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気温の低下に伴い、入浴前後に注意が必要なヒートショック。毎年、多くの高齢者が冬場の浴室で命を奪われている。両親や祖父母の体調が気にかかっているという人もいるのではないだろうか。
そんなヒートショックを防止するために役立つのが「入浴時警戒情報」だ。LINEでヒートショックの危険度を知らせてくれるもので、現在は鹿児島県内で登録、配信されている。この「入浴時警戒情報」は、医療機関向けソフトウェアを製造する株式会社エクセル・クリエイツ(以下、エクセル・クリエイツ)と鹿児島大学 林敬人教授との連携による取り組みだ。開発の背景、工夫について、エクセル・クリエイツ山本さん、中本さん、林教授に聞いた。

山本 将勝(やまもと まさかつ)さん プロフィール
株式会社エクセル・クリエイツ 執行役員 開発グループマネージャー
2020年入社。医療IT業界での、約20年以上の医用画像処理関係のパッケージ製品開発経験を活かして、開発責任者として開発管理業務だけでなく社内に潜在するさまざまな課題解決や仕組み化、DX化を実施。

中本 将彦(なかもと まさひこ)さん プロフィール
株式会社エクセル・クリエイツ 開発グループ リーダー
工学博士。大学教員、医療IT系ベンチャーを経て2021年5月に現職。大学では医用画像処理・手術支援の研究に従事し、その知識と経験を活かして社内のAI技術開発および林教授との共同研究プロジェクトを推進。

林 敬人 (はやし たかひと)教授 プロフィール
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科法医学分野・教授
2004年、金沢大学医学部医学科卒業。同年、和歌山県立医科大学大学院(法医学)に入学し、2008年に同大学院を卒業、博士(医学)取得。法医解剖数は約3000件。2019年4月より現職。
鹿児島大学から生まれた「入浴時警戒情報」
「入浴時警戒情報」は、もともと林教授が鹿児島大学内の研究室で開発したものだ。その背景には、鹿児島県内において警察が取り扱う死者数の年間の約1割を占める、入浴死を減らしたいという想いがあった。
入浴死とは、浴室内での予期しない突然死を指す。日本では非常に多く、年間1〜2万人と推計されているという。では、入浴死はなぜ起こるのか。冬場に起こるイメージが強いことから、温かい浴室と冷えた脱衣所との室温差による、ヒートショックが原因だと思っている人は多いだろう。しかし、その詳細な原因はわかっていないのだと林教授は説明する。

「温かい部屋から寒い脱衣所に行き、そこから熱い湯に入るという温度変化により、血圧が急激に上昇した後に急激に降下します。その血圧の急激な変動が原因となり、脳梗塞や心筋梗塞が起きて意識を失って倒れてしまうとされています。ただ、これはあくまでも推定であり、正直なところ、なぜ起こるのかよくわかっていなかったのです」(林教授)
原因が明確ではないにせよ、現実として入浴死は多い。鹿児島県では交通事故死の4~5倍ほどの割合になるのだという。原因がよくわからないのであれば、せめてヒートショックを予防する方法を先に考える必要がある。そうした想いから、林教授たちの取り組みがスタートした。
林教授たちがまずおこなったのは、入浴死の検視例の収集だ。2006年から2019年の約14年間に渡り、鹿児島県内で発生した入浴死のすべての検視例の記録を警察から提供してもらい、発生日、性別、年齢といったデータを整理。さらに、その日の最高気温、最低気温、平均気温等を気象庁のデータから取り出し、統計解析をおこない、入浴死が有意に起こりやすい「危ない温度条件」を特定したという。
「鹿児島県は南北に長いうえ、離島もある広い地域です。そのため、警察の管轄19か所に基づき、場所別に温度条件を特定しました。そこから、鹿児島県内のMBC南日本放送から気象データを毎日いただき、天気予報の気温から注意、警戒、危険と3段階で入浴の危険度を評価できるようにしたのです」(林教授)

