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まさかの年功序列型人事の復権
この記事を見て衝撃を受けた。目を疑った。
学校法人「産業能率大学総合研究所」(東京都世田谷区)が今年度入社の新入社員を対象に実施した調査で、旧来の年功序列型の人事制度を望む声が成果主義を上回った。
引用元:AERA DIGITAL「新入社員は成果主義より年功序列に回帰? 調査開始から36年で初めて逆転 「意識の保守化」と見なす前に企業が取り組むべきことは」
Z世代その他若者たちが「成果」や「結果」を口にするのを表向きは微笑ましく、内心では苦々しく眺めていたものだが、時の移り変わりは早く、いまや「これからは成果主義よりも年功序列だよねー」「成果主義とかダサいよねー」と言い始めているらしい。まさかの年功序列の復活だ。時代の変化は予想外で、おそろしい。
若い世代が成果主義を支持していたのは「バリバリ結果を出して上の世代の人間を追い越していきたい。自分にはその能力がある」と考えていたからだろう。世の中には信じられないくらいに仕事のできない人間がいる。年功序列型人事で、そういった人間の下で働くのはおもしろくない、時間の無駄、と考えるのは自然だろう。自分の実力を認めてもらって、それに見合った待遇と立場を得たいと考えるのは、若者らしくてとても良い。
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技術が経験の価値と個人差をなくした。
最近は、上司や先輩、年長者の経験や実績から学ばなくてもどうにかなるようになった。ネットで調べれば、たいていの事例やノウハウや事例が学べる。動画や図やグラフを駆使して体系的にまとめられているので効率もいい。上司や先輩に気を使うこともない。経験がストロングポイントにならなくなったのだ。そこに若者らしい柔軟な思考と無尽蔵の体力と思い切りの良さが加われば、上司や先輩よりも仕事はできる。結果を出せる。
結果を出せるのなら、成果主義のほうがいい。年功序列で自分たちの番が来るのを待っているのはバカバカしい。そういう流れになるのは当然だ。しかし、ひとつだけ問題が出てきた。それは誰でも結果が出せるようになった問題である。
インターネットや検索エンジン、最近では生成AIのように、テクノロジーが誰でも、簡単に、低額で使えるようになった。誰でもまあまあレベルの高い仕事ができるようになったのだ。成果主義は結果を出して、他者よりも上回らなければ評価されない。同じようなレベルの仕事をしていれば、それがレベルの高いものであっても、決定的な差にはつながらず、評価されない。
成果主義は他者との競争に勝たなければならないが、技術の普及によって誰もがまあまあの仕事ができるようになったため、結果を出すハードルが高くなってしまった。結果を出していても評価されなければ楽しくなくなり、気が滅入ってくる。また成果主義は結果を追い求めて他者に勝たなければならないのでどうしてもギスギスする。結果がともなわないと胃が痛くなり、胃薬が手放せなくなる。
結果を出しても評価されないなら年功序列でいいのではないか。
どれだけ結果を出しても評価されないのなら、「年功序列のほうが良くね?」と考えるようになる。角度は緩やかであっても在籍年数によって待遇や地位が上がっていく方がいいと考えるのである。また、昨今のように先行きの見えない世の中では、求められる結果もめまぐるしく変わる。いちいち対応するのは大変だ。こうした背景から安定志向となり、年功序列が求められるようになるのである。
誰でも楽をしたい。そして生活のなかでも大きな割合を占める仕事で楽を目指すのは方向性として正しい。大変な苦労をして1000円稼ぐのと、楽をして1000円稼ぐのであれば、誰でも後者を選ぶ。成果主義が思ったより結果を出せずに楽ではないことがわかったから、楽そうな年功序列への回帰を求めるようになったのが、冒頭のような若者たちの最近の変化につながっているのではないか。
向上心のないものは馬鹿である。
しかし、ここで年功序列人事制度へ回帰しようとしている人たちには、この言葉を捧げたい。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
