大社長 高木三四郎 DDTとノアの社長を務める男が決断した、当然の選択とは?

高木 三四郎(たかぎ さんしろう)さん

(写真提供:DDTプロレスリング)

高木 三四郎(たかぎ さんしろう)さん

1970年生まれ、大阪府出身。株式会社DDTプロレスリング代表取締役社長。株式会社ノア・グローバルエンタテインメント代表取締役社長。プロレスラーとしても現役で活動中。海外戦略にも力を入れており、2019年4月4日にはアメリカ興行を成功させている。

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各業界の著名人にインタビューをして仕事のヒントを得ようという、この企画。今回は2つのプロレス団体で代表をつとめている”大社長”高木三四郎さんにお話をうかがいました。Zoomを使ったオンラインインタビューとなります。

 

好きなことをただ単にやりたい

高木三四郎「好きなことをただ単にやりたい」

ーー本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、キャリアのお話をお聞きしたいと思います。高木さんがプロレスを仕事にしようと思ったきっかけについて教えてください。

よろしくお願いします。プロレスデビューは1995年なんです。失礼な言い方になっちゃうかもしれないんですけど、デビュー当時は仕事っていうよりは、好きなことをただ単にやりたいってだけでした。

プロレスを仕事にしようと思ったきっかけは団体を旗揚げしたことですね。1997年の3月になるんですけども、もともと所属していた団体が解散してしまって、露頭に迷ったわけですよ。

 

正直プロレスを続けるつもりはあまりなかったんですけども、その時一緒にいたメンバーから、どうしても解散したままで終われないということで、団体を旗揚げしませんかと言われたんです。それで旗揚げをして、もう後戻りはできなくなったということですね。

 

ーー最初はイベンターの仕事をされていたとうかがいました。

そうです。最初は学生の延長線でいわゆるヤングマーケティングをしていました。大学生とか高校生とか専門学校生なんかのマーケティングをやっていて、人を集めたり、リサーチに携わる仕事をやっていたんです。

 

DDTプロレスリングの旗揚げ

ーーDDTプロレスリングの旗揚げに参加し、2006年に社長に就任していますが、選手と社長との切り替えはどうされているのか教えてください。

両国大会を初めてやったのが2009年なんですよ。約10年前ですかね。2009年ぐらいまでは「社長」っていうのをあんまり意識してなかったんです。1997年に団体を立ち上げたんですけど、最初の1年間で、結構赤字をかぶっちゃったんですよ。

やっぱりちょっと厳しいなと思って、僕の知ってる方とか先輩に経営の面をお任せしていて、僕はプロデュース面に集中して、あまり経営のことを考えたことはなかったんです。

 

2004年にそろそろ自分でやらなくちゃいけないだろうなというタイミングになったときに、自分で会社を興してっていうのが社長業のはじまりなんです。そこから5年間はあまり社長業という感覚はなくて、それよりは選手兼プロデューサーの延長という感じで考えてましたね。

でも、2009年に両国大会で1万人規模の会場に進出したところで、周りの見る目も変わってきたんです。いわゆるそれまでのインディー団体から、両国大会を成功させられる団体となったわけですよね。

 

さいたまスーパーアリーナ大会

(写真提供:DDTプロレスリング)

ーー午前中はトレーニングをして午後は仕事するという状況は変わっていないですか?

でもやっぱりね、練習量は減ってます。2019年から不整脈が出ていて、休みがちだったんですよ。今年の2月に不整脈の手術をしまして、今は少しずつ戻している状態なんです。

高木三四郎が語るプロレス以外の事業

ーープロレス以外の事業もされてるじゃないですか。その辺りの経営戦略とか企画プロデュースも高木さんがされているんですか?

はい。今、飲食店が3店舗あるんですよ。その3店舗を立ち上げるまでは、僕が企画・戦略は練っていました。2016年から飲食部門だけ別会社にしたんですよ。そこの社長にKUDOっていう選手兼うちの居酒屋の店長をやっていた者を据えてからは、任せてありますね。

 

ーーコロナの影響で飲食業は大変だと思うのですが、オンライン営業など新たな取り組みをされています。今は状況いかがですか?

