以前に比べ、「DX を実現する」ことについて、反対する声はさすがに減った。ただ、DX って何? というレベルから実際にデジタル化を果たすまでには、長い道のりがある。
とくに経営陣が IT の知見を持たない場合、「DX が重要だということはわかっている。だが、DX とは一体、誰が・何を・どこまでできることを目標にすればいいのか?」という点について、どうにもピンボケしやすい。
それはもう仕方のないことだ。たとえるなら、私がスポーツに知見がないまま、甲子園を目指すためにどんな練習を部員が積むべきか考えているのに等しい。問題は、IT は野球と違い、誰もが達成しなくては生き残れない必修科目になった点である。
このままいくと、
「なんかわからないけど、全社員がプログラミングできるようになればいいんでしょ?」
「数値目標設定? うーん、わかりやすく全社員が基本情報技術者試験に合格すればいいってことにしましょう。基本っていうくらいだから簡単なんでしょ?」
などという悲劇が起きかねない。というよりも、筆者の周りではすでに起こり始めている。まったく笑えない。
そこで今回は、「DX って何?」という会社が、これから全社員のスキルを底上げするための指標として「ちょうどいい」レベルを 5段階で提案できればと思う。むろん、IT企業ではスタンダードが異なるだろうし、いまだに IT がまったくいらない企業もあるだろう。そこはお許しいただいたうえで、「いわゆる普通の会社」向けに、評価軸を提案したい。
DXレベル1: 基本的なデジタルコミュニケーションの確立
まず、DX における最初のステップは「社員 1名につき 1つのメールアドレス」を持つところから始めたい。じつは、大手銀行であっても 1名 1メールアドレスを持たされていないケースはままある。
株式会社NTTデータ経営研究所の分析によると、いまと電子メールの普及率があまり変わらない 2014年時点で、銀行の役員方でメールアドレスの記載がある名刺が 2割にとどまっている。*1 直近では、2021年のニュースでも地銀は同じ状況にあると報じられている。*2
さらに、行員はメールアドレスを持っていても、外部との使用を禁じているところが多い。*3 銀行が扱う情報には最高機密が多いため、電話でのやりとりが求められる……というのが理由らしい。だが、金融関連の情報こそ履歴が残っていないと「言った、言わない」の水掛け論に繋がりそうだ。
個人のメールアドレスがないだけならまだしも、ひどいケースでは支店のメールアドレスすら存在しない。メガバンクはさすがに危機感を抱いており、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の 3行合計で 400名以上の IT人材確保に動いている。*4
銀行まで動き出したのだから、ほかの企業もここにスタックしている場合ではない。とにかく、まずはメールアドレスの確保からである。資料を送るとき、FAX か郵送の 2択しかない状況から脱しなくてはいけない。メールアドレスはもはや、ライフラインだ。
DXレベル 2: オンライン会議の普及
続けて目指したいのは「全社員がオンラインで会議参加できる」レベルであろう。悲しいことに、大手企業でもこのレベルに達していないケースは多い。シニア層が若手に甘え、会議室でセッティングを任せることがあるからだ。しかし、リモートワークを最低でも選択肢へ入れられるようにならなければ、今後の業務遂行は難しいだろう。新型コロナウイルスに限らず、災害時や移動中の業務に耐えられないからだ。
使い勝手で言えば Zoom が「楽」であるのは事実だが、コストメリットの関係上、Teams 企業も多いはずだ。だが、ひとまず全社員が Teams を使い、単独で会議参加できれば上々……というのが日本の現実である。
DXレベル 3: クラウドストレージの活用
続けて、クラウドストレージを活用したデータのやりとりを実現したい。日本にはいまだ PPAP(パスワード付き zipファイルをメールで送り、あとからパスワードをメールで送って開封してもらうやりとり)が残っている。2020年に当時のデジタル改革担当大臣が、内閣府および内閣官房での PPAP廃止を宣言したが、それでも一部企業にはレガシーとして残るやり方だ。
