ICTで身近になった「海外の声」。しかしそれ「海外の声」ではないかもしれません

ICTで身近になった「海外の声」。しかしそれ「海外の声」ではないかもしれません

 

プロのジャーナリストでなくとも誰もが情報発信者となれる今、SNSからブログ、さらにはニュースのコメント欄に至るまで、デジタル空間はあらゆる言説が飛び交う場へと変貌を遂げた。

そこで語られる内容はピンからキリまで幅広く、さらにはノイズや罵詈雑言までもが混入した果てしなきカオス。

さまざまなプラットフォームが整備され、端末が人々の手にあまねく行き渡ったDX(テジタルトランスフォーメーション)時代における当然の帰結と言えばそれまでだが、現状が多くの問題をはらんでいることは確かである。

付け加えれば、発信するのは何かを伝えたい人だけとは限らず、ネット言論への参加が己の承認欲求やリビドーを満たす目的となっている場合すらある。

ネット世界を表す言葉

「表現者になりきれなかった者たちの呪いがネットには満ちている」*1

これはドイツ公共放送のプロデューサーであり、著述業などさまざまな活躍をされているマライ・メントライン氏のツイートからの引用で、正確にいえば彼女の知人の言葉だが、今日のネット世界を表すものとしては、まさに言い得て妙。

筆者とて中途半端な発信者にほかならず、自意識を満たすために雑音をまきちらしているひとりとの自覚があるゆえ、彼女の指摘には身につまされるものがある。

いわゆる「ネット民の声」とは玉石混交。われわれはそれらを見極める力を備え、一定のリテラシーを持って発信し、また情報を受容しましょうーー

といった教科書的な戒めで良識に訴えたところで現状は変わらないし、そもそも変える方法があるのかも分からない。

ICT・ITによってもたらされたポジティブな変化の反作用であり、多様な意見が可視化されるようになっただけ。そう割り切って、ネット界隈から発せられる声を適度に受け止めつつ、流されないよう気をつければいいのだと自分は考えている。

それに、たとえ日本のネット空間で不毛な摩擦が生じたところで、しょせんはコップの中の言い争い。それらが世界的に大きな影響力を持つには至らない(陰謀論は除く)……と考えていたら、最近どうも様相が異なってきた。ネット民の声、とりわけ良識ある方ならば思わず顔をしかめる類のものが今、国境を越えて消費されるようになっている。

その傾向が顕著なのは、筆者が日々ウオッチングしている日中間。双方のネットユーザーたちのトンデモ論説がわざわざ翻訳され、お互いのメディアにとって鉄板ネタと化しているのである。

果たしてそのような現象は、いかなる影響をもたらすのか? 両国のメディアで末席を汚す者として、筆者なりに考えを語ってみたい。

不倫報道から戦争まで、ことあるたびに引用される中国ネット民の声

不倫報道から戦争までことあるたびに引用される中国ネット民の声

 

「中国ネットユーザーの声」は今や、日本国内の一部メディアで欠かせざるソースとなっている。自分自身、週刊誌やスポーツ新聞などからたびたび依頼を受けるのがこのテーマ。世間で話題となっているトピックについて中国の反応を集めてくれ、とのオーダーを何度受けたか、もはや覚えていないほど。

当たり前だが、ネットの声=国民世論では決してない。日本同様、中華SNSやニュースのコメント欄に並ぶのは歯に衣着せぬ物言いが多く、中国のように言論統制が敷かれている国では、意見の偏りもはなはだ大きい。

それでもネタとして成立してしまうのは、毛嫌いしつつも関心強めという日本人の複雑な対中感情、中国の人々による反応の面白さといった要素もあるが、何より大きいのは安上がりでアクセスがそこそこ稼げるという功利的理由である。

まるで情報機関のごとき取材網を持つ一部媒体を除けば、週刊誌や実話誌、スポーツ紙にもはや昔日の力はない(ただし芸能ゴシップに関する嗅覚だけは衰えていない)。本当は中国でも、その気になれば人々の声を拾う方法はいくらでもあるのだが、現地に人を置くこともできなければ取材費もかけられない媒体は、安易にネット民の声を活用しがちだ。

しかも、記事として面白い=売れることが求められるため、しばしば極論ばかりを好んで拾う。

「いのちの輝きくん」に関する中国ネットユーザーの声

一例を挙げると、これはさすがにひどいと思い企画には出さなかったものの、大阪万博のマスコットキャラ「いのちの輝きくん」に関する中国ネットユーザーの声。

斬新なデザインに日本国内でも賛否両論が起こったが、それは中国でも同様というかより強めで、中華SNSの微博(ウェイボー)では「核汚染水(処理水)飲みすぎ」「放射能変異?」といった心無い書き込みもあったほどだ。

