「これからはデジタルトランスフォーメーションだ!」
以前勤めていたブラック企業では経営方針発表会という、なんか公民館みたいな場所に集められて偉い人の話を3時間も聞き、最後に集合写真を撮って解散するというクソイベントが年に4回もあった。あまりに多いので「経営方針発表会 頻度」で調べたことがある。
会社がメインでやっていることはずっと「電波がすごく遅いWi-fi端末を高齢者に売る」という業務なのだが、一体年に4回も何を発表することがあるのか。無いだろう。役員たちも「とにかく気合だ!」みたいなうっすい話しかしない。みんな聞いてないけどスマホをいじったりすると、いつも社長室にいる何の仕事してるか不明の人に激詰めされるので、ただ生産性を下げる無のイベントとなっていた。激詰めとは、泣くか吐くまで怒られるという意味です。
「やりがい」「成長」って言葉が飛び交う。やりがいも何も言葉巧みに遅いWi-fiを売るだけだし、そういう力が成長していくだけだ。もっと昇給とかキャリアパスとかの話をしてほしかった。
ただ、社長だけは毎回違うことを話していた印象がある。僕もさすがに社長の話は一応ちゃんと姿勢を正して聞く。デジタルトランスフォーメーション? なんだそれは。
気になったのでちゃんと聞いていたが、要約すると社長は「とにかくデジタルだぜ!」みたいなことしか言ってなかったので、帰社してから自分で調べた。ちなみにこのイベントは3時間とられるので、残業が普段+3時間されます。
デジタルトランスフォーメーションとは?
一言でいうと「進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること」らしい。
「デジタルトランスフォーメーション(DX)とは? 意味や定義をわかりやすく解説」
この「変革」というのが大事で、具体例を示すとよくZOZOTOWNの例が挙げられる。
「服は店頭で試着して買うもの」という概念をデジタルで覆した好例だ。人気ブランドを取り揃え、送料無料(当時は)や簡単な返品方法など、それまでほとんどギャンブルに近かった「服の通販」を当たり前にした。
デジタルを用いて、変革する。素晴らしいことだ。
また調べていくと、デジタルトランスフォーメーションをするためにはその前に段階があるとのことだった。
デジタイゼーション→デジタライゼーション→デジタルトランスフォーメーション
なんか似たような単語が並んでよくわからなかったが、デジタライゼーションは「個別の業務や製造プロセスのデジタル化」、デジタイゼーションは「アナログ・物理データのデジタルデータ化」を指していた。
デジタルトランスフォーメーションをするためには長い道のりがあるらしい。知れば知るほど、粗悪なWi-fiとウォーターサーバーを売っている弊社と一体何の関係があるのだろうかと思う。
しかし本当にデジタルトランスフォーメーションをするのだとしたら、まずはデジタイゼーション(アナログ・物理データのデジタルデータ化)をするのだろうか。
まあ関係ないだろうなと思い、言葉巧みに粗悪なWi-Fiを売りつける業務に戻った。
タイムカードの電子化
社長が言ったことは絶対! のスピード感だけはある会社だったので、翌月、出退勤表(タイムカード)をタブレット入力にして、電子で管理するという施策がなされた。デジタイゼーションだ。すごい、ちゃんとやろうとしている。
1フロアに1つタブレットがちょこんと置かれ、出勤と退勤はここに社員番号を入力してボタンを押しなさいとの指示が下った。
それまで、出退勤は月ごとに紙で管理していた。「日付」「出勤時間」「退勤時間」「上司のサイン欄」だけのシンプルな紙。名前欄が無くて余白に書かせるというエクセルレベル1みたいなシートが毎月配られていた。
今までどんな時間働いても残業代が支払われないのでこんな表でも成立してきていた。1つ問題があるとすれば人数の多い会社ではあったので、上司にサインを貰うために行列が出来ることだった。
当時の上司である鹿島(カシマ)さんは画数が多いからかカタカナで「カシマ」と次々サインしていき、後半は筆が乱れてほとんど「カシス」になっていた。
出勤:8時 退勤:0時 確認:カシス とびっしり書かれた表を眺め、本当にこれで給料が支払われるのだろうかと不安になりながら総務部へ提出し、翌月末にすごく低い給料が振り込まれる。
タブレットの導入によって、行列とこれらの不安が解消されるのだろうか。喫煙所で役員共はこれをデジタルトランスフォーメーションだと言っていた。それはデジタイゼーションですよとか言ったら一撃で嫌われそうだなと思ったので黙って聞いていた。
それでもあの紙よりはマシだろう、期待して月初の出勤をする。
現場は大混乱
大混乱が発生した。
タブレットが安物なのかアプリが変なのかものすごくタッチの精度が悪く、昔のデジカメのタッチパネルみたいな押しにくさ。さらにこの会社に何人入る想定で設定したのかわかんないけど、社員番号が8ケタもあるので押し間違いが多発し、タブレットは大混雑していた。
当時の僕は課長代理という立場にいた。管理職だからという名目のもと、低い給料で月350時間の勤務を命ぜられ、さらに課長の面倒ごとをすべて押し付けられ、ミスもすべて自分のせいになるというすべてのハズレくじを集約したようなポジション。
出勤時間を過ぎた。行列は収まらない。やっと順番が来た奴が焦ってボタンを押し間違える。そもそも普段使われることのない8ケタの社員番号を覚えていない人間が多すぎる。全員がイライラしている。上司の怒号が響く。課長からメールが届く「タブレットはお前に任せる」。
しかしまだ、地獄は始まりに過ぎない。
行列がはけたところで自分の出勤を登録するためタブレットを操作した。タブレットには大きく時刻が表示されていて、俺は08:07にボタンを押した。その結果
「出勤を登録します」
「08:30 出勤」
「はい / いいえ」
は???
