さまざまなコンテンツが溢れるデジタル時代。SNSをはじめ多くのメディアから発信される情報は膨大で、必要な情報の選択に苦労する。一方、そもそも必要な情報へのアクセスが困難な人もいる。こうした課題は自治体の広報活動においても例外ではない。住民に等しく行政サービスを提供する基本は、分け隔てのないユニバーサルデザインの思考だ。年齢や国籍を問わずどのような住民にも寄り添う自治体向け情報発信プラットフォーム「Ap-Portal(アップ・ポータル)」。責任者の株式会社リットシティ取締役の植野 太さんに話を聞いた。
1979年7月生まれ。株式会社リットシティ 取締役 イノベーションサービス部長(現職)。自治体広報の情報発信プラットフォーム「Ap-Portal」の開発や自治体の情報インフラの事業に携わる。高齢者向けのスマートフォン教室の講師もつとめ、すべての住民にあらゆる情報を届けることを目指している。
すべての住民にあらゆる情報を届けたい
岡山県岡山市にある株式会社リットシティ(以下、リットシティ)。2001年の設立以来、自治体の情報発信プラットフォーム「Ap-Portal」の開発や自治体の情報インフラ事業、モバイル向けサービス、アプリ開発などの事業を展開。外国籍のシステムエンジニアの派遣事業もおこなってきた。もともとは岡山市の第3セクターとして設立された会社であり、自治体のニーズも深く理解している。
「自治体と二人三脚で仕事をするなかで学んだのは、自治体が提供するサービスには中立性が求められることです。行政サービスにおいては、一部の人のみではなく広くあまねく住民の人たちが使えるものを提供しなければなりません。ユニバーサルデザインの思考が必要でした」
ユニバーサルデザインとは、誰もが暮らしやすい社会を目指した「すべての人のためのデザイン」「みんなにやさしいデザイン」のことだ。建物やモノなどの有形物だけではなく、しくみやサービスなどといった無形物も対象となる。
リットシティの本社がある岡山市には、さまざまな国籍の人たちが居住している。少子高齢化で、住民の高齢者比率が高く、世代もさまざまだ。ダイバーシティが進むなか、住民の日本語に対する理解の深さや情報リテラシーには濃淡がある。一般企業であればマーケットや顧客ターゲットをしぼったサービスの提供や施策を打てるが、平等・公平さが求められる自治体ではそうはいかない。そんなニーズと植野さんの想いから開発された「Ap-Portal」は、ユニバーサルデザインをコンセプトとした自治体の情報発信プラットフォームだ。自治体の行政情報が手元のスマートフォンのアプリにプッシュ通知で配信される。
家庭ごみの出し方をプッシュ配信
「外国籍のシステムエンジニアのなかには、日本と母国との生活習慣の違いからごみの出し方がわからない人たちが多くいました。日本では燃えるごみ、燃えないごみ、リサイクルなど細かい分別が求められ、曜日ごとに出せるごみの種類も異なります。自治体からごみの出し方やカレンダーが配布されていますが、外国籍の方にはなかなか理解しにくい。一方で自治体側もごみ処理コストが増加するため、きちんと分けて出して欲しいといったニーズがありました」
こうした課題に「Ap-Portal」のプッシュ通知が機能した。スマートフォンにごみを出す日の情報がプッシュ通知で届く。ごみの出し忘れも防げ、指定の曜日に指定された種類のごみを出すように促せる。「Ap-Portal」のユーザーは、アプリ上のリンクからごみを出せる日のカレンダーや出し方も確認できる。次第にユーザーが増え、外国籍の住民にもごみ出しのルールが定着した。混合していたごみの分別精度が向上し、仕分けをし直す自治体側の業務負荷も軽減した。
災害に関する情報が母国語で届く
地震、台風、洪水、日本では毎年のように自然災害が発生する。防災に関する情報や警報、被災時の避難所の案内など、災害についての情報は、誰に対しても等しく正しくスピーディに発信する必要がある。
「外国籍の人たちは母国の人たちのコミュニティから情報を得る傾向があります。地震やコロナ禍においても、コミュニティ内で発言力がある人からの情報が流れがちですが、それがいつも正しいとは限りません。自治体には災害発生時に正しい公式情報を届けたいといったニーズがあります」
「Ap-Portal」は多言語に対応している。アプリのダウンロード時にスマートフォンのOS の言語設定を読み込むことで、その言語に合わせて AI が自動翻訳してくれる。アプリ側の言語設定は不要だ。
