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IT技術者になる女性の数は年々増えているものの、まだ男性の方が圧倒的に多いのが現状です。株式会社万葉の鳥井雪さんは現職のプログラマーであり、女性や子どもがプログラミングを学ぶ機会をサポートする活動も幅広くおこなっています。「子どものころから好きなことしかできなかった」という鳥井さんが、大人になってからプログラミングに夢中になった経緯や、魅力を伝えたい理由、めざす方向についてお話をうかがいました。
鳥井 雪 (とりい ゆき)さん プロフィール
1980年、福岡生まれ。東京大学文学部卒業後、書店でのアルバイトを経て、ベンチャー企業で未経験からプログラミングを習得。2011年5月に株式会社万葉へ入社後は、Rubyや Railsのプログラマーとして活躍しつつ、女性や子どものためのプログラミング教育普及活動にも力を入れている。翻訳書を多数手がけ、2023年5月に初の著書『ユウと魔法のプログラミング・ノート』(オライリー・ジャパン)を上梓。二児の母。
「世の中のコンピューターたちとうまくつきあうコツ」がわかる
2020年度から小学校でプログラミング教育が必修化されましたね。プログラミングの簡単な課題をプリントで学び、ソフトで遊んだりできるようですし、習い事でプログラミング教室に通う子も増えている印象です。
そうですね、十数年前に比べて子どもがプログラミングにアクセスできる環境が格段に増えました。わたしの経験からも、子どもの頃からプログラミングの考え方に触れるべきだと感じますね。IT業界内のジェンダーギャップを解消するためにも、女性や子どもがプログラミングを経験する機会を増やしていくことが大事だと考えています。
その一方で、親世代は「プログラミング」がどういうものなのか、正直なところよくわかっていないという人も多いように思います。学校でIT教育を受けたことがなく、仕事でも直接使わないような人たちにも「プログラミング」の知識は必要でしょうか?
知識があればこの社会は生きやすくなると思います。プログラミングは「コンピューターとうまくつきあうコツ」だと思ってください。コンピューターは、スマートフォンやゲーム機、自宅のエアコンに店舗の自動ドアなど、身の回りのどこにでも存在しますが、これらの仕組みと人間の脳って全然違うんですよね。プログラミングは、コンピューターと人間の仲介をしてくれるもので、上手に使うとコンピューターの力をどんどん引き出すことができるんです。
なるほど。「世の中のコンピューターたちとうまくつきあうコツ」と聞くとイメージしやすく、どんな人にとっても身近なものだと思えますね。
しかもプログラミングの考え方って、コンピューターを直接使わない日常生活でも役に立つんです。たとえば、わたし自身、会社の業務があり、広報活動や執筆も抱え、さらに2人の子どもがいて、忙しさでパニック状態になることもしばしば。そこで「大きな問題は小さくして1つずつ対処する」というプログラミングでよく使われる考え方を応用して、重要度や締め切り順にタスクを整理していくようにしています。このほかにも、プログラミング的思考が生活を助けてくれることが多く、「みんなこの良さをわかって!」っていつも思っています。
好きなことしかできない人生。気づいたらプログラマーに
それでは、プログラマーになるまでの経緯をお聞きしたいと思います。どのような子ども時代を過ごされましたか?
高校の教員同士だった両親と兄の4人家族で、福岡県福岡市で生まれ育ちました。母が司書教諭で父もミステリー小説や漫画が好きだったので、本が潤沢にあり、読書が趣味になりました。学校でのあだ名は「忘れ物の女王」で、怒られても気をつけても毎日何かを忘れていましたね。
小6のときには中学受験をして、筑紫女学園中学校・高等学校という私立の中高一貫校に進学しました。パズルを解くのが楽しくて読み書きをするのが得意なタイプだったので、勉強が苦ではなかったです。運動は苦手で手先は不器用でしたが、読書や創作活動など好きなことに没頭し、6年間を楽しく過ごしました。
大学は、東京にある私立大学の政治経済学部に進みました。何を勉強したらいいかわからず兄と同じ学部にしたのですが、1年生の夏頃に「語学の授業しか楽しくない」と気づいて。実利的なことより「もっと自分がおもしろいと感じることを学びたい」と思って受験勉強を再開し、翌年の春に東京大学文学部に入学しました。
東京大学ではおもしろいこと、好きなことができましたか?
