その他の書類だけは、やたらに部あついものをつくるので有名な国民もある。そんなのにくらべると、日本人は、記録軽視、成果第一主義で、実質的で、たいへんけっこうなのだが、社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり、どうしてこうしてこうなった、ということを、かきのこしておいてくれないと、あとのもののためにならない。    
 ヨーロッパには、どの国にも、むかしからアルキーフ(文書館)という施設が発達していて、さまざまな記録を、じつに克明に保存しているということである。日本では、そのような、記録保存のための公共施設の発達がわるいから、記録がのこっていない、というせいもあるけれど、じっさいは、それ以上に、はじめから保存の対象になるような記録がとってない、というのが真相だろう。まえの経験を吟味して、そのうえにたって、あたらしい経験をつぎたしてゆこう、というふうには、なっていないのだ。
出典:梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波書店、1969年)

……たしかに! とうなずいたのは私だけではないはずだ。

そう、日本人には「アーカイブ嫌い派」がどうやら多い。記録する暇があるなら手を動かせ、ということなのだろう。しかし記録というのは未来の人のためのものなのだ。いまの自分たちのためにはならないかもしれないが、未来の人のために記録を残すことに対し、本当に「いまの仕事」は優先されるべき存在なのか? 本書がいうように、たしかにヨーロッパの文書の豊富さを見ていると、「アーカイブ好き派」としては、やっぱり記録も大切だよな~といいたくなってしまうのである。

アーカイブを残す理由

私は個人事業主なので、自分の仕事に関する試行錯誤のアーカイブを残すことは、自分のためでしかない。しかしそれでも、未来の自分のために、たとえば読んだ本のメモを残しておくことや、打ち合わせでふと思いついたことや、仕事の反省やら次に活かしたいことやら、もっとメモを残してアーカイブ化を意識的にしていくことは重要だなと思っている。

 

というわけで、来年の手帳は、いつもより大きいサイズを使うことに決めた。

手帳といっても、もはやノートである。そして大きいノートサイズだと持ち歩きは難しいため、小さいメモを持ち歩き用に使うことにした。本当に小さいサイズなので、鞄のサイズを限定しないところが気に入っている(手帳を持ち歩くとなると、鞄のサイズがどうしてもある程度の大きさに限定されてしまっていたのだ)。そして書いたメモは、家で切り離してノート(手帳)に貼り付けることにした。

そんなわけで現在の私のメモ事情は、こんな感じになっている。

 

1.手帳(持ち運ばない、大きいノート)

  • TODO管理
  • 読書や仕事のメモ

2.小さいメモ(持ち運べる、書いたら切って1に貼り付けるメモ)

  • 出先のメモ

3.スマートフォンのメモアプリ

  • 原稿の構成を考える用
  • 読書の引用メモ
  • 面白かった記事メモ

 

……これに加えて日々の日記まで書いているのだから、私は来年もアーカイブ大好き派最極右人間として生きていくのであろう……。

日本にアーカイブ文化を根付かせたい人間として、来年も活動していく所存です。みなさまよいお年をお迎えください。

 

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執筆

三宅 香帆

書評家・文筆家。1994年生まれ。 『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』などの著作がある。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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