『ロマンポルシェ。』のボーカル&説教担当のほか、DJとしても活躍。ライターとして連載や本を出版し、役者や声優として演技もおこなうなど、幅広く活動する掟ポルシェさん。
掟ポルシェさんに、パラレルキャリアについてや「やりたいこと」が見つからない人へのアドバイスを聞きました。
掟ポルシェさん プロフィール
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『別冊少年チャンピオン』、『UOMO』など多数。2018年に発売した著書『男の! ヤバすぎバイト列伝』は5刷重版のヒットとなり、各所で話題を呼ぶ。そのほか俳優、声優、DJなど活動は多岐にわたる。
ミュージシャンやライターなどのパラレルキャリアを実践
――掟さんはミュージシャンとしての活動に加え、DJ、ライター、声優などさまざまな活動をされています。こうしたさまざまな活動をするうえで、意識している点を教えてください。
いろいろやっているのは、単純にひとつのことでは食えないからです。お金をもらえるなら、結構なんでもやっています(法に触れない範囲で)。もともと「ロマンポルシェ。」というバンドをしているミュージシャンではありますが、ライブの合間に喋りを入れています。
その合間の喋りを「説教」と呼んでいるんですけど、1999年ごろに説教の部分だけをコラムにして書いてくださいと依頼があったんです。フリーペーパーからの依頼で、無報酬だったんですけど、それを読んだマガジンハウスの方から連絡があり『POPEYE』で連載をするようになりました。
それまではビルの窓拭きなどのバイトをやっていたんですけど、原稿の収入だけで生計が立てられるようになったもんで、バイトを辞めました。「ああいうこともやりなさい」「こういうこともやりなさい」って言われてやっているうちに、それぞれが少しずつ収入になっていき、本業であったはずのミュージシャンが一番お金になっていないですね。
――無報酬の仕事からつながっていったんですね。とはいえ、無報酬はなかなかキツいですね。
そのフリーペーパー『TOKYO ATOM』は、オーストラリア人のマークさんが編集長をしていたのですが、無報酬なのに手直しが結構入るんですよ。「ウチの読者にはムズカシイかも」ってリライトになったり。別の仕事につながったので結果的には良かったですけど、本当のことを言えばお金はほしいですよね。
当時はインターネットもそこまで発達していなくて、紙媒体が宣伝媒体として有効な時代でした。そのおかげで雑誌もいっぱいあって、自分が書いているようなくだらないコラムを載せてくれる雑誌も多かったんです。
今は雑誌も出版不況と言われ、くだらないコラムを載せる余裕もありません。ネット媒体に移行し、原稿料も安くなりました。文章を書く仕事は細々とやっています。
6月にグルメコラム集を出版
――6月16日にはネット媒体での連載をまとめた『食尽族〜読んで味わうグルメコラム集〜』(リットーミュージック)が出版されましたね。
妻の実家の仕事の都合で食文化の異なる福岡に住むことになり、ずっと「福岡の醤油、甘くなかったらいいのにな」って思いながら書いた本です。6年間福岡に住んでいたのですが、九州は醤油が甘いんですよ。刺身醤油になると倍甘くなります。自分は甘口の醤油がとても苦手でして…。
そもそも「甘じょっぱい」という味覚が理解できない。しょっぱいものはしょっぱいものを食べたくて食べてるんだから、醤油が甘いのは完全に余計な要素なので意味がわからない。青魚とかになると、向こうの方々が言うには「切りたてだと鮮度が良すぎて味気ないから、砂糖入れて甘くしてるんだよ」って言うんですが、生まれ育った北海道でもずっと住んでいた関東圏でも、普通に甘くない醤油で美味しく食べていた。これだけは勘弁してくれないかなとずっと思っていました。
そういう自分の口に合わないものへの罵詈雑言が、最悪な表現で山ほど載っています。だから甘い醤油地帯にお住まいの方々には本書は絶対に薦めません! 読んじゃダメですよ(ダチョウ倶楽部の押すなよ的な意味じゃない本気のお願い)!
エンタメ業界とコロナ禍
――掟さんがおこなっているミュージシャンやDJ活動は、やはりコロナ禍では大変でしたか?
自分がやっていることって基本くだらないので、緊急時には絶対にいらなくなるタイプのものなんですよ。社会にとっては有益ではないんです。本来、文化ってそういうものでいいと思うんですけどね。
DJをする場所はご存じの通り、密になる空間です。地下にあるクラブなんかだと換気もできません。以前のようなお客さんに絡んでいくスタイルも取れなくなりました。
以前はイベントに来てくれたお客さんにだけ売っていたTシャツなど自分のグッズを、オンラインで販売し始めました。それを生業にしてなんとか生きているって感じです。タコが自分の足を食って生きてる状態に近い。
――ライブハウスやクラブが閉店してしまったというニュースもよく見かけます。
みんな大変ですよね。ようやくライブやクラブイベントもまた以前のようにやっていいよ、みたいな雰囲気に少しずつ変わりつつあります。
最近になってオフラインのイベントができるようになってきました。オフラインと配信と二本柱でやっていくと、どちらからも集客できるので、小さな箱なんかは逆に前より儲かっているところもあります。地方の人とか、どうしても行きたくても、平日の夜とかだったら無理じゃないですか。それを配信だったら見られるので、前よりも売上が良くなったところもあります。
コロナは無いほうが楽でしたが、少しはいいこともあったのかもしれません。
パラレルキャリアの切り替え
――パラレルキャリアを実践していて、切り替えはどうされていますか?
