フォトグラファー・ヨシダナギが撮る 立ち姿に表れる「人生のドラマ」

アフリカや南米、オセアニア、そしてアイヌ民族などの世界各地の少数民族。ほかにもドラァグクイーンの作品を発表し、その直感的な生き方も絶大な支持を集めるフォトグラファー・ヨシダナギさん。ヨシダさんのこれまでのキャリアや仕事への考え、自身のブランディングのあり方を聞いた。

 

ヨシダナギさんプロフィール

ヨシダナギさんプロフィール

1986年生まれ、フォトグラファー。独学で写真を学び、2009年より単身アフリカへ。以来アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。また同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。

23歳。「片想いにケリをつけに」アフリカへ

23歳。「片想いにケリをつけに」アフリカへ

2009年、23歳の日本人が単身アフリカへと渡った。名前はヨシダナギ。現在では写真展を開催すれば約10万人を動員し、作品だけでなくその生き方も大きな支持を集めるフォトグラファーとなる人物だ。

転校した10歳の頃から中学2年生までの間いじめにあい、両親の離婚を機に不登校となり学校をドロップアウト。インターネットの掲示板で出会った人に作ってもらったホームページがきっかけで、芸能事務所にスカウトされグラビアアイドルに。そこからイラストレーターやフィリピンで母親が携わる仕事を手伝いながら、アジア各国を渡り歩いたりもした。

 

「当時は『やりたいこと』を探していたという気持ちでもなくて、1日1日を消化するために生きていました」

 

しかし、そのような生活の中で、ヨシダさんの脳裏に時折思い浮かぶ光景があった。幼少期にテレビで見たアフリカの光景だ。雄大な大地の上、真っ青なマントを身に纏う少数民族が、槍を持ち高く飛び跳ねている様子を、当時5歳のヨシダさんは目に焼き付けていた。

以来、アフリカに対して憧れを持っていたが、具体的な行動は起こせずにいた。当時の心境を、ヨシダさんは「片想い」と形容する。アフリカへの強い興味を持ち続けているのに、いまだに足を踏み入れることができず、少数民族にも会えていない。そのようなモヤモヤが、日増しにヨシダさんの中で膨らんでいった。

 

「アフリカに行かなければ自分が納得しないだろうと思っていました。アフリカ以外の国に行っても、結局頭の中に『アフリカ』という単語が浮かんできたんです」

 

行くだけ行ってダメだったら、早くこの気持ちを手放そうと決心した。行先は、エジプトとエチオピア。当時は今ほど英語も話せず、現地にコネもなかったが、その時の心持には、不思議と大きな不安はなかった。

 

「1人で行動することがとても苦手だったので、そういった不安はもちろんあったのですが、とにかく片想いという状況が耐えられなくなった。当時は『早くこの気持ちを捨てたい』ということだけにしか頭が行っていなかったです(笑)」

人に紹介するからには、被写体を120%素敵な姿で撮る

人に紹介するからには、被写体を120%素敵な姿で撮る

 

2010年5月、ヨシダさんの姿は再びエチオピアにあった。ヨシダさんの「片想い」は、ケリをつけるどころか、より強い想いとなって花開く。1回目の旅でヨシダさんを出迎えたのは、感情表現がストレートで、しかも思いやりのある人々だった。

 

「現地の人とのコミュニケーションはとても新鮮でした。私は人との距離を詰められないので、どう仲良くしていくかが、最初は分からなかった。でも、アフリカの人たちはとりあえず近づいてきてくれて、私を家族としてすぐに受け入れてくれる。その器の大きさや警戒心のなさというのに、私はとても魅力を感じたんです。『こんなに人ってシンプルに仲良くなれるんだ』という驚きがありました」

 

ヨシダさんは現地の人びとの姿をカメラに収め続けた。

「アフリカの人びとのかっこよさを伝えたい」――。アフリカの人びとへの憧れ、そしてリスペクトが被写体の輝きを捉える。その時々の気持ちと共に、ヨシダさんはブログで写真を投稿し続け、それが徐々に注目を集め始めた。

2015年、TBSのテレビ番組『クレイジージャーニー』への出演を機に「フォトグラファー・ヨシダナギ」を世間が認知するようになる。ヨシダさんの作品に、人々は釘付けとなった。多くの仕事が舞い込み、被写体もアマゾンやオセアニアの少数民族、北海道のアイヌ民族と、世界中の少数民族を撮影する機会にも恵まれた。生きる場所も文化も違う被写体だが、ヨシダさんのカメラは、その誇り高き姿を克明に捉えた。

 

「今も昔も、写真を撮るときは、モデルになってくれた人が120%素敵に見えるような表情や姿で撮ろうと思っています。私が今まで会って写真に収めてきた人たちは、みなさんが人生を生きているうちに一度も会うことがないかもしれない人たちだと思うんですよね。

そういった人が初めて見る少数民族が、かっこよくなかったら『大したことないな』と思って生涯を終えてしまうわけじゃないですか。それってすごくもったいない。人に紹介するからには、素敵に見える姿で世に紹介できればと思っています」

「自分らしく生きること、なりたい自分に生きること」

「自分らしく生きること、なりたい自分に生きること」

そんなヨシダさんが2020年5月に出した作品集『DRAG QUEEN – No Light, No Queen -』(ライツ社)は、大きな話題を呼んだ。被写体に選んだのは、ニューヨークとパリで活躍するドラァグクイーン。雄大な自然に生きる少数民族と大都会を拠点とするドラァグクイーン。表面的に見れば、これまでとは相反するモチーフであるように思えるが、ヨシダさんを撮影に駆り立てた動機とは、どのようなものだったのだろうか。