正直、大変ですよ。オンライン営業をやり始めたきっかけは、アイドル系の方やグラビア系の方が、オンラインバーみたいなことをやっているのをたまたま見て、すごく良いこと考えるなと思ったんです。

緊急事態宣言から、完全に飲食店の営業ができなくなっちゃったわけですよ。うちはバーを2店舗、居酒屋を1店舗やっていて、対面での営業はできないですから、オンライン営業をやろうということで始めたんです。

高木三四郎「プロレスラーはクリエイティブワーク」

ーー2020年1月からノア・グローバルエンタテインメントの社長に就任しました。DDTプロレスリングと合わせて2社の社長をされていますが、ワークライフバランスはどのような感じでしょうか? 決まった休みはありますか?

決まった休みというのはないですね。コロナの前だと、興行は土日にありますし。コロナが流行してからはリモートワークになりましたけど、仕事に関しては土日関係なくやってますね。

でも、前に比べれば時間は作りやすくなりました。今までってミーティングの回数が多かったんですよ。実際に会ってするミーティングよりもオンラインミーティングのほうが、割とサクサク話が進みますね。

 

無駄なことを喋らないので、時間が半分くらいに短縮できるんですよ。今まで1時間かかっていたミーティングが、オンラインミーティングだと30分から40分くらいで終わりますから。いかに今までのミーティングって無駄なことばかり話してたのかなと思いますよね。まあ、無駄な話から出てくる良い案というのもあるんですけど。

僕はプロレスラーをクリエイティブワークだと思っていて、それこそ選手のキャラクターだったり、プロレスの流れってあるじゃないですか。

 

ストーリーラインとまで言うとちょっとあれなんですけども、この選手とあの選手を戦わせるっていうところから始まって、戦わせるためにどういうシチュエーションを用意してあげるかを考えるんです。そういったところも結構クリエイティブワークになるのでね。

 

SNSの活用もクリエイティブワークの一部

(写真提供:DDTプロレスリング)

ーーノアとDDTはサイバーエージェントグループ入りをしましたが、サイバーエージェントグループに入ったことで良かったと思う点を教えてください。

サイバーエージェントってITの会社というだけじゃなくて、メディアを持ってるんですよ。それこそアメーバブログ、ABEMAもそうじゃないですか。あと、広告ですね。ウェブ広告なんかも強いですし。

やっぱりプロレスというのはエンターテインメントだと僕は思っているので、サイバーエージェントにはこの時代において必要なものが全部揃ってるんですよ。そういうグループのシナジーを受けられることが一番大きいメリットでした。

 

プロモーションもそうですし、知名度を上げるというところにおいて、いろいろと助かってる部分がありますね。

ノアとDDTがサイバーエージェントグループに入った理由

ーーサイバーエージェントグループ入りについて、サイバーエージェントの藤田晋社長に直接プレゼンをされたそうですが、藤田社長とのエピソードがあれば教えてほしいです。

最初はメディアに出てらっしゃるIT社長の方ってちょっと個性が強いというイメージがあったんです。ご縁があってお話させていただく機会があったんですけれど、実際の藤田さんはすごく物静かで、こちらの言うことをしっかりと聞いてくれました。プロレスにはそんなに詳しくないとは思うんですけど、質問内容もすごく的確だったんですよね。

 

僕がなぜサイバーエージェントグループに入ったかを説明すると、高木三四郎という人間が個人資本でやっていた事業ではやっぱり限界があるわけです。

団体自体を大きくしたいという想いがあったので、サイバーエージェントグループに入って大きなシナジーを得たいですと藤田さんにお話をしたところ、「経営者なら当然の選択ですよね」って一瞬にしてわかってくれたんです。やっぱりすごい方なんだなと思いましたね。

 

ーーコロナの影響でどの業界も厳しい状況が続いています。コロナの影響でお仕事はどう変わったかを教えてください。

やっぱりリアルな興行が出来ないので、どうしてもオンライン中心になるじゃないですか。 幸いにもDDTは動画配信サイトも立ち上げてましたし、サイバーエージェントグループに入っていたのでオンライン活動をするうえでのシナジーを受けることができました。

