音楽はレコードやCDの時代を経て配信が主流となり、携帯端末で手軽に音楽に触れられるようになった。通勤通学の時間に、好きな音楽に心を癒されている人も多いだろう。しかし、デジタル化した現在の音楽制作過程を知る人は少ない。
日本の音楽を世界に通じるものにするため、子どもへの音楽教育を地方から進めるユメミルコドモネアカデミーの堤秀樹さん、伊佐高吉さん、佐々好美さんに話を聞いた。
音楽教育への入口
福岡県の北部に直方市というところがある。人口約5万6000人。かつては炭鉱産業で栄えた場所で、現在は隣接する北九州市のベッドタウン的な存在だ。
この直方市で、名のある音楽プロデューサーが小中学生を対象とした音楽制作教室をやっているということで、筆者は興味をそそられた。さらに驚いたのは、楽器の演奏を教えるのではなく、曲作りをiPadで教えていること。
「ユメミルコドモネアカデミー(※以下「アカデミー」)の『ネ』は、『音』と根っこの『根』に掛けているんですよ」そんなところから話は始まった。
同じ音楽業界で働く者であった伊佐さんと堤さんだが、その出会いは仕事関連ではなかった。しかし、同学年ということも手伝ってすぐに意気投合。そして自分たちの子どものころの話で盛り上がった。その話の中で特に共感し合えたのが、今の子どもたちは音楽に触れるシチュエーションが希薄ではないかということ。
例えば、自分たちの子どものころはレコードやCDを店舗に買いに行くと、常連のお兄さんや店の人が「それが好きなんだったら、これも聞いてみれば」と予想外のものを勧めてくることもあったという。しかも、店内には演歌からジャズまで幅広い音楽がかかっている。それに比べて今は、ネットショップで買えば他のものを目に(耳に)することはない。
そんなコミュニケーションが、今の子どもたちにとって、音楽に幅広く触れる機会になるのではないか。ならば、音楽業界にいる自分たちが伝道師として少しでも子どもたちが音楽に触れる場を提供できないかと考えたのだ。
「昔でいうレコード屋のお兄ちゃんが私たちの役割です。おじいちゃんですけど(笑)」
そんな思いを根本に据えた音楽アカデミーを企画した2人は、さっそく伊佐さんの出身地である直方市役所に出向き、直方市の教育委員会受託事業としてアカデミーをスタートさせた。福岡市内の音楽スタジオ経営者からの紹介で出会った佐々さんも加わり、月に2回のレッスンをおこなっている。リモートワークも一般的になってきた今、オンラインでのレッスンも取り入れつつある。
iPadを使い、世界レベルの作曲家を直方から
楽器演奏の教室はあちこちで見かけるが、なぜアカデミーは「作曲」なのだろう。そこを講師の堤さんに聞いた。
「プロデューサー業を東京でやっているころ、日本の音楽、楽曲が世界に出て行けないことにジレンマを抱えていました」そう語る堤さんは、その要因についてこう考えている。「私もそうでしたが、地方にいる時に得る情報と東京で得る情報は全く違うんです。その音楽的素地の差には悔しささえ感じました」
つまり、都会の子どもたちや2世ミュージシャンたちは、生まれながら恵まれた音楽環境にいる。そんな地域格差をなくしたいと考えたのだ。
そして、世界に勝るような作曲家レベルの人材を育てるには、良い音楽環境に加え、子どものころからの経験が重要だ。都会にいようが地方にいようがiPad1台さえあれば音楽の基本構造を学べる時代になってきたことは、特に地方の子どもたちには大きな意味を持つ。
「例えば、世界的なスポーツ選手が生まれる地域にはそれなりの施設が揃っていますよね。同様に、直方にたまたま生まれた子がアカデミーに参加して音楽の基礎をしっかり学び、世界に出ちゃったよねということもあり得るわけで(笑)」と伊佐さんは未来への縁を見据える。
子どものころにこそ成功体験を
とはいえ、限られた期間で音楽についての全てを伝えるのは難しい。だが、その中のひとつでも経験することが、子どもたちにとって肝心だとアカデミーは考える。小学生のころの成功体験が大事だと。
成功体験といっても大袈裟なものでなくて良い。アカデミーでは今年から映像に合わせた音楽作りに挑戦している。この出来栄えは素晴らしく、講師陣もことのほか驚かされた。自分でも音楽を作れるという成功体験だ。