この評価が「入浴時警戒情報」だ。鹿児島大学のホームページ、テレビニュースでの配信を始め、いまはLINEアプリでも鹿児島県内の人に情報提供している。
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県民に能動的に危険を知らせたい。産学連携によりLINEアプリへの実装を実現
当初は、鹿児島大学ホームページやテレビニュースでの発信に留まっていた「入浴時警戒情報」。こうした媒体での発信は、見ようと思った人にしか届かないという課題があった。「より多くの鹿児島県民に情報を届けたい」と思った林教授が相談したのが、エクセル・クリエイツだった。
縁あって、エクセル・クリエイツと林教授とは別の共同研究をおこなっていたのだという。そうしたつながりから、「一緒に作れないか?」という話が林教授からもたらされた。
「当初、林教授はスマートフォンアプリを想定されていました」と山本さん。エクセル・クリエイツはオンプレミス環境での業務システムの構築をメインとしているため、スマートフォンアプリやクラウドサービスの開発に使う技術は、ふだんあまり触るものではなかったと説明する。
「だから難しいのではなく、だからおもしろそうだなとポジティブに受け取りました。そこから社内で話し合った結果、スマートフォンアプリではなくLINEを利用する形がいいのではないかと考え、林教授にご提案しました」(山本さん)
この話し合いは、シニアメンバーだけではなく、若手メンバーも交えておこなわれたという。LINEアプリを作った経験のある若手メンバーから「LINEであれば、こういうことができる」という提案があり、その案が採用となった。
LINEアプリであれば、スマートフォンアプリに疎い高齢者の方でも比較的なじみやすいという点も採用理由だった。山本さんから利用者層のデータを示された林教授は、「意外に使われているという印象を持った」と話す。
「スマートフォンアプリの場合、果たしてダウンロードできるのか、使える状態までたどり着いていただけるのかという不安がありました。では、LINEはどうなのかと思い、調べてみたんです。高齢者の方はまだメールなのではないか、何ならガラケーユーザーなのではないかと考えていたんですが、NTTドコモのデータを確認したところ、60~70代の7、8割はLINEを使っているというデータが出てきました」(山本さん)
高齢者のなじみやすさに加えて、コスト面においてもLINEでの実装に軍配が上がったという。林教授の「入浴時警戒情報」の活動は現時点でボランティアに近く、予算的にもLINEアプリでの実装がいちばん適していたのだ。
情報をより確実に伝えられるよう、改良した3年目
こうしてLINEで実装された「入浴時警戒情報」。毎年11月から配信を開始しており、2025年で3年目となる。