どうやら30分単位での計算しかされないらしく、1秒でも過ぎたら30分になるらしい。俺はどうせ残業させられまくるから別にいいんだけど、残業が禁じられていた派遣社員たちがすごく困惑していた。
その混乱をしばらく眺めていた課長は「タブレット責任者」と書かれた謎の紙を印刷して、俺のホワイトボードに貼ってきた。
「これ……30分働いてないことになるんですか……?」
派遣社員たちがタブレット責任者になった俺に恐る恐る聞いてくる。
知らない。俺もさっき同じ目に遭ってる。お前らと同じ立場。会社はこんな出退勤システムを思いつく人間で溢れているが、作れる奴は1人もいない。「1分でも過ぎたら30分になるように」とオーダーしてどこかに作らせたのだ。
唯一知ってそうな総務部の偉い人に内線をするが、おそらく全フロアで大混乱が起きているのだろう。内線は一向に繋がらなかった。みんなの出勤時間のメモをとり、後でなんとかするとだけ伝え業務に戻る。
早すぎたデジタルトランスフォーメーション
そして17時。派遣の人たちが一斉に帰る時間なのだが、変わらずすごい行列が出来ていた。そして来週からタブレットを増台するという大本営発表がなされた。いらねえから撤去しろ。弊社には早すぎた。カシスに戻せ。隣のフロアからも俺のところに人が来る。「タブレット責任者の方ですよね?」違う。知らない。俺のところに来るな。タブレット責任者ってなんだ。
結局そんな混乱で手が回らなくなり、その日は日付を超えて0時半に退勤ボタンを押した。その瞬間
「退勤を登録します」
「17:00 退勤」
「はい / いいえ」
は?????????は?????
この会社は何時間働こうが残業代が出ない。だから会社的には別にこれでも問題ない。今までの紙にも、社員が何時に出退勤したと書かれていようが、支払われる金額は変わらなかった。
ただ、23時に退勤して23時と書いて出すのと、23時に退勤してるのに17時で「はい」を押させるのは無限の隔たりがある。なんだこのタブレット。悪魔とはこれを考えたやつのことだ。
同僚が「どうせ変わらないじゃん」と気にせずボタンを押したが、それは飼いならされすぎている。絶対おかしいって、みんなちゃんと怒って、みんなで変革ではなく革命を起こすべきなんだよ。
だが、押さないといけない。僕がこの会社に所属している以上、押さなかったら明日面倒な目に遭うのはタブレット責任者の自分だ。押さないといけないのがすごく悔しい。
2回喫煙所に行って、日付が変わったスマホの時刻表示を一瞬見て、17時の退勤に「はい」を押した。
それから毎日、「はい」を押すたびにより深く会社のことが嫌いになっていった。タブレットのせいだと俺は思っているが、その月は退職者が多かった。2か月後、タブレットは撤去されていつもの紙に戻った。弊社にデジタルトランスフォーメーションは早すぎたのだ。
そしてまた経営方針発表会があって、全社員が仕事を中断して公民館に集められ、社長の「タブレットは精度が悪かったから改良している。デジタルだぜ」という話をぼんやりと冷めた目で聞いていた。この集まりをデジタルにすればいいのにと思いながら。