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LINE、Instagram、YouTube、TikTok、Twitter、Facebook。いまの時代、私たちは SNS のつながり無しでは暮らせない。いつでもどこでも、世界中とつながれるデジタル時代だ。一方、そうした時代だからこそ、体温を感じて人とつながり、自分を表現できるエモーショナルな場が必要ではないだろうか。
2013年、福岡を起点に日本で初めてクリスマスマーケットが開催された。イルミネーションの光がつながり、人がつながった。いまでは九州だけでなく、四国や中国地方にも広がり始めている。社会と人をサポートし、地域貢献する仕組みを作る株式会社サエキジャパン 代表取締役の佐伯 岳大さんに話を聞いた。
佐伯 岳大(さえき たかひろ)さん プロフィール
1981年生まれ、福岡県出身。大学在学中の2001年に佐伯商事を創業。2007年にサエキジャパンを設立。2013年にはクリスマスマーケット in 光の街・博多を初開催する。2014年にクリスマスマーケット設立。2015年には TENJIN Christmas Market、クリスマスマーケット in 大分、クリスマスマーケット in 鹿児島を初開催。株式会社サエキジャパン 代表取締役(現職)。
デジタル時代だからこそ求められるリアルなつながり
佐伯さんはドイツで見た光景が忘れられなかった。寒い冬空の下、ホットワインを片手に隣の人と語り合う。ヨーロッパのクリスマスマーケットの光景は豊かな人のつながりと幸福感に満ち溢れていた。
クリスマスマーケットは、ドイツやオーストリアなどの都市の広場でおこなわれるイベントだ。ドイツでは冬の呼び物として定着し、いまではヨーロッパ全体をはじめ世界の多数の国にも広まっている。
2013年、福岡の博多で、日本で初めてクリスマスマーケットが開催された。当時から数えて10年、2022年は過去最高の来場者だったという。正確な数を求めるのは難しいが、期間中はおよそ600万人が参加したのではないかと佐伯さんは話す。開催されるエリアも広がった。
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大人への反発からアルバイトが続かなかった大学時代
いまから22年前の2001年。そのころの佐伯さんは周囲の大人に反発ばかりしていた。
「父親が警察官だったためか、良くも悪くもとても厳しく育てられました。その反動で、18歳ごろになって大人へ反発し始めたんです。大学生時代のアルバイトは、周囲に楯突いてばかりで続かなかった。そうした中、たまたま貿易会社の社長と出会ったんです。当時、使い捨てカメラが流行っていて、使い終わったものを集めたら買い取ってくれました。それで、アルバイトは続かないということで、リサイクル業で起業したんです」
佐伯さんが出会った貿易会社の社長も、中卒でヤンチャをした人だった。佐伯さんのあり余るエネルギーを受け入れ、良い方向に向けてくれた。就職活動をせず、大学卒業後はそのままリサイクル事業を続けた。
「大学在学中から自分で事業を続け、現在に至っています。やることすべてが初体験でした。遠回りもしたし、苦労もしたけれど、経験は時間で買えたと思っています。僕はやっぱり自らおこなうのが一番。行動第一主義なのかもしれません」
クリスマスマーケットとの出会い
起業したとはいえ、当初の事業は「ままごとみたいだった」という。しかし、若さとエネルギーが有り余る佐伯さん。行動力だけは抜群だった。経営者が集まる高額なセミナーに参加するも「これなら自分もできる」と自らセミナーを企画した。それにしても、講師として呼ぶ相手がすごい。当時のトヨタの会長 張 富士夫氏をに講演を依頼したのだ。その縁から、当時のソニーの会長 出井 伸之氏にも講演をしてもらった。講演会には、1,000人以上の人が集まったという。
「坂本龍馬の大河ドラマに触発されて、『維新の志(いしんのこころ)』という会も作りました。明治維新のときのように、若い自分たちが頑張っていくべきだと思っていたんです」
そんな中、転機が訪れる。当時、知り合った人から、ドイツのクリスマスマーケットに誘われた。街の広場でおこなわれていたクリスマスマーケット。煌めくイルミネーションなどはなかったが、ホットワインを片手に地元の人が幸せそうに語り合う。そんなシンプルで豊かな空間に佐伯さんの心は動かされた。
「冬に人なんか来ない」。それでも福岡でクリスマスマーケットを実現したい