まずはこの「脱PPAP」をすすめ、代替手段としてクラウドストレージの利用を推し進めるべきだろう。とくに、これから IPO を狙う企業が PPAP を導入するのだけはやめていただきたい。これはもう、筆者からのお願いである。
仮に社員全員がクラウドストレージでファイルをやりとりでき、「ファイルは基本ローカル(自分のパソコンだけで見られる場所)に置かない」ことを徹底してもらえれば……数字に根拠はないが、日本の GDP は 1割増える。
なぜなら、クラウドストレージでファイルをやりとりできれば、会議をしながら同時にファイルを編集したり、リモートワークで連携したりもできるからだ。クラウドストレージの活用しだいで、オフィス家賃、出張手当、通勤手当の予算は大幅に減らせる。
そして何より、クラウドにファイルを置いてもらうためには「誰もが見たいファイルを属人化することはよくないことだ」という価値観を共有せねばならない。じつはこの価値観こそ DX の根幹に関わるものだが、企業ではいまだに「自分だけが知識を保有することで、社内で権力を持ちたい」層がいる。そして、この層がいる限り、会社の成長は阻まれる。
DX はただの ITツール導入ではなく、政治闘争でもあるのだ。
DXレベル 4: データ分析ツールの導入
ここまで進んでようやく検討できるのが、データ分析ツールの導入だ。もともと分析ツールはどの企業でも一定使うが、「全社員がそれをある程度理解でき、使える」リテラシーを持つケースは少ない。おそらく、IT企業ですら限られる。
もし、全社員がデータ分析ツールを使うことに少なくとも否定的でなくなれば、以下の効用が見込めるだろう。
- データ品質の向上:社員がデータの正確さや一貫性に着目することで、データ収集や入力の際にミスを減らし、より信頼性の高い分析が可能になる。
- 適切な形式でのデータ保存:一度使ったデータが再利用できる形式で保存されれば、分析が集合知として共有可能になり、会社の成長を促進できる。
- 意思決定速度アップ:データに基づいた意思決定が標準化されれば、誰もが同じデータをもとに判断するため、意思決定の速度が上がる。
これには、ツール導入とトレーニングだけでなく「現場の叩き上げの意見とデータがぶつかったときに、それでもデータをもとに話す」価値観が必要となる。これを徹底することは、おそらく外資系企業でも難しい。
DXレベル5: 先端技術の探求と導入
ChatGPT、Notion、Midjourney、Canva、Microsoft Designer、Slack、Loom
ここに並んでいる単語を 3つ以上「それが何か」説明できるシニア社員がいれば、上々かもしれない。ここに並んでいるのはいずれも、世間を席巻するほどの革命を巻き起こしたツールだ。どれも部署を問わず必要となる可能性が高く、使いこなせれば生産性を何倍にも上げられるだろう。
だが、導入のハードルは高い。これらを使うためには、まず「新しいツールの導入に対して抵抗意識がない」という前提と、英語の知識が必要だ。最新ツールはどうしても英語版でしか使えないケースが多い。その段階で「おもしろい!」と言えなければ、競争に乗り遅れてしまう。最低でもツールの公式サイトに書かれた英語を、翻訳ツールに放り込むリテラシーがほしい。
続けて、セキュリティの問題がある。最新ツールをおもしろがれる社長はいても、そのセキュリティリスクを加味したうえで、バランスの取れたゴーサインを出せる方は少ない。また、一度は流行したツールであっても、のちのちリスクが指摘されることもある。そのとき、柔軟に「やはり利用をやめる」対応ができる社風があるかどうか。これは組織の規模が大きくなればなるほど、かなり難しい。
ここまで全社員が対応できれば、かなりのものだろう。けして、全社員が IT の案件をリードできなくていい。ただ、「あたりまえ」レベルを上げる。それが一番、DX で難しいことなのだ。
*1:「なぜ銀行界の名刺にはメイルアドレスがないのか?~~IT感度の向上に配慮を」2014年06月02日 | コラム・オピニオン 山本謙三 | NTTデータ経営研究所
*2:仕事でメールを使わない銀行員(岩下直行公式ホームページ・ブログ)
*3:銀行員と電子メール | 株式会社エクステンド|事業再生コンサル・スモールM&A
*4: 国内メガバンクが中途採用を400人に倍増、DXなど新規創出|会社四季報オンライン