以前のレッスンでは曲だけでなく歌詞も作っていた。作詞のコツを知れば、自分で作るようになる。そんなちょっとした体験を積み重ねるのには、より多感で既成概念ができる前の10代前半の子たちのほうが良い。
「子どもの発想力にはいつも驚かされます。僕らの子どものころよりも、はるかにレベルの高いものになる可能性がありますね」と伊佐さんたちの期待は膨らむ。
このような音楽を作る体験はさまざまな学びの要素を含んでいる。数学的なこと、文学的なこと、楽器を弾くとなると身体的なこともある。加えて、現在ならPCの操作もその1つだ。PCも音楽も未経験の子たちが、iPadを何の苦もなく使いこなし、作曲技術も習得していく速さには講師陣も驚かされるという。
IT化の恩恵と、人にしかできないこと
音楽の技術だけを教えるのであれば、レッスンはオンラインでも可能だ。だが、受講者は子どもたち。体調面などのサポートが画面を通してだと難しい。教室での雰囲気を直に見ることが大切だと講師陣は痛感している。先進機器を駆使していても、アカデミーの音楽教育の根底にあるのは「対面で」というコンセプトだ。
IT化の恩恵ともいえる端末だからこそできる点もある。講師の打ち込み作業画面を別の大型モニターに共有することで、子どもたちはそのモニターと自分のiPad画面を確認しながら作業を進められる。また、年末までには作った音楽を配信することを目指している。ジャケットの絵を作り、タイトルを決めてアーティスト名決め、世界中の人に知ってもらうという体験がゴールだ。
「音楽業界でもさまざまな分野でIT化が進んでいく中で、クリエイティブなことに関しては人間にしか考えられないことが求められる時代が来ると思っています。AIではなくて人が作った音楽、音楽を作れる人という価値を信じて、そういう人を育てたいと私もこの事業に参加しています」と佐々さんは加えた。
アナログとデジタルの選択
数十年前と比べて音楽制作のデジタル化はかなり進んでいるが、それを使うか使わないかは大事な選択。
デヴィッド・ボウイなどの写真で有名な写真家、鋤田正義さんの展覧会の音楽を堤さんが担当したことがある。
その時の鋤田さんの話に、堤さんは強く感銘を受けた。インタビューの中で、「デジタルカメラが出始めたころ、デジタルへの移行に抵抗はなかったか」と問われたが、当然アナログの良さを語ると思われた鋤田さんの答えは意外なものだった。
「全く抵抗はありません。それより新しい技術でどんな写真を撮れるのかワクワクしています」と。
音楽でいえば、アナログテープ時代の音の良さは否定できないものがある。だが、アナログにこだわり過ぎた人は、次の時代に移行できずにいた。アナログからデジタルへの転換は大きな転換だが、それをいとも簡単に受け入れるマインドを持つ人が勝ち残れるのだ。
携帯端末のアプリだけで作った曲を配信し、大ヒットさせているアーティストもいる。アナログなやり方に固執していてはこんな音楽はできないだろう。
「そのマインドが大事かな、手段ではなくマインド」と伊佐さん、堤さん共に強調していった。
これはどんな業種にも共通することだ。次世代ツールの出現に戸惑うことがあるかもしれない。だが、より良いものを作るために、単に道具が進化しているだけ。古くても良いものは残すべきだが、新しいものも取り入れていく柔軟なマインド。
「そうでないと、何十年も作り続けていけないですよ。あっという間に機材もやり方も変わりましたからね、この何十年で」
音楽業界の重鎮はマインドという種を地方都市直方に撒いた。訪れるデジタル時代には、世界へ羽ばたくミュージシャンが多く芽吹くことを夢見て。
執筆
はらたけたかし
フリーライター、DTPデザイナー。1962年生まれ、福岡県福岡市出身。家電量販店販売員、派遣会社研修部、通信販売会社会報誌制作などを経て現在に至る。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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