吉野家やデニーズの卓上に置かれているメニュー。あれが紙ではないことを、ご存じだろうか。用いられている素材の名は「LIMEX(ライメックス)」といい、なんと石灰石からできている。紙を作るには原料となる木材が必要となり、製造の過程で大量の水も消費してしまう。一方でライメックスは、国内で多く採れる石灰石から作ることができ、紙だけでなくプラスチックの代替品としても活用できる。そのため、木、水、石油といった資源を保全でき、二酸化炭素排出量の削減にもつなげられる。
その素材を作っているメーカーが、株式会社TBM(以下、TBM)である。2030年までに、自社のバリューチェーンをカーボンネガティブ化(※)するという目標を掲げるベンチャー企業だ。同社はライメックスの製造・販売を主力事業の1つとしているが、じつは昨年から、企業の二酸化炭素排出量を可視化する「ScopeX」という SaaS事業を開始した。素材メーカーである同社がなぜ SaaS事業に進出したのか。そのなかで感じた課題、手応えとは。最前線で活躍する、同社の担当者 2人に話を聞いた。
(※)二酸化炭素などの温室効果ガスより、吸収される温室効果ガスのほうが多い状態を目指すという取り組み。
写真右:林 映里菜(はやし えりな)さん プロフィール
新規事業部 デジタルソリューションチーム所属。ニューヨーク、日本の大手会計事務所で勤務するなかで感じた「企業のサポートにとどまらず、事業を最後までやり切りたい」という想いから、2021年6月に TBM へ入社。ScopeX には、プロジェクトの立ち上げ当初から参画している。
写真左:伊藤 淳吉(いとう じゅんきち)さん プロフィール
新規事業部 デジタルソリューションチーム所属。子供の誕生をきっかけに日本や地球の課題に興味を持ち、TBM へ入社。2022年11月の入社当初から ScopeX のチームに所属し、おもにマーケティングとカスタマーサクセスを担当する。
顧客の声が開発のきっかけに
ScopeX は、簡単なデータ入力をするだけで、自社の活動による二酸化炭素排出量を可視化できるというものだ。カーボンニュートラルに取り組む企業で活用されている。
仕組みはかなりシンプルだ。ユーザーは、自社が購入したモノの重量(例:ポリエチレン樹脂 100kg)や、従業員の交通費や交通手段などといったデータを ScopeX 上に入力していく。すると、国際的なガイドラインに基づいて計算された二酸化炭素排出量が表示され、削減のための取り組みが提案される。
TBM にとって初の SaaS となる、ScopeX の開発。立ち上げから関わった林さんによると、開発に踏み切ったきっかけは、顧客の声だったという。
「TBM のお客さまは、環境問題に強い関心のある企業ばかりです。だからこそライメックスをご採用いただけたわけですが、『ライメックスの導入やその他の取り組みを通じて、どれくらい二酸化炭素の排出量を削減できているのか知りたい』という声が多数寄せられていました」
その声を受け、2021年に ScopeX の構想をスタート。海外の類似サービスの調査や、顧客となる企業へのアンケートなどをおこないながら開発に取り組み、2022年2月にベータ版をリリースした。以降、ベータ版の使用に賛同した企業・約30社からのフィードバックをもとに改善を続け、同年9月に製品版のローンチへと至った。
シンプルで使いやすいシステム
ScopeX の開発は、苦労の連続だったという。林さんは「時間との戦いだった」と、当時を振り返る。
「ScopeX の開発が始まった時期は、カーボンフリー実現に向けてマーケットが盛り上がっている最中でした。その機を逃さないために開発を急ぐ必要がある一方で、いろいろな機能を付けたいという想いもありました。しかし、多機能化には多くの工数がかかることが発覚し、開発スケジュールを圧迫してしまいました」
そんな問題に直面した開発チームは、スモールスタートする道を選んだ。ScopeX の根幹となる必須の機能と、あとから追加すればよいものをわけ、取捨選択したのだ。その結果、ScopeX の機能やUIはシンプルなものとなった。
苦労を経てたどり着いた製品版のローンチ。現在 ScopeX のマーケティングを担当している伊藤さんは、ローンチ後の顧客の反応に手応えを感じている。
「ScopeXの強みは、使いやすい・サポートが手厚い・安価の3つだと思っています。機能を必要なものに絞ったおかげで、UI がシンプルで初めての人でも使いやすいものになりました。さらに、操作説明だけでなく、脱炭素に取り組むべき理由や、お客さまごとの目標設定など、個別で伴走しておこなう手厚いサポートも好評です。費用については業界最安値クラスだと自負しています。この価格には、見える化よりも削減施策に予算を割いてほしいというメッセージも込められています」
さらに、二酸化炭素排出量削減のための取り組み提案の内容にも、「ユーザーから支持される理由がある」と伊藤さんは続ける。
「実際に CO2 を削減しようとすると、省エネ設備の導入やカーボンクレジットの購入など、取り組むハードルが高いものがほとんどです。そこで ScopeX では、歩いた距離をCO2削減として可視化するアプリや、エアコンの熱交換率を高めるフィルターなど、企業さまが手軽に取り組める削減サービスを複数そろえてご案内しています」
システム内で自動表示される提案にとどまらず、TBM のスタッフからユーザーに直接声をかけることもあるという。林さんは「ScopeX を起点にして企業の行動を変え、パリ協定で定められている、2050年までのカーボンフリー達成に寄与したい」と語る。カスタマーサービスの手厚さと、ユーザー目線に立った提案は、サービスに込めた高い目標ゆえのものなのだ。
まずは挑戦の「一歩目」を踏み出すこと
初の SaaS事業を軌道に乗せている TBM。最後に、事業を牽引する2人に成功の秘訣を聞くと、まず行動することが大切だと口を揃えた。
「初めての事業なので、1歩目を踏み出すのには戸惑いがありました。でも、何事もやってみなければわからないことがたくさんあります。まずスタートを切り、その後にトライアンドエラーを繰り返した結果、順調に走り出すことができました」
林さんがそう語ると、伊藤さんは「DX を検討しつつも、行動できていない企業が非常に多いと思う」と続ける。
「IT化や DX が うまく推進しない要因の 1つとして、絵を大きく描きすぎてしまいリードタイムが長くなった結果、社内の温度感が下がってしまったというお話をよく聞きます。やる理由を明確にしたら、小さくても熱のあるうちに 1歩目を踏み出すことが大切だと感じています」
千里の道も一歩から。いま一世を風靡している大きなサービスも、最初のスタートがなければ存在していない。ScopeX のチームメンバーは現在 4人。決して大きな規模ではないが、着実な始動と実績の積み重ねで、今後拡大していくことだろう。そしてゆくゆくは、社会のカーボンニュートラル化に向けた大きなうねりを生むかもしれない。2人の言葉には、そう感じさせるだけの説得力があった。
執筆
畑野 壮太
編集者・ライター。出版社、IT企業での勤務を経て独立。ガジェットや家電など、モノ関連の記事のほか、ビジネス系などの取材を多く手掛けている。最近の目標は、フクロウと暮らすこと。
Website:https://hatakenoweb.com/
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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