はい、4年間、好きなことしかしませんでした。1、2年は駒場祭で演劇の裏方をやったり、3年生からはゲームに没頭しましたね。本もあらゆるジャンルを読みました。いまでも印象に残っている本は、『思考の整理学』(外山滋比古)と『オリエンタリズム』(エドワード・W・サイード)です。とくに『オリエンタリズム』は物の見方が変わるほどの衝撃を受け、世界が広くなりました。
大学の専攻は、美術史学を選びました。イタリアを中心とした西洋絵画を鑑賞して、美術史の本を読んで……そんなことをしているうちに、いつの間にか卒業していました。
就職活動をしたり、資格試験の勉強をしたりはしなかったんですか?
周囲はやっていたと思うんですが、何をしたらいいのかよくわからなくて、気づいたら新卒採用の時期が終わっていたんです。卒業後は在学中から始めた書店のアルバイトを1年ほど続けていたので、接客経験を活かそうと営業職希望でベンチャー企業を受けてみました。でも、営業には向いていないと判断され、なぜかプログラマーとして採用されたのです。
大学時代、プログラミングの勉強はまったくされていませんでしたよね?
完全な文系だったので、プログラミングどころかインターネットにもほとんど触れてきませんでした。「英語ができるならプログラミングもできるでしょう」と言われて。英語ができると言っても、受験英語のみで留学経験もないのですが。
忘れて、間違って、失敗するのが人。だからこそ、コンピューターに助けてもらう
プログラマーとして未経験からキャリアがスタートしましたが、実際にお仕事をしてみていかがでしたか?
「無料でたくさんパズルをもらえて、解き続ければ喜ばれてお金までもらえるみたいな仕事だ!」と思いました。「世の中にこんないい仕事があったんだ」って感激しましたね。
なりゆきで就いた仕事が、まさかの天職だったんですね。
結果的にはよかったですが、あまりにも何も考えていなかったので、自分の娘がこんな生き方をしていたら本当に心配です(笑)。
最初の会社に4年ほど勤務されましたが、現在の所属先である株式会社万葉に転職された理由を教えてください。
技術を教えてくれた先輩たちが、そろって転職していったのがきっかけです。当時はまだ20代後半で、知識も経験も足りないことを実感していました。それで、いろいろな現場で働くことのできる会社がいいと思い、女性向け転職サイトで紹介された万葉に入社することになりました。
転職後は期待した通りの働き方ができていますか? これまでどんなお仕事に関わられたかも教えていただきたいです。
さまざまな業種やテーマごとに開発チームが立ち上がり、つねに新しいことを学びながらプログラムを組んでいくので飽きることがありません。たとえば、ECサイトを作るときは税金のことや配送料のこと、電子カルテシステムを作るときは診療報酬のことなど、知らなかったことが多くて刺激をもらえます。国立国語研究所(国語研)のデータベースを検索するWeb側の機能を作ったのも楽しかったですね。
プログラミングを始めてからいままで、ずっと「好き」「楽しい」と思えるのはなぜなのでしょう?
ECサイトや電子カルテもそうなんですが、現実世界の都合をうまくプログラミングのロジックに落とし込んで、たくさんの人が助かるものとして渡すプロセスに達成感があるからだと思います。それは、翻訳の仕事も同じですね。
それから、「人は忘れて、間違えて、失敗するもの」というのがプログラミングの大原則にあるんです。プログラムがおかしいときって、ほぼ自分が間違えたときなので。だから、人を責めるんじゃなくて、コンピューターに助けてもらおう、という文化が好きですね。
「わたしにもできた!」の笑顔がうれしかった
現在、鳥井さんは女性や子どもがプログラミングを体験する機会を増やす活動に力を入れています。そのきっかけを教えていただけますか?
万葉に転職してからプログラミング言語のRubyを本格的に使いはじめ、Rubyに関わる人が集うコミュニティに入って勉強会などに参加するようになりました。そのつながりで、2012年に女性がWebプログラミングを経験できるワークショップをコーチとしてサポートしたのですが、初心者の参加者の方々が「わたしでもできるんだ!」って喜んでくれるのがうれしくて。以来、コーチが終わったあとのビールのおいしさをモチベーションに、メンバーとして関わり続けています。
そのワークショップがRails Girls Japanですね。プログラマーで絵本作家のリンダ・リウカスさんが2010年に母国フィンランドで始めたRails Girlsというプロジェクトが世界中に広まったものなんですよね。なぜコーチとして手伝おうと思ったのですか?
