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書評家が『君たちはどう生きるか』に励まされた理由

先日、スタジオジブリの最新作『君たちはどう生きるか』を見てきた。

内容についてはここではほとんど言及しない。私は傑作だと思った。とても面白かったし、絶句するような場面もたくさんあった。

しかし内容とともに、私が胸を打たれたのは、宮崎駿監督というひとりのクリエイターが、82歳になってなおこんなにも大きな、新しい、物語を作ろうとしていることそのものだった。

アイデアを外に出せるまでの長い道のり

私の書評家人生には、いままでいくつかのターニングポイントといえる文章が存在している。いや、もちろんつねに全力で文章を書いているつもりではあるのだが、それでも「これは」という結果を残したり、思いがけないところまで届いている文章はやっぱり数少ない。しかしそれは確かに存在している。「この文章を書けたから、今の自分があるんだな」というような文章たちが。

 

が、それらの文章をどうやって書いたのかといえば――残念ながら、自分のなかで方法論として言える状態にはなっていない。再現性があるものではないのだ。ただただ、「あ、これいける、書ける」という予感が降ってきて、その衝動のままに書いたものなのだ。

 

降ってきた、なんていうとやたらかっこいい言い方だが。しかしアイデアが浮かぶ瞬間なんてそんなものではないだろうか。アイデアをなんとなく思いついて、そしてそのアイデアを必死に外に出せる状態にする。幸い私が書いているものは、誰かの協力も、資金も、ほとんど必要ない。だから必要なのは、私の気力と時間だけなのだ。

 

しかし、である。「これ、いける」と自分で思っても。そのアイデアをちゃんと外に出せるようになるまでが、じつはものすごく、長い。

記事をひとつ書くにしても、案外大変だ。あるいは本にするとなると、もう、本当に長い道のりを経なくてはいけない。

――それが、2時間のアニメーションだとすると。どんなに途方もない長い道のりなのか、私には想像もつかない。

 

いくらアイデアがあっても、それを世に出せるようになるには、大変な労力が必要になる。そして誰かに評価してもらえるくらいたくさんの人に観てもらうまでにはどれだけの気力が必要になるのだろう。

 

しかし宮崎駿監督は、『君たちはどう生きるか』という作品のアイデアがどこかでやってきて、そしてそのアイデアを霧散させないように、ここまで、舵を取って来たのだ。……その労力のことを考えると、気が遠くなる。なんてすごいことをしているのだろう、この年齢で、と果てしないものを見ている気持ちになる。

 

アイデアというものは、アイデアのままで終わらせておく方が、きっとずっと楽だ。「こういうものをやりたいんだ」と夢を語る方が、ずっと楽しい。いざやるとなると、面倒なことしかない。

 

しかしそれでも、そこを乗り越えて、この映画を作るに至ったのだ。結局は。

そのこと自体に、私は胸が震えてしまう。

 

内容にも驚いたのだが、同時にエンドロールを見ながら「こんなものをよくもまあ、引退会見した後で作ったなあ……」と私は驚き続けたのだった。

 

傑作か駄作か、その判定は人によって異なるだろう。だが確かに、この作品は、今の宮崎駿監督にしか作ることができなかった。そのことに、「自分も頑張らなくちゃな」と思わされるのだった。

アイデアだけで満足していては世に出ない

今回の映画について、プロデューサーの鈴木敏夫氏が『文藝春秋』2023年8月号でインタビューを受けている。そのなかで彼はこう述べていた。

で、タイトルと一緒に宮さんは文章を書いてきたんです。見るといきなり「みっともないことはわかってる」って。だって、その三年前に引退会見をやってるんですからね。

引用:「鈴木敏夫はどう生きるか」『文藝春秋』2023年8月号

もちろん、これはプロデューサーが『君たちはどう生きるか』の宣伝のために受けた仕事だ。どこまでこれが本当の話なのか、わからない。それでも、私はこの言葉に、何よりも「いいこと言うなあ」とぐっときた。

 

みっともないことはわかってる。――それは何かを書いたり、発表したりする人、全員の言葉ではないだろうか。

 

そもそも何かを世に出すなんて、みっともないことなのだ。もちろん宮崎駿監督 は引退会見をしてなお作品を発表することに「みっともない」と述べているのだろう。しかしそもそも、自分の書いたものや作ったものを、皆さん見てください、読んでください、と大きな声で言わなくてはいけないこと自体みっともないことではないだろうか。恥ずかしいことだ。本当に。

 

世に発表された作品が、すべて傑作なわけがない。どれかは失敗作が入り込む。いや、ほとんどの人間は見向きもされずに終わるのだろう。だとすれば、作品を世に出したという歴史だけが残る。みっともないことである。

 

ぶっちゃけ、いくら年齢を重ねて引退会見を済ませたとはいえ、あの世界の宮崎駿監督ですら「みっともないことはわかってる」と言うのか……と思いもする。そんなこと言われたら、日本のクリエイター全員「いや、あなたにみっともないって言われると、我々は……」と俯くほかないのではないだろうか。批評家や書評家なんて尚更だろう。

 

しかしそれでも、みっともないことはわかっていても、それでもアイデアを形にして世に出すしか、表現者が生き残る方法は存在しない。

みっともないのはわかっている。それでも、私たちは作品を世に出す。それがどんな評価を下されようとも、世の中にどれだけ無視されようとも。

 

――なんだか本当に、すべての表現者が励まされるような、いい言葉だなあ。と私はしみじみ思ったのだった。

 

あの宮崎駿監督ですら、この年齢で、こんな作品を世に出すためには、「みっともないことはわかってる」と言うのだ。若い書き手なんて、もっとみっともない思いをしなきゃだめだなあ。と私は『君たちはどう生きるか』を見ながら、しみじみ思った。

アイデアだけで満足していては、世に作品は出ない。面倒でも、とにかくそれを世に出す道のりを、一歩一歩、やっていくしかないのだ。

 

アイデアだけなら、いくらでも思いつく。しかしそのアイデアを世に出すことがなによりも、大変なのだ。時間も、気力も、体力も、そして運も、必要になる。だからこそ私たちは、必死になりながらみっともない思いをする。

 

『君たちはどう生きるか』を観て、私はなによりも励まされた。それは内容とともに、やはり宮崎駿監督の生き様がくっきりと映画館に映し出されていたからだろう。

 

執筆

三宅 香帆

書評家・文筆家。1994年生まれ。 『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』などの著作がある。

※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。

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