半沢直樹の勧善懲悪よりも、ブラタモリの悠悠自適 ーアンガーマネジメント体験談ー

半沢直樹の勧善懲悪よりも、ブラタモリの悠悠自適 ーアンガーマネジメント体験談ー

 

四字熟語辞典をパラパラとめくる。

 

「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)」

 

意味は「善良な人や善良なおこないを奨励して、悪者や悪いおこないを懲らしめること」。 私の好きな言葉は、これだ。

休み時間の教室で、好きな人の名前をつづるようにノートの端に落書きしたーー。

 

今でこそ穏やかに生きているけど、中学生のあの頃は、怒る対象がいくらでもあった。好きでもない家と、町と、学校と。自分で選んだわけじゃないのに、強制的にこの環境に押し込められた不満が全身をたぎる。まぁ、いわゆる中二病をわずらったわけです。

学校に行くと、クラスメイトの不真面目な言動を心底軽蔑し、苛立っていた。

うわ、何あの髪色。中学生のくせに髪を染めるなよ。スカートは膝より下と決まってるのに、なんだあの短さは。男子は腰パンするな、見苦しい。「氷結、おいしーよね」とか言ってるヤツは正気か?

 

曲がったことが大嫌いな私は、ひたすらに校則を順守した。アンチテーゼを込めるように、スカートは一度も折らず、長いまま。膝下を優に超え、もはやスケバン状態だった。

「勧善懲悪」は自分の理想を一言で代弁してくれていた。「善良な人や善良なおこないを奨励して、悪者や悪いおこないを懲らしめること」。こうあるべきだ。

どいつもこいつも不良ばかりで嫌になる。だけど怒りを作り出していたのは、自分自身にあった。そう悟った瞬間を覚えている。

 

その日の放課後は、水飲み場の掃除当番だった。クラスの班6人のうち、女子3人で担当する。そのはずが、私は一人、蛇口が連続した大型のシンクをスポンジでゴシゴシ洗っていた。

こうなったのは、「もうやったことにしておけば、いくね?」というスカートをギリギリまで短くしている女子の提案を飲み込めなかったせいだ。サボることに賛同できず、「じゃあ、やっておいて〜」と調子よく甘えられ、力なく引き受けた。

 

不良の女子はスカートが短い


こと水飲み場当番はサボりやすい。以前までは先生が掃除後にチェックしていたのに、最近は記録ノートを提出するだけになってきている。チェック体制がなぁなぁになったことを察知して、不良組は掃除をサボり始めた。これは問題だと先生にこないだ言ったのに、まただ。

 

ほこりくさいモップを、バケツに入れた水でびちゃっと浸す。モップ用のバケツには絞り器がついている。そこにモップを挟んで水気をとるのだけど、いまだにうまく使いこなせない。ぐちゃっとしたモップを持ち上げて、黙々と床を拭く。廊下に響く放課後の楽し気な声がやけに耳につく。

 

真面目にやっているのがちょっと馬鹿らしい。でもこれが私の正義。掃除をサボるのは、悪だ。みんなサボらずきちんと掃除をするべきだ。

できれば、彼女たちに「掃除、サボっちゃダメだよ」と面と向かって言ってやりたい。でもそんな勇気も持ち合わせていない。私が泣いて訴えてみたって「ちゃんとやらなくてごめんね」となるはずがない。「は?ウザ(笑)」で一蹴される。今までの彼女たちを見ていれば、わかる。

 

「善を勧め、悪を懲らしめる」。前者ができないなら、後者はどうだ? すなわち先生に怒ってもらうのだ。今までは、先生に告げ口をしても「本人には言わないでください」と消極的な訴えでしかなかった。

教室の小さな社会で、チクったことがバレてしまうのは、ほぼ死を意味するからだ。けれど、ここは腹をくくって、死を覚悟してでも怒ってもらおう……いや、違うな?

 

怒ってもらったところで万事解決とはならない自分がいる。私は何がしたいんだ? 

水拭きされた床に西日が反射している。水飲み場は、無駄に広い。

 

モップと対峙しながら、頭の中にある天秤に思い当たる分銅を乗せていく。すると、勧善懲悪よりも優先したい気持ちが見つかった。見つけてしまった。

 

私、本当は仲良くなりたいんじゃないか。

 

嫌っているようで、嫌いになりきれていない。情けない話、私には勧善懲悪を押し通すほどの気概はなかったのだ。ヘナチョコで、中途半端な自分。ダサいなぁ。

自分のダサさと仲良くなりたい本心に気づいたら、彼女たちを見下していた私の視点がするすると下りてきてフラットになった。掃除をサボるという行為がエゴだとすれば、私がサボりたくないというのも、また一つのエゴなのかも。

 

怒りの原因は、ここにある。自分が絶対に正しいというのは思い上がりだ。どんなことでも、相手を対等に見れないことにはわかり合えず、ただ怒りが渦巻くだけだ。

仲良くなりたいなら、この態度から改めなくてはならないな。自分の気持ちに整理がついたら、モップを持つ手は、軽くなった。

 

それからというもの、クラスメイトの悪事に光らせていた目は和らいだ。あれは間違っているとか、こうあるべきだとか、独善的な性格がほぐれていく。なんかつきものが取れたような感覚だ。怒りをコントロールするアンガーマネジメントの一つに、「『〜べき』という考え方を手放す」という方法があるようだけど、気持ちが軽くなったのは、そういうことだったんだと思う。

 

そのうち、スカートの短い女子に「スカート、スケバンみたいだな〜!」と笑っていじられるくらいの仲になった。それに私も笑った。側からみれば、タダのいじられキャラでしかなかったかもしれないけど、心から笑った。本来、掃除当番はサボっちゃいけないし、サボりを肩代わりしたのは褒められた行為じゃないのはわかる。今思えば懐柔(かいじゅう)されただけともいえるかもしれないけど、あの日を境に、トゲトゲとした人に対する見方が変わった。ある種の荒療治だったと思う。

 

ちなみに、今は「勧善懲悪」を好きな四文字熟語とするのはしっくりこない。

なんか「悠悠自適(ゆうゆうじてき)」みたいな、ゆるくほんわかした言葉が好きになった。