打ち合わせが、苦手である。
……という書き出しだけで、「ギャーやっちゃったー!!」と悶えそうになるのだが、それにしたって、苦手である。というか、苦手であるという事実を直視しないようにしてきた。してきたのだが、そろそろ限界だ。苦手である。
いやはや、打ち合わせ。
会社員時代の仕事はクリエイティブ系の仕事ではなかった(数字と施策の IT業界だった)ので、個人事業主としてやっている作家業の打ち合わせは、いまだに「ほかの人がどうしているのか」よくわかっていない。そもそも編集者の方も「打ち合わせのやり方」なんてあんまり習わなそう(な気がする)し、出版業界の打ち合わせは、誰もが見よう見まねでやっている……気がする。たぶん。
だが打ち合わせというものは案外重要なのだ。
「アイデアを出して広げる」のが苦手
私の仕事の打ち合わせは三種類ある。
- 書籍や連載を始めるときの「こういう本/連載にしましょうか」という0→1の打ち合わせ
- 現在の進捗、方向性に関する1→100最中の打ち合わせ
- (ない場合も多いが)困ったことがあったときの打ち合わせ
大まかに分けるとこんな感じだ。
3はまあいいとして、問題は1と2である。1の場合、「初めて会う編集者さんと、ただのお茶かと思いきや、連載や書籍を始めるつもりで会ってくれてたんですね!?」と驚くことも昔はよくあった。最近はさすがに「誰であろうと相手が編集をしている方なら、なにか仕事を始めるつもりで会ってくれていると仮定して行き、とくにそういうわけではなかった場合は気兼ねなくしゃべる」という方向にシフトしたのだが……。しかし出版業界、「お茶」と称して打ち合わせする文化ありすぎである。もし私に書評家の後輩ができたら真っ先に「お茶って打ち合わせだから!!」と教えてあげたい。いや、いないけど、後輩。ちなみにこれは文句というわけではなく「そういう慣習だって昔は知らなかったよお!」という若かりしころの思い出話くらいに受け止めてほしい。
しかし1も2も、基本的には編集者の方が「こう思っている」「こうしたい」という意思を持っている。が、それに対して、打ち合わせの場で、いい打ち返しが本当~に思いつかないのだ。私って。
そう、私がなぜ打ち合わせが苦手なのかといえば、「人と話しているときにアイデアを出して広げる」というのが苦手なのである。
……なんだか作家業として、致命的! しかし実際苦手なんだから仕方ない。
対立する2つの人格
私は、アイデアとは基本的に自分ひとりでうんうん考えて思いつくものだと思い込んでいる。ていうか、そうでないとこんな個人作業の仕事を選んでいないのだ。
たぶん人と話すときは、「相手の言いたいことを拾う」とか「相手がどっちに会話を持っていきたいのか察する」みたいな相手のことを察するモードに全振りしていて、「自分の頭の中でアイデアをこねくり回す」モードに全然入っていかないのだ。「も、持ち帰らせてください!!」という日本で一番嫌われている返答をしたくなってしまう。
要は、自分の中に「人あたりが良い三宅人格(相手の進めたい方向性を察したくなる)」と「ひとりでガンガン進めたい三宅人格(自分のやりたいことファーストで動きたい)」が双方いて、それは常に対立している。そして初対面の人といると、前者を最大級に発動してしまうのだ。しかし作家業をやるのは後者の人格なわけで、後者を初対面の人がいる前で引っ張り出すのが、難しすぎるのだった。
……と、ここまで悩んだところで、こちらについては解決策はわかっているのだ。
そう、準備をしっかりしてから打ち合わせに臨むべき。
わかる。結局、日ごろから書籍の企画や連載の切り口を考えておけば、編集者さんからどんな球を打たれてもうまく返せるのだろう。
一応弁明しておくと、私だって「こんな本を書きたい」「こんな切り口で原稿書きたい」「こういう感じのものを書きたい」みたいなメモは日ごろから取るようにしているのだ。でもね、編集者の方が持ってきてくれる企画はわりと自分が考えていない切り口のものが多く、それは大変ありがたいことなのだが、それを上手く編集者さんと話し合う能力が低いのである。
そんなわけでどうしたら打ち合わせで良いアイデアが出るのか、いまだにまったくわかっていないのだった。
自分の今興味を持っているテーマや、面白かった本、好きなことを話しているうちに、いろいろ企画がまとまっていく……のが理想なのだが。なんだかいまだにそれが上手くいっていない。もう打ち合わせし続けて何年も経っているのに、どうしたらうまく打ち合わせができるのか、わかっていない。
そんなわけで今日も私の打ち合わせ道は続く。「帰って、もう少し自分の中で練ってみます!」を言わないようにするのがいまの目標だ。