長引くコロナ禍で打撃を受けるタクシー業界で、新しいチャレンジを続ける企業が熊本にある。熊本市中央区にある熊本タクシーは、不況が続く社会に対応しようと早くから業務多角化やDX導入を進めてきた。同社のタクシーが運ぶお客さまは、街の人たちすべてが対象だ。ビジネスマンや観光客はもちろん、外出の難しい高齢者、陣痛が始まった妊婦さん、はたまたネットユーザーまでもタクシーで運んでくれるという。熊本タクシーとはいったいどんな会社なのだろうか? 代表取締役社長の倉岡 征宏さんと、情報システム担当者の叶 浩志さんに話を聞いた。
倉岡 征宏(くらおか まさひろ)さん プロフィール
1964年生まれ、熊本県熊本市出身。早稲田大学卒業。熊本商工会議所議員、熊本県タクシー協会理事、熊本市タクシー協会理事、熊本県バス協会理事、熊本県旅行業協会理事を務める。熊本タクシー代表取締役社長(現職)。
叶 浩志(かのう ひろし)さん プロフィール
1962年生まれ、熊本県熊本市出身。東京のシステム会社での勤務を経て、2019年に熊本タクシーへ入社。情報システム担当(現職)。
タクシー会社はオフィスも24時間365日稼働する組織
熊本市の中心街、銀座通りに本社を構える熊本タクシー。タクシー会社は「24時間365日、つねに動き続けている」組織だと代表の倉岡さんは教えてくれた。
倉岡 征宏さん(以下、倉岡さん)「熊本タクシーを利用されるお客さまは現在1日2,000人以上。いまはコロナ禍の影響もあり以前より減少傾向ではありますが、多い日は3,000人弱のお客さまが乗車されます。タクシー事業をおこなう会社ではドライバーはもちろん、配車業務などをおこなうオペレーターも24時間体制です。コールセンターでは配車システムを担当するスタッフたちも交代制で勤務しています」
スマートフォンが普及した現在では、タクシーを利用する乗客の8割以上が電話や配車アプリを経由して迎車を依頼する。2,000件を超える配車業務を、昼夜を問わずリアルタイムで処理する配車システムは、タクシー会社にとって屋台骨ともいえるだろう。
100年企業が大切にするのは新しいチャレンジ
熊本タクシーは2023年で創業100周年を迎える老舗企業だ。会社の自慢は「新しいチャレンジを続けていること」だと倉岡さんは語る。
倉岡さん「タクシー業界はバブル崩壊後から長い間、斜陽産業だといわれてきました。タクシーの需要が下がるなか実際に売り上げが低迷していた時期もあり、つねに変化する社会情勢や世の中のニーズに対応できるよう、10年後を見据えた経営戦略が必要だと考えています。既存の事業との相乗効果を狙える方向への多角経営を進め、現在はタクシーを含めた旅客輸送事業のほか、観光事業、介護福祉事業、車両運行管理事業の3つを会社の成長エンジンとしています」
熊本タクシーが運営する訪問介護事業「クマタクケアセンター」では、介護福祉士の資格を持ったドライバーが福祉車両で利用者の外出をサポートする。外出が難しい高齢者や身体介護が必要な人でも、専門知識を持ったスタッフの手を借りて通院などの外出がおこなえる。介護保険も適用されるため、利用者の経済的な負担も最小限に抑えられるサービスだ。
観光事業も充実している。観光用の貸し切りバスを運行するほか、自社で観光施設「お手水の森(おちょうずのもり)」も運営している。熊本市西区花園にある施設では、平成の名水百選の湧水「お手水」を利用した釣り堀でマス釣りの体験ができるほか併設のレストランで料理も堪能できるレジャー型観光施設だ。
新しいチャレンジが新たな人材を惹きつける
デジタルツールを活用してタクシー事業にも新しい風を吹き込む姿勢が、新たな人材との出会いにもつながっていた。
ユーモアあふれる社員のつぶやきが話題となり、Twitterの熊本タクシー公式アカウントはフォロワー数31,000人を超える人気ぶりだ(2022年10月現在)。2019年から同社で社内SEとして働く叶さんは、Twitterでの広報活動を目にしたことも入社の動機のひとつだと話してくれた。
叶 浩志さん(以下、叶さん)「ソフト開発をおこなう東京の企業で、新卒以来エンジニアとして働いてきました。ソフト開発の現場では、自分が携わったソフトウェアが実際に使われている現場を目にすることはありません。自身のキャリアの最後に、ソフトを使う側の立場で働いてみたいと以前から考えていたんです。出身地である熊本へのUターン後、Twitterでのユニークなつぶやきが目に留まって。デジタルツールを積極的に取り入れるこの会社なら、自分のスキルを活かせるのでは、と思いました」
熊本タクシーには20代から70代まで、幅広い年代の社員が在籍している。働くフィールドもタクシーの車内やオフィス内などそれぞれで、多様性に富んだ職場環境だ。いまは毎日が刺激的、と叶さんは笑みを浮かべた。
SMS送信システムの導入で陣痛タクシー登録業務の負担軽減
