山屋とは、山を愛する人のこと。そんな言葉を屋号に掲げる株式会社山屋は、一言で表すと山の何でも屋。「山に建築資材を運びたい」「山の映画のクライミングシーンを撮影したい」などの依頼を受け、実現する会社だ。
経営するのは、弱冠30歳の秋本真宏さん。社員は秋本さん1人で、あとは山屋に登録する約50名のスタッフに業務委託という形で仕事を割り振っている。
「山で生きたい」と願ったものの、既存の職業ではなりたいものが見つからず、自分で新しい道を切り拓いた秋本さん。やりたいことを実現した彼に、実現までの道のりや諦めないコツを聞いた。
初めての登山で自分の進路を決め、編入を決意
――山を好きになったきっかけは?
17歳くらいのとき、友人のお父さんの誘いで木曽駒ケ岳に登ったんです。そこで一気に山に惚れ込んでしまって。その登山が終わってからは「どうしたら山で生きられるか?」とその作戦ばかり考えるようになりました。
――最初の登山で、山で生きる決意をされたんですね。
決定的でした。当時は静岡県の沼津の高専に通っていたんですが、山で生きると決めたので、退学届を持って相談しに行きました。話し合った結果、もう3年生だったので学校は辞めずに卒業することにしたんですけど。
学生にとって長野の山は頻繁に行ける場所じゃありません。在学中は地元の里山で植物の勉強をしたり、自然について研究している方や自然保護運動をしている方を調べたり、この先どうやって山で生きていくかを考える時間に充てました。
――最初から山を「趣味」ではなく「仕事」にしようと考えたんですね。
はい。もちろん「好きなことは趣味で続けて、仕事は別に持つ」という生き方もいいと思うんですが、僕は365日山にいたかったので、それには趣味にするより仕事にしたほうが現実的だなと。
――山と出会う前は、目指す職業はあったのでしょうか?
化学者です。そのために高専に入ったんですけど、早々に適性がないことに気づいて。僕は生物化学をやっていて、実験室で試験管を振っていたんですが、本当はもっと自然全体と関わりたかったんですよ。だから高専に入ってからは、ギャップを感じてモヤモヤしていました。そんなとき登山と出会って、「自分がやりたかったのはフィールドワークなんだ!」と気づいたんです。
それで高専卒業後、信州大学の農学部森林科学科に編入しました。「アルプス圏フィールド教育センター」という組織があって、そこに属してひたすらフィールドワークをやらせてもらったんです。
――畑違いの分野に進むことについて、周囲の反応は?
かなり反対されました。でも、止めてくださった方々には申し訳ないんですが、僕は人の意見にあまり左右されない性格で(笑)。自分の中にたしかな理由さえあればそれでいいと思っています。その理由を元に行動して失敗したとしても、僕の責任ですしね。
貯金150万円で退職。目標達成のためのルートは1つじゃない
――大学卒業後の進路はすんなり決まったのでしょうか。
かなり悩みました。山小屋や林業やパトロール隊など、既存の職業になりたいものがなかったんです。というのも、僕は全面的に山と触れ合いたいけど、既存の職業では山の一面にしか触れられないことが多い気がして。もちろんそんなことはないのかもしれませんが、当時の僕はそう感じてしまいました。だからなかなか進路を決めきれなくて……。
悩んだ末、木材の会社に就職しました。その会社には、山の木を選んで切って木材として流通させる、フィールドワークに近いことができる部署があったんです。だけど一通りの部署に異動させてもらったあと、設計図を書く部署に配属になって……。僕は山に行くために長野に来たので、会社には申し訳ないですが1年半で退職しました。
――会社を辞めて、経済的に困ることはなかったのでしょうか?
しばらく収入がなくても生きられるだけのお金を貯めてから退職したので、経済的には困りませんでした。山で生きていくことを生業にするためには、準備期間が必要です。その準備期間を1年として、辞めた翌年の税金などを計算すると、150万あれば食いつなげる。あとは、家賃がうんと安い家に引っ越して生活を身軽にしました。
お金のことって、漠然としたままだと不安じゃないですか。でも、はっきり把握できていれば、お金がたくさんなくてもそんなに不安じゃないんです(笑)。
――行動は早いけど、行き当たりばったりではないんですね。
調べたり、作戦を練ったりするのが好きなんです。Aがうまくいかなかった場合はBを試して、Cを試して……といったふうに多くのパターンを考えるのが好き。それは高専時代の化学の実験と同じです。仮説を立てて方法を考え、実験し、結果を分析することの繰り返しですね。
――じゃあ、1つのパターンがうまくいかなくても心が折れることはない?
まったく。そもそも一発でうまくいくとは思ってないので(笑)。僕の目的は「山で生きること」なので、どうしたらそれを達成できるか、方法を考えて試していくだけです。山頂は1つだけど、そこへのルートはいっぱいある感じですね。
――会社を辞めて、具体的にどういった行動を起こしたのでしょう?
八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプスを端から端までひたすら歩きました。そこで、山で働く方とたくさん出会いましたね。山小屋の方、山の電波塔を直す方、山小屋の電気関係を修理する電気屋さん……。いろんな方の視点や人生経験を聞いて、サンプルを吸収する時期でした。
だけど、気づいたんです。どの方も素敵だけど、自分がまるっとパクりたくなる職業はないな、と。
――秋本さんのやりたいことが、既存の職業にはなかったんですね。
そうなんです。
そんなとき、長野県の夏山常駐パトロール隊(常駐隊)の人に誘ってもらい、面接を受けて常駐隊に入りました。それが山での最初の仕事です。常駐隊はまさに山で生きている人たちの集まり。みなさん、夏の間は山にいて、それ以外の時期は他の仕事をしているんですよ。おかげで、さまざまなライフスタイルを知ることができました。
「山屋」設立。リアルでもSNSでも発信を続けた
――「山屋」設立の経緯を教えてください。
常駐隊の勤務期間が終わったら無職なので、「山の仕事をすべて引き受ける山岳フリーランス」と銘打って開業しました。そのときから屋号は「山屋」です。
――相変わらず行動が早い!
