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社外で受けるストレスが問題視されないのはお金が発生しているから。
仕事で受けるストレスには、大きく分けて二つある。組織内で受けるストレスと、組織の外部で受けるストレスだ。前者は、上司や同僚といった近い関係、普段接している人間関係で発生するもので、後者は取引先や顧客との関係性で発生するもの。職場ストレスといわれて、よく語られているのは前者だ。僕の観測範囲になってしまうけれども、社外で受けるストレスは発生している件数に対して、あまり語られていないように思える。
理由は簡単だ。社外で顧客やクライアントとの関係性で発生するストレスに対しては、金銭が支払われているからだ。簡単にいえば「仕事内、業務上のストレスはあるけれども、そのぶん、お金をもらっているからそれくらいしょうがないよね」で片づけられている。つまり、お金で解決されている。もちろん、お金で解決できないものもある。たとえば、顧客からの暴力や暴言は許されない。だが、無理な納期や、値下げ通達で胃を痛めることくらいは、「仕事のうちだからしょうがない」の範疇とされて問題視されないのが現実だ。
一方、社内や組織内での上司・同僚・後輩との関係性におけるストレスは、日常的なものであること、仕事と割り切れない感情的なものが多いこと、などから解決が難しい。収益が発生するものでもないから「仕事だからしょうがない」でスルーできない。しかし、それでも、最近は、ハラスメント行為というものが問題視され、社会的に許されない行為とされ、法律や仕組みも整備されてきている。職場環境の整備も進んでいる。そのため、三十年前、僕が社会にでた当時と比べたら、救済措置があるため、ストレスを受けることも少なくなってきている。完全ではないがよい方向へ進んでいるのは間違いない。
見込み客との折衝は最高にストレスが蓄積する。

僕が、営業という仕事を三十年近く続けてこられたのは、「このまま話を進めたら過度なストレスを受けそうだ」と感じたら、こちら側から距離を置くことができたからだ。「この客むかつくなー」と思ったら、会わないようにコントロールできるのは営業職の特権である。そうやって積極的に回避しなければ、ストレスでやられてしまう。だが、すべての仕事を断ってストレスを回避するのは不可能だ。
見込み客との付き合いで受けるストレスは救済されない。見込み客とは、将来案件になる見込みのある客のことである。とくに初期の段階では可能性が小さいものもある。商談を進めていくうえでその可能性を大きく育てるのが営業職の仕事だ。それが案件化しないケースもある。すると、すべてが無になる。大きなストレスを感じるが「営業の仕事だからしょうがない」と問題視されない。個人でかかえるだけだ。
一般的に、見込み客との商談は対価が支払われていない、つまり、労力や時間といったコストを垂れ流している状態だ。成約できるかどうかわからない。しかし止められない。「このまま進めていって競合に負けたらどうしよう?」という不安をかかえながら進んでいく。ストレスはたまるが、それも営業の仕事だよね、と流される。止めてしまえば、その先にあるかもしれない契約や仕事を受ける可能性がゼロになるため、ストレスを蓄積しながら進むしか選択肢はないのである。天国が待っているのか、地獄へまっさかさまなのか、わからない。
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見込み客から受けるストレスがゼロになるのはレアケースである。
売上や利益が計上されている既存客を相手にした仕事では経験できないストレスである(経験する必要もないけど)。もちろん、既存客を相手にした場合のストレスもある。たとえば、無理な納期設定や無慈悲な値下げは、 交渉担当であれば相当のストレスだ。このストレスも「付き合いと金銭の授受が発生しているからしかたないよね」とスルーされる。結局のところ、人との付き合いが発生する仕事においては、ストレスはゼロにはならない。
時間と労力をかけて見込み客との商談を進めて、それが報われるのは、希望通りの条件で契約が取れたときだけである。そこではじめてその案件で蓄積してきたストレスがゼロになる。契約にいたらなければすべて無駄になるのでストレスは爆増。厳しい。また、希望していた条件にいたらない契約を締結した場合も、ストレスは完全に除去されない。「もう少しやれたことはあるのではないか?」という後悔から、ストレスはやや増える場合すらある。厳しい。
