会社員×イラストレーターの渡辺孝夫さんに聞く「仕事と趣味の両立」

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株式会社ディー・エヌ・エーでデザイナーとしてゲーム制作に携わりつつ、SNS でイラストを数多く発表している渡辺孝夫さん。アナログ手法で描かれた緻密なタッチのイラストが人気を集め、X(旧Twitter)のフォロワー数は10万人を越えています。7月には初の画集『渡辺孝夫作品集 孝夫印画』が太田出版から発売されました。

 

もともと絵を描くことが好きでアニメーション業界に入ったものの、過酷な作業環境を日々経験した結果、次の世界へ転職したいと思った渡辺さん。引き続き仕事では、さまざまな制約の中で「求められる絵」を描き、オフの時間に趣味としてアナログで「描きたい絵」を描いているといいます。

 

そんな渡辺さんに、仕事と趣味を両立させること、「好き」を仕事にすることについて伺いました。

 

子どもの頃から絵が好きで、アニメーション業界へ

――渡辺さんはいつ頃から絵を描きはじめたんですか?

物心ついたときにはもう、チラシの裏にお絵描きをしていました。当時絵画教室などでとくに絵を習ったことはなくて、とにかく好きなように自由に、身近にある白い紙に絵を描いていましたね。

ちなみに、僕はとにかく細かく絵を描くのが好きなんです。たとえば小学生の頃、図工の授業で切り絵をやったら僕だけとても細かく作っていて、気づいたら周りに人だかりができていました(笑)。

 

――子どもの頃から緻密なタッチの絵を描いていたんですね。何かに影響を受けたんですか?

 

緻密に描かれた作品『一生添い遂げるという事は 』

厳密にはありません。でも 1つ浮かぶとしたら子どもの頃、森に行って 5円玉の穴から向こう側を見る遊びをしていたんですよ。小さな穴の先に見える森の風景はなんだか緻密で独特な魅力もあって、 当時の僕にはその穴越しの風景が特別に感じたんですよね。もしかするとそれが、小さく凝縮されたいまの緻密なタッチに繋がるのかもしれません。

 

――素敵な遊びですね。中学や高校では美術部に入ったのでしょうか?

じつは中学では美術部の先生に「男子は運動部に入れ!」と言われて、入部させてもらえなくて......。いま思うと変な話なんですけど、当時はそれで美術部に入るのを諦めちゃって、陸上部に入りました。

でも、高校生になってやっと念願の美術部に入ることができまして。そのとき僕はアニメーションの背景に興味を持っていたので、『ジ・アートオブ〇〇(〇にはジブリの歴代作品の名前)』というジブリアニメの背景が載っている本を買っては、その本に掲載されている背景を片っ端から模写していましたね。

 

――高校生の頃からアニメーションの背景に興味を持っていたんですね。高校卒業後は、どういう進路を選んだのでしょう?

代々木アニメーション学院というアニメーション専門の背景美術コースに進学し、そこで 2年間学びました。もう 20年近く前になりますね......。ポスターカラーという絵の具を使ってアナログで描くことが当たり前だった頃の話です。

当時のアニメーション業界での背景の描き方は、独学でなんとなく想像して描いていた模写の描き方とはずいぶん違いました。たとえば、紙をビシャビシャに濡らしてテーブルに貼り付け、その紙が濡れている間に地塗り(絵全体のおおまかな初期段階の塗り)をして、乾いたあとにさらに描き込んでいく......とか。そういう独特な技術を学校で学び、改めてアニメーション業界ってすごいところだなと思いましたね。

 

――その後、アニメーション背景制作会社に就職したそうですね。入社してみて、ギャップはありましたか?

アニメーション業界で働いていたときのデスク(渡辺さん提供)

20年以上前のアニメーション業界の話ではありますが、当時僕の入社した会社は、労働環境が過酷でした。とにかく朝から晩までひたすら背景を描いて、土曜も遅くまで仕事しているので週唯一の休みである日曜がすごく短いという......。ただ、そういう労働環境は入る前から専門学校の先生に聞いていて覚悟はしていたので、「想像どおりだな」と思って頑張っていましたね。つまりギャップはありませんでした(笑)。

 

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先輩の給与額を聞いて、一気に酔いが醒めた

――その後、アニメーション背景制作会社から、ゲーム業界に転職されたそうですね。

就職して 5年目にプロジェクトの打ち上げがあって、ある先輩と 2人で話すタイミングがありました。お酒もまわってきたので思い切って先輩に「いまのお給料はいくらですか?」と聞いたんですけど......。そしたら、入社 15年目くらいの先輩のお給料が、僕とあまり変わらなかったんですよね。当時の僕はそれを聞いて、一気に酔いが醒めてしまいました。いまでは笑って話せますが当時は切実で、酔いが醒める瞬間の感覚はいまでも鮮明に覚えています。