 

「撮影するうちに『私はなぜ少数民族に惹かれるのだろう』と疑問に思うことがありました。全員に共通するのが、立ち姿がかっこいいということ。少数民族の人びとは、内からにじみ出る自信を持ち、誇りを背負っている。『生き様がかっこいいと立ち姿がかっこいいんだ』という結論にたどり着きました。

逆に私はコンプレックスだらけで、自分のコンプレックスの1つが立ち姿なんです。自分の内面の弱さが立ち姿に現れているような気がして、すごく嫌なんですが、自分がコンプレックスを抱えている部分が満たされている人を見ると、私は惹かれるんだなと思います。人生のドラマが立ち姿となって表れている人を撮影したいと思ったとき、それがドラァグクイーンでした」

 

自身へのコンプレックスを抱えているというヨシダさんだが、ドラァグクイーンの撮影は、ヨシダさんに自信をもたらすものだったという。ヨシダさんは、彼女たちとの交流を「セラピーを受けているようだった」と振り返る。

 

「彼女たちは『私が美しいと思うことはもちろん美しいし、あなたが思う美しさも、もちろん美しい。みんな違くて、みんな素敵』という器を持っていて『私も自分の好きな姿で生きていくから、あなたも好きなように生きればいい』という感覚で私と接してくれました。

彼女たちに『ドラァグクイーンとはなんなのか?』と聞いたのですが、言葉は違えど口をそろえて『自分らしく生きること、なりたい自分に生きること』と言われ、すごく腑に落ちました。『ナギだって、やりたいことをやって、楽しく自由に生きていれば、あなただってドラァグクイーンなのよ』とも。『このままでいい』と言われたことが、とてもうれしかったです」

 

ドラァグクイーンの撮影の後、コロナ禍で一時期撮影の仕事は激減した。現在はヨシダさんへの撮影オファーは戻りつつあるが、それでもオファーを断ることのほうが多い。ヨシダさんにとって、仕事を受ける、受けないの判断基準は明確で、シンプルだ。

 

「『やりたくないな』と思ったら断る。そのスタンスは最初から変わっていません。『ヨシダナギ』のクオリティーが出せないと、それはブランド毀損となり、仕事をくれた人の信頼を失ってしまう。私にとって、それはとても怖いことだと思っています。そうなると二度と他の仕事も来なくなってしまいますから」

 

たとえ社会的なステータスが高く、謝礼も高いオファーであっても、やりたくない、できない仕事は受けない。その代わり、「ヨシダナギ」として仕事を受けたからには心血を注ぐ。それがヨシダさんにとっての仕事への向き合い方だ。

 

「仕事として『ヨシダナギ』を評価してくださっていると考えると、最低限のノルマがあり、かつ『ヨシダナギ』の作風で世に出さなければなりません。それが私にできるのかを考えながら、できる仕事だけは受け、受けた限りはちゃんと『ヨシダナギ』として撮影に臨もうと思っています」

サイトの世界観がヨシダナギの「仕事の姿勢」を示す

ヨシダナギ公式Webサイト

ヨシダナギ公式Webサイト

 

現在、ヨシダさんの公式Webサイトは「さくらのレンタルサーバ」を利用している。サイトを作るうえで、ヨシダさんがリクエストしたことはただ1つ。

 

「とりあえずかっこいいの作ってくださいと(笑)。他はおまかせしました」

 

公式Webサイトのディレクションを行ったのは、ヨシダさんのマネジメントを担うキミノ マサノリさんだ。今回の取材にも同席したキミノさんに、サイトの構成の意図を聞いた。

 

「奇をてらったものよりも、ヨシダナギのパーソナリティと写真作品が同列になるように、あまりごちゃごちゃしないようにする。それと来た人がどんな作品を撮っているのかを分かりやすくしてほしいとリクエストしました」

 

ヨシダさんはモノトーンを好む。写真の派手さとモードな印象が同居するよう、建付けはシンプルさを心がけ、1枚のページで完結することを意識している。アーティストにとって、公式Webサイトは名刺であると同時に、自身の作品や世界観を示すポートフォリオでもある。

無料のポートフォリオサイトもある中で、サーバーを借りて自身のサイトを構築することの意義を、キミノさんは次のように説明する。

 

「ヨシダナギという存在に興味を持っていただいた方がサイトを見たときに、世界観をしっかりと表現できていることが、ブランディング上とても重要です。名刺もそうかもしれませんが、アートはこだわりや生き方を示すものです。それなりにお金をかけてサイトを作ることは、仕事の姿勢の表し方だとも思っています」

 

ヨシダさんは、自身を「インターネットに拾われた人生」と振り返る。写真が注目を集めたきっかけも、現在も更新を続けるブログの投稿からだった。ヨシダさんは「『やりたいこと』があるのならば、それをすべて発信したらいい」と語る。

 

「私は言葉で『あれをやりたい、これをやりたい』と言うのは得意ではありません。しかし、ブログでもSNSでも、自分のやりたいことや思考、世界観を表現すれば、インターネット上でそれに賛同する人は必ずいます。

そこから形になるものもあると思うんですよね。写真にしても、絵にしても、音楽にしても、まずは『やりたいこと』をすべて発信する。見せたり、やったり、伝えたもん勝ちではないでしょうか」