切り替えとかはないです。くだらないってことでは一貫しているんで、基本。くだらないことならOKっていう軸があります。自分が地味に才能があるなとはっきり思えるのが、「くだらない」をやることなんです。本業でありながら、音楽制作は苦手なんですよ。不器用で楽器もできないんで、全部打ち込みで作るんですけど、自分の思い描いたものをその通りに打ち込める力がない。いつも思い浮かんではやってみるけど、思った通りにならなくて「ああダメだな」って落胆することが多いです。一日も早く、頭で思い浮かんだメロディーがそのまま曲になるように、脳に直接電極挿してMIDI変換出来る機能がDTMソフトに導入されますように!
やりたいことをやるのに年齢は関係ない
――掟さんは30歳間近でバンド活動を始めています。遅いほうだと思うのですが、どうしてその年齢から始めようと思ったのでしょうか?
学生の頃からバンドをやりたいなと思っていたんですけど、似たような音楽を好きな友達がいなかったんです。自分が聴いている音楽ってのは基本気持ちの悪いメロディでして、そういう音楽が好きなんですよ。「パンク・ニューウェイヴ」と呼ばれるような、一般的な音楽チャートに入らないような曲を聴いてきました。地元は北海道の留萌市で、そういうのが好きな人が結構いた町ではあったんですが、バンド組んでまで一緒にやってくれる人はいなかったです。
東京に来てからもやりたいなと思いつつ、1度バンドを組んだものの、そのときは自分で曲を作っているわけではないから上手くいかず1年ほどで解散…。そうこうするうちに90年代になるとテクノのムーブメントがやってきまして。そういうのを聴いているうちに自分でも曲を作りたいなと思い、シンセサイザー、シーケンサー、サンプラーなど、いろいろな機材を購入しました。
ミキサーも全部入れて録音機材まで買ったのですが、実際曲を打ち込んでみると、どうやら自分はダンスミュージックを作るのに向いていないなと分かりました。踊れる曲は作れなかったものの、そこで機材の使い方を覚えたおかげで、のちの音楽活動につながったのでよかったです。
そうこうするうち、1997年に自分のバンド『ロマンポルシェ。』を始めるんですけど、その前年に長年付き合っていた彼女が「ニューヨークに映画の勉強をしに行く」って言いだしたんです。
それで彼女が日本から離れることになって「日曜日暇だなあ。さあどうしよう」って感じですよね。当時は携帯なんかまだありませんから、アドレス帳を見ると血縁のない女性の名前が3人くらいしか書いてなくて、これはまずいなと思いました。なにかモテることないかなと考えた時に「バンドかな」と。まぁ、モテようと思ったらこんな歪な音楽じゃダメだと思うんですが……そこはもう見切り発車ですね。
――掟さんが最近熱量を持っておこなっている仕事を教えてください。
Tシャツとかのグッズ販売に力を入れていますね。発送とかも自分でしています。人に物事を頼むのがすごく苦手なんですよ。
人に頼むと、スケジュールとかをいろいろと伝えなきゃいけないじゃないですか。何事も見切り発車で準備もなく瞬発力だけでこなしてきているので。
でも、いい時代になりましたよ。いまならネットを使えば、グッズ販売ができますから。10年くらい前だったら携帯だけで仕事している人って信用なかったですよ。いまだったらメールアドレス1個で全然仕事できちゃうじゃないですか。
「やりたいこと」が見つからない人へのアドバイス
――メディアのコンセプトが「やりたいことをできるに変える」なのですが、やりたいことが見つからないという方に向けてアドバイスをいただきたいです。
「やりたいこと」って誰にでも見つかるわけじゃないですよね。見つからなかったら、やりたいことができたときのために、とりあえず金を稼いでおけばいいんじゃないでしょうか。
そして、「やりたいこと」ができたとして、それが必ずしも生産的である必要はない。自分が若い頃、ずっと女子プロレスを見ていまして。1990年代って女子プロレス対抗戦の時代で面白かったんですよ。あまりちゃんと働いていなかったので、それを見に行くために、借金していました。
それってとても無駄なことのように思うし、借金も残りましたけど、現場での体験っていうのはなかなか得られないものです。趣味でもなんでもいいですから、とりあえずいいなと思ったらすぐ行ったほうがいいですよ。そのためには、お金が必要です。
のちにプロレス雑誌とかに女子プロレスラーのインタビューやコラムを書いたりしたので、結果的に仕事になったりすることもあります。とりあえず何かいいなと思ったら、すぐ行かなきゃだめだし、二の足踏んでいる場合でもない。そういうときのために、やることがないんだったらお金稼いだほうがいいんじゃないですかね。自分はそれができなかったので、消費者金融のお世話になりましたが。
――いまも女子プロレスはお好きなんですか?
いや、まったく見ないです。プロレスは、でたらめな荒唐無稽さが良かったんですよ。最近は社会が変わって「ちゃんとしているもの」が望まれるようになりました。いまってプロレスの試合で凶器を使ったら「ちゃんと試合しろー!」って言われますからね。
自分は、ちゃんとしているものに魅力を感じない性分です。いかがわしいものが好きなんです。100キロを超える巨体の恐ろしいペイントを顔面に施した怪物的女子同士が、鎖鎌とスタンガンで戦うような女子プロレスがもし現代に復活したら、そのときは他の仕事を放り出しても観に行きます。消費者金融で借金して。
(撮影:ナカムラヨシノーブ)