 

――15年続けてもお給料が上がらないことを知ってしまったんですね。

たしかに、アニメーションの専門学校に行くとき、親からも「アニメ業界はお給料が低いらしいから生活はきっと苦しいよ!」と言われていたんですよ。でも当時の僕は「それでも好きだから頑張ります!」と親に答えて学費を出してもらっていたんです。でも就職して 5年経つと、「さすがにこれがずっと続くのは厳しいな」と思うようになって……。

それで会社を辞めて、某プロバイダーのサポートセンターでアルバイトをしながら、ゲーム業界に転職するのに必要なポートフォリオ(自分の作品をまとめた資料)を作成しました。

 

――転職先にゲーム業界を選んだ理由は?

アニメーション業界内で転職してもそこまでお給料は上がらないだろうし、それなら絵を描ける別の業界に転職しようと思ったんです。当時の僕は、残念ながら「すごくゲームが好き!」というわけではなかったのですが、ゲームで表現される空想の世界は好きで、偶然ゲームの設定資料集の絵をよく模写していた時期でもあり、この業界に憧れもありました。

 

――ゲーム業界に入ってみて、ギャップなどはありましたか?

アニメーション業界では当時アナログで背景を描いていたんですが、ゲーム業界では当然パソコンでデジタルの絵を制作するので、制作環境はガラリと変わりましたね。まずはその制作環境に慣れるために個人的にパソコンを買って、そのパソコンで絵を描く練習をしました。あと、アニメの背景は現実の風景がモチーフになることが多いですが、ゲームはファンタジーとして空想の世界観を描かなければいけないことも多いので、自分自身で提案するオリジナリティを求められる点がとくに大変でした。

 

――転職の理由になったお給料事情は、転職によって変わったのでしょうか?

じつは転職してすぐに収入が上がったわけではないですが、「何年か働けば上がっていくんだろうな」という見通しは実際に働きながら感じることはできました。結果、少しずつ収入は上がっていきましたし、当時としては平均的な、僕が求める額はいただいていたと思います。

 

――その後、2回目の転職をされていますよね。

はい。そのとき在籍していた家庭向けのゲーム制作会社は、1タイトルに 3年くらい費やすことも日常的だったので、結果さまざまなタイトルに携わることができませんでした。当時の僕は「もっと多くのタイトルに携われたほうが自分の成長に繋がる」と思い、同じく小ぶりなヒットタイトルをたくさんリリースしていた、ソーシャルゲームを扱う株式会社ディー・エヌ・エーに転職することに決めたんです。

その転職がいまから 13年くらい前になります。もちろんいまでもディー・エヌ・エーでデザイナーをしていて、ゲーム制作に関わる 2Dデザインを担当し、キャラクターや背景を含め、3Dではなくて 2Dデザインを専門として業務をおこなっています。

SNS がきっかけでイラストの仕事が来るように

コケダマちゃんとその仲間達を描いた絵『メボシと遊ぶ』

――現在は会社員として働きながら、イラストレーターとしても作品を発表していますよね。

個人的に活動しはじめたのはディー・エヌ・エーに入った頃からです。当時の上司に「クリエイターたるもの、つねに外部に発信すべき!自身の絵を SNS で発信して存在を世に知らしめよ!」と言われて、その言葉がキッカケで Twitter(現X)のアカウントを作りました。そこから現在でも描き続けている趣味の絵を発信するようになったんです。ちなみに発信する絵は、僕が一番大好きな表現である「アナログ」に特化して描くと決めました。

SNS での発信を勧めてくれた上司(左)と渡辺さん(右)(渡辺さん提供)

――仕事をしながら趣味の絵を描くのは、時間のやりくりが大変なのでは?

もともと SNS を始める前から趣味の絵は描いていたので、そんなに大変という感覚はありませんでした。もちろん仕事の合間に時間を見つけて描くんですけど......「趣味ってそういうもんだ!」という認識もあるので、大変だと感じたことはありませんね。

 

――SNS で発信するうちに、イラストのお仕事が来るようになったんですか?

