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今回は少し変わって、「ビジネス書」らしからぬ風貌をした、しかし私はれっきとしたビジネスについて語った本だと思う一冊をご紹介したい。
『生きのびるための事務』(坂口恭平 原作、道草晴子 漫画、マガジンハウス)。なんだかどきりとするタイトルである。生きのびる、という言葉と、事務、という言葉が組み合わされることは、普通、あまりない。しかし本書はたしかに「生きのびる」ために必要なのは「事務」である、ということを主張しているのだ。
作者は、アーティストの坂口恭平さん。彼は日本の路上生活者の住居を撮影した写真集『0円ハウス』(リトル・モア)を刊行してデビューし、現在も音楽や作家業、イラストなどさまざまな分野で活躍している。
なぜ彼はそんなふうにアートの分野で活躍できているのか? そこには「事務」の存在が常にある、と本書は語る。本書は、若かりしころの坂口さんであろう、「絵を描いたり文を書いたりして生きていきたいけど、何をしていいのかわからずアルバイトを続けている」主人公と、ある日ふらりとやってきて「事務」を教えてくれるというジムの対話形式の漫画で構成されている。つまり、坂口さんが若いころにおこなった「作家や画家として食べていくためにやっていたこと」を、漫画の対話で教えてくれるという本なのだ。
偉大な芸術家も「事務」をしていた
さて、彼はどんなことをしていたのか? その1つのキーワードが「事務」である。事務というと、経費精算や確定申告やメール返信といった言葉が思い浮かぶかもしれない。しかし本書は、「事務」とは大きく分けて2つの項目で表現されうるという。
事務とは、「お金の管理」と「スケジュールの管理」である。ーー作者はこう言い切る。
では、お金の管理はどうしたらいいのか? どうやってものの値段を決めたらいいのか? 自分の収入はどのように考えたらいいのか? あるいは、自分の理想のスケジュールとは何か? そんなことを対話しつつ考えていくのが、本書なのである。
事務、という言葉のイメージに反して、その営みはクリエイティビティに満ちている。おもしろいのが、たとえばフランスの芸術家、マルセル・デュシャンの有名な作品の裏側にはじつは「事務」があった、という事例が紹介されていたり、あるいは『森の生活』を書いたソローも「事務」の重要性を語っていたという事例が紹介されていたりするところである。
そう、偉大な芸術家は、芸術をつくっていただけではないのだ……!! いまは有名でファンもたくさんいる坂口さんも、芸術だけをやってここまで来たわけではない。最初から会社をつくったり契約書を書き換えたりしていたのだ……!!
このことが心底理解できる点が、本書の魅力ではないだろうか。つまり、クリエイティビティを本気で発揮したいなら、本書の言う「事務」を本気でやることは必要不可欠なのだ、としみじみ理解できるのである。
つまり事務とは、仕組みそのもののことなのだと思う。クリエイティブは、仕組みから生まれる。仕組みがないと、いくらクリエイティブな才能があっても、続けていくことはできない。書き続けること、つくり続けることは、できない。だからこそ、才能だけではだめなのだ。才能を発揮し続けるための、仕組みがなければ。
本書は、クリエイティビティを発揮する仕組みをどうやってつくるか? という本なのである。
クリエイティビティを発揮するのは、自分の才能や能力ではなく「事務=仕組み」である
また、おもしろいのが「調子がいいときもわるいときも、褒められたときも否定されたときも、自分の仕組みを評価すればいい、自分自身の才能や能力については褒めなくても否定しなくてもいい」という点である。私は結構この点がおもしろかった。やっぱり他人に作品を発表していると、褒められたり批判されたりする。そんなとき、批判を気にしなくていいよ、という人は多い。しかし、褒め言葉も受け取らなくていいよ、という人は、案外少ない。
しかし実際、褒め言葉によろこんでいたら、否定の言葉に落ち込むこともセットであるように私は思う。つまり他者評価に自分の感情や評価を委ねるということだからだ。だが本書は、賞賛も批判も、「仕組み」がうまくいっているかどうかの指標でしかないから、自分自身については何も思わなくていい。大切なのは自分の才能や能力ではなく自分のつくってきた仕組み=事務なのだ、と説く。これはあまり言っている人を見かけないから、とてもおもしろかった。
クリエイティビティを発揮するのは、自分ではない。自分のつくりあげた事務という名の仕組みである。そういうことを言っている人は、多くない。しかし真実であると私は思う。
クリエイターにはぜひ読んでほしい名著なのだ。