それは中国の官製メディアが一貫して放射能処理水の問題を日本叩きのトピックとして使っていることも背景にあるのだが、これをもって記事を作れば、当然ながら中国ケシカランという話になる。

だが実際には、大半の中国の人々は大阪万博のマスコットに関心などなく、そもそも大阪で万博が開かれること自体知らないのが普通。開幕が近くなり、中国国内で報じられて初めて気づく程度の話であり、ごくごく一部のネットユーザーの声を取り上げるのはミスリードというものだ。

先だって大きな地震があった時にも、中華SNSを席巻したのは「柚子(ユズ、つまり羽生結弦選手のこと)は大丈夫?」といったコメントで、それに加えて普通に被災地の人々を気遣う声もあれば、反日的な呪いも書き込まれた。

これを面白おかしい記事にするためにはどうすればいいかは考えるまでもないが、その結果として誤解が生まれることもまた、想像に難くない。偏った意見をつまみ食いして作った記事は、増幅器の役割を果たして日本国内にネガティブな反応を生む。

悪循環なことこの上ないとはいえ、それが今起きている現実なのである。

あなたの何気ない書き込みが利用されることもある

あなたの何気ない書き込みが利用されることもある

 

日本ネット民の声が中国で使われる場合、その多くは「中国語→日本語」とは目的が全く異なる。中国の官製メディアはそもそも報道の目的が営利とは限らない。海外と国内に向けた宣伝、つまりプロパガンダの浸透が主要な狙いであり、国外のネットユーザーの声は自国の主張を補強するものとしてしばしば用いられる。

実のところ、これは苦肉の策という側面もあり、本来中国メディアはできるだけ権威のある者を自らの代弁者とすることを好む。

ところが、価値観の違う欧米、そして日本などでは、各トピックごとに自国の主張と噛み合う意見を言ってくれる人を探すのは、そう簡単なことではない。いなくはないが、いつも同じ顔ぶれとなってしまう。

そこでネットの声を恣意的に抜き出し、相手国の世論を表すものとして紹介するわけだ。また、官製メディア以外では、日本側のネットユーザーの声が政治的意図を秘めた一種の娯楽として消費される場合もある。

詳しくはこのテーマの第一人者・安田峰俊氏が書いている記事を読んでいただくほうが早いのでここで詳しく説明はしないが、ネット右翼を嘲笑する「日本傻事(おバカな日本)」などといったアカウントで、デジタル空間の尖ったコメントが中国語に翻訳されている*2

それが笑いで済めばまだマシであるものの、たいがいの中国の人々はよりストレートに、そして感情的に受け止める。生まれるのは相互不信のスパイラルであり、まともに両国の友好親善に務めているさまざまな人々の取り組みを破壊する。

私たちにできること

日本と中国、どちらが悪いかといった話をしだすと火に油を注ぐことになるためここで自分の意見を述べることは差し控えるが、ひとつ断言できるのは、今後この傾向がますますエスカレートしていくだろうということだ。

何しろ、両国にとって需要がある。さらには日中の往来がコロナによってほぼ途絶え、ネットで仕入れた歪んだ理解がリアル世界の交流で改められる機会も減っている。そんな中、われわれにできることは、メディアによって伝えられる海外の声なるものに、容易に乗せられないよう自らを戒めること。また、自分が何気なく発した主張が他国でうがった使われ方をされるリスクにも留意しておくべきだろう。

いつ書き込んだのかすら覚えていないコメントが、知らぬ間に自国を代表する意見として報じられている……そんな風にバズったところで、何ら建設的な結果を生まないのは明らかだ。これは、読者の方々にお伝えしたいことであると同時に、ネットの海に溺れる人生を送ってきた筆者自身にとっての自戒の言葉。

どうか皆さま、投稿ボタンを押す前に、ほんの少しの逡巡をーー。

 

*1:Twitter マライ・メントライン@職業はドイツ人

*2:プレジデントオンライン「差別的な『ヤフコメ』が中国で笑いものに…”頭の悪い言説”を積極的に海外へ拡散する行為の激烈な攻撃力」ちなみに同記事では中国国内のコメントを海外向けに翻訳する運動について詳しく触れられており、この問題に関心がある方にとっては必読。