2013年から始めた「陣痛タクシー」は、これまで1,500人以上の妊婦さんを運んできた。陣痛が始まった妊婦さんを、事前に講習を受けたドライバーが病院まで送り届けるサービスだ。利用希望者はホームページの専用フォームから氏名、住所、かかりつけ病院などの情報を事前登録するシステム。一般的に普通分娩の場合、妊婦さんは出産時に救急車を使うことができない。いつ始まるかわからない陣痛に備えようと、年間2千人弱の利用希望者が登録するという。
倉岡さん「陣痛タクシーは利用シーンの性質上、登録情報の間違いがあってはいけませんから本人確認が必要です。オペレーターが登録者ご本人へ1件ずつ電話をかけ、登録内容の確認や利用料金の説明をおこなっていました。妊婦さんやご家族もお忙しい時期ですから、こちらから電話をかけたタイミングで、必ず対応してもらえるとは限りません。連絡がつかない場合は何度も電話をかけたり、先方から折り返しの電話があったりもします。通常の配車業務と並行してそれらの作業が発生するうえ、多いときには1日30件もの確認が必要となり、通常業務の負担になっていました」
本人確認の架電業務を減らそうと、熊本タクシーは法人向けSMS配信サービス「SMS HaNa」を導入。陣痛タクシーの登録フォーム上で、本人確認の方法を電話とSMSから選べるようにしたところ、95%以上の人がSMSを希望するのだという。その結果、オペレーターが電話で本人確認をおこなう業務がほぼなくなり、現在は登録内容の精査や通常の配車業務に専念できるようになった。
働く人が楽になる「誰も取り残さない」システム選び
熊本タクシーのDXは「誰も取り残さないこと」がモットーだ。
システムを導入する際、決め手となったのはシンプルな操作性だという。若手からシニアまで幅広い年代の人が働く職場だからこそ、社内の人が誰でも使いこなせるシステム選びが大切だと倉岡さんは教えてくれた。
倉岡さん「社内システムを新たに取り入れる際は、誰も取り残さないことが最も重要だと考えています。20代、30代の若手社員と70代のベテラン社員ではITスキルに差があることも理解して、むやみに環境を変えないことも大切です。いま働いている人たちが楽にならなければ、新システム導入の意味がありませんから。パソコン操作に不慣れな人でもすぐに覚えられて確実に使える、シンプルなシステムが望ましいと考えています」
一方で、顧客側に使ってもらうシステムは、なるべく広く普及しているサービスを選ぶという。
倉岡さん「2012年1月から配車アプリGO(当時は全国タクシー配車アプリ)を導入しました。お客さまの利便性を考えると、対応エリアや選べるタクシー会社の種類が多いほうが価値あるものと考えます。ユーザー数が多いサービスほど利用者が多く、売り上げにも影響するため、経営判断としても業界シェアの高いサービスを選ぶことを心がけています」
ユーザー数の多い配車アプリで利用客の入口を広げようという狙いだ。2008年からポイントサービス「クマポン」もスタート。現金決済でポイントが付くサービスで、利用率は3割とリピーター獲得にもつながっている。今後は電子決済にも対応する見込みだ。
バーチャルタクシーという新たな挑戦、見えてきた次の目標
コロナ禍の中で新たなタクシーの可能性を探る、新しい取り組みも始めた。「バーチャルタクシー」は、ツイキャス、Zoomなどの動画視聴サービスを通じて熊本観光や地元への帰省をリアルタイムで体験できるサービスだ。利用者が個人的に行きたい場所へとドライバーが出向くVTC(バーチャルタクシーチャーター)プランと、観光ドライバーによる熊本県内のツアーができるVT(バーチャルタクシー)ツアー、現在は2種類のサービスを提供している。
バーチャルタクシーに挑戦したことで、動画撮影のノウハウが身に付いたと叶さんは楽しそうに語ってくれた。
叶さん「タクシーで移動しながら熊本県内各地を回り、視聴者からはチャット機能でコメントをいただきました。動画の生配信を経験するのは初めてだったこともあり、私自身も手探りでのスタートでしたが、コアなファンの方も参加してくださって嬉しかったです。タクシーの車内と外の明るさが違っていることなど、実際に体験してみないとわからなかった発見もありました。そうしたノウハウを活かして、求職者に向けた社内の紹介動画を自社で作成できました。いまではショート動画の投稿にも挑戦しています」
現在の目標は週に3本のショート動画をアップすることだそう。タクシー乗務員や整備スタッフ、管理職等、複数の部門をまたがったプロジェクトで、誰もがクマタクの認知度を上げていきたいという一致した想いで取り組んでいるという。TikTok、Instagram、YouTubeなどの動画配信サービスで公開中だ。
「これからも新しいチャレンジを続けていきます」と、代表の倉岡さんは力強い笑顔を見せてくれた。
執筆
桑原 由布
1987年生まれ、熊本県出身。フリーライター、編集者。企業、観光、医療などをテーマに地元で暮らす人たちを取材している。趣味は写真撮影、生きがいは愛猫たちと過ごす時間。
※『さくマガ』に掲載の記事内容・情報は執筆時点のものです。
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