「女性、64歳、身長1メートル55センチ。114番線のバスに乗ってどこかへ行き、行方不明になりました」
中国に暮らしていると、街中でしばしば尋ね人の張り紙を見かける。見かけたらお電話はこちらまで、といった内容なのだが、他の国ならいざ知らず中国でこれは奇妙に感じる。
全国に敷かれた監視カメラのネットワーク、そして顔認識システムを使えば、覆面でもしていない限り行動履歴など一発で割れるはず。
それがなぜ、ローテクの極みである張り紙で尋ね人となるのかというギモンなのだが、実は中国ではこういった事例は決して珍しくない。
ハイテクとローテクが混在する国
中国企業、とりわけ国有企業を視察すると、映画の予告編みたいな仰々しいPR映像を視聴したのち、
「我が社はビッグデータ、AI、クラウドコンピューティングなどを活用してイノベーションを云々……」
といった話を聞かされるのがお定まりのパターン。
それは決して言葉だけのものではなく、実際見た限りではそういう取り組みがおこなわれているようなのだが、ディスカッションの時間となると先方から出てくる資料は紙、紙、紙。
デジタルトランスフォーメーション(DX)に力を入れるならペーパーレスとかもっと基本的な部分にも目を向けたほうがいいのでは、といった思いに駆られてしまうわけだ。
いわば中国とは、ハイテクとローテクが限りなく混在するカオスな国。
ある部分で飛び抜けて先進的な一方、同じ業種もしくは企業内で「明天会更好」(明日は今より良くなる)といった古き良き中国的光景を目にすることができる不思議空間なのである。
日中両国でITビジネスに携わるエンジニアの先輩はかつて自分に、
「乱暴に言うと、技術レベルはともかくITの応用で中国は世界一」
と語り、さらに畳み掛けるように
「DXの面で日本政府の頭は石器時代」
とまで言い切った。
中国がそれほどまでに進んでいるのなら、かの国のDXはよりバランスよく発展するものであってよいはずなのだが、少なくとも自分にはそうは見えない。
This is China
ごく身近な例を挙げると、とある観光地ではコロナ対策のために入場者数をリアルタイム管理し、場内のカメラによるモニタリングで「密状態」が発生するとアラートが発せられるシステムが構築されている。
しかし、前日に市内でコロナ感染者が発生した場合や、全国的にできるだけ外出を控えましょうといったおふれが出された時など、利用者として一番気になるのはそこが今日、本当に営業しているかどうか。
これを知るためには自分の経験上、ホームページの告知などは全く当てにならず、電話確認するしかない。というか電話で聞いても分からないことすらある。
This is China、それが中国だと言えばそれまでなのだが、なぜそんなことが起きるのか。筆者はエンジニアでも何でもなく、単なる現地在住の中国ウオッチャーに過ぎないが、体験を元として自分なりに理由を考えてみたい。
ミクロな視点で見る中国のDX
「ITの浸透が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」。
エリック・ストルターマン教授が唱えたこの仮説は、中国でおおよそ現実のものとなっている。皮肉を込めて言えば、中国の場合は元が悪すぎたということもあるが、煩雑な行政システムはかつてより格段マシになった。
さらに、電子決済の普及で新たなビジネスが次々生まれるとともに、人々は現金の煩わしさや偽札を掴まされるリスクから解放された……。
なんていうのは、他のネットメディアでもしばしば目にする話。
こういうのはざっくりした説明ではなく、よりミクロな視点で事例を挙げるほうが伝わりやすい。
例えば、中国で街の飲食店にふらりと入ると、たいがいはテーブルに貼られているQRコードをスキャンして注文をする。「それ、便利ですね」なんていうレベルの話ではなく、この一見些細なことが生み出す効果はとてつもなく大きい。
まず、以前ならやる気のない店員が注文を間違ったり、そもそも注文を取りに来なかったりすることなど日常茶飯事だったが、このシステムが導入されて以降、そんなストレスはまずなくなった。
中国の飲食店でスマホ決済が広まった理由
現金を使わないから、食用油でギトギトになった手でおつりを渡されるなんていうシチュエーションも今や昔。これは全くの私見だが、かつて人民元といえば臭く汚い、お金なのに素手であまり触りたくない紙幣だった。
それが今では、かなりきれいなお札が流通するようになった。飲食店でのスマホ決済の広まりはその理由のひとつだと考えている。そしてお店からすると、売り上げの管理が楽で店員のネコババも防げる上、導入コストもかからない。
仮に日本でラーメン屋でもやろうと思えば、まず必要になるのは食券機である。
食券機……!