2007年。日本に戻った佐伯さんをリーマンショックが襲った。日銭商売だった使い捨てカメラのリサイクル事業をやめた。安定した収入が必要だと考え、大塚商会の「たのめーる」 の取次をしたり、すしざんまいや山梨の製造メーカーの社外取締役や顧問をした。顧問料を受け取ることで、まずは安定した収入を得て、糊口をしのいだという。
しかし、ドイツで見たクリスマスマーケットの風景は忘れられなかった。「福岡でも実現したい」という想いがくすぶり続けていた。企画書を書いては諦め、書いては諦め繰り返し、3年が経過。必要な費用を見積もると4,000万円もかかる。周囲からは「冬に人なんか来ない」と、散々言われた。しかし佐伯さんの気持ちは抑えられなくなっていた。
「2012年の冬にもう一度ドイツにクリスマスマーケットを見にいきました。そのとき『2013年こそ必ずやろう。損得抜きでやろう』と決めたんです。勝算があるかないかはわからない。でも、やらないと前に進まんけんって」
佐伯さんが尊敬していた、京セラを創業した稲盛 和夫氏の言葉にも背中を押された。
「『動機善なりや、私心なかりしか』。クリスマスマーケットはきっと九州のためにもなる。そう決心して2013年に初めて開催しました」
人々に希望を与える福岡の新たな風物詩に成長
福岡のお祭りは盛大だ。5月に博多どんたくがあり、7月に祇園山笠がある。けれども冬には何もない。「冬の風物詩を作ろう。多くの人に来てもらい、地域の人にも喜んでもらいたい。日本一のクリスマスを目指そう」。それが佐伯さんが掲げたテーマだった。クリスマスの神戸には有名なイルミネーション「ルミナリエ」があったが、当時、以西の西日本には、何もイベントがなかった。
中洲、博多駅、明治通り、出会い橋、貴賓館、中央公園――。当初、博多での開催場所は数少なかったが、いまでは複数のエリアで開催されるようになった。光がつながり、人がつながった。葉加瀬 太郎さんにテーマ曲を作ってもらい、イベントの規模も格段に大きくなっていった。それでも、10周年を迎えた2022年がやっとスタートだと佐伯さんは話す。
「開催規模が大きくなるに従って、出店数も増えてきました。当然ながら運営や管理面の負荷も高くなっています。いままでの規模感であれば、属人的でアナログなオペレーションでも問題なかったのですが、この規模ではそうもいかない。デジタルを導入して効率化する必要が出てきました。たとえば出展者の登録からホームページ制作まで、一気通貫にできるようなシステムを入れていきたいと考えています」
一方で、デジタルが進む世界でも、大切にしたい世界観がある。それは佐伯さんがドイツで見た原体験そのものだ。
「世の中のテクノロジーが進めば進むほど、エモーショナルな面も活きてくる。プロジェクションマッピングなどの見た目が華やかなイベントも進化しているけれど、もっと感情的なところが必要なのではないかと思うんです。クリスマスマーケットで何をしているかというと、寒い夜にホットワインを飲みながら、みんなで体を寄せ合って……夢を語ってくださいということをやっているだけなんです。つまりクリスマスマーケットの本質や存在意義とは、そうしたエモーショナルな環境を提供することや、来た人たちに夢や希望を与えることなんじゃないかな、と」
やりたいことをできるに変える。多くの人の幸せに貢献したい
佐伯さんは世界に冠たるクリスマスマーケットを目指そうとアクセルを踏んだ。観光資源として、日本国内はもちろん、アジアをはじめ世界中から、福岡のクリスマスマーケットに行きたいと言ってもらえるようにしたい。点と点がつながり、線になり、線と線で面になる。ステージアップをして面の中を楽しい空間にしていきたい。
「地域のいろいろな人たちに喜んでもらう。婚約破棄になりかけたけど、クリスマスマーケットで原点に返って復縁し、結婚した人の話も聞きました。『クリスマスマーケットでデートしようか』と初めてのデートに誘う口実に使ってくれてもいい。多くの人の幸せに貢献したいんです」
博多を起点としたクリスマスマーケットは九州のほかの地域にも広がりつつある。鹿児島や大分、四国にも広がって、中国地方の広島からも誘致があった。
「人に喜んでもらうことに全力で応えていきたいと思っています。僕は福岡の街に育てられました。じつはいま、九州ビールを作ろうと思っているんです。そうして九州の活性化につなげたい。まずは行動すること。そして、あとに続く人たちに対してできることを、僕なりに頑張っていきたいなと思っています」
福岡発のクリスマスマーケットが多くの人の幸福につながり始めた。それは佐伯さんが20代のころ、ドイツで体験したホットワインをかわしながら幸せそうに語り合う、現地の人たちの再現かもしれない。