希望どおりの契約が取れた場合でも、過剰に労力と時間をかけていた場合は、上司から「手間をかけすぎだ。もう少し効率というものを考えて動け」と注意されたりして、ストレスが残ることもある。このように、見込み客との折衝においては、それまでかけていたものが報われて、ストレスが完全になくなるのはレアケースなのである。報われなさすぎる。ひと昔前、酒と煙草を嗜む営業マンが多かったのは、どうにもならないストレスを発散するためだったのだろう。
「そして誰もいなくなった」の犯人が評価されるのは結果を出したから。
だが希望はある。経験を重ねることでストレスも軽減できる。まず経験を重ねることによって、その案件における自分の立ち位置とゴールまでの距離が見えてくる。勝負所の見極めのタイミングを後ろにずらすことができるようになるため、無駄な労力と時間が削減できる。社内の別の部署の人間の協力を得たあとで、そのタイミングが間違っていて効果が少なくなり、失注してしまう、みたいな事態も回避できるようになる。無駄な動きがなくなり、契約が取れなかったときでも「損をした」という気持ちは少なくなりストレスを軽減できる。
このように、仕事上のストレスの多くは「こちらがこれだけやっているのに、なぜ向こうは答えてくれないんだろう」という感情的なしこりから発生するものなのだ。馬鹿にされているような、踊らされているような気分になる。諦めるか、忘れるか、割り切るしかないがなかなか難しい。
僕はこういうとき、ミステリーの名作アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」の犯人になった気分になって乗り越えている。「そして誰もいなくなった」では連続殺人事件が起こっていくのだけれども、読者には最後まで犯人がわからないように書かれている。最後まで読み終えたとき、犯人が読者には見えないところで、影となって忙しなく動いていたことがわかる。影で忙しく、孤独に動いている犯人は営業マンそのものだ。計画の完遂を成約に置き換えればわかりやすい。計画を完遂したときに、「ああ、影で頑張っていたのだなあ」とはじめて結果を評価されるのである。犯人は成約できるかどうかわからないまま粛々と折衝を続けている営業マンだ。
もし、途中でしくじって事件が明るみになったら、影で動いていたことはすべて無駄になる。しかし視点を変えれば、これは無駄にならない。おそらくアガサ・クリスティーの頭脳のなかでは、いくつもの「そして誰もいなくならなかった」的な失敗プロットが作られては消えていったのだと想像する。それらがあるから大名作は生まれたのだ。仕事は、うまくいったとき、結果がでたときにのみ評価される。だが、その土台となっているものは、うまくいかなかった仕事、無駄になった時間と労力、ゼロ回答などの死屍累々で作られている。そうとらえれば営業という仕事における無駄は無駄ではなくなり、見込み客との折衝で垂れ流してきた時間と労力は投資になる。ストレスも少なくできる。
テクノロジーでストレスを減らしていくのが正しい方向性。

さて、これからの仕事は、営業職にかぎらず、DXやAIを活用して無駄を最小限におさえて効率よく進めていくべきだ。それらを活用することで、営業のようなストレスのたまりやすい仕事も、ノーストレスな仕事になるかもしれない。いや、そうすべきだろう。
僕が営業という仕事を約30年続けてこられたのは、自分に合っていたことが大きいが、それなりにこの仕事が好きだからだ(愛憎入り混じっているけれども)。しかし、かつて世話になった先輩たちのなかにはストレスが原因と思われる病気で命を落としたり体調を崩したりしている人もいる。残念だ。
これは営業にかぎらない。どんな職種であれ、テクノロジーでストレスを軽減して快適に働ける環境をつくるようにしていかないと「そして働き手が誰もいなくなった」状態になってしまうだろう。
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執筆
フミコ・フミオ
大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。
食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。
現在は、はてなブログEverything you’ve
ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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