中国暮らしが長い身からすると、あの筐体にもはや一種の郷愁すら覚えてしまう。筆者の友達がかつて新宿でカレー専門店を開いた際、「1万円札対応の食券機だと1台100万円もするんだよね」なんてことを言っていたが、そんな初期費用など中国ではありえない。
さらに言うなら、中国で電子決済のプラットフォーマーは手数料を取らない。その代わりに集めたデータで莫大な金を生む。QRコードでメシを注文、この1点にクローズアップするだけでも、消費者と飲食店、プラットフォーマーの「三方良し」が見えてくるというわけだ。
トライアル&エラーで見切り発車が中国のDXを動かしている
ただし、全てがバラ色という話では決してない。
なぜ中国のDXを始めとする革新が盛んであるかというと、この地はトライアル&エラーで物事を進める国だからだ。
前出の先輩いわく、「中国は100%を求めず、まずやってみる。間違いが見つかったら、後で考えればいいという思考。それに対して日本は完璧主義で最初から100%を求めるし、失敗したら誰が責任を取るのかという話になるから進まない」。
さらに付け加えるなら、このロジックならひとたび始まった後は完璧を求める日本のほうが優れているはずなのだが、そうなっていないのが現状である。では中国最高となるかというと、トライアル&エラーに伴う問題も間違いなく存在する。
見切り発車でやるために想定していない事態が起きるし、取り残される人も当然出てくる。これも例を挙げると、中国ではさまざまなサービスで実名認証を必要とするが、入力欄が身分証オンリーでパスポート持ちの華僑や外国人は金があっても利用できない、なんていうことが普通にある。
また、中国はお年寄りでもかなりの程度スマホを使いこなすが、どうしてもついていけない人だっている。そういう人にとって、健康コードがないせいで店に入るたびに手書き登記が必要な今の状況は極めて厳しい。そういう細やかな配慮は、中国が最も苦手とするところ。
デジタル面での二極分化は、中国の変化が早ければ早いほど、より大きなギャップとしてこの国に残り続けるだろう。
均衡の取れたデジタル化は重要だが、いびつさもまた他人事ながら面白い
もうひとつ感じるカオスの要因は、現在の中国でDXが国家戦略に組み込まれている点である。それ自体、中国の発展にとっては悪いことではない。
中国のイノベーションを支える民営企業では革新的なDX事例がどしどし生まれているが、同時に公のセクターでも間違いなくDXは進んでいるし予算もある。
何と言っても、計画経済の残滓どころか今も国を動かす重要な指針である五カ年計画の最新版にはDX、中国語でいう「数字转型」がこれからの発展のカギであり、推し進めるべきものと位置づけられているほどだ。
ただ、かつて中国のハイテク産業は、むしろ野放しの状態で政府の干渉を受けなかったことから伸びてきたという側面がある。
「上からのデジタル化」は、確かに旧態依然とした業界に新しい風を吹き込むものに違いないが、中国経済で大きなファクターを占める国有企業は、極端なことを言えば革新をおこなわなくてもそう簡単には潰れない。
当然、稼いでナンボの民営企業とはDXに対する姿勢に差があり、そこにある種の歪み、もしくはカオスが生まれる余地があるのではと感じるのだ。
中国において政府というか党の指導は絶対である。
DXは国策である以上、お上に言われたことは、ちゃんとやる。実は良く分かっていなくても気合いでやり切る。
だが、それはAIやビッグデータといったホットワードに主眼が置かれすぎるあまり、さまざまな取り組みが本来の目的である生産性向上や価値創出に繋がっているのか、バランスの取れたものとなっているのか。
その検証は後回しにされているように思われてならない。
中国はDX先進国だが、称賛ばかりもしていられない
「ビッグデータで需要予測やAIによる在庫管理もすごいと思う。でもそれ以前に工場ではヘルメットくらいかぶったほうがいいと思うし、暑いからといって上半身裸で作業は危ないのでは。あと勤務時間中に政治学習会をやるのは非効率なのではなかろうか」
もちろん自分は外国人の身であり、この国に意見する気など毛頭ないが、そういう考えが湧いてこないことを不思議に思うのだ。
中国がDX先進国であることは確かだろう。日本が学ぶべきことが少なくないのは事実に違いない。
ただ、中国とは遠目に見る富士山に似て、現地でその有り様をつぶさに眺めていると印象は全く異なる。
単純に称賛ばかりもしていられないというのが実感なのである。
北京や上海、深センなど中国の大都市には、日本では考えられないような高層ビル群が立ち並ぶ。
しかし、ひとたび路上に目を向ければ、地べたを這うようにしてその日暮らしをするあまたの人民たちがいる。
この陰と陽こそが中国のいびつさであると同時に、言葉は悪いかもしれないがこの国に惹かれる点でもある。
ある企業で属人化した仕事のデータマニュアルが完成したとする。
それは大したものだと見に行ったら、オフィスで使われているPCのOSはサポートがとっくの昔に終わったウィンドウズでずっこける……。こういう驚きがあるからこそ、中国ウォッチングはやめられない。
現在はコロナによる渡航規制で難しいかもしれないが、落ち着いた折にはぜひ多くの方に、先入観なく中国のDXを肌で感じていただきたいと思う。
渦巻く混沌の中に身を投じることで、きっとみなさまにとって新たな発見があるはずだ。
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執筆
御堂筋あかり
スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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