「俺の怒りで、お前らをマネジメントしてやる! アンガーマネジメントだ!」
ブラック企業にいた時、一番頭の悪い課長がアンガーマネジメントという単語を覚えた。アンガーマネジメントを覚えたのではなく、アンガーマネジメントという単語を覚えた。
常日頃からフロア中を怒鳴り散らし、強制的に参加させられる飲み会で6人しかいないのにレモンサワー50杯を頼み、「全部飲むまで帰るなよ」とだけ言って金も払わず帰る課長がアンガーマネジメントという単語を覚えた。
アンガーマネジメントとはご存じの通り、自らの怒りを予防することが目的だ。究極の目標は、怒りが深刻な問題にならないように上手く制御し、管理すること。アンガー”を”マネジメントすることで、決してアンガー”で”マネジメントすることではない。
だが、この課長はもともとただ怒鳴り散らすことをマネジメントと認識していたふしがある。
その中でアンガーマネジメントという単語だけを何かで聞いて、きっと意味を調べることはしていないのだろう。こいつはガラケーだし、プリンターの操作すら出来ず、俺が送った掲示用の紙1枚分のデータを紙16枚で印刷してジグゾーパズルみたいに掲示していた男だ。どうやって操作したらそうなるんだよ。
怒りまくることで部下をマネジメント出来るんだ! ステキ! などと都合のいい解釈をしただろう。アンガーマネジメントなんて理解出来るはずもない。アリストテレスも言っていた。「怒ることは誰にでもできる。しかし適切な相手・程度・場合・目的・形で怒ることは難しい」と。
「このゴミ野郎が! 何の役にもたたねえな! 殺すぞ!」
「貴様ら全員俺の怒りがおさまるまで帰らせねえぞ!」
課長なりのアンガーマネジメント
課長が課長なりのアンガーマネジメントをしている。マネジメントの一環だと捉えていたとしてもこんなこと言われて頑張る人間がどこにいるのか。ちょっと考えればわかるんじゃないか。ただ、この会社にマネジメントが出来る人間などそもそもいなかった。
社長がよくマネジメントの重要性を口にしていたのだが、上司たちは「自分、マネジメントしてるな」という謎の自信だけを持っていた。
あるリーダーはチーム内に密告制度を導入。ある次長はかわいい女子社員だけめちゃくちゃ贔屓(ひいき)。ある部長は落ち込んでいる部下に叶姉妹のヌード画像を送るなど、上司たちは各々の認識のマネジメントをしていた。誰でもいいから1回『もしドラ』とかでいいから読んでくんねえかなと思ってた。
そうして一か月が経ったころ、部下4人が無断退職を決めた。それにより部署の売上がかなり下がり、課長は激詰めされたと聞いた。激詰めとは泣くか吐くまで詰められるという意味です。
「4人辞めた……俺は間違っていたのかもな……」
喫煙所で課長はうなだれていた。クビにするぞと脅されたらしい。
クビにはなってほしかったが、この課長はもともとアメとムチを使う人だった。
アメの比率はかなり低いのだが、厳しく叱責したあと、やけに高いご飯を奢ってくれることがあった。その時の課長は穏やかで、一瞬いい人に見えるくらいだ。ただもうそんな課長はいない。この言葉を覚え、ポケモンと同じ仕組みだからアメとムチなんか忘れてしまった。
どうか変わってほしい。そう願って、軽く伝えた。
「怒りに関する日記をつけるのも、良いらしいですよ。自分の怒りに対して心構えが出来るらしいです。そういう本を読むのもいいかもしれません」
「なるほどな……」
僕は当時「課長代理」という、給料が安いのにこいつの全ての尻ぬぐいをするという最悪のポジションにいたので、本当に変わってほしかった。 課長はうなだれながら、喫煙所を後にした。その背中は少し、小さく見えた。変わってくれるといいのだが。
怒られてるうちが華
その日の課長の日報には、「怒った理由:部下が無能だったから」とだけ書いてあった。
そして翌週、「怒られてるうちが華」という新しい言葉を覚えてきた。どうでもいいやつには指導しないから、指摘されてるうちになんとかしろよみたいな意味の言葉だが、やはり課長の使い方は間違っていて、部下たちに怒鳴り散らしていた。
「てめえら全員死ね! 怒られてるうちが華だぞ!」
「ぶち殺すぞ貴様! 怒られてるうちが華だぞ!」
何も変わらない。なーんにも変わらない。ただ語尾に謎の華が咲いただけ。
「今すぐ会社を辞めろ! 怒られてるうちが華だぞ!」
もうわけがわからない。辞めろと言われている状況の何が華なのか。
「お前ブスなんだから契約くらい取れよ! 怒られてるうちが華だぞ!」
それはきっと言われていない状態のが華なのだろうな。
「お前はキモいから俺に話しかけるなって言っただろ! 怒られてるうちが華だぞ!」
絶対華じゃないよそんな状態。
内容もそうだし、この人は分け隔てなく全員を怒るので華も何も無い。
フロア中が花畑になり、また1本、2本と枯れていく。また激詰めされるはずなのだが、課長は日報に怒りの理由をかなり長く書くようになっていた。
「部下たちのためです」
「人間は怒られてるうちが華なのですが、私は誰も見捨てません。だから全員を怒っています」
絶対にただ当たり散らしていただけなのに、課長は自らの怒りを正当化した。本人は本気で部下のためだと思っていたのも最高にたちが悪かった。
「お前が死んでも誰も葬式行かせねえからな! 怒られてるうちが華だぞ!」
「お前なんで生きてるんだよ、昨日死ねって言っただろ! 怒られてるうちが華だぞ!」
「朝からお前の顔見たくねえんだよ! 怒られてるうちが華だぞ!」
怒号が響く。華たちが辞めていく。どこか遠くにそれを聞きながら、課長の日報への返信を探す。
これだけ人が辞めたら普通に大問題なのだが、「この課長はこういう人だから」みたいに市民権を得ていた。
課長はこの会社以外では生きていけないだろう。すぐキレる課長の怒りは、正当化されることでクビという深刻な問題からは遠ざかっていた。それはブラック企業だけで通用する、課長自身のアンガーマネジメントだったのかもしれない。