開業は自由なので(笑)。ホームページと名刺を作り、いろんなところに連絡しました。あとは、SNSでも「山の仕事ください!」と言いまくりましたね。
――どんなSNSを利用しているのでしょう?
主にTwitterです。10年前のツイートなんて悲惨ですよ、「今日も依頼が来ない」「体力が有り余っているのに使い道がない」みたいなツイートもありましたから(笑)。
そうこうしているうちに、山の知り合い経由でちらほら仕事が入るようになりました。登山道を整備する仕事だったり、撮影の歩荷(荷物を運ぶこと)だったり。変わったところでは、山の漫画を書きたい人に知識を提供するお仕事もありました。
――貯金が尽きてしまうことはなかったのでしょうか?
ありませんでした。ある程度の余力を残した状態で常駐隊に入ったし、仕事が少ない時期は、辞めた会社にアルバイトで雇ってもらったので。
――「山屋」がうまくいかなかったときのことは考えていましたか?
もちろんです。初めてのことをやるんだから、うまくいかないのは大前提。もし食べるのに困ったら、山に関係する別の業界に入ることも検討していました。よく「背水の陣でリスク取らないと」と言う人もいますが、逃げ道がないと不安で全力を出せないじゃないですか。だから僕は、いざというときの選択肢をなるべく多く用意しています。
――業務委託という形で仕事を発注する業務形態は、どのように思いついたのでしょう?
仕事を頼まれたときに先方から「あと2人くらい手伝える人いない?」と聞かれて、山の仲間に声をかけたら引き受けてくれて。そうやって僕1人じゃできないような人数の要る仕事も請け負っているうちに、自然とこの業態になりました。そうしてしばらくフリーランスで活動した後、2年前に「山屋」を株式会社にしました。
――「山の何でも屋」を思いつく人はいても、それを実行に移せる人はなかなかいないと思います。
需要はどこかにあるので、あとはそこに自分を届けられるかどうかだと思うんです。ただ、じっと待っているだけでは見つけてもらえない。だから僕は、リアルでもSNSでもひたすら「山で働きたい!」と言いまくっています。「発信するのはダサい」「恥ずかしい」と言う方も多いですが、発信しないことには知ってもらえないので。
――SNSが仕事に繋がった例もありますか?
めちゃくちゃあります。山屋は昨年、累計800日ぶんの山仕事を受注・実施しましたが、そのうちの3~4割はTwitterで山屋を知った方からの依頼でした。Twitterで繋がっている方が建設会社で業務管理をしていて、山に資材を運ぶ必要が生じたときに呼んでくれたことも。それが10人ぶんの1ヶ月の仕事になりました。そういうこともあって、発信には力を注いでいます。
自分の中に湧いてくる自然な欲求に従って
――やりたいことを実現するために必要な要素はなんでしょう?
「そもそも本当にやりたいのか」だと思います。人それぞれ、心の奥底から自然に湧き出す欲求は違うじゃないですか。僕の場合はそれが「山で生きたい」でした。自分の本当の欲求を自覚し、真っ直ぐぶつかることが第一だと思います。
逆に、自分の中に根源的な欲求がないのに「みんなやってるから」「なんとなくかっこいいから」などの理由で始めると、うまくいかなかったときに心が折れちゃうと思います。
――他人に憧れて始めても自分には適性がない、なんてこともありますもんね。
そう。最近小さなお子さんと話す機会があって思ったのですが、将来の夢を聞くと、やっぱりサッカー選手と野球選手が人気なんです。でも、世の中には「サッカーも野球もプロになれるほどじゃないけど、バットでサッカーボールを打つ競技ならめちゃくちゃ才能がある子」もいるかもしれない。その子がそれに気づいたなら、自分でその競技を作ったほうが道が拓けるんじゃないかと思うんです。
僕は素質的に、クライマーにも登山家にも山小屋の支配人にもなれない。それでも山にいたかったから、自分にできることを組み合わせて「山屋」を作りました。既存の職業から自分がこぼれ落ちてしまう場合は、新しい職業を作ってもいいんじゃないでしょうか。
――なるほど!
それにはある程度の「能天気さ」が必要かもしれないですね。不安が強いタイプの方は向かないかも……。
たまに、公務員や会社員など安定した職業の方から「自分も秋本さんのように自然の中で働きたい」とご相談いただくんですけど、僕は「できると思いますよ!」とは言わないようにしていて。だって、すぐに収入を得られるようになるとは限らないじゃないですか。僕は平気だったけど、みんながみんな、僕と同じくらい能天気なわけじゃないですから。
――それでも挑戦したい人には、どんなアドバイスをしますか?
その場合は、貯金や情報収集など、今いる場所でできる準備は全部やっておいたほうがいいと思います。準備したぶんだけ、うまくいかなくても気持ちを保てますから。
あと、目的は1つでも、達成に向けてなるべく多くのパターンを考えておくことでしょうか。背水の陣で臨むことはおすすめしないので、ダメだったときのルートを確保しておくことも大切だと思います。
※写真はすべて株式会社山屋提供