いまから10年以上前って、業界に女性がもっと少なくて肩身が狭い思いをすることが多かったんです。なぜ女性が少ないんだろうと考えたときに、そもそもプログラムに触れる機会が少ないからだということに気づいて。だったら経験を問わずに参加できるRails Girls Japanみたいな機会を増やしたい、サポートしたいと思って始めました。
2017年にはRails Girlsの創始者リンダ・リウカスさんの絵本『ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング』の翻訳書を出版されましたね。ここから、子ども向けプログラミング教育の重要性にも気づかれたのですね?
そうなんです。『ルビィのぼうけん』は5歳くらいの子どもからプログラミングに必要な考え方を楽しく学べるよう設計されていて、読むとリンダがやりたいことがわかったし、子どもの頃からこういう情報に触れるべきだと思いました。
そして2023年にはご自身の著書『ユウと魔法のプログラミング・ノート』を出されましたね。本を出された経緯を教えてください。
幼児向けの『ルビィのぼうけん』シリーズに続いて、女子中高生向けの『Girls Who Code 女の子の未来をひらくプログラミング』という本も翻訳しました。そこで、小学校高学年向けの本がないことに気づいたんですね。せっかくなら、日本を舞台とした日常の中でプログラミング思考を伝えたいと思って、自分で書くことにしました。
主人公の10歳の女の子ユウが忘れんぼう、面倒くさがり屋で失敗する点がとてもリアルでした。彼女がプログラミングの考え方を学びながら困りごとを解決していくストーリーも自然でわかりやすかったです。
ユウの忘れっぽさや失敗は、わたしの実体験がベースになってます。10歳前後って、学校のことや人間関係などでつまずくことが増える時期だと思うんですよね。「コンピューターやプログラミングって自分の悩みを解決してくれる味方なんだよ」ということが伝わることを願って書きました。プログラミングはどんな属性・立場の人も排除しないので、「なんだか難しそう」とか「自分には関係ない」と思う人が1人でも減るといいなと思います。
「失敗した」ということは「次に進んでいる」ということ
現在のお仕事で苦労しているところを教えてください。
とにかく時間が足りないということですね。取材を受けることやプログラミングについての講演、執筆などに関しても会社で業務として認めてくれているのですが、本業のプログラミングの割合が10のうちの8だとしたら、それ以外が4。いつも10割からはみ出ているような状態なんです。
お子さんがまだ小学校低学年と未就学なので、育児にも手がかかりますよね。
そうなんです。だから、仕事も育児も100点を取るのはあきらめて、70点で合格だと思うようにしています。パートナー(笹田耕一さん・Ruby開発者)と家事育児はなるべく分担するようにしていますね。あとは、子育てのかなりの部分をiPhoneのスケジュール機能に頼っています。仕事に集中していると保育園のお迎えも忘れてしまうので。
お迎えのように、毎日時間が決まっているものでも忘れてしまうんですか?
逆に、一回きりのイベントのほうが緊張感があって忘れないこともありますね。だから、「保育園のお迎え」「小学校の持ち物」「習い事の準備」など毎回同じものでも必ずアラームで自分に通知するようにしています。Web会議も5分前の通知だと確認してから別のことをして忘れるので、2分前に設定してそのまますぐ会議室に入るようにしています。
子どものころから苦手だったことを、まさにコンピューターやプログラムに助けられているんですね。
そこまでしても何かを忘れたりと失敗もありますが、周りの人にも助けてもらってなんとかなっています。
鳥井さんのインタビューや著書を読むと、失敗した自分を責めたり、必要以上に恥じたりしなくていいんだと思えます。
プログラミングでは「失敗する」のは当たり前で、失敗したということは次に進んでいる証拠なんですよね。本にも書きましたが、コンピューターは怒らないし、プログラミングはやり直せる。この考えがもっと広がればいいなと思います。
「好き」や「興味」を仕事にし、充実した毎日を送られている鳥井さんですが、今後はどんなことに挑戦したいと考えていますか?
引き続き、女性と子どもがプログラミングを学ぶ機会を増やしていくサポートをしていきたいです。現在、女子中高生へIT・STEM教育の機会提供をおこなっているWaffle(ワッフル)という団体で、カリキュラム開発や講義も担当しています。女の子たちが中高生になってもIT分野に接点を持ち続けられるよう、力を注いでいきたいと考えています。
(撮影:ナカムラヨシノーブ)
執筆
仲間 麻美
1981年1月生まれ、秋田県出身。2006年よりフリーランスライターとして活動中。教育、ビジネス、資格、飲食、街歩き、占い、健康などの分野で記事を書いてきました。趣味は読書と41歳から始めたダンスです。
note:https://note.com/asmnkm0618
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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