たとえば、自国のスマートフォンを持参した中国人が「Ap-Portal」アプリをダウンロードすると、自動的に中国語で情報が表示される。こうした多言語への対応は、日本語に習熟していない人へ正しい情報を届ける助けとなる。
「コロナ禍では、ワクチン接種が可能な場所や、そもそも接種の申し込み先がわからない外国籍の人たちが多くいました。日本人と結婚している人も日本語を深く理解できているとは限りません。災害時に適切な行動をとるためには、難解な日本語で提供される防災情報などを瞬時に理解する必要があります。津波の避難警報が発令されたとき、『日本語を勉強してください』とか『ベトナム語のサイトを探してください』と言っていては間に合いません」
「Ap-Portal」では、災害に関する情報も母国語でプッシュ通知される。日本語に習熟していなくても、次に行動すべきことがわかる。自分で情報を探しにいくプル型の情報提供ではないため、非常時にも役立つ。
スマートフォン教室の講師をしてはじめて理解したニーズ
多言語対応だけではない。「Ap-Portal」は使いやすい UI(ユーザーインターフェース)にもとことんこだわった。じつは植野さんは、経営者でありながら、公民館で高齢者向けスマートフォン教室の講師も務めている。そこで植野さんが身に染みて感じたのは、30代、40代のエンジニアの目線で開発したものは、高齢者にとっては極めて使いづらいということ。世代間で UI に対する目線がまったく異なると実感したという。この経験が、高齢者にも使いやすい画面デザインやアプリの設計に大きく役立つことになった。
「スリープ機能でスマートフォンの画面が暗くなるだけで『壊れた! どうすればいいの?』とあわてる高齢者もいます。アプリのダウンロードやさまざまな設定以前に、自分のスマートフォンが iPhone なのかアンドロイド端末なのかさえ知らないなど、スマートフォンそのものへの理解の課題もありました。加えて高齢者のなかには、画面の小さな文字が見えにくい方も多い。こうしたことを踏まえ、トップ画面のメニューボタンを大きくし、各ボタンの機能が明示的にわかるようにしました」
「お知らせ」のボタンを押せば自治体の公式サイトにつながる。シンプルで明解な UI を目指した。たとえば、「チャットボットなどの高機能メニューは、デジタルに取り残されがちな高齢者にとって本当に必要なのだろうか?」というように、植野さんは1つひとつの機能をユーザーに寄り添う目線で開発していった。
「メーカー側はどうしても高機能できれいなデザインを求めるプロダクトアウトの思考になりがちです。でも、ユーザーのなかには、それを複雑に感じてしまう人もいると思うんです。そこで私たちは、実際に使う人たちがどう感じているのか、高齢者にアンケートを実施し直接声を聞きました。ユーザーに寄り添いニーズを聞いて、誰でも等しく情報が受け取れる、行政の情報発信のプラットフォームを作ることが私たちの使命だと考えています」
自治体にはハイブリッドな情報発信が必要
「すべてをデジタル化することが目的ではないと考えています。DXは紙をゼロに近づけていくことに寄与する一方、住民のなかにはスマートフォンを持っていない人や、持っていてもアプリのダウンロード方法がわからないといった人もいます。目的は行政情報を等しく届けること。そのため、自治体の担当者からは従来の紙ベースの広報誌とアプリによる情報発信の双方が必要と聞いています」
「Ap-Portal」では紙の広報誌が発行されたことを通知できる機能もある。画面上の小さな文字が読みにくい人には、紙で読むことを促せる。文字情報を読めない人たちに対しては音声で知らせる機能もある。
自治体の情報発信は、紙などの既存のメディアとデジタルを活用したハイブリッドで、ユニバーサルデザインの思考も重要なのだ。
すべての住民にあらゆる情報を届けていきたい
「『Ap-Portal』を通じて、すべての人が健康で文化的な生活ができるように支援していくことを目指していきたい。そのように事業目的を設定しました。単なるアプリを開発して自治体に納品し、対価をいただくだけにはとどまりたくありません。『Ap-Portal』を人の壁や官民の壁を取り払い、つなげるためのプラットフォームにしていきたいと考えています」
日本だけでなく、海外のアプリとつなげるプロジェクトも進んでいるという。外国と姉妹都市を締結している自治体もある。コロナ禍から回復し人々の交流が回復するなか、岡山の良さを海外でも発信できるようにしていきたいと植野さんは語る。岡山からユニバーサルデザインの仕組みの実現を目指している植野さんの夢は壮大だ。