これは夏目漱石先生の名作『こころ』に出てくる台詞である。『こころ』のなかでは「先生」が友人を追い詰めるための策略に使った言葉であるが、ここでは忠告として使わせていただいた。「楽をする」は大事だが、向上心を失ってはいけない。向上心とは前進するということだ。成果主義から年功序列への回帰は、過去へ戻るということであり、つまり向上心がないということだ。
そもそも、年功序列人事は楽なものではない。若者は年功序列の厳しさがまるでわかっていない。能力と適性がないのに努力すらしない上司・先輩の指示のもとで働くしんどさがわかっていない。「しんどい」と愚痴っているだけではすまないのだ。ぼーっと年数を重ねていけば、エスカレーターのように待遇や地位が上がっていくというのが年功序列人事のイメージと思われるがまったく違う。ぼーっとなんてしていられないのだ。
能力と資質の欠けた人間の方針・指示・命令で動きつつ、その間違った指示命令等から最適解を導き出して行動に移し、かつ、その結果をアホな先輩を手柄とシェアしていくのが年功序列である。成果主義と比べると、本来は必要ない気づかいが全般的に求められる。タスクが終わったときの疲労感と虚無感は相当なものである。「やっぱ年功序列人事だよねー」と楽を求めて言い始めているZ世代等の若者に、このような年功序列地獄に耐えられるのか問いたい。
「年功序列」「成果主義」両方とも通過してきた僕が伝えたいこと
僕は会社員として働き始めて30年になる。僕が新卒ので入ったときは、まだまだ世の中は昭和時代からの古い年功序列人事が残っていたが、バブル崩壊やIT革命を経て、しだいに成果主義に移っていった。それは僕の30年の職業人生とほぼ一致している。
成果主義のなかで先輩や上司がリストラされる姿を見てきた。年功序列人事のイメージをもって社会に出てきたというのに、実際に働き始めたら、成果主義の厳しさに放り込まれていた。理不尽すぎる。それでも生きていくために、時代の変化に合わせて乗り切ってきた。だから年功序列と成果主義の良いところも悪いところもわかっているつもりだ。
成果主義にも順応してきた。個人的には、このタイミングで年功序列人事に戻されるのが一番きつい。多少、欠陥と問題があっても成果主義のままでいい。いまさら若い世代が年功序列を求めるからといって、そこに戻るのはよろしくない。年功序列未経験だからよく見えているけれども、いざ年功序列に回帰したら耐えられない人が続出するだろう。
向上心をもって前に進めば未来はひらける。

成果主義も年功序列、どちらも一長一短のある仕組みだ。年功序列は、結果を出している人にとって、不公平感が強いし、年齢や経験が重視されすぎている。それに対し、成果主義は先述のとおり、技術によって同じような結果を出したときに評価されなくなるという欠点がある。どっちもどっちだ。
楽をしたいからという理由での年功序列への回帰は、いつか、ふたたび成果主義への回帰に変わるだろう。堂々巡りだ。それならば成果主義を改良してネオ成果主義を作り上げていくのが向上心というものだ。成果主義のなかで、他者よりも優秀な結果を出し続けるのはしんどいが、他者と違うことを目指すという方向性なら現代の若者ならできる。要するに制度がどうあろうと、精神的に向上心をもって前に進めば何とかなるだろう。若さをもってすれば。
なお、僕は50代の中間管理職で、世の中の変化に対応する気力や体力が失われている。老害にならない程度に、若者が起こそうとする変化には抗っていきたい。若者たちには、僕みたいな向上心のないバカ者に負けないよう、頑張って未来を切り開くことを祈っている。
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執筆
フミコ・フミオ
大学卒業後、営業職として働き続けるサラリーマン。
食品会社の営業部長サンという表の顔とは別に、20世紀末よりネット上に「日記」を公開して以来約20年間ウェブに文章を吐き続けている裏の顔を持つ。
現在は、はてなブログEverything you’ve
ever Dreamedを主戦場に行き恥をさらす
Everything you've ever Dreamed : https://delete-all.hatenablog.com/
2021年12月にKADOKAWAより『神・文章術』を発売。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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