注意、警戒、危険の3段階に応じて、西郷隆盛のキャラクターが入浴しているイラスト3種類を用意。イラストとともに今日の危険度を伝えることで、一目見て高齢者がわかるよう工夫されている。
配信を受け取るには、登録後、鹿児島県内の居住地、年齢といった情報を入れて設定を済ませる必要がある。なるべく少ない入力項目で配信を受け取れるように設計したものの、なかには最後まで入力することができず、配信を受け取れないままのユーザーが全体の3分の1ほどいたことが判明。3年目となる2025年からは、利用者の居住地域さえ登録が済めば、入力が未完了であっても配信を受け取れるよう改良した。
また、通知の内容や方法も2025年から見直したという。
「配信開始となる11月は、まだ大して寒くなく、一日の寒暖差もそこまで激しくないため、毎日『注意』の通知がくることになります。人は慣れてしまうため、『また通知か』と見なくなってしまい、いざというときの通知を見落としてしまうおそれがあると考えたのです。そのため、通知が来るのは『警戒』以上に変更。『通知が鳴ったということは、気を付けなければならない』という作りにしました」(山本さん)
「私自身もアプリを登録しているのですが、毎日『注意』の通知がくると、ついスルーしてしまうという心理を身をもって感じたんです。これは皆さんも同じだろうなと思いました」(林教授)
1年目は、2月中旬から2月末という限られた期間での実施となり、主にテレビ番組での周知により150人の登録があったという。11月から2月末まで4か月間の配信をおこなった2年目には500人を超え、年々登録者数が増えてきている。ただ、70~80代の登録者がまだまだ増えていない点が現在の課題だと、林教授は語る。
「私や法医学分野のスタッフが高齢者施設やデイサービス等、70~80代の方がいる場に出向き、入浴事故予防に関する研修会を開くことにしました。研修会は入浴死に関する講演を行った後にLINE登録の手助けをおこなうことで、配信を受け取れるようにしています。配信を受け取れたことで感動していただいていますね。西郷さんのキャラクターが知らせてくれるという、鹿児島県オリジナルのものだということにも喜んでいただけているようです」(林教授)
電車やバスの中吊り広告や、医師会のホームページ、医療機関や社会福祉協議会などでも周知活動をおこない、必要な人に登録してもらえるよう動いているという林教授。登録二次元コードのほか、アンケートフォームへのリンクも貼ることで、県民からの声を受け取れるようにしている。
「感謝のお言葉のほか、子世代の方から『うちの親にもLINEアプリを入れてほしいのに入れてくれない、どうしたらいいでしょうか』といったご相談も寄せられています。いままでの生活習慣を変えることに抵抗感がある方もいらっしゃるだろうと思いますが、ご自身の安全のためのものであるということを上手くお伝えし、すべての方に入れていただけるよう働きかけていきたいです」(林教授)
ビジネス展開・全国展開。サービスの有効性を示し、持続・拡大を目指す
「入浴時警戒情報」の取り組みについて、中本さんは「当社はソフトウェア開発がメインのため、扱う機会の少なかったクラウド技術の領域にチャレンジできたことを非常にありがたく思っています。とくに、若手開発者の立候補を受け、彼らに多く携わってもらえたのが良かったです」と語る。
一方、林教授は「産学連携により、我々の想いを具現化できたことに感動を覚えました」と振り返る。
「法医学を志す学生は医学のなかでも少ないのですが、近年目指す人が増えてきています。ふだんは解剖や検死といった死者を対象としている我々が、解剖により得られた情報を生きた人に返せる今回のような取り組みは、エンジニアの方たちと組めたからこそ。私たちには想いはあっても、開発はできません。今後も、産学連携により何か可能性が開けたらいいなと思います」(林教授)
鹿児島県での「入浴時警戒情報」の取り組みは、林教授が言及したように「ほぼボランティア」だ。しかし、当初よりビジネス展開についても考えていたというエクセル・クリエイツ。山本さんは「熱中症アラートなど、入浴時警戒情報に類似したもの、ユーザーを見守る機能などを付けてもいいでしょう。さらにメリットを加え、ビジネスとしての展開方法を模索しているところです」と語った。
林教授は、「いまは鹿児島県内でのみ配信されている『入浴時警戒情報』の全国展開を目指したい」と想いを語る。しかし、全国に広めるためには、各都道府県の警察から検視データの提供を受ける必要があり、そこに課題があるという。
「警察のデータはいまだ紙媒体で管理されているケースが多く、簡単にデータを提供することができないのです。警察にデータ共有の手間を受け入れていただくには、我々の側から警察が納得できるだけの効果を証明する必要があると考えています。前例がないゆえに効果を証明することのできない鹿児島では、30~40分の講演を経て、『鹿児島は明治維新を起こした県なのだから、鹿児島が最初の一歩を踏み出しましょう』と熱意をお伝えし、協力を得られました。
まだまだ『入浴時警戒情報』には浸透率の伸びしろがあるため、ユーザー数を伸ばし、効果が数値化できるようになれば、警察の理解も得られるようになるでしょう。入浴死者数が減ることは警察にとっても願いですから」(林教授)
また、サービスの永続的な継続、全国展開を実現するには、費用の工面についても考えていく必要がある。行政や民間企業にスポンサードしてもらうためにも、やはり必要となってくるのが「入浴時警戒情報」の有効性の証明だ。
新たなビジネスへの展開、そして「入浴時警戒情報」の全国展開。両者の取り組みは、ここからさらに新たなフェーズへと進んでいく。
ビジネスパーソンに役立つコラムを読んでスキルアップ&隙間時間を有効活用
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執筆
卯岡 若菜
さいたま市在住フリーライター。企業HP掲載用の社員インタビュー記事、顧客事例インタビュー記事を始めとしたWEB用の記事制作を多く手掛ける。取材先はベンチャー・大企業・自治体や教育機関など多岐に渡る。温泉・サウナ・岩盤浴好き。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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