文化庁が示した「博物館DXの推進に関する基本的な考え方」には、日本が他国に比べて DX(デジタルトランスフォーメーション)の重要度の認識や投資において遅れをとっている現状が明示されています。とくに文化芸術分野では、効率的な資料管理や、多様な鑑賞体験の提供に課題があることが指摘されています。
なぜ、美術館や博物館の DX が必要なのでしょうか?
それは、美術や自然史の研究には、体験の機会が欠かせないからです。しかしながら、コロナ禍によってそういった機会は大幅に減少しました。そこで、誰もが手軽に美術作品などに触れられる機会を増やす必要性が浮かび上がったのです。
このような背景を踏まえて、本記事では美術館における DX の現状について実例を交えながら、デジタル技術がもたらす新たな可能性について探っていきます。
高い評価を受けた VRデータ鑑賞体験
美術館の DX がもたらす新たな可能性とは何でしょうか?
まず 1つ目は、オンライン展示やバーチャルツアーを通じたアクセスの拡大です。物理的な制約があるため、多くの人々が美術館を直接訪れることは難しい場合もあります。しかし、デジタル化によって、世界中の人々がオンライン上で美術作品や歴史的な遺物と触れ合う機会が得られるのです。
さらに、バーチャルリアリティ(VR)や拡張現実(AR)を活用することで、臨場感あふれる体験が可能となります。
株式会社日本総合研究所とエヌ・アンド・エー株式会社がおこなった、VRデータを使った展示の実証事業におけるアンケート結果では、下図に示される通り、「VR体験ができたこと」や「会期が終了した展覧会を鑑賞できたこと」「遠方の展覧会でも、VRデータを通じて訪れられたこと」などが評価されています。
また、VRデータならではの鑑賞方法も注目を集めています。立体作品を至近距離で見るなど、「普段見られない角度や距離で見られること」や、「他の人を気にせずに作品を楽しめること」といった利点に、多くの人が魅了されました。
さらに下図の「展覧会の VRデータを家でも利用できる場合の利用使途」については、「繰り返し鑑賞」や「家族や友人と共有すること」への期待が高いことがわかりました。
展覧会を自宅で何度も楽しんだり、大切な人たちと共有することで、アートをより身近に感じられるのではないでしょうか。
もちろん、実際の作品や建築物を直接見たいという気持ちもあるでしょう。
しかし、アンケート結果からは、VRデータを通じた鑑賞体験が、実際に現地を訪れたいという意欲を高めるきっかけとなることもわかりました。VR の魅力に触れることで、ますます実際の展覧会に行きたいという気持ちが湧いてくるのです。
展覧会のVRデータを通じた鑑賞体験は、予想以上の感動や喜びをもたらしました。実際の展覧会とは違った形で、新たな視点や体験を提供してくれる可能性を秘めているといえるでしょう。
アートの世界に没入する感動体験
アートの楽しみ方は時代とともに変化しています。壁にかけられた作品を静かに眺め、自分自身と向き合いながら芸術を楽しむ鑑賞スタイルは素晴らしいものですが、近年では没入感を持った芸術世界の楽しみ方が注目を集めています。
株式会社キョードーマネージメントシステムズが手がける「Immersive Museum(没入型美術館)」は、演劇やアート、エンターテインメントの分野で世界的に人気となっている「Immersive(没入感)」に着目した新しいアート体験プログラムです。特別な音響効果と広い壁面や床面に投影される没入映像を組み合わせ、広大な屋内空間で名画の世界を再現します。参加者はその世界に自由に入り込み、視覚だけでなく音と映像によって名画の世界を全身で体験できます。
クロード・モネの『睡蓮』やドガの「踊り子」の作品、ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』など、誰もが知っている名画が素晴らしい映像となって次々と登場し、会場を圧倒します。
この「Immersive Museum」の特徴は、鑑賞者が画家自身になったかのような「視点の転換体験」を提供することです。これまでは美術館の壁に掛けられた額縁の世界をのぞき込む芸術体験でしたが、今後は自分たちが作品の世界に入り込むことができます。
つまり、絵画を鑑賞するだけでなく体感する時代へと変わっているのです。
自宅で作品の細部まで徹底的に鑑賞
絵画の体感は家にいながらにしても可能になってきています。
ニューノーマル時代の新しいアート鑑賞体験として、「没入型オンライン鑑賞サービス『ZOOOOOM ART MUSEUM』の実証検証が進んでいます。
このサービスでは、優れた解像度のレンズを用いて 1つの作品を拡大表示し、触感や細かな線画、カラーリング、陰影などの詳細な部分を自宅で楽しむことができます。
また学芸員の解説により、作家が受けた影響や当時の時代背景を理解し、作品に対する作家のこだわりや作品に込められた作家の想いを考察することで、さらに豊かな解釈へと導かれていくのです。オンラインならではの、新しい鑑賞スタイルといえます。
解説配信の企画や演出に携わったカルチュア・コンビニエンス・クラブの田尾圭一郎氏は、「情報や解説をただ提供するのではなく、むしろ視聴者の問いや探究を誘発できるように企画しました」と述べています。*1
将来的には、インバウンド市場向けの展開や教育コンテンツとしての展開なども視野に入れ、文化芸術作品の価値を高めていく計画があり、新しい試みとして注目されています。
文化芸術の新たな道を切り拓く DX
美術館は、歴史と素晴らしいコレクションを持つ文化の宝庫です。しかし、時代の変化や現状に合わせて進化していく必要があります。
その際に重要な役割を果たすのが DX です。
美術館の DX とは、単なるデジタル化ではありません。文化や芸術を体験し、より多くの人々を惹きつけるための新しい道を開くことを意味します。
デジタル技術の進歩は、デジタルとリアルが相互に補完し合い、芸術の領域を広げ、多様な表現や体験を生み出しています。また、物理的な制約を超え、時間や場所の制約を克服する力も持っています。これまでにくらべ包括的なアクセスが可能になり、多くの人に美術館の素晴らしさを体験してもらうことで、芸術の魅力はさらに広がっていくことでしょう。
執筆
Midori
総合広告代理店のアカウントエグゼクティブを経て、国際結婚を機にイタリアに移住。取材・撮影コーディネーターのほか、フリーランスライターとしてマーケティングに関する記事を執筆しています。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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