オンラインショッピングサイトや動画配信に力を入れてましたね。

 

ーー高木さんは過去に色々なお仕事をされてきていると思いますが、印象に残っているお仕事のエピソードを教えてください。

なんだろう……いろいろなことをやってきましたからね。物心ついた時からプロレスというか興行に従事していたので、学生の頃にやっていた学生の集客イベントをクラブやディスコで派手にやっていたのが印象に残ってますね。

 

それこそ、テレ朝さんとABEMAでやっている『M 愛すべき人がいて』の90年代を舞台にした、ディスコとか、そういったド派手でキラキラしたところには最前線に居たので。ドラマのディスコのシーンとか本当そのまんまです。全然誇張してないですから。

もし、高木三四郎がプロレスをやっていなかったら

ーー高木さんがもしご自身がプロレス以外の道を選ばれていたら、どのような仕事をしていたと思いますか?

僕はもともとメディアに入りたかったんです。就職活動でも志望してたところはテレビ放送局と出版社だったんですよ。全部ことごとく落ちたんですけど。 ミーハーっていうのもありますかね。

だから受けた企業はもう有名なところばっかりでしたよ。どっか受かるだろうと思ったんですけど、全敗でした(笑)。

 

ーーSNSのフォロワーが多いですが、SNSの運用で気を付けていることを教えてください。

誰でもそうだと思うんですけど、基本炎上しないことと、ちょっと危なそうな人はスルーするぐらいですかね。

僕、SNSって全部早い段階でやってるんですよ。mixiもブログも全部早いタイミングだったし、Twitter、Facebook、Instagramも全部結構早いタイミングでやってたんです。

Twitterなんか結構早かったですね。2009年からやったんで。その時にこれは広がれば、すごいツールになるだろうなと思っていましたね。

 

Twitterの前に流行っていたmixiって友達まで公開という感じで、限定できたんですよね。 Twitterの場合は基本的にオープンな状態で140文字までしか書けないじゃないですか。だからこれは気をつけてやんないと、誤解されるだろうなと思いましたね。

言葉選びと、この文章はプロレスを知らない人が見ても、傷つかないだろうか、というのは気にしながらやってます。

 

炎上しないことに気をつけてる高木三四郎 大社長

(写真提供:DDTプロレスリング)

 

ーー高木さんは「大社長」と周りから呼ばれていますが、理由を知らない人のために由来を教えてください。

2004年くらいですかね、うちに入ったスタッフが大社長! って言い始めてから定着した感じです。

社長業とプロレスで結果を出す

当たり前の話なんですけど、レスラーっていうのはやっぱりリング上で結果を出さないといけないわけですよ。

僕自身のプロレスっていうのはそんなに強いほうでもないし、勝ってるほうでもないんですけど、リング以外のプロデュース面とか、経営的な部分で結果を出していくことを考えている人ってそんなに居なかったんです。

 

ちょうど新日本プロレスの社長が藤波辰爾さんから草間さんっていうプロ経営者の方に経営者が変わったタイミングで、プロレスの経営者が注目され始めてはいたんですけどね。

 

高木三四郎の”やりたいこと”

ーーメディアのコンセプトが「やりたいことをできるに変える」なのですが、高木さんが今後やりたいと思っていることを教えてください。

まずはこのコロナ禍で経営をうまくやっていくということですね。今はピンチなんですよ、正直なことを言うと。だけど、それはどこも一緒なんで、大手が動けていないタイミングで動くしかないかなと。

ソーシャルディスタンスを意識した座席図も作らないといけないですし、フルパッケージでやるっていうのはなかなか難しいんじゃないかなと思ってるんですよね。

 

あとはオンラインですね。オンラインでの新しい売上を伸ばすという意味ではポジティブに考えてます。

プロレスのようなジャンルは中々ないですよね。普通、勝負の世界には勝ち負けを競うっていうのがあるんですけど、プロレスは負けてからが勝負なところもあるので。 負けてから、次勝つまでを応援される面があるので、非常に人情味あふれるエンターテインメントだと思っているんです。

 

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