そうです。ですが、当時はお話をいただいても全部お断りしていたんです。僕は千葉県から渋谷に通勤していたので、その通勤だけで片道 2時間、往復で 1日4時間もかかります。なので平日は仕事以外の時間は作れないし、土日はやっぱり疲れてるし......とてもじゃないけど本業以外のお話をお受けできないと思って、やむなくお断りしていたんです。

 

――そうだったんですね。それなのに今回、太田出版さんから本を出すことにした理由は?

コロナ禍になって、会社がリモートワークに完全にシフトしたんです。その結果、通勤時間の 4時間がなくなって、自由に使える時間がものすごく増えました。それで、思い切ってときどきいただいていた仕事の依頼の中から、今回の出版の話をお受けしたんです。

ちなみに、ある程度の絵を用意したら、「あとはお願いします!」みたいな感じで太田出版さま側で作ってもらえる感覚でいたのですが、蓋を開けてみるとそんなことはなくて。新たに自分で手を動かすこともたくさんありましたし、その作業にもかなり時間を費やし、想像以上に大変な制作工程となりました。本の中身は基本的にはいままで描いたものを全部載せるスタンスで考えていたんですが、いろいろ考えた結果、描き下ろしも何点か入れました。表紙はもちろん描きおろしなんですけど、この絵は描くのに 4ヶ月くらいかかりましたね。

製作に 4か月かかったという画集の表紙『森の元気』

――4ヶ月! 本業があると、時間を捻出するのも大変だったのでは?

当時、本業としての作業は 19時以降は絶対にしないと決めて、さらに会社のメインとなるコミュニケーションツールの Slack の通知は切って、今回の画集の作業を黙々と進めました。もちろん限定的な時期のみでしたけど。そのときは、本業とはしっかり気持ちを切り替えて集中するよう心がけていましたね。

イラストレーターは「趣味」だから、描きたい絵しか描かない

夏のツバメとコケダマちゃんを描いた絵『背中に乗って』

――渡辺さんは子どもの頃から絵を描くのが好きで、いまも絵をお仕事にされていますよね。好きなことを仕事にして、よかったことは?

僕は 42歳(取材時)ですけど、まずはこの歳までずっと絵に関係する仕事をしてきたことには誇りを感じています。

でも、好きなことを仕事にしてよかった点よりも......先に悪かった点が頭に浮かびますね。たとえば、「好き」な絵(デザイン)の裏側にある現実を知ってしまうこと。きらびやかな絵の裏にはたくさんの人の苦労があるし、アニメ業界で働いていたときのように「好き」だけでは続けられないこともある。やっぱり現実的にはお金はもちろん重要なので、「好き」と現実のせめぎ合いをここまでたくさん見てきた感覚があって。まず、そのことが頭に浮かびます。

 

――現実を知ってもなお、絵を描きつづけるんですね。仕事と趣味が両方「絵」で、それを両立しているのは本当にすばらしいと思います。

僕がなんで趣味の絵を描き続けているかというと、簡単に言えば仕事で描きたい絵を描けていないからなんです。そもそもアナログで描きたい人間がデジタルで仕事をしてる時点で、多少のストレスはどうしても生まれてしまいます。結果その「アナログで描きたい欲求」を趣味の絵で解消しているともいえますね。もちろんこのバランスがあるからこそ、本業の仕事が精度高くこなせる、ということでもあるのですが。

 

――趣味があることで精神的にもバランスが取れているんですね。いずれ個人のお仕事が忙しくなったら、会社を辞める選択もあり得ますか?

それはいまのところ考えていません。イラストレーターとしての活動で食べていくとなると、たぶん、描きたくない絵も描かなきゃいけなくなります。いまの僕の考えとしては、会社員としてしっかり安定したお給料をいただいたうえで、副業として描きたい絵をとことん描くのがよいと思うんですよね。

イラストレーターとしての活動では、描きたくない絵は描かず、描きたい絵のみ描いていくつもりです。やはり好きなモチーフだけ描きたいし、偏っていても自分が満足ならそれでよいと思える環境でいたいですね。仕事ならそうはいきませんが、これはあくまで趣味の世界の話なので、そこを大事にして、引き続きアナログで絵を描いていきたいです。

 

――理想的だと思います。今後の夢や目標を教えてください。

渡辺さんのオリジナルキャラクター「コケダマちゃん」

最近は「コケダマちゃん」というオリジナルキャラクターを描いているんですけど、そのキャラクターを通してさまざまな現実世界を中心に表現していきたいと思っています。じつはそのほかには、夢や目標はとくになくて......。それ以外はこれからも変わらず、いままでやってきた「好きだと思う絵をアナログで描き続ける」ことが一番の目標だと思っています!

 

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